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第3部 笑顔の裏に隠された真実

5-7必死に頑張る人を見ると胸が締め付けられるのはなぜだろう?

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 私は自室のベッドの上に寝っ転がりながら、お気に入りの小説を読んでいた。大きなベッドの上には、沢山の本が散乱している。読み終わる度に、取りに行くのが面倒なので、まとめて持って来ているからだ。

 ベッドの横のテーブルには、ジュースやお菓子も、たっぷり用意してある。私は、ベッドと本とお菓子があれば、一生、何不自由なく生きていけると思う。

 ほんの少し読むつもりが、いつの間にか集中して、数時間が経過していた。でも、これは、いつものことだ。朝読み始めたら、いつの間にか夜になっていることは、割とよくあるから。

 本を読むと、周りのことが全く見えなくなるのが、私の悪い癖だ。完全に入り込んでいたので、すぐ隣につけっばなしだったMVも、全く気にしていなかった。

 普段、読書をする時は、MVをつけたりしない。静かに、集中して読みたいから。だけど、今日は『ノア・マラソン』の中継があるので、朝早くから、つけっぱなしだ。スポーツ系の小説は読むけど、スポーツ中継は、まず見なかった。

 私自身、スポーツは全くダメで、興味の欠片すらない。スポーツ観戦なんかやってる暇があったら、本を読んだほうが、百倍、楽しいと思う。

 そんなスポーツ嫌いの私が、スポーツ中継をつけているのには、訳があった。今日は、EL友エルともの風ちゃんが、出場しているからだ。マラソン自体は興味ないけど、風ちゃんが走っている姿は、見てみたいし、応援もしたい。

 最初の内は、モニターにかじりついて、一生懸命、見ていたけど、すぐに飽きてきた。そもそも私、風ちゃんとは、直接、会ったことがない。だから、どんな顔か知らないんだよね。

 仕事中なら、シルフィードの制服で、分かるかもしれないけど。ランニング・ウェアじゃ、見ても分かる訳がない。それに、大人ばかりで、十代の子の姿が、全然、見つからないし。そんなわけで、いつも通り、読書タイムに入ってしまった。

「ふぅー、面白かったー! やっぱり、何度、読んでも、この作品はいいよね」

 私は大きく伸びをすると、つけっぱなしのMVに視線を向ける。だいぶ時間が経っているから、もうすぐ終わりだろうか?

「うわー、雨降ってるし。ただでさえ大変なのに、最悪じゃん……」 

 小雨ではあるけど、路面はだいぶ濡れていた。観客たちは、レインコートを着たり、傘をさしたりしている。走っている選手たちは、シャツが雨で体に張り付いており、表情もかなり辛そうだ。

「こんな状態で走るとか、あり得ないよね。私なんか、傘をさしたって、雨の日は出たくないもん。濡れるの嫌いだし、本も濡れちゃうし――」

 私は雨が大嫌い。髪も服も湿っぽくなるし、靴は汚れるし。とにかく湿っぽいのは大嫌い。だから、雨の中を走るとか、私には考えられない。

「風ちゃん、大丈夫かなぁ? それとも、もうゴールしたのかな?」

 Aグループのスタートから、間もなく五時間ほど。先頭グループの人たちは、二時間台で、五十キロを走り切る。ハッキリ言って、もう人間じゃないよね。どうすれば、そんなに速く走れるの?

 一般の人たちの平均は、だいたい六時間ちょっと。一般の人でも、速い人だと五時間ちょっとで走り切る。ただ、六時間でも、凄すぎると思う。

 そもそも、六時間、走りっぱなしとか、全く理解できないよ。私なんて、一分走っただけで、倒れそうなほど疲れるのに……。

 体育の授業では、グラウンドを一周するだけで、死にそうになってたし。階段を上がる時も、息を切らしてた。あまりに体力がないので、友達には『おばあちゃん』なんて、よく言われてたけど。本当にヤバイぐらい、体力がない。

