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第6話 七瀬・姉妹の絆

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その頃、渋温泉では・・・
「ですから、奈美さんっ!」
「あなたに名前で呼ばれる所以はありませんっ!」
星野荘を早瀬駆が幾度となく訪れていた。
「いゃ・・・、では星野さん。このリゾート計画はあなたたちにとってもメリットなんです」
「いいえ、私たちはこのままの形で渋温泉を残していきます」
駆は何度となくここを訪れ、渋温泉一帯のリゾート計画を進めようとしたがどの旅館も老舗である二つの旅館に従うと言い出していたことから計画そのものがとん挫していた。

もともと、早瀬コンツェルンの総帥である早瀬将一郎はこの計画を次男の渡を責任者として推し進めるよう指示を出していた。
しかし、弟にこんな大手柄を独り占めさせる気はないと駆は勝手に交渉を開始していたのだ。

(くそっ、ブラフマーの情報だとこの星野荘と温水屋のどっちかを口説き落とせば楽勝って聞いてたのに・・・)

温水屋の女将は高齢でありかなりの頑固ものと聞いていたこともあり、五年前に急遽この星野荘を継いだ奈美に狙いをつけたのだが、思っていた以上に芯が強く苦戦していた。
更に、駆は奈美に会った瞬間に一目ぼれしてしまい交渉がまったく進まなくなっていた。

(このままじゃ、ミスターSになんて言ったらいいんだ・・・、後は悔しいがアイツを使って・・・)

駆の考えた最後の手は渡をこの渋温泉に呼び出し、一緒に交渉の場に出すことでテルマエ学園にいる奈美の妹をダシにして何とかしようということだった。

(もし、これで失敗したら責任を渡に押し付けて俺は仕切り直しすればいいんだ・・・。そのときはミスターSだってなんとか乗ってくるだろう・・・)



東京から高速バスで三時間強、長野駅から電車とバスを一時間ほど乗り継いだところに信州・渋温泉がある。
ノスタルジックな石畳の温泉街の一角にアキと七瀬の生家である温水屋と星野荘がひっそりと佇んでいる。

「だたいまっ! 弥生さんっ!」
「まぁ! アキさんっ!」
アキに慌ただしく駆け寄ったのは、この温水屋で仲居頭を務めている荻ノ沢弥生である。
「女将さんっ! アキさんが帰って来られましたよっ!」
弥生が奥に向かって大声を上げる。
「何ですか、弥生さんっ! 玄関で騒がしいですよっ!」
奥から威厳と貫禄が備わっている女将の温水ハルが現れ、じっとアキを見つめる。
「アキ、学校はどうしたんだいっ?」
もともと反対されていたものを無理やり説得して行ったこともあり、相変わらずの厳しい物言いにアキもしどろもどろになる。
「あの・・・、夏休みで・・・。おばあちゃん・・・、ただいま・・・」

アキと七瀬はお互いの家族をびっくりさせようとして、帰省することを内緒にしていたのだが裏目に出てしまったのかも知れない。
「アキっ! 何突っ立ってるんだいっ。邪魔になるから早く中にお入りっ!」
ハルはアキを置いて、さっさと奥座敷に入っていく。
その後ろ姿を見ながら、アキの荷物を持った弥生がくすくすと笑っている。
「女将さん、アキさんが急に帰ってこられたんでびっくりしながらも本当は嬉しくてたまらないんですよ」
「おばあちゃん、怒ったのかと・・・」
「まったく、素直じゃありませんね」
アキはホッと胸をなでおろし、弥生と並んでハルを追いかけるように奥座敷へと向かった。

一方、七瀬は十歳年上の姉、奈美と一緒に温泉に入っていた。
「久しぶりね、こうやって七瀬と一緒に温泉につかるのも」
「学園にも温泉はあるけど、やっばりうちが一番」
「そうそう、七瀬っ!」
「んっ?」
「お土産のポーチ、ありがとうね。ちょうど化粧品がたくさん入るのが欲しかったの」
「いえいえ、どういたしまして。それより姉貴、すっかり若女将してるねぇ」
「もう、五年も経つものね・・・」

