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第20話 さよなら ミッシェル
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ある日の午後、米国マッカラン国際空港からの便が成田空港へと到着していた。
機内には一人の男性の姿がある。
ジェームス・アデルソン、ラスベガスでカジノとホテルを複数経営する大富豪である。
「僅カ、数ケ月で再び来る事にナルトハ・・・」
米国大統領とも直接会話できるほどの彼がお忍びで来日したのはこれで二回目であった。
テルマエ学園では、ミネルヴァとゆかりが密かに話を交わしている。
「ご苦労だったな、ゆかり君・・・。そのまま引き続いて調査に当たって貰おうか」
「承知しました。では・・・」
ゆかりが一礼し、学園長室を後にする。
(温水アキ・・・、か・・・)
ミネルヴァがアキの名を呟いていた。
前回の十津川温泉で全ての温泉実習を終えたアキ達は教室でレポートの作成に追われている。
「今日が最後の授業かぁ」
七瀬がため息をつき、アキが応える。
「あっという間の一年だったね」
「あち、もうレポート無理ぃ・・・」
珍しく穂波が弱気な言葉を漏らす。
「ボクもそろそろ、スケボーの練習しないと・・・」
萌も同じ事を感じてたようだ。
「うちもバイトが・・・」
優奈がため息交じりに言う。
「あたしもずっと五郎待たせてるし・・・」
圭も流石に、レポートに埋もれて五郎を待たせ続けている事に気を使っているようだ。
「デート待たせてはっかだったら、浮気したりしてぇ・・・」
汐音が悪戯っぽく笑いながら圭を茶化す。
「えっ!? ううん、大丈夫・・・。五郎に限ってそんな事ないし・・・」
「えっ! ちょっと不安とかぁ・・・?」
「いや、そんなんじゃ無いけど・・・。そう言う涼香は?」
「えへっ! 【ダンテ】のコンサートチケット取れたんだっ!」
「エ~っ!」
皆が声を揃えて驚く。
「涼香ちゃん、【ダンテ】ファンだったっけ?」
「それ、初耳だしっ!?」
アキと七瀬が矢継ぎ早に問いかける。
「ファンになったんだよね~。涼香ちゃん!」
「うんっ!」
汐音のウィンクに恥ずかしそうに涼香が応える。
竜馬に曲の演奏を指導して貰っているうちにファンになったようだ。
「ハンも、【ダンテ】のファンだヨ」
ハンは誇らしげに、ファンクラブの会員証を見せて回る。
「マジか・・・」
「出し抜かれた・・・?」
優奈と穂波もへなへなと座り込む。
それだけ【ダンテ】は魅力的なバンドだと言うことだろう。
「おい、二郎。レポート出来たら見せてぇなぁ」
「無理ですよぉ、師匠・・・」
二人とも白紙のまま、完全にお手上げのようだ。
「ところで、経営学って誰が講師だっけ?」
「知らんわ、誰か外から来るんやろ」
渡に八郎が応える。
「まさかミネルヴァ学園長って事は無いですよね・・・?」
ミネルヴァの名を聞いて全員の手が止まった。
「それだけは勘弁して欲しいわ・・・」
八郎の独り言に皆が黙って頷く・・・
ガラガラッ
ドアの開く音が聞こえ、皆が振り返った先には葵の姿があった。
「皆、着席っ!」
ガタガタと音を立てて、机を戻す。
それを見止めて、葵は一人の男性を教室に招き入れた。
「今日の経営学の講師、MR.ジェームス・アデルソンです」
「えっ!」
「おいっ、まさか?」
「アデルソンって・・・」
皆の視線がミッシェルに集まった。
「ハァーイ、パパ!」
ジェームズが白い歯を覗かせて微笑み、ミッシェルに軽く手を振る。
「MR.ジェームス・アデルソン、ミッシェルのお父様です」
「皆サン、ミッシェルガ・・・。娘がお世話になってマス」
アデルソンは深々と頭を下げた。
「MR.ミネルヴァからのお願いデ、【経営学】の講師をお引き受けシマシタ。宜シクお願いシマス」
ミッシェルの父親、世界屈指のホテル王そして、米国最大のカジノ王である。
