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第3部 笑顔の裏に隠された真実

5-6可能性が1パーセントでもあるなら私は絶対に諦めない

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 雨が降りしきる中、私は苦しみながらも、少しずつ前に進み続けていた。雨粒が体を濡らすたびに、気力も体力も、どんどん奪われていく。

 すでに、走るだけの力は残っておらず、ゆっくり歩くことしかできなかった。片足をかばいながら、辛うじて歩き続けている。左足の激痛もあるけれど、もう、体力が尽きる寸前まで来ていた。

 これでもかなり、もったほうだと思う。もし、ノーラさんに貰ったパンを食べていなかったら、もっと早くに、力尽きていたはずだ。

 だが、それだけの問題じゃない。練習も足りてなかったし、体力も想像していた以上に足りなかった。雨のせいで、余計に体力を消費しているが、晴れていても、かなり厳しかったと思う。結局、何もかも、全てが足りていなかった。

 しかし、一番の問題は、私の判断ミスだ。もし、あの時、判断を誤らなければ、こんな最悪の事態には……。


 ******


 私は、中間地点まで、至って絶好調だった。グループ内では、単独でトップだったし、足もよく動いて、体力も十分だった。練習の時にも、これほど調子のいい時はなかったぐらいだ。

 周囲の選手たちの頑張りや、観客たちの声援の熱気にあてられ、いつも以上に、力が出せていたのだと思う。元々私は、本番には強いほうだ。

 でも、全てが順調すぎて、僅かばかりの慢心が湧いてきた。十分に完走できると過信して、ペースを上げ過ぎてしまったのだ。

 三十キロ地点を過ぎ、しばらくすると、雨がポツポツ振り始めた。最初は、目に見えないぐらいの、微かな雨だった。

 ある程度、想定していたとはいえ、やはり雨が降るのは辛い。例え小降りでも、精神的にも体力的にも、ダメージを受けるからだ。

 雨に濡れながら走るのは、気が散って走り辛い。また、濡れたまま走ると、体が冷えて、どんどん体力が奪われていく。

 ここで、私には二つの選択肢があった。一つは、本降りになる前に、速いペースで、一気に走り切ってしまう方法。スタミナ消費は大きくなるが、コンディションがいいうちに、走り切るのが理想だ。

 ただ、走り切る前に、雨が強くなった場合。より体力消費が激しくなり、最後までもたないリスクがある。つまり、天候しだいの、完全な賭けだった。

 もう一つは、逆にペースを緩やかにし、とことん体力を温存する方法だ。もし、雨が強くなってきても、ゆっくり確実に進む持久戦なら、確実に乗り越えられる。

 まだ、時間的にも余裕があるので、ゆっくり走っても、十分に制限時間内に間に合うからだ。

 私は走りながら、どちらを選ぶか考えた。もし、普段の私なら、後者を選んだと思う。初参加なうえに、練習量も足りていない。それに、好タイムを狙っている訳ではないので、完走さえ出来ればいいからだ。

 しかし、前半の調子のよさと、気分がハイになっていたせいもあって、私は前者を選んでしまった。実際、ここ最近の中で、最も調子が良かったので、その時点では、悪い選択ではなかったと思う。

 私はペースを上げると、軽快に走り続けた。途中、何人も抜き去りながら、快調にゴール地点に向かって行く。

 練習の時は、かなり速めのペースで走っていたので、けっして無理な速さではなかった。むしろ、私は速く走ったほうが気持ちがいい。力を抑えるのは、何事においても苦手だからだ。

 風切り音を耳にしながら、そのまま、何事もなく順調に走り続ける。集中して、雨も気にならなくなって来た。体の調子はすこぶる良かった。何より、気分が物凄く高揚しているのが分かる。

 体中にアドレナリンが巡って、やる気に満ちあふれている状態だ。過去の経験上、この状態になると、何をやっても上手く行く。

 私は、パラつく雨に濡れながらも、風を切って勢いよく走り続けていた。だが、三十五キロ地点を過ぎた辺りで、急に雨粒が大きくなった。

 先ほどまでとは違い、明らかに、体に雨がぶつかる感触がある。バチバチと雨粒が当たり、気持ちよさが薄れ、不快感が増して行った。

 何でこのタイミングで、雨が強くなるかな? 残り少しだっていうのに。せめて、走り終えるまでもってよね――。

 雨が体にぶつかる度に、ストレスがたまって行く。練習は積んできたけど、流石に雨の中を走ったことはなかった。もちろん、雨の日を想定した練習など、全くしていない。雨のせいで、体力と精神力が、確実に削られていく……。

