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第4部 理想と現実

3-3お嬢様が挑む人生初のタイムセール争奪戦

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 仕事上がりの夕方。私は〈西地区〉の上空を飛んでいた。いつもだと、これからパン屋に夕飯を買いにいくところだ。でも、今日は〈スマイル・マート〉という、スーパーに向かっていた。

 スーパーは、閉店間際を狙って、半額のお弁当やお惣菜を買いに行くことが、たまにある。いくら、この町のパンが美味しいと言っても、さすがに毎日三食だと、他の物が食べたくなってくるからね。

 夕方なので、まだ時間が早いけど、スピで『ある情報』をゲットした。この〈スマイル・マート〉は、十七時から十九時の間に『飛び込みタイムセール』をやっているらしい。時間が決まっている訳ではなく、突然、始まるタイムセールだ。

 しかも、三割から五割引。時には、七割引きになる場合もあるんだって。つまり、閉店間際まで粘らなくても、運がよければ、半額弁当などが買えるのだ。

 これは、行くっきゃないよね!! 絶対に美味しいお弁当をゲットするぞー!

 てな訳で〈西地区〉まで、やって来た。いつも行く〈ウインド・ストリート〉からは、少し離れた場所にある。スーパーの横にある大きな駐車場は、ほぼ満車状態で、かなりの人が来ているようだ。

 私は空きスペースを見つけて、サッと着陸する。小型のエア・ドルフィンなら、小さなスペースでも停められるし、こういう時は便利だよね。

 私はエア・ドルフィンから降りると、さっそくスーパーの入口に向かう。しかし、入り口付近で、不審な動きをしている人物を発見した。それに、よく見たら、見覚えのある顔だった。

 何やってるんだろ、こんな所で? しかも、物凄く場違いな気が……。

 私は一瞬、考えこむ。声を掛けるべきなんだろうけど、何か面倒なことになりそうな気がしたからだ。悪い印象はなくなったけど、特に仲がいいわけでもない。とはいえ、さっきからオロオロしている様子なので、放っておくのも忍びなかった。

 私は意を決すると、彼女に近付いて行く。

「こんにちは、アンジェリカちゃん」 
「あら、風歌さん、ごきげんよう」
 彼女は笑顔で答える。

 相変わらず、よく通る声だ。上品だけど力強く、声に自信が満ちあふれている。あと、金髪の縦ロールが、物凄く目立っていた。通り過ぎる人たちが、チラチラと彼女に視線を向けている。

「こんな所で、何をしているの? というか、中に入らないの?」
「よくぞ、聴いてくれましたわ」  
 彼女は、まるで子犬のように、目をキラキラさせた。

「私、今日は、お弁当を買いに来ましたのよ」
「なら、中に入って、さっさと買えばいいのでは?」

 当たり前すぎる答えに、少しがっかりする。何か特別な事情がある訳では、なさそうだ。じゃあ、何で店の前で、ウロウロしてたんだろ――?

「でも私、スーパーの作法を知りませんの……」
「へっ?」
 何を言ってるのか分からなくて、私は一瞬、固まった。

「ですから、中の人たちを観察して、どのようにお買い物するのか、研究していましたのよ」 

 どういうこと? スーパーに作法なんてあったっけ? 私は今まで、一度も気にしたこと無いんだけど。いや、待てよ――。

「もしかして、スーパーに来るのって、初めてとか?」
「はい、今日が生まれて初めてですのよ。お弁当を買うのも、初めてですわ」
 彼女は力一杯に答える。いや、そんなこと自信満々に言われても……。

「まさかとは思うけど、お弁当を食べたことが無い、ってのはないよね?」
「いえ、食べたことは有りませんわ。だから、とても興味がありますの」

 目を輝かせながら、物凄く嬉しそうに語る。これ、冗談とかじゃなくて、本気で言ってるみたいだ。

「今まで、遠足とかキャンプとか、行ったことないの?」
「もちろん、ありますわよ。でも、いつも専属の料理人が一緒でしたので、その場で作って貰っていましたわ。外で調理したものは、お弁当に含まれるのかしら?」

 彼女は真顔で答えた。

「いいえ、断じて含まれません!」
「では、やっぱり初めてですわ」
 私は頭が混乱してきて、額に手を当て考えを整理する。

 何と言うか、とんでもないカルチャーショックだ。ちょっとどころか、さっぱり訳わかんない。以前、高級ホテルに連れていかれた時、物凄いお嬢様だとは思ってたけど。これ程までとは――。