緊張の中、全員が立ち上がり勢いよく頭を下げた。
「宜しくお願いします!」
「皆サン、私も講師は初めてデス。デモ、ホテル経営モ、温泉経営ニ繋ガルト思イマス。緊張シナイデクダサイ」
ジェームズの一言で教室内は和んだ空気に包まれ、授業が始まった。
葵が全員にプリントを配る。
「今後ノ旅館経営は、強い者が生き残るノデハナク、環境ニ合わせて変化した者が生き残るデショウ。時代トカ環境トイウ目に見えない物を感じる必要がアリマス。」
ジェームズの授業は、流石に最前線のホテル王の言葉と誰もが真剣に聞いている。
「例エバ、OTAデス」
OTAとはオンライン・トラベル・エージェントの略語である。
20年ほど前であれば旅行代理店へ行きパンフレットを見ながら説明を受け、旅行を申し込むのが当たり前だったが、今はPCやスマホで必要な情報を集めて個人で予約することが普通になっている。
旅行客にとって安価でタイムリーな情報を発信している旅館は使い勝手の良い旅館となり宿泊客も増えて行き、AIやオンライン決済を多様化することでビジネスインフラが充実し低予算での設備投資も可能になる旨の説明が続いた。
他にも、宿泊したお客さんが投稿する忌憚のない意見や評価は真摯に受け止めて良い点は更に伸ばし、悪い点は早急に改善すること。
料理メニューも通り一遍の懐石ではなく、その土地の名物・名産をもっと積極的に取り入れるとともに照明にも暖色を取り入れたり、廊下に行燈をおいてみるなど、他との差別化を図らなければならないことが次々と話が続く。
「他ニモ資金的な問題に備エテ、銀行や税理士とも協力関係を持ツ事も大切デス」
七瀬が真剣に聞き入ってる姿を見て、アキは渋温泉の事を思い出していた。
90分の授業が終わった。
難しい内容ではあったが、経営者としてのスタンスはしっかりと伝わったようにも見える。
「起立っ! 礼っ!」
「ありがとうございました!」
葵の声とともに皆が一斉に礼を言う。
ジェームズは微笑みを絶やさない。
その直後、葵がミッシェルを手招きする。。
葵とジェームズの間に立つミッシェル。
一瞬静まり返った教室に、葵の声だけが聞こえた。
「突然ですが、ミッシェルがMR.アデルソンと一緒に帰国する事になりました」
「え~っ!!」
アキ達は動揺を隠せないでいる。
一歩前に歩み出たミッシェル・・・
「パパの仕事、手伝う事になったネ。皆とFRIENDに成れて良かったヨ。THANK YOU VERY MUCH!」
パチパチパチ
何処からともなく拍手が巻き起こった。
「ミッシェルぅ、わいはいつでも待ってるでぇ」
珍しく、八郎の目に涙が浮かんでいる。
「ミッシェル・・・、お元気で・・・」
二郎も寂しげだ。
「元気で、頑張れよ!」
渡も涙声になっている。
「BYE、ミッシェル」
「SEE YOU AGAIN」
ハンとケリアンも寂しそうだ。
「また、会えるよね」とアキ。
「メール送るよ」と圭。
「いつまでも友達だからね」と七瀬。
「いつか、アメリカ行くからね」と萌。
「オンラインでいつでも話せるよね」と涼香。
「仕事、頑張れよっ!」と穂波。
「体に気を付けて」と汐音。
「今度、来日したら、すぐ教えてね」っと優奈。
それぞれの胸に万感の思いが込み上がる。
教室の隅で黙っていたカトリーナの唇が「バーイ、ミッシェル・・・」と動いたのはミッシェルの瞳だけが見届けていた。
見送りは寂しさが増すだけと辞退したミッシェルはその日の夕方にジェームズと一緒に帰国の途についた。
アキ達の心の中に一緒に過ごし、楽しかった思い出をしっきりと刻み込んで・・・
授業の後、葵が教室から離れると、反対から歩いて来たゆかりとすれ違う。
「ご苦労さま」
「そちらこそ・・・」
互いに立ち止まることもなく素っ気ない一言を交わしてすれ違うゆかりと葵。
学園を出たゆかりの髪が風にたなびく
「今度は、九州・・・。霧島温泉か・・・」
ゆかりは足早に羽田空港へと向かった。