五年前、交通事故で両親と妹を失ってから奈美は七瀬を育てながらこの星野荘を切り盛りしてきたのだ。
「温水さんにもお世話になりっぱなし・・・」
急な事故で家族を失った奈美を支えてきたのが、ハルだった。
ハルは渋温泉の老舗である星野荘を残し守るために援助を惜しまなかった。
アキと七瀬が同い年だったこともあり、家族のような付き合いとなったこともその結果といえるかも知れない。

「渋温泉はナトリウムとカルシュウム・鉄分が含まれていて、黄色がかった濁り湯が特徴的な美肌効果満点の温泉です」
「七瀬っ?」
「もう、姉貴ったら・・・。暗くなっちゃダメだよ」

七瀬も一夜にして姉と二人っきりになってしまった日、奈美に抱き支えられていた自分はあまりにも幼かった。

(でも、あたしもしっかりしないと・・・、姉貴ばかりに甘えてられないんだから・・・)

そう決意した日のことは今でもしっかりと覚えている。

(お父さん・お母さん・菜緒姉ちゃん・・・)
「そうだ、七瀬っ!」
七瀬を見つめていた奈美が話題を変えるように明るく話しかける。
「テレビ、観たわよっ! ラインダンス、決まってたじゃないっ! アイドル顔負けって感じでっ!」
「やだぁ、観てたんだ。・・・アイドル部なんてね」
「アキちゃんも元気そうだったし、ハルさん、ずっとテレビにかじりついて観てたんだって。弥生さんが言ってたわ」
「へーっ、あの頑固婆さんがねぇ」
姉妹の会話は湯煙とともに続いた。
「姉貴、明日から旅館手伝うからね」
「期待してるわよ、七瀬っ! でも・・・」
「どうしたの?」
「ううん、何でもないの」
確かに東京に行く前の奈美と違い、何か疲れているようだと七瀬は感じていた。
「旅館の経営とか、かな・・・」
後に七瀬は渋温泉が大きな問題の発端になろうとしていることを知ることになる。


一方、温水屋ではハルとアキそして弥生が夕食をとっていた。
信州名物、ざる蕎麦を用意したのは他ならぬハルだった。
「おばあちゃんと弥生さんにお土産があるんだけど・・・、アルバイトして買ったの・・・」
アキは、ハルに柘植の櫛を弥生にはコーチのミニ財布を買っていた。
「アキさん、ありがとう。ブランドものですよね、大切に使わせて頂きます」
弥生は早速、小銭をミニ財布に移している。
「ふん、土産なんて買わなくていいからさっさと帰ってきたら・・・っ! まぁ、せっかくだから使わせて貰うよ。ありがとう、アキ」
つい本音が出そうななったハルだったが、意地を張ろうとしているようだった。
だが、顔と目が笑っているようだった。
仲居頭の弥生はハルの信頼も厚く、星野荘の事故直後はハルの支持で奈美を陰から支えていたことはアキも知っている。
またアキにとっても母親代わりのような存在であり、まさに家族の一員といって差し支えない存在である。
三人の話題はアキの学園生活が中心になり、遅くまで話し声が聞こえていた。
ただ時折、ハルが目を曇らせていたことにアキは気付いていなかった。


