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第4部 理想と現実
5-5例外が認められないのは自分が一番よく知っていることなのに……
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朝の定例ミーティングのあと。私はミス・ハーネスの、マネージャー室の前に来ていた。普段は、まず訪れる機会のない場所だ。しかし、先日の『無断外出の調査』の件を、報告しなければならない。
昨夜〈新南区〉で、エマリエールと話したあと、自分なりに、色々と考えてみた。最も無難なのは、あった出来事をそのまま、ミス・ハーネスに伝えることだ。そうすれば、何事もなく、無事に今回の依頼を達成できる。
だが、それだと、私自身が無事なだけで、エマリエールの問題は、何一つ解決していない。彼女の行動は、規則には反しているが、色々な事情を考えると、放っておく訳にもいかなかった。
私も母子家庭であるため、他人事とは思えない。それに、あれだけ真剣な想いを持っている者を、脱落させたくはなかった。甘い考えでやっている新人が多い中、彼女からは、強い覚悟が感じられた。
となると、やはり、ミス・ハーネスを説得するしかない。しかし、彼女の厳格な性格からして、けっして規則を曲げることは無いはずだ。
もちろん、情で動くような甘い人ではないのも、よく知っている。全てにおいて、理論的かつ合理的だ。そう考えてみると、かなり『難しい状況』と言わざるを得なかった。
ここはもう、誠心誠意、私自身の言葉で、お願いするしかない。幸い、私は普段の成績も品行も、文句の付けようもなく優秀だ。その私の言葉なら、聴いてもらえる可能性も、十分にあるだろう。
私自身の、ミス・ハーネスからの心象も、悪くはないはずだ。実際、今回の件も、私を評価しているからこそ、任せてくれたのだから。
昨夜、一通りの会話パターンを、色々とシミュレートしてみた。だが、やはり、実際に話してみないと、結果は分からなかった。
そもそも、ミス・ハーネスとは、普段、ほとんど話したことがない。業務連絡以外の無駄なことは、一切、話さない人だからだ。なので、どんな反応が返って来るかは、想像がつかなかった。
彼女は〈ファースト・クラス〉のマネージャーの中で、最も厳しい人だ。だが、けっして冷たい人ではないと、私は思っている。あとはもう、彼女の思いやりや情に賭けるしかない。
私は部屋の前で深呼吸し、背筋をピンと伸ばすと、扉をノックした。すると、すぐに『どうぞ』と、彼女の声が聞こえて来た。私は静かに扉を開き、中に入る。
「失礼します、ミス・ハーネス。先日の無断外出の件で、進展がありましたので、報告に参りました。今、お時間は、よろしいでしょうか?」
「ええ、話を聴きましょう」
私は彼女に勧められ、ソファーに腰掛けた。
いざ、対面してみると、物凄く緊張し、心臓の動きが一気に速くなった。普段であれば、緊張など全くせずに、淡々と要件を話して終わりだ。
しかし、今回は、色々と事情が複雑だった。しかも、ミス・ハーネスの、意に反する話を、しなければならない。
「昨日〈エミールノルデ館〉の管理室で、監視をしていたところ、十九時半ごろに、無断外出をしている者を発見しました」
「なるほど。やはり、噂は本当だったのですね」
「直接、見つけた訳では、なかったのですか?」
「ええ、少し小耳に挟んだだけです。だから、調査の必要がありました」
なるほど。じゃあ、エマリエールが、特定されていた訳ではないのね。となると、本人の名前を伏せたうえで、話を持って行くことも出来るわ……。
「それで、無断外出している者の、顔は見たのですか?」
「監視カメラでは、よく分かりませんでした。なので、エア・ドルフィンで、あとをつけたところ〈新南区〉に向かったのです」
私は、エマリエールの名前を出さないよう、慎重に情報を小出しにして行った。最悪の場合『個人を特定できなかった』という話をすればいい。
「つまり、繁華街で夜遊びをしていた、ということですか?」
ミス・ハーネスの顔が険しくなる。
「私も、最初はそう思っていました。しかし、あとをつけて、入って行った店を見てみると、彼女はそこで働いていたのです」
「つまり、禁止されている、副業をしていた訳ですね?」
「そうなりますが――。これには、込み入った事情があるのです」
彼女のあまりにも冷徹な反応に、少し不安になる。はたして、こちらの主張を聴いてもらえるのだろうか……?