「なんて言うか、よくやるよねー。青春ってやつなのかな? いや、大人は青春とは言わないか――」

 私は必死に走っている人たちを、まるでドラマや映画でも見るような感じで、他人事のように眺めていた。実際、他人事だし。興味あるのは、風ちゃんだけだから。

「もう、風ちゃん映してよねー。知らないおじさんやおばさん見ても、面白くないんだから」

 私はぼやきながら、テーブルに置いてあった、クッキーの缶に手を伸ばす。硬い蓋を一生懸命、開けると、ふぅーっと一息ついてから、クッキーを摘まんだ。

「やっぱり、ここのお店のバタークッキー、絶妙の塩加減で美味しー」

 一つ食べると、次々と手が進む。よくよく考えてみたら、朝からロクなものを食べていなかった。

 夕飯は、家族で一緒に食べる決まりになってるけど、朝と昼は自由だ。なので、朝昼は、お菓子だけで済ませることが多い。単に、ご飯を食べるのが面倒だからだ。ご飯を食べてる暇があったら、一冊でも多く本が読みたい。

「どうしよ? 風ちゃんも映らないし、もう見ないでいいかな? 他にも、読みたい本が一杯あるし。軽く腹ごしらえしたら、また、完読みしようかなー」

 完読みとは、好きなシリーズものを全巻用意して、全て読み終わるまで、読み続けることだ。基本、徹夜になることが多く、読書のマラソンみたいな感じ。本を長時間読む耐久レースがあれば、優勝できる自信があるんだけどなー。

 私は再びテーブルに手を伸ばして、ドーナツの入ったケースを開ける。基本、食べるのは、甘いお菓子ばかりだ。読書をするには、脳に沢山の糖分が必要だからね。なので、テーブルの上には、甘いお菓子が山盛り置いてある。

「うーん、ストスペ最高ー!」 

 私が手にしたピンクのドーナツは『ストロベリー・スペシャル』だ。中にはカットした苺とイチゴクリーム。周りはストロベリーチョコで、綺麗にコーティングされ、苺尽くしだった。

 私は苺が好きだし、何よりピンク色が大好き。見てると、凄くハッピーは気分になれるから。なので、箱の中は、ピンク色のドーナツばかりだ。

 苺の甘さと酸味のハーモニー。加えて鮮烈なピンク色を見ていたら、物凄く気分が上がって来た。よし、ササッと食べて、完読みの準備しよっと。

 私はご機嫌で糖分補給をしていたが、ふと手が止まり、モニターに目を向けた。アナウンスの内容が、少し気になったからだ。

『こちらは、四〇キロ地点の映像です。ただいま、一人の少女が走り抜けて行きました。しかし、だいぶ辛そうな様子です。最後まで、もつのでしょうか?』

『この雨ですから、かなり体力を奪われていると思います。大人でもキツイ距離ですし、少女には、かなり負担が大きいですね』

 アナウンサーの問いに、解説者が淡々と答える。画面には、雨に濡れながら走っている、一人の少女が映っていた。本当に、かなり辛そうに走っている。私はドーナツのケースを、無造作にベッドに置くと、身を乗り出してモニター凝視した。

「何で、こんなに辛い思いまでして、必死に走ってるの? 私には、全然わけが分からないよ」
 でも、その姿からは、なぜか目が離せなかった。

『残り十キロ。このまま走り切れるのでしょうか?』
『普通のマラソンなら、もうすぐゴールなんですが、八キロも長いですからね。一番、辛いのが、四十キロ地点を超えてからです』 

『だいぶペースが遅いようですが、すでに体力が尽きてしまったのでしょうか? 辛うじて走っているようにも、見えますが』

 確かに、彼女の走るペースはかなり遅い。その隣を、次々と別の選手たちが追い抜いて行った。でも、周りを走っている人たちは、全員、大人だし。スピードも体力も敵わないのは、しょうがないと思う。

『息も上がってますし、フォームが完全に崩れてしまっていますね。少し、足元のほうを、映して貰えますか?』

 解説者の人が言うと、彼女の足元が拡大して映される。直後、

『これはマズイ。足を怪我しているみたいですね。おそらく、捻挫でもしたのではないかと思います。早く中止して、手当てを受けないと危険ですよ』

 先ほどまで、静かに淡々と話していた解説者が、急に語調を強めた。 

『確かに、よく見ると、左足をかばいながら走っているようです。雨天で滑りやすく、大変、危険です。無理をせず、すぐにリタイアして欲しいのですが……。あっ、今運営スタッフが走り寄って、並走しながら声を掛けております』