 どれだけ過保護にされたら、こうなるんだろうか? 住んでる世界が、あまりに違いすぎる。

 私もよくナギサちゃんに、物を知らなさすぎると言われるけど、これはレベルが違いすぎだ。私でも、一般的な生活知識は持ってるから。

 しかし、彼女の場合は、かなり重症だ。何か、放っておくのも危なっかしいし、最低限の常識は教えてあげないと……。

「私、これからタイムセールを狙いに行くけど、よかったら一緒に行く?」
「まぁ、ご一緒してくださるとは、心強いですわ。ところで、タイムセールとは、何のことですの?」

 って、そこからっ?! でも、お嬢様が、タイムセールに行くわけないか。お金なら、いくらでも持ってるだろうし。
 
「つまり、特定の時間になると、商品が割引になるの。だから、その時間を狙うのが基本なんだけど。分かる――?」
「なるほど、スーパーとは、そういうシステムなのですわね。勉強になりますわ」

 いや、全てのスーパーで、タイムセールやってる訳じゃないんだけど。説明しても分からなさそうだから、とりあえず、実践したほうがいいかも。

「見たほうが早いから、中に入ろ」
「はいっ、喜んで」

 こうして成り行きで、私たち二人は、一緒にスーパーに行くことになった……。


 ****** 

 
 私は店内を歩きながら、アンジェリカに、買い物の仕組みを説明した。最初は、欲しいものを見つけたら、店員を呼んで、その場で会計すると、勘違いしていたようだ。

 私は彼女にかごを持たせ、どのコーナーに何が置いてあるかなどを、細かく説明していく。ちなみに、買い物かごを持つのも、生まれて初めてらしい。

「風歌さん、これは何ですの?」 
「それは、ポテトチップス。食べたことないの?」
「ありませんわ。今日、初めて見ましたもの」

 まぁ、お嬢様は、ポテチとか食べないのかもね……。

「どうやって、食べるんですの?」
 彼女は袋を回転させながら、不思議そうな顔をしていた。

「袋を両側に引っ張れば開くから。って、お菓子たべたこと無いの?」
「お菓子は、毎日ティータイムに、いただいていますけど。いつもは、お皿の上にのって出てきますもの」

 さも、当たり前のように答える。

「じゃあ、これなんかも食べたことないの?」 
 私はチョコパイの箱を、持ち上げて見せる。

「これは、箱の中にお菓子が入っていますの? お皿やフォークも、一緒に入っているのかしら?」
「いやいや、写真はイメージで、お菓子だけだから――」

 私は彼女の反応に、少し目まいを覚えた。

 これはマズイ……。私の無知や女子力の低さなんて、比べもにならないぐらいのレベルだよ。よくこんなので、今まで生きて来れたよね? 

 今までは、誰かが全て、用意してくれていたんだろうけど。今は、寮暮らしなはずだよね? しかし、こんな生粋のお嬢様が、何で激安スーパーなんかに?

「ねぇ、何でスーパーに買い物に来たの? 別に、無理にお弁当を買わなくても、社員食堂とかレストランで済むでしょ?」 

「実は、先日、ナギサさんが、スーパーの袋を持っているのを見たんですの。何でも、自炊をするとかで。それで『スーパーに行ったことが無い』と言ったら、信じられない、と言われてしまって――」

 あぁー、なるほど。ナギサちゃんなら、言いそうなセリフだ。何でもハッキリ言うからね。でも、ナギサちゃんが買いに行くの、デパ地下や高級スーパーだと思う。

「スーパーなら〈南地区〉にもあるでしょ? 何でわざわざここに?」
「スピで調べて見ましたら、ここが一番上に出てきましたのよ。口コミというのも、いい評価が付いていましたので」

 だいたい事情は分かった。全てにおいて、完全な素人だ……。一番上に出てたところを選んだ時点で、素人、丸出しだよ。

「とにかく今日は、お弁当だけ買おう」
「他の物は買いませんの? お菓子も一杯ありますのに」

「いい、スーパーをなめちゃダメ。初心者なんだから欲張らずに、まずは一つから攻略するのよ」
「分かりましたわ」

 あまりに無知すぎるので、今日はお弁当だけ買って、帰らせたほうが良さそうだ。一度、お弁当を食べれば、もう二度と来ないと思う。普段、かなり豪華な料理を、食べ慣れてるだろうから、口に合わないだろうし――。

