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第5部 厳しさにこめられた優しい想い

1-2見えないはずの光が見えるのは記憶障害のせいだろうか?

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 時間は、午前十時。私は、病院の個室にいた。ベッドの上で、上半身を起こした状態で、ボーッと窓の外を眺めていた。朝食を終えたあとは、何もやることがないからだ。

 すぐにでも、出社したいけれど、当然、リリーシャさんには、止められた。しかも『ずっと、ベッドの上にいるようにね』と、しっかり釘を刺されてしまった。
  
 いつもなら、うずうずして、どうしようもないところだ。でも、今回は、少し状況が違っていた。

 目が覚めてから、ずっとボーッとしたままで、頭がスッキリしないからだ。さっき食べた、病院のご飯も、美味しかったんだかどうだか、よく分からない。

 昨日の夜は、一睡もできなかった。三日間も、眠りっぱなしなうえに、起きたばかりで、すぐにまた、寝れるはずがない。でも、一番の問題は、頭の中に『濃い霧』がかかった状態だからだ。

 昨夜、目が覚めたあと、すぐに診断が行われた。心拍数も血圧も、至って正常。体には、何一つ異常なし。医師の診断では、完全に健康な状態だ。ただ、1つだけ問題があった。それは、三日前の記憶が、すっぽり抜けていることだ。

 昨日は、病み上がりということで、軽い診断だけで終了した。でも、今朝の回診の際に、私の身に起こった出来事を、全て話してもらった。

 私は、先日、エア・ドルフィンで飛行中に、高度十メートル以上から、墜落したそうだ。アパートの屋根に激突したあと、機体から放り出され、地面に落下した。

 乗っていた機体は、大破して全損。しかし、十メートル以上の高所から落下した私は、なぜか、かすり傷一つない状態で発見された。外傷はもちろん、骨や内臓にも、一切の損傷が見つからなかった。

 これには、レスキュー隊の人も、医者も、首を傾げたようだ。どう考えても、無傷で済む、高さではなかった。無傷どころか、高確率で命を落とす、危険高度だったからだ。

 私の担当医は『奇跡としか言いようがない。神のご加護でも、あったのでは?』と、笑顔で話していた。

 ただ、私はその話を聴いても、ピンと来なかった。説明を聴いても、記憶が全く、戻らなかったからだ。もし、話が本当だとすれば、確かに奇跡的な出来事だと思う。でも、頭がスッキリしないので、まるで他人事のような感覚だった。

 お医者さんが言うには、一時的な『記憶障害』らしい。精神的なショックが、大きい出来事が起こった場合。精神を守るために、一時的に記憶がなくなることは、割とよく有るらしい。

 今日の午後、念のため、脳や記憶の精密検査を行う予定だ。でも、頭を強く打ったりした訳ではないので、何も心配ないと、担当医は言っていた。あと、無理に思い出そうとしなくても、そのうち、自然に思い出すらしい。

 それでも私は、何度も思い出そうと、試してみた。早く思い出して、仕事に復帰したい。それに、記憶がないって、物凄く変な気分だからだ。でも、努力も虚しく、頭の中の霧が、晴れることはなかった。

 あと、不思議と、感情が動かない。いつもなら、喜怒哀楽が激しいのに、何を見ても、何の感情もわいて来ないのだ。見た物が、見たままにしか、目に映らなかった。窓から空を見ても、ワクワクしたり、綺麗だと思ったりしないのだ。

 こんなことは、私の人生の中で、初めてだった。まるで、私が私じゃないみたい。でも、必ずしも、悪いとは言えなかった。頭は相変わらず、ボーッとしたままで回らない。けれど、心が物凄く穏やかだった。

 いつもは、荒々しい海のようなのに、今日は波紋一つない、静かな水面のようだった。目に入るもの全てが、とても穏やかに見える。でも、これも、精神的なストレスによるもので、時間が経てば治るらしい。

 私は、身じろぎ一つせずに、窓の外を眺めていた。青い空に、ゆっくりと、白い雲が流れて行く。やはり、なんとも思わないし、何の感情もわいてこない。

 しばらく外を眺めていると、入り口から、ノックの音が聞こえた。私はゆっくりと、視線を扉のほうに向ける。すると、静かに扉が開いて、リリーシャさんの姿が見えた。

「風歌ちゃん、おはよう。調子はどう?」
 優し気な笑顔を浮かべて、部屋に入って来る。

「おはようございます、リリーシャさん。滅茶苦茶、絶好調です」 
 私は、無理矢理、笑顔を浮かべながら答えた。

 いつもなら、リリーシャさんの顔を見るだけで、嬉しくなって、笑みが自然に浮かぶのに。今日は、何の感情も、笑顔も出てこなかった。でも、心配はさせたくないから、明るく振る舞うことにする。