ミス・ハーネスは、表情をまったく動かさないまま、私のことをじっと見つめていた。まるで思考が読まれているようで、さらに緊張が高まる。
しばしの沈黙のあと、
「詳しく聴きましょうか」
彼女は静かに口を開いた。
私はその言葉で、少しホッとする。話を聴いて貰えさえすれば、説得の可能性は、十分にあるはずだ。
「実は、彼女の母親が入院しており、治療や手術の費用が必要です。母子家庭のため、彼女が働くしか、方法がありませんでした。彼女も、規則違反は重々承知しており、かなり悩んだそうです」
「しかし、一流のシルフィードになる夢を捨てきれず、母親も見捨てられず。苦しみながら、今回の行動に至りました」
ミス・ハーネスは瞬き一つせず、黙って話を聴いていた。微動だにしないので、反応は分からない。だが、迷っても仕方ないので、話を続ける。
「そのため、今回は、やむを得ない行為だったと思います。けっして、遊び回ったり、浮ついた気持から、やっている行動ではありません」
言うべきことは、全て伝えた。あとは、彼女の判断しだいだが……。
「事情は、よく分かりました。それで、結局、誰だったのですか?」
ミス・ハーネスは、表情を全く変えなかったが、これはいつものことだ。だが、特に不快な様子はないので、納得はしてくれたみたいだ。怒っているかどうかは、目を見れば分かる。これなら、大丈夫そうだ。
「私の同期の、エマリエール・ローウェンです」
「なるほど、彼女が――」
ミス・ハーネスは、少し考えこんだあと、
「ナギサさん、やはり、あなたに頼んで正解でした。これほど短期間で、ここまで細かく事情を調べ上げるとは、流石ですね」
先ほどに比べ、柔らかな声で話し掛けてきた。
どうやら、上手く伝わったようだ。これなら、何とかなるかもしれない。私は、ほっと胸をなでおろす。
「いえ、私はただ、やるべき事をやっただけです」
「約束通り、今後の昇級に際しては、私が推薦人になりましょう。今回の件に関わらず、あなたの成績・品行を考えれば、当然のことですが」
これほどまでに、評価して貰えているとは思わなかった。ミス・ハーネスは、社内で最も厳格なマネージャーだが、発言力も非常に大きい。彼女に後ろ盾になって貰えれば、今後の昇級では、圧倒的に有利だ。
「心より感謝いたします、ミス・ハーネス。一つだけ、お訊きしてもよろしいでしょうか?」
「ええ、どうぞ」
ミス・ハーネスは、静かに頷いた。
「お訊きしたいのは、エマリエールの処遇についてです。彼女はとても真面目で、やる気もあります。今回の件は、多目に見ていただけるのでしょうか?」
今回の本当の目的は、こちらのほうだ。私の待遇など、どうでもいい。それよりも、よい回答をもらって、一刻も早く、彼女に知らせたい。クビが掛かっているため、今もそうとう悩んでいるに、違いないからだ。
「ナギサさん、あなたは、規則とは、どういうものだと思いますか?」
「それは、必ず守るべきものだと思います」
私は、常に規則を最優先に行動する。だから、今までの人生で、ただの一度だって、規則を破ったことはない。規則は守るのが当然であり、私の生き方そのものだ。
「ええ、まさにその通りです。何があっても、守るべきが規則。もし、破れば、既定の罰則を適用するだけのこと。違いますか?」
ミス・ハーネスは淡々と語る。そこには、一切の感情は含まれていないし、まったくもって正論だ。私も、その意見には、全面的に賛成だった。だが……。
「確かに、おっしゃる通りです。しかし、今回は、やむを得ない事情があり、情状酌量の余地が、あるのではないでしょうか?」
こんな意見を口にするのは、生まれて初めてだ。『罰則を受けるのは、規則を破る者が悪い』と、信じていたから。まして、目上の者に、反論するだなんて――。
