東京テルマエ学園

案 只野温泉 / 作・小説 和泉はじめ

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第75話 旅立つ者・見送る者

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梨央音からの協力を取り付けた渡は、テルマエ学園へと戻るや否や葵の下を訪れていた。

「葵先生、二人だけでお話したい事があります。誰にも内緒で・・・」
余程急いで駆けて来たのであろうか、頬が上気している。

「早瀬・・・。うちに告る気か? お前の気持ちは嬉しいが、うちは年下好みじゃないんだ」
ニヤニヤと笑う葵、マジが冗談なのかどちらとも取れない反応である。

「何、言ってるんですかっ! 俺にはちゃんと好きな娘が・・・っ!」
と言いかけ、慌てて口を噤む渡。

「ほう、温水だな?」
ニンマリとする葵。

「なっ・・・!」
赤面する渡。

「やはり図星か。お前は分かり易いな」
葵は、ハハハッ!っと豪快に笑う。
どうやら、渡をからかって面白がっているのだろう。

「まぁ、いい。ところで話とは?」
葵は渡を別室へと連れて行く。

「実は、今まで堀塚音楽スクールへ行ってました」
「堀塚? あの【シュシュ・ラピーヌ】の?」
葵はふと、アイドル甲子園東京地区予選の事を思い出す。

「意外だな・・・。なぜ?」
「実は、黙っていましたが堀塚の理事長は俺の従姉なんです。すいませんが、これは皆に黙っていて欲しいんです・・・」
「(早瀬と堀塚が親戚・・・)そうだったのか・・・、分かった。それで?」
興味を引かれ、話の続きを促す葵。

「理事長が・・・。その、【シュシュ・ラピーヌ】を【ムーラン・ルージュ】の為にここに来させてくれる事に・・・」
「しかし、どうして?」
「次の・・・。準決勝の演目を指導してくれると言うか・・・」
「何っ? あの歌劇スタイルの舞台をっ!?」
「はいっ!」
「そうか・・・。それなら、なんとか・・・。いや、それしかあるまいっ!」
暗中模索の中見出した、一筋の光明であった。

「しかし・・・。お前が・・・、なぜ?」
腕組みをしながら向けられた葵の視線をまっすぐに受け止める渡。

「俺に出来る事って・・・。これくらいしか思いつかなくて・・・」
(温水の為か・・・)
葵の顔に微笑みが浮かぶ。

「とにかく礼を言うぞ、早瀬。学園長の許可はうちが取る! いや、文句なんぞ言わさへんっ!」
自分の一存で行った事であったが、葵らも認められ学園長へも納得させるという葵の言葉に渡は顔いっぱいの笑顔を返す。

【ムーラン・ルージュ】の為? いや、アキの為に自分が何かを出来た事が余程嬉しかったのだろう。


渡と別れた葵は学園長室へと向かった。

コンコンッ!

バタンッ!


ノックと同時に学園長室のドアを勢いよく開け、ドカドカと足を踏み入れる葵。
「松永葵ですっ! 失礼しますっ!」
予想外だったのだろうか、ミネルヴァも思わず苦笑している。

(葵・・・。いつもながら騒々しい奴だな・・・)
「何用かね? 松永君?」
ミネルヴァへと歩みを進めながら、室内をキョロキョロと見回す葵。

(弾は居ないか・・・。橘ゆかりも不在、好都合だっ!)
「学園長にご承諾頂きたい事があって参りましたっ!」
立ったまま、今にも飛び掛かりそうな勢いて話し出す葵。

「まぁ、座ったらどうだ。ゆっくりと話を聞こうじゃないか」
ミネルヴァがソファへと向かう。


堀塚の理事長の件・【シュシュ・ラピーヌ】の件を必死になって話す葵。
頭の中の整理がつかなく、しどろもどろになりながら話す。

(あーっ、もう! なんでこんなややこしいんやっ!)
要領よく話すということはかなり苦手である。

そんな葵の様子を面白そうに見ているミネルヴァ。
父娘の対談である事を知る由もない葵。

「つまるところ、君が堀塚の理事長と話を付けたという事か?」
薄笑いを浮かべながら誘い水を向けるミネルヴァ。

「いえっ! それは、早瀬が・・・。あっっ!」
内緒だと言われていた事をつい口を滑らせてしまう葵。

「ほっほっほっほっ! 堀塚音楽スクールに早瀬の資本が入っている事など既に知っておる・・・。よかろう、誰にも言わんよ。それより・・・」
失態をフォローされ畏まる葵。

「客人のもてなしは全て君に任せよう。学園内のものは全て好きに使って構わん、客人に失礼の無いようにな」
「は・・・、はい! ありがとうございますっ!」
学園長の承認を得るや否や、立ち上がるといきなり走り出す葵。

来た時と同じように激しく音を立てて帰って行く。


(堀塚梨央音だったか・・・。確か、早瀬将一郎の姪だったと思うが・・・。どういった気まぐれか知らんが、せっかくだ・・・)
ミネルヴァは怪しく微笑んでいる。

(だが・・・。葵、お前にはこの世界の才は無いようだな・・・。母親譲りの芸は別格のようだが・・・。―― 雪乃、お前に葵を返してやろう。・・・、弾と引き換えにな・・・)
雪乃への贖罪なのか、それとも・・・
ミネルヴァの心の内は誰にも推し量れない・・・

ふと思い立ったようにミネルヴァは鍵のかかった引き出しからセピア色の写真を取り出した。

(雪乃・・・)
そこには、今は亡き雪乃の隣に寄り添い二人の赤子を抱く若き日のミネルヴァの姿・・・

(ふ・・・)
目を細め感慨深げな表情を浮かべる。

一時とはいえ、幸せだった日々は忘却の彼方にーー
もう、二度と戻る事の無い在りし日――



時間は少し、遡る。
朝靄に煙るテルマエ学園の正門前・・・

(皆、バイバイ・・・)
キャリーケースを引いたハンが人知れず学園を去ろうとしていた。

「誰にも言わないで、一人で行ってしまうつもりか?」
ビクリとして立ち止まるハン、声の聞こえた方向へと振り返る。

「葵・・・、センセィ・・・」
「こんな置手紙だけ残して・・・。温水達やカトリーナが悲しむぞ・・・」
置手紙が葵の手に握られている。

「ハン、自分ヲ見つける旅ニ出ル・・・。誰ニモ止められナイ・・・」
固い決意が感じられる。

「そうか・・・。ハン、旅というものは必ず終着駅があるものだ」
「・・・?」
「お前の終着駅は、ここだ。必ず、帰ってこい。皆で待ってる」
「・・・」
「必ず、帰ってこい! いいなっ!」
葵の言葉に大きく頷くハン。

朝日の差し掛かる教室を見上げるハンの頬に一筋の涙が流れた。


葵は朝靄の中に消えて行くハンの後ろ姿をいつまでも見送っていた・・・


「分かれは済んだのか・・」
ハンの歩く先に停まっていた車から一人の男が降りて来た。

「飛鳥井・・・さん」
「行くぞ、矢板。新しいお前になる旅立ちだ」
「はいっ!」

ハンの言葉から、外国訛りが消え始めていた。

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