「そう、よかった。風歌ちゃんに、お客様が来ているわよ」
「え、お客様ですか……?」

 リリーシャさんは、部屋の外に顔を出し、声を掛ける。すると、見慣れた二人が、遠慮がちに入って来た。

「ナギサちゃん、フィニーちゃんも。リリーシャさんと、一緒に来てくれたの?」
「病院の入口で、偶然、出会ったのよね」
 リリーシャさんが声を掛けると、二人とも静かに頷いた。

「それより、風歌。本当に、怪我はないの――?」
「風歌、痛いところ、ない?」
 二人とも、心配そうな表情で訊いて来る。

「うん、へーきへーき。かすり傷一つ、ないんだよ」
 私は右腕を上げ、力こぶを作って見せた。

「どうやら、本当に大丈夫なようね。まったく、毎度毎度、あなたは……」
 ナギサちゃんは、フーッと、大きく息を吐き出した。

「風歌、ネコみたいに、クルッと着地したの?」
 フィニーちゃんは、興味津々に尋ねて来る。

「んー、どうなんだろ? よく覚えてなくて」
「あの高さから人が落ちて、そんなはずないでしょ。それより、大丈夫なの? 記憶がないって、聴いたけど」

「うん、一時的なものだから、時間が経てば、自然に思い出すって。それに、他のことは全部、覚えてるから。大丈夫だよ」
「そう、ならいいんだけど」

 ナギサちゃんが、不安げな表情をしているので、私は努めて明るく返す。でも、親友の二人が来てくれても、やっぱり感情は動かない。本来なら、飛び上がるほど、嬉しいはずなのに――。

「風歌ちゃん、私は、そろそろ仕事に行くから、大人しくしていてね。また、仕事が終わったら、顔を出すから」
「はい。わざわざ、仕事前に来ていただいて、すいません」

 普段なら、一件目の対応が、始まっている時間だ。おそらく、予約の時間を、ずらして来てくれたんだと思う。リリーシャさんは、ナギサちゃんたちに声を掛けると、静かに部屋を出て行った。

 リリーシャさんが帰ると、病室が静まり返る。すると、ナギサちゃんが、真剣な表情で質問してきた。

「それで、実際のところは、どうなのよ?」
「え、何が?」

「どうせ、リリーシャさんに心配を掛けないために、元気に振る舞ってたんでしょ? 私たちには、隠す必要ないんだから。記憶のこととか、ちゃんと話しなさいよ」
「隠すの、風歌らしくない」 

 流石はナギサちゃん、完全に見抜かれていた。フィニーちゃんも、ここ一番で、割と鋭いからね。

 それに、変化に気付くってことは、ちゃんと友達として、いつも見てくれている、ってことだよね。やっぱり、二人には、隠し事はしたくない。

「何かね、頭の中に霧が掛かってて、全然、頭が回らないんだ。あと、全く感情がわい来なくて。何を見ても、何も感じないんだ」 
「それって、本当に、大丈夫なの……?」

 ナギサちゃんは、複雑な表情をする。

「お医者さんは、精神的ストレスから来るもので、時間が経てば治る、って言ってた。でも、早く治したいなぁ。頭の中スッキリしないし。作り笑顔をするのも、疲れるし」

 私には、とことん、演技は向いてないと思う。今までは、思うがままに、感情だけで生きて来たし。感情がわいて来ないと、どう振る舞っていいのか、全く分からない。

「なら、外行こう。空気すえば、スッキリする」
「ダメに決まってるでしょ、病み上がりなんだから。リリーシャさんも、大人しくしているように、言ってたじゃない」 

 フィニーちゃんの提案に、ナギサちゃんは反対する。

 以前の私なら、うずうずして、さっさと外に、飛び出していたと思う。でも、不思議と、そんな気持ちがわいてこない。

「屋上なら、病院の中だからへいき。早く、元に戻ったほうがいい」
「まぁ、屋上なら、大丈夫かもしれないけど……」
 二人とも、私に視線を向けて来る。

「そうだね。外に出たら、少しスッキリするかも」

 私は静かに頷くと、ゆっくりとベッドから降りた……。


 ******


 私たちは、フローターに乗ると、六階の上にある屋上に向かった。フローターを降り、屋上の扉をくぐると、とても開放的な空間が広がっていた。まだ、午前中なせいか、私たち以外は、誰もいなかった。
 