「規則は規則。一度、例外を認めれば、規則を破る者が、次々と出るでしょう。『やむを得なかった』で、違反行為を認めれば、規則の意味がなくなります」
「もちろん、その通りです。しかし、今回は本当に、他にどうしようもない状況だったと思います。やる気のある人材を切り捨てるのは、会社にとっても、不利益ではないでしょうか?」
彼女の言いうことは、本当によく分かる。なぜなら、私が今まで、ずっと言い続けていたことと、全く同じだからだ。だからこそ、その意見を覆そうとするたびに、心が軋む。まるで、自分の存在を否定しているみたいで……。
だが、その言葉をいった瞬間、ミス・ハーネスの表情が急変した。
「ナギサさん、自分の立場をわきまえなさい! いつからあなたは、会社の規則にまで、意見できる立場になったのですか?」
私を鋭い目で睨みつけ、語調を荒げる。彼女のこんな表情は、初めて見た。
「――出過ぎたことを。大変、失礼いたしました……」
「話は以上です。退出なさい」
「はい、失礼いたします」
私は静かに立ち上がると、頭を下げ、大人しく部屋を退出する。彼女を怒らせてしまったことで、これ以上、話しても無駄なことを、瞬時に悟ったからだ。
だが、私は強くこぶしを握り締めた。悔しい――。自分にもっと力があれば、もっと階級が高ければ。ちゃんと話を聴いてもらえたはずなのに。階級の低い者が、何を言っても聴いてもらえないのは、この業界では当たり前のことだ。
私が甘かった……。いくら成績がいいと言っても、しょせんは、最底辺の見習いにすぎないのだ。
はぁ、エマリエールに、どんな顔をして会えばいいのかしら? 同僚一人、救えないなんて。私は、あまりにも無力だ。
もっと――もっと、強い力が欲しい……。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
次回――
『時には理屈よりも想いが大事な時もあるのかもしれない』
ときどき理屈にあわないことをするのが人間なのよ
昨夜〈新南区〉で、エマリエールと話したあと、自分なりに、色々と考えてみた。最も無難なのは、あった出来事をそのまま、ミス・ハーネスに伝えることだ。そうすれば、何事もなく、無事に今回の依頼を達成できる。
だが、それだと、私自身が無事なだけで、エマリエールの問題は、何一つ解決していない。彼女の行動は、規則には反しているが、色々な事情を考えると、放っておく訳にもいかなかった。
私も母子家庭であるため、他人事とは思えない。それに、あれだけ真剣な想いを持っている者を、脱落させたくはなかった。甘い考えでやっている新人が多い中、彼女からは、強い覚悟が感じられた。
となると、やはり、ミス・ハーネスを説得するしかない。しかし、彼女の厳格な性格からして、けっして規則を曲げることは無いはずだ。
もちろん、情で動くような甘い人ではないのも、よく知っている。全てにおいて、理論的かつ合理的だ。そう考えてみると、かなり『難しい状況』と言わざるを得なかった。
ここはもう、誠心誠意、私自身の言葉で、お願いするしかない。幸い、私は普段の成績も品行も、文句の付けようもなく優秀だ。その私の言葉なら、聴いてもらえる可能性も、十分にあるだろう。
私自身の、ミス・ハーネスからの心象も、悪くはないはずだ。実際、今回の件も、私を評価しているからこそ、任せてくれたのだから。
昨夜、一通りの会話パターンを、色々とシミュレートしてみた。だが、やはり、実際に話してみないと、結果は分からなかった。
そもそも、ミス・ハーネスとは、普段、ほとんど話したことがない。業務連絡以外の無駄なことは、一切、話さない人だからだ。なので、どんな反応が返って来るかは、想像がつかなかった。
彼女は〈ファースト・クラス〉のマネージャーの中で、最も厳しい人だ。だが、けっして冷たい人ではないと、私は思っている。あとはもう、彼女の思いやりや情に賭けるしかない。