「おはよーっ、アキ居ます?」
翌朝、七瀬と奈美が温水屋を訪れた。
「おや、七瀬ちゃん。久しぶりだねぇ、アキがいつも迷惑かけて・・・」
七瀬の顔を見て、ハルの顔がパッとほころぶ。
「あっ、七瀬っ、・・・と奈美さん!」
庭で久しぶりに日本猿のタロと花子に餌をあげていたアキが玄関へと走ってきた。
「これっ、アキっ!」
ハルが叱る様子を見て、奈美がほほ笑む。
「ふふっ、アキちゃん、お久しぶり。七瀬がお世話になりっぱなしで・・・」
奈美の挨拶を聞いて、やっぱり美人若女将だなぁとつくづく感心するアキ。
「じゃあ、奈美さん。行こうか」
「はい」
「留守は頼むよ、弥生さん」
「いってらっしゃいませ、女将さん」
ハルと奈美を見送ったアキが七瀬に尋ねる。
「今日って何かあるの?」
「えっ!? アキ、あんた知らないの??」
「えぇっ、なになになに!?」
救いを求めるようにアキの視線が弥生に向けられる。
「今日は、泉華の会合なんですよ」
「泉華って?」
「アキ、本当に知らなかったの? 泉華っていうのは渋温泉の女将の会で毎月会合があるんだって」
「へーっ、知らなかったぁ」
「なんでも東京の会社がこのあたり一帯をリゾート開発したいって言ってきてて大変みたいなんですよ」
「まさか、それってっ!?」
アキと七瀬が弥生に詰め寄った。
「テルマエとか、ミネルヴァとかっ?」
「いえ。違いますよ・・・、確か早瀬なんとかって・・・」
「早瀬・・・?」
「まさかぁ・・・」
「そんなに珍しい苗字でもないしね」
アキと七瀬の勘が当たっていたことが後にわかることになる。



「お前を呼んだのは訳ありでな・・・」
渋温泉へと向かう高級車のなかで駆が渡に話しかけている。
「親父がお前をこの計画の責任者にしろってうるさくて仕方がない・・・」
「俺はまだ学生だし、会社のことに興味は無い」
「ガキのくせに口だけは達者になったな・・・」
渡は駆と目を合わそうともしない。
「とりあえず、下準備だけはしておいてやったから、後はお前がなんとかしろ」
「常務、例の件は・・・?」
運転席の男が二人の会話に割って入った。
「ミスターSのことか・・・、まぁ、話しておくとするか」

駆は、渋温泉一体を総合リゾート化する資金を中国企業が用意しその実行を自分たち早瀬コンツェルンが担うことを手短に話した。
「つまり、お前は名前だけだしておけばいいんだ、後は俺がうまくやっとく」
「じゃあ、なんで俺がその渋温泉に行かなきゃいけないんだ?」
「・・・」
「言えないことか?」
「まぁ、知っておいてもいいだろう。お前には、星野荘とできれば温水屋を説得してもらいたい」
「星野と・・・、温水・・・」
「確か、同級生にいたんじゃなかったか?」
(七瀬と、アキ・・・)
「図星のようだな・・・、いつまでも古臭い温泉じゃ将来がないって教えてやってくれよ。 お前、温泉経営の専門学生なんだからそれくらいできるだろ」
「親父は知ってるのか?」
「お前は知らなくていい・・・、それと俺が有能な経営者だと説明して欲しい相手がいる」
「ふっ、兄貴が、有能・・・?」
「お前は黙って俺の言うことを聞いてればいいんだっ!」
「間もなくです・・・」
渡たちの乗った車が渋温泉に到着しようとしていた。



泉華へと出かけたハルと奈美を見送ったあと、アキと七瀬は温水屋の応接間でくつろいでいた。
「すぐ、お茶とお菓子をお持ちしますね」
そういって、弥生は部屋を出る。
応接間といっても半分はハルの居室も兼ねており、アキにとっては懐かしさの詰まっている部屋でもある。
「おばぁちゃんの部屋かぁ、なんだか久しぶり」
アキは懐かしそうに部屋全体を見回す。
「失礼します」
弥生が茶と菓子を運んできた。
「女将さん、テレビでアキさんと七瀬さんを見てとても喜んでおられたんですよ。ダンスが上手だ・・・。やっぱり、あたしが育てた子だよ。なんて、おっしゃってたんですから」
「へーっ、意外っ!」
「急に思い立ったように昔のレコードとかを出してきて歌ったりされていて・・・」
弥生のおしゃべりは止まりそうもない。
ふと、見ると部屋の隅に蓋の空いた段ボール箱がある。
中には昭和を代表するアイドルたちのレコードがいくつも入っていた。
「うわぁ、レトロ~!山田百華に、ピンキーレィディ・・・、それと・・・、山木リンカ?」
「おばぁちゃん、大切にしてたんだ。そうだ、ステレオで聞いてみようよ」
部屋に置かれているステレオはアキが子供のころからずっとこの部屋にあり、いつもハルが手入れをしていた。
「じゃぁ、私が・・・」
弥生が一枚のレコードを取り出し、盤面にセットする。