鹿児島空港まで、空路で2時間40分そこから一時間弱、タクシーに乗ると霧島温泉である。【ホテル大洗】に到着したゆかりは圭の母親である女将からの手厚いもてなしを受けていた。
霧島温泉は弱酸性の硫黄泉であり、天然の泥湯である。
温泉成分を含んだ泥を体や顔に薄く塗って乾燥させ、洗い流すと肌がツヤツヤになることで知られており、泥パックも有名である。
郷土料理として供されたものは、①産卵に向けて脂の乗り切ったきびなごの塩焼き、②ガネ天【サツマイモの千切りを揚げたもので、上がった姿がガネ(この地方ではカニの意味)とよく似ているところからこう呼ばれている】。③薩摩地鶏の刺身(コクがあり、甘く蕩けるような食感が楽しめる。生姜醤油やニンニク醤油を付けると更に食感が増す)であった。
「お心遣い感謝致します」
「いえいえ。圭はどんな感じですか? 皆さんにご迷惑をお掛けしてなければ良いのですが」
ホテルの女将であっても、やはり娘の事となると別であるのはどこも同じようである。
「元気に皆と仲良くやってますよ」
差し障りの無い話をしながら、ゆかりは圭の幼少時へと話題を誘導する。
「大洗の本家が鹿児島市にありまして」
「近くに菩提寺とかお有りで?」
「いえ、ただ・・・」
「ただ?」
「長谷場御墓という所がありまして、圭が小さい頃に偶然、通りかかった時に降りるといって聞かなかったんですよ」
「何かあったんでしょうか?」
「さぁ、ただ・・・。その後から急に和弓に興味を持ち出しまして・・・」
「確か、国体へも出場されてましたよね」
「えぇ。一体、何だったんでしょうね」
(戦国の世で鬼島津と呼ばれた島津義弘か・・・。武門の血が和弓に繋がったかも・・・)
「そうそう、ちょっとお待ちを・・・」
席を外した女将が一枚の写真を持って戻ってくる。
「圭が初めて県大会に出た時の写真です」
小学生くらいの圭が映っている。
(・・・!?)
ゆかりの目が一点に止まった。
「この胸当ては?」
「確か弓のお師匠さんが圭にって、くださったものでしたけど・・・。何か?」
「いえ・・・、別に・・・」
(この胸当て、光を反射して【丸に十の字】が浮かんでいる・・・、島津家の家紋・・・)
圭に関わる武将が島津義弘であるとの確証を得たゆかりのスマホが鳴る。
(また、松永葵?)
そう思いながらも画面に表示されていた着信者名は・・・
「ミネルヴァ学園長っ!?」
ゆかりは慌てて、電話に出る。
「ゆかりです」
「調査の方は?」
「概ね完了です。明日、そちらに戻る予定ですが・・・」
「直ぐに帰京したまえ、そうだな、七時には着けるだろう」
「ま・・・、まぁ、なんとか・・・」
「では、待っている」
ゆかりが葵からの電話を切る時以上に一方的に通話が切られた。
「ふうっ、まったく人使いが荒いんだから・・・。せっかくの霧島温泉で泥パックでもしてのんびりしたかったなぁ・・・。ここしばらくハードスケジュールでお肌のガサガサだし・・・」
普段はクールなゆかりだが、連日の事でかなりお疲れのようだ。
これほどは無いと思われる強行軍であったが、なんとか時間までに学園へと戻ったゆかりが学園長室のドアをノックする。
「入りたまえ」
ミネルヴァの声が聞こえ、ゆかりはドアを開けた。
「失礼します」
入室したゆかりの目に映ったのは、応接ソファに座っている三橋の姿だった。
目が合った三橋は軽く会釈をし、ゆかりは3人分のコーヒーを淹れる。
(三橋・・・、何の用なの・・・。学園長まで・・・)
過去の経緯を考えると、この二人が揃って話す事などはあり得ない。
蔵王での事にしても、DODOTVの事はあまり支障があったとは考えられないだろう。
腑に落ちないことだらけで落ち着かないゆかりだった。
「三橋君、もう一度説明して貰おうか」
ミネルヴァが促す。
「はい。来年度に我がDODOTVでは、【アイドル甲子園】を開催しようと企画しています」
(アイドル甲子園・・・? うちのアイドル部を?)
