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第6部 飛び立つ勇気

2-5頑張る理由に貴賤などないと思う

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 時間は、二十二時十分。私は、ダイニングのテーブルで、勉強をしていた。いつもなら、奥にある机で勉強するのだが、今日は来客があって、二人で勉強している。外出には門限があるが、寮の中の行き来は、特に制限がないからだ。

 目の前にいる人物は、必死になって、ノートに書きながら勉強をしていた。私は、彼女に向けて、先ほどからずっと、問題の解説をしている。

 彼女は、物凄く真剣だし、基本は、しっかり出来ている。ただ、学習時間が足りなかったせいで、所々に穴があった。
 
 私の目の前で、黙々と勉強しているのは、先日、友人になったばかりのエマリエールだ。彼女は、通常業務が終わったあとも、社員食堂での仕事がある。そのため、勉強の時間が、なかなか取れないでいた。

 食堂の営業時間後も、広い食堂の掃除に加え、翌日の料理の、仕込みの手伝いなどもある。もちろん、早く上がることもできるが、彼女には、お金が必要だった。なので、命一杯、仕事をしていた。

 また、食堂の仕事が早く終わった場合は、別の仕事も受けている。会社で発生する、雑用関係の仕事を、引き受けているのだ。もちろん、全て会社公認だった。なぜなら、ミス・ハーネスが、仕事を回してくれているからだ。

 結局、深夜まで働き、彼女が部屋に帰って来るのは、二十四時過ぎ。そのあと、シャワーを浴びたり、食事をしたりすれば、時間は深夜の一時を回る。一日中、働きっぱなしで疲れているのに、その時間から勉強をするのは、とても大変なことだ。

 最初『勉強を教えて欲しい』と頼まれた時は、少し戸惑った。なぜなら、私は、常に自分のペースを、大事にしているからだ。しかし、彼女の事情を聴いて、私は受けざるを得なかった。

 そもそも、彼女に『夢を諦めないように』と言ったのは、私自身だ。会社に残留させた以上、私にだって、責任はある。それに、万一、彼女が昇級試験に落ちでもしたら、非常に目覚めが悪い。

 ここ数日、少し早めに夜の仕事を上がって、私の部屋に通って来ていた。今日は、試験の二日前なので、流石に夜の仕事は休んで、早くから私の部屋で、勉強をやっている。二人で軽く夕飯を済ませたあと、ずっと試験対策を続けていた。

 今日は、過去の試験問題を、ひたすら解いている。私は、全て満点だが、彼女は、七十から八十点台。基礎はできているし、勉強時間が少ない割には、よく頑張っていると思う。

 七十点とれていれば、合格は確実なので、試験で落ちることはないはずだ。しかし、毎回、問題が違うので、難易度には開きがある。たまたま、難しい問題が多い時もあるので、油断は禁物だ。

「なるほど、この公式を使えばいいんだね」
「そう。一見、難しそうに見えるけど。公式が分かれば、確実に正解できるわ」

 彼女は、必死に手を動かし、私の言ったアドバイスを全て、ノートに書きこんでいた。物覚えもいいが、何と言っても、物凄く素直で謙虚な性格だ。同期の話を、ここまで真剣に聴く子も珍しい。

「ちょっと、休憩にしましょう。お茶を淹れて来るわ」
「いや、大丈夫。まだ、疲れてないから」

「だめよ。もう、三時間も、勉強しっぱなしじゃない。適度に休憩をとらないと、逆に効率が悪くなるのよ」
「……そうだね。じゃあ、休憩しようか」

 私は、キッチンに行くと、ポットに水を入れ、クッキング・プレートにおいて、スイッチを押した。その間に、茶葉の準備と、お菓子の用意をする。

「何か、手伝うことある?」 
「大丈夫よ。それに、ここのキッチンは狭いから、二人だと身動き取れないわ」

 自宅のキッチンとは、比べ物にならないぐらい狭い。キッチン・プレートも小さく、お湯を沸かす用だ。それでも、一人分の食事を作るには、十分だが。

「それもそうだね。でも、やっぱりいいね、一人部屋は」
「あなたは、二人部屋だったわね?」
「うん。でも、普通はそうだと思うよ。むしろ、一人部屋のほうが、少ないから」
 
 確かに、その通りかもしれない。私は、人とペースを合わせるのが疲れるので、あえて、一人部屋を選んだのだ。寮費が高くなるが、それについては、母が全額出してくれているので、特に問題はなかった。

 お茶の用意ができると、トレーにのせて運んでいく。テーブルの中央に、焼き菓子の皿を置き、そっとティーカップを差し出した。

「ありがとう。凄くいい香りだね。これ、かなり、いいお茶じゃない?」
「どうかしら? 実家で飲んでいるのと、同じ物を選んだだけよ」
「なら、絶対にいい物じゃん」

 エマリエールは、一口飲むと、フーッと息ついて、幸せそうな表情を浮かべる。

「でも、二人部屋なら、夜の仕事に行く時、どうしてたの? 当然、同室の子には、ばれてしまうでしょ?」

「うん。事情を説明して、黙っていてもらったんだ。まぁ、相方の子には『悪いことしてるなぁ』って、いつも気になってたけど。やむを得なかったんで」

 流石に、母親の命が掛かっているとなれば、同室の子も、告げ口をするような事はしないだろう。ただ、それにしても、危ない綱渡りだったことに、違いはない。

「もっと、早くに、ミス・ハーネスに、相談すべきだったんじゃないの?」
「それは、どうかな? ナギサが言ってくれたから、聴いてくれたんだと思うよ」

「別に、私は何もしてないわよ。言っても、全く聴いて貰えなかったのだから」
「そんなことないよ。結果的に、こうして残れたわけだし。全てナギサのお蔭だよ。本当に、ありがとう」

