東京テルマエ学園

案 只野温泉 / 作・小説 和泉はじめ

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第33話 ハル、倒れる

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時期を同じくして、スポーツの祭典が開幕した。

206の国と地域から33競技339種目の選手達が集まり、日々熱戦が繰り広げられた。
無論、日本柔道界のエースである西郷五郎は、男子81KG級で金メダルを獲得、【ムーラン・ルージュ】の萌も日頃の練習の成果もあり、女子ハーフパイプで見事、銅メダルを獲得したのである。

喜びに沸くアキ達に更に嬉しい出来事が報告されていた。
それは、ケリアン率いるフランスのユースチームも見事に優勝した事である。
無論この試合をカトリーナがずっとPCで見続けていた事は言うまでもない。


このように日本全国が白熱している中、いよいよアイドル甲子園も本戦を迎えた。
東京・新国立劇場のメインホールには47都道府県の代表チームが勢揃いしている。

アイドル甲子園は47チームによるトーナメント方式である。
会場の特別審査員9名と一般審査員、255名が各々5点と1点を持ち総得点数300点を目指して競い合う。

東京地区予選の経験から同点となる可能性を限りなく低くした配慮が為されている事は、三橋の貴重な体験から生み出された案であった。
また、この催しはDODOTV主催で行われていたのだが各地区予選の盛り上がりもあり民放主要5大キー局と主要新聞5大紙も協賛になっている。
これによりDODOTVでの三橋の影響力も日増しに強くなっていた。

「ふふふっ、このまま上手く行くとエグゼクティブプロデューサーだって夢じゃねぇなぁ」
取らぬ狸の何とやらだが、三橋にはもう一つの問題が残っていた。
そう、ミネルヴァとの誓約である。

(もし、【ムーラン・ルージュ】が優勝しなかったら・・・)
三橋は現職を辞任しなければならない。

(頼むぜ、【ムーラン・ルージュ】・・・)
三橋の視線が壇上へと向けられていた。

「次は、東京代表 【ムーラン・ルージュ】です」
抽選会の司会はいつもの如く三波が受け持っている。

「アキっ!」
「頑張ってっ!」
「いいトコ引いてねっ!」
無論ここで言ういいトコとは1回戦が不戦勝となる限られた枠であるが・・・

「さぁ、【ムーラン・ルージュ】のリーダー 温水アキさん。どうぞっ!」
アキは舞台中央に置かれた抽選箱の中に手を入れ、一つのボールを掴みだす。
「42番、【ムーラン・ルージュ】は42番ですっ!」

「やっりぃ!」
思わず声を上げたのは、穂波である。

「でも・・・」
やや不満げな、圭・・・。
「確かに一回戦不戦勝っていうのはラッキーだけど・・・」
七瀬の言葉に優奈が続く。
「42番・・・、縁起が・・・ねぇ・・・」
そんな事に気付かず、アキは壇上で大喜びしている。

そして・・・

「さすがアキちゃん。くじ運も良いんだぁ」
と感心していたのは涼香だった。



アイドル甲子園の中継を見ているミネルヴァ、その向かいのソファには弾が座っている。

「・・・それで、お話とは?」
「ふむ、お前に行って貰いたい所がある」
「・・・どこに?」
親子であるという事実は受け入れたもののこれまでの経緯もあり、圧倒的な上下関係は崩れていない。

「早瀬コンツェルンに、総帥の将一郎氏に会いに行け」
「目的は?」
「これを見ろ」
ミネルヴァはテーブルの上に調査報告書と書かれたいくつかのファイルを広げた。

「これは・・・!?」
素人の弾が軽く目を通しただけでも、萬度により敵対的TOBが画策されている事がはっきりと理解できた。

「この学園を守る為に、早瀬からホワイトナイトを取り付けて来い」



ホワイトナイト(WHITE KNIGHT)は、和訳すると「白馬の騎士」となる。
企業間において、敵対的TOBを仕掛けられた企業を支援して、協力的の買収をしてくれる会社の事をこう呼んでいる。

企業や組織の防衛策であり、白馬に乗った騎士が現れて助けてくれるというイメージからこう呼ばれているものである。

敵対相手からの買収は避けられるが、自社の一部を売却するというデメリットは否めない。
(過去に日本でも、投資ファンド会社・スティールが明星食品に敵対的TOBを仕掛けた時、日清食品が友好的TOBを行い、明星食品は日清食品の完全子会社となった事はよく知られている)



「それを・・・、俺に・・・」
いきなり聞かされた話である、しかもスケールの大きさは想像を絶するだろう。

「しかし・・・」
弾が不安と感じたのは、早瀬コンツェルンの総帥が一介の来客に会うとは考えられない事である。

「ほう、会えるかどうか自信がないのか? これを渡しておく」
ミネルヴァが渡したファイルには・・・

「早瀬リージェンシーホテルのインペリアルルーム・・・。早瀬駆・・・」
「早瀬渡の兄だ」
「じゃあ、早瀬渡も?」
「腹違いの弟になる」
「どうして、こんな情報が・・・」
「弾、お前も知っておいた方が良かろう」