 雲は少しあるけど、空は綺麗に晴れていた。風はやや強めで、全身を吹き抜けて行き、髪がバサバサとなびく。

 何だろう、この感じ? いつもと、風が違う気がする。心が穏やかだから、そう感じるのだろうか?

 私は、ボーッと空を見上げた。やはり、何も感じない。空を見ても、心が躍らないし、風を浴びても、気持ちいいとも思わない。相変わらず、頭の中は、濃い霧が掛かったままだった。

「おぉ! 人が石ころみたい」
「ちょっと、フィニーツァ。もっと、言い方があるでしょ」

 二人は、柵のそばまで行くと、下のほうの景色を見ていた。病院の敷地は大きく、周りに大きな建物もないので、かなり見晴らしがいい。私も柵に近付いて行き、辺りの様子を眺める。

「ここって〈東地区〉じゃなかったんだ……」
 墜落したのが〈東地区〉だったから、その近辺の病院だと思っていた。

「ここは〈西地区〉にある〈グリュンノア新国立病院〉よ。この町では、最も新しい総合病院で、最新の設備が揃っているわ。よほど、急を要する容体でなければ、ここに搬送されるのよ。この町で一番、病棟が大きいから」

「なるほど、そうだったんだ――」

 確かに、言われてみれば、雰囲気が〈西地区〉だった。風も強いし、新しい建物も多い。それに、ところどころで、風車が回っている。かなり先のほうには〈風車丘陵〉も見えた。

「風歌、どう? すっきりした?」
 柵にしがみつきながら、フィニーちゃんが、声をかけて来る。

「んー、どうだろ? あまり、変わらないような気が……」

 かなり、いい風が吹いているし、景色も素晴らしい。なのに、どうにもスッキリしない。何でだろう? お医者さんに言われたように、精神的なストレスのせいなのかな?

「まぁ、焦る必要はないわよ。まだ、目が覚めたばかりなのだから」
 ナギサちゃんは、景色を眺めながら、そっと声をかけて来る。

「うん、そうだね。体には、全く異常がないんだから。焦ることないよね」
 私は、静かに答えながら、目の前に広がる、街の風景に視線を向けた。

 なんだろ――? 何か目がかすむ。建物が、ゆらゆらして見えるんだけど……。

「ん――なんだろ、アレ?」
 私が見ていた建物の前に、何かが、ゆらゆらと揺れている。まさか、あれって?

「ねぇ、フィニーちゃん。あそこの建物のところ、光の帯みたいの見える? 建物の間の道に、入り込んでるの」
「うん。あれ、風の通り道」

「やっぱり、そうなんだ……」

 フィニーちゃんと、初めて出会った時に言っていた。『風の通り道が見える』って。つまり、あれは『マナライン』だ。

「って、ちょっと、二人とも何を話をしてるのよ? 何も見えないじゃない。そもそも、風の通り道って、何よ?」
 ナギサちゃんは、怪訝な表情で尋ねて来る。

「風の通り道は、マナラインのことで、誰でも見えるわけじゃ、ないんだよね」
「うん。特別な眼を、持つ者だけがみえる」

 フィニーちゃんは、光の帯が見える場所を、指さしながら答えた。  
  
「マナラインなんか、見えるわけないじゃない」  
 ナギサちゃんは、目を細めながら、一生懸命、見ようとしている。

 私も以前は、そう思っていた。でも、今はしっかり、目の前に見えている。いや、あそこだけじゃない。

 町中が、ゆらゆらとぼやけた直後、あちこちに『光の帯』が見えてきた。

「痛っ――ぐっ……」
 急に目まいがして、世界がグニャリとひしゃげたあと、頭が割れそうな、激痛が襲い掛かって来た。

 あまりの痛みに耐えかねて、私は地面にうずくまる。

「……風歌……しっかり……」
「だいじょうぶ――風歌――」

 激しい頭痛で、私の意識は、徐々に遠のいて行った……。


 ******


 私は落ちていた。どんどん下に落ちて行く。物凄い勢いで、地面が迫って来る。でも、体が動かない。このままじゃ、私――。

 地面が目前に迫り、もうダメだと思った瞬間、体がふわりと軽くなった。まるで、風に支えられているかのように、宙に浮いている。そのまま、ゆっくりと地面に降りて行く。何の衝撃もなく、私は静かに、地面に横たわった。