 私は、サッと視線を逸らす。もう、その感謝の言葉は、何十回も聴いた。一回、言えば、十分だというのに。彼女は、ことある度に、私にお礼を言ってくる。本当に、律儀な性格だ。

 私の説得は、失敗したのだから。それで、お礼を言われるのは、何とも居心地が悪い。あくまでも、ミス・ハーネスの、優れた判断によって、救われただけだ。エマリエールに、仕事を紹介したのも、彼女な訳だし。

「それより、試験のほうは、何とか間に合いそうね」 
 私は、サッと話題を切り替えた。

「うん、ナギサに教えてもらったお蔭だよ。試験の直前なのに、ゴメンね。ナギサの勉強の、邪魔をしてしまって――」

「別に、何も問題ないわよ。私は、復習になるし。そもそも、試験対策なんて、とうの昔に、終わっているのだから」

「流石は、優等生。言うことが違うね」
「私は、優等生なんかじゃないわよ。ただ、毎日やるべきことを、してるだけ」

 私が答えると、彼女は小さく笑う。

「そう言えるところが、本当に凄いよ。私なんて、何もかもが、一杯一杯だから」
「あなたは、しょうがないでしょ? お母様の件があるのだから。そう考えると、相当に優秀よ。限られた時間で、これだけ出来ていれば」

 彼女は、そこまで、成績が優秀という訳ではない。でも、ほとんど、勉強する時間がない割には、本当によくできている。学生時代から、真面目に勉強していなければ、ここまでは出来ないはずだ。

 いくら時間があっても、真面目に勉強しない人間は、沢山いる。そう考えると、限られた学習時間で、中の上を維持している彼女は、非常に優秀だ。時間さえあれば、もっと上を狙えるだろう。

「成績トップのナギサに言われると、お世辞でも、凄く嬉しいよ」
「私は、お世辞なんて言わないわよ。お世辞もゴマすりも、大嫌いだから」

「あははっ、そうだったね。色々苦労しそうだけど。私はその性格、好きだよ」
「馬鹿にしてるの?」

 私は、笑いながら言うエマリエールを、軽く睨みつける。私だって、損な性格なのは、十分に自覚している。でも、人に媚びるのは、生理的にダメなのだ。

「まさか。私は、本当にナギサのこと好きだよ。みんなは、何でナギサの良さが、分からないんだろうね?」
「し……知らないわよ」

 私は、答えながら顔を横に向けた。 

「ナギサはさ、何でシルフィードになったの?」
「えっ、何よ唐突に?」

「私は、お金のため。一杯お金を稼いで、お母さんを、楽させてあげたいんだ。意識の高いナギサから見たら、くだらない理由でしょ?」
「別に、くだらなくなんて無いわよ。家族のために頑張るのは、立派じゃない」

 シルフィードになる理由は、人それぞれに違う。ただ『お金のため』と言う人は、まずいない。皆、立派な目的や目標があり、金銭的な理由を口にするのは、下卑て聞こえるからだ。

 でも、私は、人のためにお金を稼ぐのは、決して、意識の低い目標だとは思わない。私の個人的な目標などより、よほど立派ではないだろうか?

「私の場合は、母のような、気高いシルフィードになりたかったのよ。あとは、独り立ちしたかったから。そんな、立派な目標じゃないわ」
 
 気高く生きたいのは事実だ。でも、母の影響から、逃れたかったのもある。何から何まで、母の力でやって貰っていたから。自力でもやれることを、実感したかったのだ。

 あまりにも、母の力が強すぎて、自分がとてもちっぽけに、見えてしまうから。自分自身の力を、周囲に認められたかったのだ。私は『白金の薔薇プラチナローズ』の娘という評価を、変えたかったのかもしれない。

「凄く立派だよ。お金しか考えてない、私なんかとは、比べ物にならないし」
「目標に、良いも悪いもないわ。どれだけ、真剣に取り組むかだけよ」

「それも、そうだね」
「さぁ、再開するわよ。落ちてしまったら、目標も何も、あった物じゃないんだから」

 ティーカップを片付けると、私たちは再び、黙々と試験勉強を始めるのだった。

 他人のために頑張る彼女。自分のためだけに頑張る私。母親のために、頑張っているエマリエールのほうが、はるかに立派だと思う。でも、たとえ自己満足だとしても、自分でやると決めた以上、やり切るだけだ。

 私は、ひたすら上を目指して、誰よりも、気高いシルフィードになるのだから。できれば、母親よりも、もっと上のステージに……。


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次回――
『どんな世界でも頂点は一席だけだよね』

 頂点に立つ者は常にひとり!
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