♬♪♬♪♬♪~

曲が流れる、今流行りのものと違ってゆっくりしたテンポの曲だ。
弥生は口ずさんでいるが、アキと七瀬は歌詞を知らないので黙って聞き入っている。
「これって、コマーシャルで聴いたことあるよね」っと七瀬。
しばらく聴いていると突然、アキが大声を出した。
「閃いたよっ! 七瀬っ!」
突然のことで、七瀬も弥生もきょとんとしている。
「どーしたのっ!? アキっ!?」
「これよっ! この昔の歌とか衣装とかをアイドル部に取り入れるのっ!」
アキの声が上ずっている。
「えっ!? 確かに・・・それ、いいかもっ!!」
七瀬も同調していた。
「最近、カバー曲とかでも流行ってますからね」
弥生もなぜか乗り気になっていた。
「いけるよ、これっ!」
「でも、レコードじゃ・・・っ! ネットで音源取って・・・」
「動画のサイトも調べてみようよっ!」
思いがけないところでアイドル部の進む方向を見出したことは幸運だったと言えるだろうか。
(おばぁちゃん、ありがとう)
アキは心の中で、ハルに感謝していた。



昼を過ぎたころ女将の会の会合を終え、ハルと奈美が戻ってきた。
「それじゃ、またね」
「うん」
七瀬は奈美と並び連れ添って歩き出した。
「さて、旅館のお手伝いっと・・・」
旅館に戻ろうとしたアキの横を一台の車が通りすぎた。
(凄い高級車・・・、っ!?)
一瞬だが、後部座席に座っている男の姿が見えた。
(えっ、渡っ!? まさかっ!?)
「また、来やがったね」
ハルが毒づいた。
「おばあちゃん、知ってるの?」
「あぁ、ここをリゾートなんとかにするって星野荘に何度も来てるんだよ。確か、早瀬なんとかって言ってたね」
「女将さん、あのこと・・・」
弥生は何かを言いたげだ。
「そうだね・・・、教えておくときかも知れないね・・・」


ハルの話によると渋温泉も客離れが進み、どの旅館も経営が苦しくなっているようだ。
特に五年前に急な事故で両親と妹を失った奈美の星野荘は更に経営が苦しくなっていた。
ハルは弥生を派遣したりして何とか援助してきたのだが、温泉そのものの人気が低迷していることもありかなり厳しい状況であった。
そこに早瀬コンツェルンが巨額の資本を引っ提げて乗り込んできていたのだ。
資金を融資するといっても、実際は旅館そのものを買い取ってしまい一斉に渋温泉一帯を総合リゾートランドに変えてしまおうという計画らしい。
各旅館は老舗の温水屋と星野荘に従うという気持ちなのだが、何よりも資金難が問題になっていた。
特に星野荘の資金繰りが厳しくなっており、そこに早瀬コンツェルンが付け込んでいるきたというのだ。
更に早瀬コンツェルンの常務という男が、奈美に一目ぼれしたということで何度も何度も星野荘を訪れていることもあり、今日の泉華もそのことで皆の結束を固めるために集まったのだという。


「わたし、行ってくるっ!」
「お待ち、アキっ! お前が行ったところで・・・」
ハルの制止も聞かずに走り出すアキ。
(ダメだよ、渋温泉がなくなっちゃうなんて・・・)