ミネルヴァが話したのは、早瀬駆が萬度に利用され今は早瀬リージェンシーホテルに身を隠している事の他、萬度が世界的な闇商社であることだった。
そして、これらの情報がミネルヴァのPCに直接書き込まれていた事なども・・・

(まさか・・・)
「何か心当たりでもあるのか?」
弾の頭に浮かんだのは、カトリーナの事であった。

(カトリーナなら、やれるかも知れない)

「それと、もう一つ・・・」
ミネルヴァの瞳が怪しく光った。

「クラウンジュエルを行う」



クラウンジュエルとは、敵対的TOBに対する対抗措置の一つである。
敵対的TOBを仕掛けられた会社が自社の中で最も収益性が高い等の高い評価を得ている部門を別の誰かに移譲して、本体の価値を下げ買収していようとしている者のメリットを無くす方法である。

元の会社をクラウン(王冠)として、ジュエル(王冠の宝石)を外すことで、クラウン(王冠)そのものの価値を低くしてしまう事を目的としている。

但し、買収防衛を目的として財産譲渡となる事から、この決定を下した者は善管注意義務・忠実義務違反を問われる可能性も含んでいる。



「つまり・・・」
「背に腹は代えられん。弾・・・、お前にこの学園を譲る事になるだろう」
「なっ!?」

弾にはミネルヴァは腹の底が読めなかった。
テルマエ学園の他、ミネルヴァの傘下にある企業や事業体を守る為としては理解できる。
だが、このミネルヴァがどこまで本心でそれをやろうとしているのかは甚だ不明だ。

「失敗すれば、儂もお前も沈むだけだ・・・。あの娘達も・・・な」
(やり切るしか・・・、ないのか・・・)

弾の眼差しが炎のような勢いでミネルヴァに向けられる。

「やってやる・・・。だが、あんたの為じゃないっ! あの子達の為だっ!」
「それで結構・・・。目的が違っていても、結果が同じなら十分だ」
ホッホッホッと、ミネルヴァが笑う。

「それと、クラウンジュエルの件はお前からは話すな・・・」
「なぜ・・・」
「恐らくは、早瀬から持ち掛けてくるだろうが・・・。お前の手柄にしてこい」
「・・・」
「その方が話もまとまりやすかろう。それと、もう一つ手土産を持っていけ」
ミネルヴァの言う土産話を聞き、弾は愕然とした。

(そんな事まで・・・)
「如月には儂から話しておく・・・」
ニヤリと笑うミネルヴァを弾は黙って見据えていた。



ゆかりの次の目的地は渋温泉だった。

湯田中駅を降り温泉街の街並みを眺めながら、先ずは七瀬の生家へと向かう。
「ここが星野荘か・・・」
ゆかりは敷地内へと歩みを進める。


「いらっしゃいませ」
女将の奈美がゆかりの姿を見止めて奥からいそいそと姿を見せる。

「テルマエ学園の橘と申します。星野さんのお姉様でしょうか?」
どうしてテルマエ学園の人がと、訝しがる奈美。

「あの・・・、七瀬が何か・・・?」
奈美の表情が曇る。

「家庭訪問の様なものです」
ゆかりは端的に話す。

「そうですか・・・。ようこそお越し下さいました。立ち話も何ですので、どうぞお入り下さい」
ホッとして笑顔になった奈美がゆかりを客室へと案内する。


客室に通されたゆかりの前に茶と茶菓子が出される。

「お姉様お一人でここを切り盛りされているんですね。お若いのにご立派です」
「いえ、私などは・・・。曽祖父の徳次郎の作ったここを引き継いでいるだけで・・・」
壁に掛かっている写真に目を向ける奈美。

人の好さそうな初老の男性が一升瓶を抱えて笑っている。

「曽祖父です」
奈美が答える。

「曽祖父様ですか・・・」
ゆかりの目は写真の隣に掛けられている紋付に注がれていた。

「星野徳次郎と申しますが、私の生まれる3年前に他界しておりますので、面識はありませんが・・・」


星野家はもともと、星野荘ではなかった事が奈美の口から語られた。
この渋温泉で最も小さな家湯であった星野湯が始まりであった。
大きな旅館に挟まれ、家族だけの経営で旅行客の足湯としてほそぼそと営業していたらしい。

曽祖父の徳次郎は足湯だけではなく、温泉旅館として建て増しする為に各地の工事現場へ出稼ぎに行っていたとの事であった。

そして長年に渡る努力の甲斐もあり、ある工事現場での慰労金を加算して星野荘を立ち上げ隠居生活に入ったのであったのである。

ただ、それまでの過労ともともと酒好きだった事もあり、肝臓がんで他界したのである。



「こちらの紋付は?」
「曽祖父のものですが、何か?」
「いえ・・・」
(六文連戦か・・・、真田の血筋・・・)
ゆかりの脳裏にはこれまでに訪れて来た七つの温泉地の事が思い出されている。

(全てが・・・、関ケ原の西側の陣営・・・)