ゆかりはミネルヴァを見る。
ミネルヴァは面白い見世物を見ているかのように笑みを絶やさない。
「そこで、テルマエ学園のアイドル部にも出場して頂きたいのです。勿論、東京地区予選。全都道府県の代表チームのリーグ戦を勝ち残って行くのは実力のみです。八百長は一切ありません」
「もし、アイドル部が途中脱落したら?」
ゆかりの厳しい視線が三橋を射竦める。
(橘ゆかり・・・、なんてプレッシャーだ。だが、俺もここは引けねぇっ!)
アイドル部のコンサートを見た三橋は、アイドル部がこれまでにないユニットとして大成長するであろう事を確信していた。
プロデューサーとしての勘である。
(だからうちの社長と西京新聞を説得して、ここまで乗り込んだんだ・・・)
「実力が伴わなければ敗退するのは当然・・・。だがあの娘達なら、やれるっ!」
「どう思うかな? ゆかり君?」
(私も試されている・・・?)
一瞬の沈黙が訪れた。
「面白いですね・・・」
ゆかりの表情に微笑みが戻った。
(ふうん、こんな企画を持ち出してくるなんて・・・。食えない男ね・・・。でも、学園長に売り込んで来たところは・・・)
ゆかりの唇が一瞬歪んだかに見えたが、一瞬の事で三橋も気が付いていない。
「成功すれば良し。失敗すれば、DODOTVの責任・・・。三橋君も引責辞任を覚悟しているようだ・・・」
ミネルヴァがにやりと笑って三橋の対応を伺っている。
「無論、承知の上です・・・」
三橋は唇を噛みしめて応える。
強く噛み過ぎたのか唇から一筋の血が流れ出た。
(ミネルヴァのおっさん、ケンカ腰かよ。だが、俺も男だ。引き下がれねぇっ!)
プロデューサーとしての手腕が試される何よりのチャンスが到来していた。
「話は決まったな。楽しみにしている・・・」
かつての時のように埃を払うような仕草はない、あのミネルヴァと対等に渡り合ったという自信が三橋の中に更なる闘志の炎を燃え上がらせていた。
(さぁ、これから忙しくなるぞっ!)
パンッ!