私は部屋の前で深呼吸し、背筋をピンと伸ばすと、扉をノックした。すると、すぐに『どうぞ』と、彼女の声が聞こえて来た。私は静かに扉を開き、中に入る。
「失礼します、ミス・ハーネス。先日の無断外出の件で、進展がありましたので、報告に参りました。今、お時間は、よろしいでしょうか?」
「ええ、話を聴きましょう」
私は彼女に勧められ、ソファーに腰掛けた。
いざ、対面してみると、物凄く緊張し、心臓の動きが一気に速くなった。普段であれば、緊張など全くせずに、淡々と要件を話して終わりだ。
しかし、今回は、色々と事情が複雑だった。しかも、ミス・ハーネスの、意に反する話を、しなければならない。
「昨日〈エミールノルデ館〉の管理室で、監視をしていたところ、十九時半ごろに、無断外出をしている者を発見しました」
「なるほど。やはり、噂は本当だったのですね」
「直接、見つけた訳では、なかったのですか?」
「ええ、少し小耳に挟んだだけです。だから、調査の必要がありました」
なるほど。じゃあ、エマリエールが、特定されていた訳ではないのね。となると、本人の名前を伏せたうえで、話を持って行くことも出来るわ……。
「それで、無断外出している者の、顔は見たのですか?」
「監視カメラでは、よく分かりませんでした。なので、エア・ドルフィンで、あとをつけたところ〈新南区〉に向かったのです」
私は、エマリエールの名前を出さないよう、慎重に情報を小出しにして行った。最悪の場合『個人を特定できなかった』という話をすればいい。
「つまり、繁華街で夜遊びをしていた、ということですか?」
ミス・ハーネスの顔が険しくなる。
「私も、最初はそう思っていました。しかし、あとをつけて、入って行った店を見てみると、彼女はそこで働いていたのです」
「つまり、禁止されている、副業をしていた訳ですね?」
「そうなりますが――。これには、込み入った事情があるのです」
彼女のあまりにも冷徹な反応に、少し不安になる。はたして、こちらの主張を聴いてもらえるのだろうか……?
ミス・ハーネスは、表情をまったく動かさないまま、私のことをじっと見つめていた。まるで思考が読まれているようで、さらに緊張が高まる。
しばしの沈黙のあと、
「詳しく聴きましょうか」
彼女は静かに口を開いた。
私はその言葉で、少しホッとする。話を聴いて貰えさえすれば、説得の可能性は、十分にあるはずだ。
「実は、彼女の母親が入院しており、治療や手術の費用が必要です。母子家庭のため、彼女が働くしか、方法がありませんでした。彼女も、規則違反は重々承知しており、かなり悩んだそうです」
「しかし、一流のシルフィードになる夢を捨てきれず、母親も見捨てられず。苦しみながら、今回の行動に至りました」
ミス・ハーネスは瞬き一つせず、黙って話を聴いていた。微動だにしないので、反応は分からない。だが、迷っても仕方ないので、話を続ける。
「そのため、今回は、やむを得ない行為だったと思います。けっして、遊び回ったり、浮ついた気持から、やっている行動ではありません」
言うべきことは、全て伝えた。あとは、彼女の判断しだいだが……。
「事情は、よく分かりました。それで、結局、誰だったのですか?」
ミス・ハーネスは、表情を全く変えなかったが、これはいつものことだ。だが、特に不快な様子はないので、納得はしてくれたみたいだ。怒っているかどうかは、目を見れば分かる。これなら、大丈夫そうだ。
「私の同期の、エマリエール・ローウェンです」
「なるほど、彼女が――」
ミス・ハーネスは、少し考えこんだあと、
「ナギサさん、やはり、あなたに頼んで正解でした。これほど短期間で、ここまで細かく事情を調べ上げるとは、流石ですね」
先ほどに比べ、柔らかな声で話し掛けてきた。
どうやら、上手く伝わったようだ。これなら、何とかなるかもしれない。私は、ほっと胸をなでおろす。