「温水屋さんはお近くでしょうか?」
「はい、歩いてすぐですが・・・。アキちゃんの事で・・・?」
「ええ、同じく家庭訪問に・・・」
「では、ご案内させて頂きます」
「いえ、お忙しい所をそんな・・・」
「本当に直ぐそこですので」
「・・・では、お言葉に甘えさせて頂きます」

奈美に案内され、ゆかりは温水屋を訪れる。


「ごめん下さい」
「はーい」
奥から仲居頭の弥生が現れる。

「あら、奈美さん? こちらは?」
「こちら、仲居頭の荻ノ沢さんです」
弥生はゆかりを見て頭を下げる。

「弥生さん、こちらはテルマエ学園から来られた橘さん」
「橘です」
ゆかりも会釈を返す。

「まぁ、アキさんの・・・。女将さーんっ!」
弥生は急ぎ慌てて女将を呼びに奥へと引っ込み、そしてハルを伴い直ぐに戻って来た。

「アキがいつもお世話になっております。女将の温水ハルです」
女将としての威厳と貫禄を兼ね備えたハルの姿を見て、ゆかりも思わず恐縮してしまっていた。

(この人が、温水アキの祖母・・・。今までの女将達とは何かが違う・・・)

「奈美さん、ご案内ありがとうね」
「いえ、それでは私はこれで・・・」
「ありがとうございました」
「さあさあ、中へお入りください」
奈美が帰り、ゆかりは客室へと通される。

整然とした客室に茶と茶菓子を用意し、弥生は退席した。

「今日はどういったご用件でしょうか?」
ゆかりをまっすぐに見据えて話すハル、なぜか刺すような視線になっている。

「お忙しい所、申し訳ありません。家庭訪問という意味で生徒さん達の御実家を回らせて頂いております」
普段のゆかりからは考えられない程、慇懃な所作の挨拶である。

「そうですか・・・。それで何をお聞きになりたいのでしょうか?」
ハルのペースに自然と引き込まれてしまい、ゆかりは次の言葉がうまく出てこない。

(私が・・・、押されている・・・?)
焦るゆかり。

「アキは・・・。昔から手のかからない娘でした」
そんなゆかりを見かねたのかハルが唐突に話し出した。

「あたしが仕事で忙しく、ほったらかしでもあの娘は文句一つ言わずに動物たちと遊んでいたんです。七瀬ちゃんとも仲良く遊んでましたねぇ」
「星野さんですね。昔からお付き合いがあったのですか?」
「同じ温泉郷の中ですし・・・、星野荘には、思い入れも・・・」



ハルが遠い過去を回想する。
「おっ、ハル坊じゃねぇか。どうしたんだ?」
「あっ、徳次郎おじちゃん。あのね、お家が忙しいから表で遊んでなさいって」
「そうか・・・、ハル坊んとこはでっかい旅館だからなぁ」
「ハルも、徳次郎おじちゃん家みたいなところの子だったらよかったのにな・・・!」
「なんで、そう思うんだい?」
「だって、そうだったらいつも一人で遊ばなくても良かったもんっ!」
「ハル坊・・・。温水さん達もハル坊の為に頑張ってるんだぜ」
「そんなの・・・、わかってるけど・・・」
「よしっ! ハル坊っ、ドロップ食うか?」


ハルが旅館の忙しさで両親から構って貰えない寂しさを、徳次郎が埋めてくれていたのだ。
時にはドロップであり、時にはポン菓子であり・・・、煎餅や飴玉をポケットに忍ばせて、一人寂しく遊んでいるハルをいつも気にかけていたのだった。


そんな徳次郎は渋温泉の隧道工事を最後に出稼ぎをやめ、星野荘を作る。
(徳次郎さんの作った星野荘・・・。あたしにとっても唯一無二の存在だよ・・・)
ハルが奈美と星野荘に対して特別の目を向けていたことは、5年前の悲惨な交通事故だけがきっかけでは無かったのだ・・・



遠い昔を回想していたハルが急に胸を押さえた。

「うっ・・・。くっ、苦しい・・・」
畳の上に倒れ込み胸を押さえて苦しみだすハル。
ゆかりが駆け寄ると、顔面は蒼白になりびっしょりと冷や汗をかいている。

「だっ・・・、誰かっ! おっ・・・、女将さんがっ!」
ハルを抱きかかえて大声で叫ぶゆかり。

がらりと襖が開けられ、弥生が飛び込んでくる。
「あ・・・、お・・おかみさ・・・」
「早くっ! 救急車をっ!」
尋常ではないハルを見て取り乱す弥生にゆかりが叫んだ。

「は・・・、はいっ!」


呼吸するのも苦しそうなハル。到着した救急隊員がハルに酸素マスクを装着しストレッチャーが救急車に格納される。

「斎藤総合病院へ搬送します。付き添いの方は?」
救急隊員の言葉を聞き、弥生が救急車へと乗り込むとサイレンを響かせて温水屋から出発した。

ゆかりはそれを見届けた後にタクシーを呼び、救急車の後を追う。
ハルの無事を祈りながら・・・



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