と音を立てて、両掌で顔を叩いた三橋はDODOTVへと急ぐ。
「学園長・・・、あれでよろしかったのですか? 三橋はプロデューサーとしては及第点ですが・・・」
ゆかりがミネルヴァに問いかける。
「一応、敏腕プロデューサーと呼ばれているようだ。どこまでやってくれるか見てみたいと思ってな・・・」
「転んでもタダでは起きない男ですし・・・」
「DODOTVと西京新聞をごり押ししてきた所は評価しても良かろう。何よりも、どこまで成長するかを見てみたい」
「三橋ですか? それとも・・・」
ゆかりの質問はミネルヴァの不適な笑みで返された。
「君も多忙だが、アイドル部の事も仕切って貰おう。弾と葵は好きに使って構わん・・・。後、三橋もな・・・」
「お任せください」
これまでに見た事が無いほど楽しそうに笑っているミネルヴァに一礼し、ゆかりは学園長室を後にする。
(DODOTVにアイドル部・・・。儂の駒としてしっかりと働いて貰おうか・・・。名を売り・稼げっ! 儂は玉座から見物しておいてやる・・・)
ミネルヴァのどす黒い欲望は留まる事を知らない・・・。
機内には一人の男性の姿がある。
ジェームス・アデルソン、ラスベガスでカジノとホテルを複数経営する大富豪である。
「僅カ、数ケ月で再び来る事にナルトハ・・・」
米国大統領とも直接会話できるほどの彼がお忍びで来日したのはこれで二回目であった。
テルマエ学園では、ミネルヴァとゆかりが密かに話を交わしている。
「ご苦労だったな、ゆかり君・・・。そのまま引き続いて調査に当たって貰おうか」
「承知しました。では・・・」
ゆかりが一礼し、学園長室を後にする。
(温水アキ・・・、か・・・)
ミネルヴァがアキの名を呟いていた。
前回の十津川温泉で全ての温泉実習を終えたアキ達は教室でレポートの作成に追われている。
「今日が最後の授業かぁ」
七瀬がため息をつき、アキが応える。
「あっという間の一年だったね」
「あち、もうレポート無理ぃ・・・」
珍しく穂波が弱気な言葉を漏らす。
「ボクもそろそろ、スケボーの練習しないと・・・」
萌も同じ事を感じてたようだ。
「うちもバイトが・・・」
優奈がため息交じりに言う。
「あたしもずっと五郎待たせてるし・・・」
圭も流石に、レポートに埋もれて五郎を待たせ続けている事に気を使っているようだ。
「デート待たせてはっかだったら、浮気したりしてぇ・・・」
汐音が悪戯っぽく笑いながら圭を茶化す。
「えっ!? ううん、大丈夫・・・。五郎に限ってそんな事ないし・・・」
「えっ! ちょっと不安とかぁ・・・?」
「いや、そんなんじゃ無いけど・・・。そう言う涼香は?」
「えへっ! 【ダンテ】のコンサートチケット取れたんだっ!」
「エ~っ!」
皆が声を揃えて驚く。
「涼香ちゃん、【ダンテ】ファンだったっけ?」
「それ、初耳だしっ!?」
アキと七瀬が矢継ぎ早に問いかける。
「ファンになったんだよね~。涼香ちゃん!」
「うんっ!」
汐音のウィンクに恥ずかしそうに涼香が応える。
竜馬に曲の演奏を指導して貰っているうちにファンになったようだ。
「ハンも、【ダンテ】のファンだヨ」
ハンは誇らしげに、ファンクラブの会員証を見せて回る。
「マジか・・・」
「出し抜かれた・・・?」
優奈と穂波もへなへなと座り込む。
それだけ【ダンテ】は魅力的なバンドだと言うことだろう。
「おい、二郎。レポート出来たら見せてぇなぁ」
「無理ですよぉ、師匠・・・」
二人とも白紙のまま、完全にお手上げのようだ。
「ところで、経営学って誰が講師だっけ?」
「知らんわ、誰か外から来るんやろ」
渡に八郎が応える。
「まさかミネルヴァ学園長って事は無いですよね・・・?」
ミネルヴァの名を聞いて全員の手が止まった。
「それだけは勘弁して欲しいわ・・・」
八郎の独り言に皆が黙って頷く・・・
ガラガラッ
ドアの開く音が聞こえ、皆が振り返った先には葵の姿があった。
「皆、着席っ!」
ガタガタと音を立てて、机を戻す。
それを見止めて、葵は一人の男性を教室に招き入れた。
「今日の経営学の講師、MR.ジェームス・アデルソンです」
「えっ!」
「おいっ、まさか?」
「アデルソンって・・・」