 さらに、シャツが体に張り付いて、どんどん不快になって行った。コンディションは、この上なく最悪だ。それでも、私は走り続ける。

 三十九キロ地点を表示する、空中モニターが見えてくると、私は少しホッとした。残りは十キロほどで、すでに『安全圏内』に来ているからだ。

 相変わらず、雨は降ったままだが、十分、走り切れるだけの体力は残っていた。時間も体力も、十分に余裕がある。あとは、このままゴールまで走り切るだけだ。

 だが、その直後――、 
「ぐっ……しまった」
 着地に失敗し、左足を横にひねってしまった。

 捻挫は、ランナーには付き物だ。フォームが崩れている時、集中力が切れている時、疲れている時などは、足を捻挫しやすい。でも、この時の私は、その全てが該当していたのだと思う。

 雨でストレスが溜まっていたうえに、ゴールが近付き、気が緩んで集中力を切らしてしまったこと。加えて、無理にペースを上げたせいで、足にかなり疲労が蓄積していた。アドレナリン全開で、疲労に気付いていなかっただけだ。

 それは、ほんの一瞬の出来事だった。僅かにフォームが崩れ、気が緩んだ瞬間に、思い切り足をひねってしまったのだ。

 私はペースを落として、フォームを整えた。最初から、無理なく地道に走っていれば、こうはならなかったと思う。なぜ、無理をしてしまったのだろうか?

 でも、今さら後悔しても遅かった。こうなった以上、だましだましでも、走り続けなければならない。残り十キロなら、何とかなるはずだ。

 私はなるべく左足に体重が掛からないよう、気を付けて走った。それでも、踏み出すたびに、足にズキッとした痛みが発生する。

 本来であれば、即中断して、手当てをするところだ。もし、部活中だったら、すぐに、保健室に向かっただろう。

 捻挫は、想像以上に危険な症状だ。重症の場合、完治に三ヵ月以上かかり、最悪、後遺症が残る場合もある。

 一瞬、頭の中に『リタイアするべきでは?』という考えが浮かんだ。この状態で、十キロ以上も走れば、ケガが悪化する可能性が高い。しかも、体はすでに疲労困憊の状態だ。

 つい先ほどまでは、全然、平気だと思っていた。しかし、単に気分が高揚して、気付かなかっただけだ。足をケガして冷静になったとたん、急に激しい疲労感が、全身に襲い掛かって来た。

 四十キロ地点には、給水所があり、救護テントもあるはずだ。初出場で、四十キロも走れたなら、大健闘じゃないだろうか? すでに、過去の自己ベストも超えているし。また、来年、万全を期して挑戦すれば、きっと走り切れるに違いない。

 もうすぐ、四十キロ地点だというのに、私は走り続けるべきかどうかを、悶々と悩み続けていた。やはり、ここまで来てリタイアするのは、どうしても納得できなかった。私は、誰よりも、諦めの悪い性格だからだ。

 そうこうしている内に、百メートルほど先に、給水所が見えて来る。私は大きく息を吸い込むと、腹をくくって、覚悟を決めた。

 よし、最後まで走り切ろう!! 

 背筋をピンと伸ばし、痛みを我慢して、規則正しく足を踏み出す。私は至って冷静に振る舞い、黙々と走り続けた。ケガをしていると気付かれると、止められるかもしれないからだ。

 やがて、給水所に到着すると、沢山のスタッフや観客が見守る中、私は平然と走り抜けていく。止まってしまいたい誘惑を振り払うと、何事も無かったかのように、そのまま通り過ぎて行った。

 あー、何やってるんだろ私? また、馬鹿なことをやっちゃってる。そこまでして、頑張る理由なんてないし。ナギサちゃんとも、絶対にケガしないって、約束したのに――。

 でも、結局いつも、私はこういう選択をしてしまう。例え、馬鹿なのも、無謀なのも、理解していたとしても。可能性が1%でもあるのなら、絶対に諦めたくはないからだ。

 やがて、歓声が遠のき、給水所が見えなくなるころ。再びペースを落として、足をかばいながら走るスタイルに変えた。

 ここから先は、体力だけの問題じゃない。この先十キロの間、絶え間なく続く痛みを、耐えなければならないからだ。

 もう、体力じゃなくて、精神力の戦いだ。ただでさえ、残り少ない体力を補うためには、気合と根性で頑張るしかない。

 おそらく、この先十キロは、物凄い地獄だ。私の今までの人生の中で、最も辛い戦いになるだろう。

 それでも、足が動き続ける限り、私は絶対に立ち止まるつもりはない。ここで立ち止まったら、全てが終わってしまう気がするから……。


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次回――
『必死に頑張る人を見ると胸が締め付けられるのはなぜだろう?』

 今日をがんばり始めた者にのみ……明日がくるんだよ……!
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