温水屋と星野荘は、同じ温泉街にあり十分ほど歩けば着くところにある。
その星野荘の前に、黒塗りの高級車数台が止まっていた。
玄関先にスーツ姿の男が数人立ち並び、仲居が応対に四苦八苦している。
「何、あれっ?」
温水屋から戻ってきた七瀬が怪訝な表情を見せる。
「七瀬は気にしなくていいから」
奈美の表情が曇っているのが見て取れていた。
七瀬と奈美が星野荘の間口につくと、止まっていた車のドアが開いた。
運転手らしき男が恭しくドアを開ける。
「おやおや、奈美さん。今日はお留守かと思いましたよ」
「何度来られてもお話することはありませんし、あなたから名前で呼ばれる謂れも無いと申し上げた筈です」
奈美は、駆を睨みつけながら言った。
「姉貴っ、この人 誰 ?」
不穏な空気を感じて七瀬も駆を睨む。
「早瀬コンツェルンの常務さん。ここを買収しようとしつこいの。私はその気は無いっていってるのにっ!」
(早瀬って・・・?)
「こちらが妹の七瀬ちゃんですか? いゃ、本当にかわいい。ラインダンスもお得意のようですし・・・」
(こいつっ!)
「ほら、お前の出番だっ!」
駆の降りた方と反対側のドアが開き、そこから男が下りた。
「やっばり・・・、まさかって思ってたけど・・・」
七瀬が言葉を詰まらせる。
「七瀬、誰なの?」
奈美が妹の異常に気付いた。
「早瀬・・・、渡・・・。テルマエ学園の同級生よっ!」
「いや、偶然というのは本当に恐ろしいものだ。まさか、奈美さんの妹と渡が知り合いだったなんて・・・、これも運命じゃないですか?」
「渡、あんたこの目的の為にあたしとアキに近づいたのっ!?」
渡は黙っている。
(そうだ、そのまま黙っていろ。そうすれば結果は肯定したことになるんだ)
駆は思っていた以上の展開を喜んでいるように見える。
「七瀬っ! 渡っ!」
沈黙を破ったのは、息せき切って走ってきたアキの一言だった。
「おや、これはアイドル部の温水アキさんじゃないですか、弟がいつもお世話になってます」
(弟っ!?  やっぱりっ!?)
「俺は・・・」
渡の口が開いた。
誰もが次の一言を様々な思いで待つ・・・
「ここのリゾート計画の責任者は俺だ。兄貴じゃないっ!」
「えっ、何言ってるの?」
「おい、渡っ! お前何言いだすんだっ!?」
周囲を取り囲んでいたスーツ姿の男たちも動揺を隠せない。
「リゾート計画は一旦白紙に戻す。親父には俺が話すっ!」
「おっ、おい・・・、何勝手に言ってんだよっ!」
「早瀬の総帥が、俺を責任者にしたんだろ? 文句は親父に言えっ!」
周囲は静まり返った。

当然だろう、早瀬コンツェルンの総裁が決めた責任者がこう言っているのだ。
例え常務であってもこの件については逆らえない。
「七瀬、アキ・・・。このことはついさっき知ったんだ・・・。でも、兄貴の好きにはさせない」
「渡・・・」
「いいか渡、これは早瀬だけの問題じゃないんだ! ミスターSだって黙ってない」
「そんな奴は知らない。俺は東京に戻る」
淡々と言い放った渡は踵を返して皆に背を向けて歩き出す。
(先に親父との話をつけてから来るべきだった・・・。アキ、七瀬 本当はここに居た方が良いとは思うけど、先に親父を押さえておきたいんだ。すまない・・・)
「いつもの渡と感じが違った・・・ね」
「でも、私たちの敵じゃない・・・みたい」
アキと七瀬は互いを見つめ合っていた。


「渡のことは後でなんとでもするが・・・、奈美さん?」
駆が奥歯にものの挟まったような言い方で話し始めた。
「ところで、この星野荘の銀行の返済も滞ってるんじゃなかったんですか?」
「えっ、本当なの? 姉貴っ?」
「っ! なぜそんなことっ!」
「簡単ですよ、世の中には銀行の取引内容とか口座の残高とかも調べてくれる便利な存在だってあるんですよ」
奈美は、黙っている。
黙っていることが、駆の言ったことが真実であると認めていた。
「どうですか? リゾート計画は後にして、俺と結婚してくださいよ。俺だったらここの借金を全部肩代わりできる」