皆の視線がミッシェルに集まった。
「ハァーイ、パパ!」
ジェームズが白い歯を覗かせて微笑み、ミッシェルに軽く手を振る。
「MR.ジェームス・アデルソン、ミッシェルのお父様です」
「皆サン、ミッシェルガ・・・。娘がお世話になってマス」
アデルソンは深々と頭を下げた。
「MR.ミネルヴァからのお願いデ、【経営学】の講師をお引き受けシマシタ。宜シクお願いシマス」
ミッシェルの父親、世界屈指のホテル王そして、米国最大のカジノ王である。
緊張の中、全員が立ち上がり勢いよく頭を下げた。
「宜しくお願いします!」
「皆サン、私も講師は初めてデス。デモ、ホテル経営モ、温泉経営ニ繋ガルト思イマス。緊張シナイデクダサイ」
ジェームズの一言で教室内は和んだ空気に包まれ、授業が始まった。
葵が全員にプリントを配る。
「今後ノ旅館経営は、強い者が生き残るノデハナク、環境ニ合わせて変化した者が生き残るデショウ。時代トカ環境トイウ目に見えない物を感じる必要がアリマス。」
ジェームズの授業は、流石に最前線のホテル王の言葉と誰もが真剣に聞いている。
「例エバ、OTAデス」
OTAとはオンライン・トラベル・エージェントの略語である。
20年ほど前であれば旅行代理店へ行きパンフレットを見ながら説明を受け、旅行を申し込むのが当たり前だったが、今はPCやスマホで必要な情報を集めて個人で予約することが普通になっている。
旅行客にとって安価でタイムリーな情報を発信している旅館は使い勝手の良い旅館となり宿泊客も増えて行き、AIやオンライン決済を多様化することでビジネスインフラが充実し低予算での設備投資も可能になる旨の説明が続いた。
他にも、宿泊したお客さんが投稿する忌憚のない意見や評価は真摯に受け止めて良い点は更に伸ばし、悪い点は早急に改善すること。
料理メニューも通り一遍の懐石ではなく、その土地の名物・名産をもっと積極的に取り入れるとともに照明にも暖色を取り入れたり、廊下に行燈をおいてみるなど、他との差別化を図らなければならないことが次々と話が続く。
「他ニモ資金的な問題に備エテ、銀行や税理士とも協力関係を持ツ事も大切デス」
七瀬が真剣に聞き入ってる姿を見て、アキは渋温泉の事を思い出していた。
90分の授業が終わった。
難しい内容ではあったが、経営者としてのスタンスはしっかりと伝わったようにも見える。
「起立っ! 礼っ!」
「ありがとうございました!」
葵の声とともに皆が一斉に礼を言う。
ジェームズは微笑みを絶やさない。
その直後、葵がミッシェルを手招きする。。
葵とジェームズの間に立つミッシェル。
一瞬静まり返った教室に、葵の声だけが聞こえた。
「突然ですが、ミッシェルがMR.アデルソンと一緒に帰国する事になりました」
「え~っ!!」
アキ達は動揺を隠せないでいる。
一歩前に歩み出たミッシェル・・・
「パパの仕事、手伝う事になったネ。皆とFRIENDに成れて良かったヨ。THANK YOU VERY MUCH!」
パチパチパチ
何処からともなく拍手が巻き起こった。
「ミッシェルぅ、わいはいつでも待ってるでぇ」
珍しく、八郎の目に涙が浮かんでいる。
「ミッシェル・・・、お元気で・・・」
二郎も寂しげだ。
「元気で、頑張れよ!」
渡も涙声になっている。
「BYE、ミッシェル」
「SEE YOU AGAIN」
ハンとケリアンも寂しそうだ。
「また、会えるよね」とアキ。
「メール送るよ」と圭。
「いつまでも友達だからね」と七瀬。
「いつか、アメリカ行くからね」と萌。
「オンラインでいつでも話せるよね」と涼香。
「仕事、頑張れよっ!」と穂波。
「体に気を付けて」と汐音。
「今度、来日したら、すぐ教えてね」っと優奈。
それぞれの胸に万感の思いが込み上がる。
教室の隅で黙っていたカトリーナの唇が「バーイ、ミッシェル・・・」と動いたのはミッシェルの瞳だけが見届けていた。
見送りは寂しさが増すだけと辞退したミッシェルはその日の夕方にジェームズと一緒に帰国の途についた。
アキ達の心の中に一緒に過ごし、楽しかった思い出をしっきりと刻み込んで・・・
授業の後、葵が教室から離れると、反対から歩いて来たゆかりとすれ違う。
「ご苦労さま」