 スタッフのジャンパーを着た人が、走りながら少女に声を掛けている。だが、しばらくると、スタッフは立ち止まり、少女はゆっくりと前進し続けて行った。

『これは――どうやら、続行するようです。本当に、大丈夫なのでしょうか? 周囲の観客からも「無理しないで」と、声が上がっております』

『うーん、正直、厳しいですね。疲労は限界に来ているようですし、足の痛みも相当なものだと思います。ただ、私も元ランナーとして、気持ちは分からなくもないですが。まだ若いですし、無理をせず、次のために中断して欲しいと思います』

『そうですよね。今日は、走るのには、決して良いコンディションではありません。また次回、万全の体調で挑んで欲しいですね』

 解説者もアナウンサーも、リタイアを勧めている。私も最初は、そうした方がいいと思ってた。でも、彼女の必死に走る姿を見ていたら、別の感情が湧いて来る。

 私は拳を強く握りしめながら『頑張れっ!! 絶対にあきらめるないで!』と、心の中で、いつの間にか応援を始めていた。

 カメラは、ずっと彼女の走る姿を追い続けている。私は固唾を飲みながら、その姿をじっと見守った。しばらくすると、

『ただいま、この選手の情報が入ってきました。ゼッケンJー77番、如月風歌選手。今回の出場者の中で、最年少の十五歳。今回が初出場です』

 画面に、彼女の名前のテロップが表示された。私はそれを見た瞬間、ハッとした。

「えっ?! まさか、違うよね――?」

 名前に『風』が付いてるからって、風ちゃんとは限らない。風ちゃんのことが気になってたから、そう思い込んでるだけで。ただの同年代の子かも……。

『十五歳での出場とは、珍しいですね。沢山の大人に混じって、ここまで走るとは、本当に凄いことです』

『確かに、そうですね。十八歳以上の大会が多い中『ノア・マラソン』は、十五歳以上の規定です。〈グリュンノア〉では、昔は十五歳で成人という習慣があり、シルフィード業界なども、十五歳で就職するため、この規定になったようですね』 

『とはいえ、体の出来ていない年齢での五十キロは、やはり厳しいです。当然、怪我もしやすいですし』

 少女の走る姿をバックに、解説者たちは、次々と話を進めて行く。でも、話を聴いていると、もどかしくなって来た。けなしているのか、応援しているのか、どっちなのよ――?

 出場者の中では、最も若いうえに、初出場。体格だって、恵まれてはいなかった。でも、今そこで走っているだけで、超凄いじゃない。だって、すでに四十キロ以上、走ってるんだよ。

『今、新しい情報が届きました。何と、如月風歌選手は、現役のシルフィードということです。しかも、所属しているのは、あの〈ホワイト・ウイング〉だそうです』

『〈ホワイト・ウイング〉と言えば、あの伝説のシルフィード「アリーシャ・シーリング」氏が創設された会社ですね。現役シルフィードが、出場しているだけでも驚きですが。まさか、あの名企業に所属しているとは……』

〈ホワイト・ウイング〉の社名を聴いた瞬間、私の心臓は跳ね上がった。

「間違いない、風ちゃんだ!!」

 風歌という名前で〈ホワイト・ウイング〉に所属であれば、風ちゃん以外にあり得ない。本来なら、もっと早くに気付くべきだった。だが、あまりにも想像と違っていたので、確証が持てなかったのだ。

 私のイメージする風ちゃんは、明るく元気で、とても逞しい感じだった。でも、今の風ちゃんは、ぐったりした状態で、とても弱々しく見える。それに、体も想像以上にほっそりしていた。私より少し背は高いけど、かなり細かった。

 生活が大変みたいなこと言ってたけど、ちゃんと、ご飯を食べてないのだろうか? 何でこんな辛い思いまでして走るの――?

 今にも倒れそうな姿を見て、私は胸がキュッと、締め付けられる思いだった。
 
 頑張れっ、頑張れ、風ちゃん!! 風ちゃんなら、絶対に出来るから。私に出来ないことを、平気で何でもやっちゃうのが、風ちゃんなんだから。だから、私にもっと夢を見せて!

 私は涙ぐみながら、必死に心の中で、応援を続けるのだった……。


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次回――
『別に風歌のこと心配している訳じゃないんだからね!』

 人の心配より社交性ゼロの自分の心配しなさいよ
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