 私は彼女に、始まったら、すぐに買いに走るように『飛び込みタイムセール』の説明をした。あとは、開始するまで、ブラブラ店内を歩いて時間を潰す。もちろん、弁当や総菜売り場を、重点的に回って行く。

 私は弁当売り場の隣にある、調理場に続く扉が開いたのを見逃さなかった。中から出てきたワゴンには、何段にも積み重なったトレーに、沢山の弁当が置かれていた。おそらく、作り立ての弁当だ。

 だが、気付いたのは、私だけではない。売り場の空気が一瞬で変わる。タイムセールを狙っていた人たちが、一斉に臨戦態勢に入ったのだ。

「始まるよ……」
「え、何がですの?」
 私は声を掛けた瞬間、素早く身構える。

 次の瞬間、ワゴンを押していた人が、カランカランと鐘を鳴らした。 

「ただいまより、タイムセールを始めます!! このワゴンの弁当は、全て半額です! 現品限りです」

 私は一瞬で、ワゴンに詰め寄り、弁当に手を伸ばす。しかし、ほぼ同時に、周囲から集まって来たご婦人たちも、一斉に弁当に手を伸ばした。続々と人が集まり、すぐにもみ合いが始まる。

 だが、私はすぐに弁当を一つ確保した。弁当は、まだホカホカで温かった。日ごろの練習飛行で鍛えた、動体視力のよさは、伊達ではない。

 私はほんの一瞬、人の隙間から、アンジェリカちゃんのほうを覗き込んだ。だが、彼女はボーッと突っ立って、驚いた表情で見つめているだけだった。

 やっぱり、初心者に、いきなりこれは厳しかったかな? しょうがない、ここは私が頑張って、お手本を見せないと――。

 私は、今の弁当を死守しつつ、もう一つの獲物に手を伸ばす。しかし、とろうとする前に、スッと持って行かれた。でも、めげずに、目標を替え何度もトライする。

 それは、あっという間の出来事だった。ワゴンに積まれていた、沢山のお弁当が、一瞬にして消え去っていた。

 店員さんは『お買い上げ、ありがとうございました』と一礼すると、空のワゴンを引きずりながら、静かに調理室に戻って行く。

 いやー、なかなか激しい攻防だった。私は、息を整えながら、アンジェリカちゃんの元に戻る。

「何で参加しなかったの? せっかくのタイムセールなのに?」
「いえ、余りにも突然でしたし。皆さん、凄い勢いでしたので」
 初めてあれを目の当りにしたら、驚くよね。まして、お嬢様なら。

「はい、これ。あなたの分も、一応とって来たから」
「まぁ、これがお弁当ですのね。嬉しいですわ、人生初のお弁当」
 私はアンジェリカちゃんに、ロースかつ弁当を渡した。

「これに懲りて、もう、スーパーは止めたほうがいいよ。あなたには、向いてないと思う。特にこのお店は……」 

 完全に、来るお店を間違えてるよ。そもそも、お金持ちなんだから、タイムセールに参加する意味ないし。

「いいえ、次こそは、必ず自力で取って見せますわ! とれるまで、何度だって、挑戦しますわよ」

 何か知らないけど、目をキラキラさせて、完全にやる気になっていた。何で、そこまで? やっぱり、お嬢様はよく分からないや。
 
 結局このあと、レジでの清算の仕方とか、袋の詰め方とか、全てレクチャーする。あと、持って帰ってから、あっためて食べることとか。案の定、袋の詰め方も、温め方も知らなかった。

 ちょっと、変わったお嬢様だよね。何不自由ないのに、お弁当を食べたいとか、タイムセールに参加したいとか。

 本人は凄く満足そうなので、よかったけど。もうちょっと、一般常識を覚えてもらわないと、これから先が心配過ぎる――。

 ナギサちゃんも、いつもこんな気持ちで、私に色々教えてくれているのだろうか……?


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次回――
『数式を見ると頭が真っ白になるのって私だけ……?』

 数字の中には信用できないのがあるのよ
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