「そちらこそ・・・」
互いに立ち止まることもなく素っ気ない一言を交わしてすれ違うゆかりと葵。
学園を出たゆかりの髪が風にたなびく
「今度は、九州・・・。霧島温泉か・・・」
ゆかりは足早に羽田空港へと向かった。
鹿児島空港まで、空路で2時間40分そこから一時間弱、タクシーに乗ると霧島温泉である。【ホテル大洗】に到着したゆかりは圭の母親である女将からの手厚いもてなしを受けていた。
霧島温泉は弱酸性の硫黄泉であり、天然の泥湯である。
温泉成分を含んだ泥を体や顔に薄く塗って乾燥させ、洗い流すと肌がツヤツヤになることで知られており、泥パックも有名である。
郷土料理として供されたものは、①産卵に向けて脂の乗り切ったきびなごの塩焼き、②ガネ天【サツマイモの千切りを揚げたもので、上がった姿がガネ(この地方ではカニの意味)とよく似ているところからこう呼ばれている】。③薩摩地鶏の刺身(コクがあり、甘く蕩けるような食感が楽しめる。生姜醤油やニンニク醤油を付けると更に食感が増す)であった。
「お心遣い感謝致します」
「いえいえ。圭はどんな感じですか? 皆さんにご迷惑をお掛けしてなければ良いのですが」
ホテルの女将であっても、やはり娘の事となると別であるのはどこも同じようである。
「元気に皆と仲良くやってますよ」
差し障りの無い話をしながら、ゆかりは圭の幼少時へと話題を誘導する。
「大洗の本家が鹿児島市にありまして」
「近くに菩提寺とかお有りで?」
「いえ、ただ・・・」
「ただ?」
「長谷場御墓という所がありまして、圭が小さい頃に偶然、通りかかった時に降りるといって聞かなかったんですよ」
「何かあったんでしょうか?」
「さぁ、ただ・・・。その後から急に和弓に興味を持ち出しまして・・・」
「確か、国体へも出場されてましたよね」
「えぇ。一体、何だったんでしょうね」
(戦国の世で鬼島津と呼ばれた島津義弘か・・・。武門の血が和弓に繋がったかも・・・)
「そうそう、ちょっとお待ちを・・・」
席を外した女将が一枚の写真を持って戻ってくる。
「圭が初めて県大会に出た時の写真です」
小学生くらいの圭が映っている。
(・・・!?)
ゆかりの目が一点に止まった。
「この胸当ては?」
「確か弓のお師匠さんが圭にって、くださったものでしたけど・・・。何か?」
「いえ・・・、別に・・・」
(この胸当て、光を反射して【丸に十の字】が浮かんでいる・・・、島津家の家紋・・・)
圭に関わる武将が島津義弘であるとの確証を得たゆかりのスマホが鳴る。
(また、松永葵?)
そう思いながらも画面に表示されていた着信者名は・・・
「ミネルヴァ学園長っ!?」
ゆかりは慌てて、電話に出る。
「ゆかりです」
「調査の方は?」
「概ね完了です。明日、そちらに戻る予定ですが・・・」
「直ぐに帰京したまえ、そうだな、七時には着けるだろう」
「ま・・・、まぁ、なんとか・・・」
「では、待っている」
ゆかりが葵からの電話を切る時以上に一方的に通話が切られた。
「ふうっ、まったく人使いが荒いんだから・・・。せっかくの霧島温泉で泥パックでもしてのんびりしたかったなぁ・・・。ここしばらくハードスケジュールでお肌のガサガサだし・・・」
普段はクールなゆかりだが、連日の事でかなりお疲れのようだ。
これほどは無いと思われる強行軍であったが、なんとか時間までに学園へと戻ったゆかりが学園長室のドアをノックする。
「入りたまえ」
ミネルヴァの声が聞こえ、ゆかりはドアを開けた。
「失礼します」
入室したゆかりの目に映ったのは、応接ソファに座っている三橋の姿だった。
目が合った三橋は軽く会釈をし、ゆかりは3人分のコーヒーを淹れる。
(三橋・・・、何の用なの・・・。学園長まで・・・)
過去の経緯を考えると、この二人が揃って話す事などはあり得ない。
蔵王での事にしても、DODOTVの事はあまり支障があったとは考えられないだろう。
腑に落ちないことだらけで落ち着かないゆかりだった。
「三橋君、もう一度説明して貰おうか」
ミネルヴァが促す。
「はい。来年度に我がDODOTVでは、【アイドル甲子園】を開催しようと企画しています」
(アイドル甲子園・・・? うちのアイドル部を?)