「いえ、私はただ、やるべき事をやっただけです」
「約束通り、今後の昇級に際しては、私が推薦人になりましょう。今回の件に関わらず、あなたの成績・品行を考えれば、当然のことですが」
これほどまでに、評価して貰えているとは思わなかった。ミス・ハーネスは、社内で最も厳格なマネージャーだが、発言力も非常に大きい。彼女に後ろ盾になって貰えれば、今後の昇級では、圧倒的に有利だ。
「心より感謝いたします、ミス・ハーネス。一つだけ、お訊きしてもよろしいでしょうか?」
「ええ、どうぞ」
ミス・ハーネスは、静かに頷いた。
「お訊きしたいのは、エマリエールの処遇についてです。彼女はとても真面目で、やる気もあります。今回の件は、多目に見ていただけるのでしょうか?」
今回の本当の目的は、こちらのほうだ。私の待遇など、どうでもいい。それよりも、よい回答をもらって、一刻も早く、彼女に知らせたい。クビが掛かっているため、今もそうとう悩んでいるに、違いないからだ。
「ナギサさん、あなたは、規則とは、どういうものだと思いますか?」
「それは、必ず守るべきものだと思います」
私は、常に規則を最優先に行動する。だから、今までの人生で、ただの一度だって、規則を破ったことはない。規則は守るのが当然であり、私の生き方そのものだ。
「ええ、まさにその通りです。何があっても、守るべきが規則。もし、破れば、既定の罰則を適用するだけのこと。違いますか?」
ミス・ハーネスは淡々と語る。そこには、一切の感情は含まれていないし、まったくもって正論だ。私も、その意見には、全面的に賛成だった。だが……。
「確かに、おっしゃる通りです。しかし、今回は、やむを得ない事情があり、情状酌量の余地が、あるのではないでしょうか?」
こんな意見を口にするのは、生まれて初めてだ。『罰則を受けるのは、規則を破る者が悪い』と、信じていたから。まして、目上の者に、反論するだなんて――。
「規則は規則。一度、例外を認めれば、規則を破る者が、次々と出るでしょう。『やむを得なかった』で、違反行為を認めれば、規則の意味がなくなります」
「もちろん、その通りです。しかし、今回は本当に、他にどうしようもない状況だったと思います。やる気のある人材を切り捨てるのは、会社にとっても、不利益ではないでしょうか?」
彼女の言いうことは、本当によく分かる。なぜなら、私が今まで、ずっと言い続けていたことと、全く同じだからだ。だからこそ、その意見を覆そうとするたびに、心が軋む。まるで、自分の存在を否定しているみたいで……。
だが、その言葉をいった瞬間、ミス・ハーネスの表情が急変した。
「ナギサさん、自分の立場をわきまえなさい! いつからあなたは、会社の規則にまで、意見できる立場になったのですか?」
私を鋭い目で睨みつけ、語調を荒げる。彼女のこんな表情は、初めて見た。
「――出過ぎたことを。大変、失礼いたしました……」
「話は以上です。退出なさい」
「はい、失礼いたします」
私は静かに立ち上がると、頭を下げ、大人しく部屋を退出する。彼女を怒らせてしまったことで、これ以上、話しても無駄なことを、瞬時に悟ったからだ。
だが、私は強くこぶしを握り締めた。悔しい――。自分にもっと力があれば、もっと階級が高ければ。ちゃんと話を聴いてもらえたはずなのに。階級の低い者が、何を言っても聴いてもらえないのは、この業界では当たり前のことだ。
私が甘かった……。いくら成績がいいと言っても、しょせんは、最底辺の見習いにすぎないのだ。
はぁ、エマリエールに、どんな顔をして会えばいいのかしら? 同僚一人、救えないなんて。私は、あまりにも無力だ。
もっと――もっと、強い力が欲しい……。
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