 あぁ――あの時、私……。

 ゆっくり目を開くと、目の前には、私をのぞき込む、二つの顔があった。私は勢いよく、上半身を起こした。

「ちょっと、風歌。大丈夫なの?」
「風歌、いきてる?」

 ナギサちゃんとフィニーちゃんは、とても心配そうに、私を見つめている。

「大丈夫、大丈夫。というか、絶好調。あれっ、私いつの間にか、寝てた?」
「寝てたんじゃなくて、気を失ってたのよ。さっきのこと、覚えてないの?」
 ナギサちゃんは、怪訝な視線を向けて来た。  

「じゃあ、屋上での出来事って――」
「うん、一緒に、風の通り道みてた」 
 フィニーにちゃんは、小さくうなずく。

 そっか、あれってやっぱり、本当だったんだ。あのあと、急に頭痛がして。それと同時に、私は全てを思い出した。三日前に起きた、墜落事故のこと。

 でも、地面に激突する寸前に起きた出来事は、理由がよく分からない。風に舞い上げられて、助かったのか? 何かの魔法が発動したのか? 全く理解できない。お医者さんが言うように、奇跡としか、言いようがなかった。

「本当に、大丈夫なの? 具合が悪いなら、ナースコールするわよ」
「あぁ、それなら、大丈夫。もう、完全に治ったから。記憶も全部、戻ったし」 

「じゃあ、事故のことも?」
「うん。墜落前後のことも、全部、覚えてるよ。あと、頭もスッキリした」

 先ほどまで、頭の中に掛かっていた霧が、キレイさっぱり消えている。頭もしっかり回るし、何よりも、感情が戻っていた。

 今すぐ、空を飛び回りたくて、うずうずしているし、お腹も凄くすいている。あと、二人の親友が来てくれたことが、物凄く嬉しい。リリーシャさんにも、自分が完全に治ったことを、今すぐ伝えに行きたかった。

「いつのも風歌に、もどった!」
「うん、完全復活! っていうか、お腹減ったから、その果物たべてもいい?」

 私は、横の机に置いてあった、お見舞いのフルーツに、視線を向ける。

「バナナたべるといい。栄養ある」 
 フィニーちゃんは、私にバナナを差し出しながら、自分もモグモグ食べ始めた。

「ありがとー。うーん、バナナ美味しー! やっぱ、病院食って味気ないし、量が少なくてねぇ」
 私も皮をむいて、バナナにかぶり付いた。

「確かに、以前と同じ風歌ね……。って、フィニーツァ! それ、お見舞いなんだから、あなたが食べて、どうするのよ?」 
「まだ、いっぱいある。ナギサも、食べる?」

 フィニーちゃんは、ナギサちゃんに、フルーツのバスケットを差し出す。

「食べるわけないでしょ! 少しは、遠慮しなさいよ」
「遠慮してる。だから、バナナしか、たべてない」

 ナギサちゃんとフィニーちゃんの、いつものやり取りが始まる。

「まぁまぁ、せっかく来てくれたんだから。楽しくやろうよ」
「楽しくじゃないでしょ。風歌も、病み上がりで、何を勝手に食べてるのよっ」

 そう、これこれ。このいつもの感じが、たまらなく楽しい。でも『楽しい』って、心から思えるってことは、完全に治ったんだよね? 何があったかも、全て思い出したし。

 でも、分からないことも有る。地面に衝突する直前、体が浮いた、あの不思議な現象。あれは、きっと、実際に起こったことなんだと思う。じゃなきゃ、無傷なはずがないし。

 それに、事故のあと、急に『マナライン』が、見えるようになったのも――。

 いったい、私の体に、何が起こったんだろう? そういえば、寝ている間に、何か大事な夢を、見た気がするんだけど。

 それだけは、どうしても、思い出すことができなかった……。


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次回――
『久しぶりの出社で待っていたのはとんでもない絶望だった』

 私たちは絶望なんてしないし、夢も諦めない!
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