ゆかりはミネルヴァを見る。
ミネルヴァは面白い見世物を見ているかのように笑みを絶やさない。
「そこで、テルマエ学園のアイドル部にも出場して頂きたいのです。勿論、東京地区予選。全都道府県の代表チームのリーグ戦を勝ち残って行くのは実力のみです。八百長は一切ありません」
「もし、アイドル部が途中脱落したら?」
ゆかりの厳しい視線が三橋を射竦める。
(橘ゆかり・・・、なんてプレッシャーだ。だが、俺もここは引けねぇっ!)
アイドル部のコンサートを見た三橋は、アイドル部がこれまでにないユニットとして大成長するであろう事を確信していた。
プロデューサーとしての勘である。
(だからうちの社長と西京新聞を説得して、ここまで乗り込んだんだ・・・)
「実力が伴わなければ敗退するのは当然・・・。だがあの娘達なら、やれるっ!」
「どう思うかな? ゆかり君?」
(私も試されている・・・?)
一瞬の沈黙が訪れた。
「面白いですね・・・」
ゆかりの表情に微笑みが戻った。
(ふうん、こんな企画を持ち出してくるなんて・・・。食えない男ね・・・。でも、学園長に売り込んで来たところは・・・)
ゆかりの唇が一瞬歪んだかに見えたが、一瞬の事で三橋も気が付いていない。
「成功すれば良し。失敗すれば、DODOTVの責任・・・。三橋君も引責辞任を覚悟しているようだ・・・」
ミネルヴァがにやりと笑って三橋の対応を伺っている。
「無論、承知の上です・・・」
三橋は唇を噛みしめて応える。
強く噛み過ぎたのか唇から一筋の血が流れ出た。
(ミネルヴァのおっさん、ケンカ腰かよ。だが、俺も男だ。引き下がれねぇっ!)
プロデューサーとしての手腕が試される何よりのチャンスが到来していた。
「話は決まったな。楽しみにしている・・・」
かつての時のように埃を払うような仕草はない、あのミネルヴァと対等に渡り合ったという自信が三橋の中に更なる闘志の炎を燃え上がらせていた。
(さぁ、これから忙しくなるぞっ!)
パンッ!
と音を立てて、両掌で顔を叩いた三橋はDODOTVへと急ぐ。
「学園長・・・、あれでよろしかったのですか? 三橋はプロデューサーとしては及第点ですが・・・」
ゆかりがミネルヴァに問いかける。
「一応、敏腕プロデューサーと呼ばれているようだ。どこまでやってくれるか見てみたいと思ってな・・・」
「転んでもタダでは起きない男ですし・・・」
「DODOTVと西京新聞をごり押ししてきた所は評価しても良かろう。何よりも、どこまで成長するかを見てみたい」
「三橋ですか? それとも・・・」
ゆかりの質問はミネルヴァの不適な笑みで返された。
「君も多忙だが、アイドル部の事も仕切って貰おう。弾と葵は好きに使って構わん・・・。後、三橋もな・・・」
「お任せください」
これまでに見た事が無いほど楽しそうに笑っているミネルヴァに一礼し、ゆかりは学園長室を後にする。
(DODOTVにアイドル部・・・。儂の駒としてしっかりと働いて貰おうか・・・。名を売り・稼げっ! 儂は玉座から見物しておいてやる・・・)
ミネルヴァのどす黒い欲望は留まる事を知らない・・・。
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