駆の頭にはとにかくここで奈美だけでも手に入れてしまいたいということしかなかった。
頼みの綱としていた渡が使えなくなったことで、まともな判断ができなくなっていたのだ。

(金の力でなんとか奈美だけでも手に入れてやる。そうしたら、奈美からあの七瀬とかいう妹を説得させて渡にも・・・)

奈美は唇を噛みしめている。

「どうです? 決っして悪い話じゃないでしょう?」
駆は不適な笑みを浮かべながら、奈美に近づき肩に手を置こうとした。
「姉貴に近づくなっ! とっとと帰れっ!」
間に割って入った七瀬が駆を突き飛ばす。
「なっ・・・っ!」
不意を突かれ思わずよろめく駆。
「常務っ!」
「大丈夫ですかっ?」
スーツの男たちが駆け寄って支える。
睨み合いが続き、一触即発の状態となったその時・・・

「何ごとですかっ!? 他のお客様もおられる前でっ!」
凛とした声が回りに響いた。
その声の聞こえた先には、ハルの姿があった。
「おばぁちゃん・・・」
ハルの声に周囲の観光客たちも何ごとかと視線を向ける。
「大丈夫かい? 奈美さん?」
「女将さん・・・」
「泉華の申し出、受けてくれるね?」
「・・・、はい。」
「なんだ、お前は?」
「あたしは、温水屋のハルっていうものさ」
「温水屋・・・、頑固婆さんって評判の・・・」
「あんたには悪いけど、渋温泉の旅館の女将たちは揃ってこの星野荘を支援することに決めたんだよ」
「なっ・・・なんだと? いつそんな?」
「ついさっきだよ、あんた運が悪かったね」

今日の泉華で決まったことそれは、渋温泉のすべての旅館が共同して星野荘を全面的に支援する事、そしてリゾート計画には誰も賛同しない事だったのだ。

「奈美さん、あんたは今までよく頑張ったよ。今日くらいは、あたしたちに思いっきり甘えなさい」
奈美は張りつめていた緊張の糸がブツリと切れたように座り込んだ。
「姉貴っ!」
「奈美さんっ!」
七瀬とアキが駆け寄る。

二人に支えられて立ち上がった奈美が駆を睨みつける。
「どうせつぶれそうな旅館ばかりじゃないか、客も来ないし無駄なんだよ」
駆の嫌味な声が響いた。
「そんなことっ、無いっ!」
「あたしたちが、お客さんを集めてみせるからっ!」
アキと七瀬が叫ぶ。
「わたしたちは、テルマエ学園の一期生っ!」
「そして、アイドル部があるっ!」
アキと七瀬が顔を見合わせて大きく頷き、同時に言った。
「絶対にここを盛り上げて見せるっ!」

二人の勢いに押され、タジタジになった駆が後退る。
「ちっ、帰るぞっ!」
捨て台詞を残し急ぎ車に乗った駆はその場を立ち去った。

(七瀬・・・、強くなったね)
(アキ・・・、やっばり、あんたは強い子だよ・・・、父親譲りかねぇ・・・)
大きく成長した妹と孫娘を奈美とハルが見つめていた。


ほうほうの体で逃げ出した駆は、車の中から急ぎ電話を架けている。
「親父、渡のやつが・・・」
「勝手なことをしたのはお前だろう。話は渡から聞いた・・・」
電話の相手は早瀬将一郎、早瀬コンツェルンの総帥である。
「お前には荷が重すぎるから任せなかったことになぜ気付かない・・・。経営者としても失格だな・・・」
「待ってくれ、今度は必ず・・・」
「萬度の件もお前は関わるな。どうもよくない予感がする・・・」
何とか取り繕おうとするが、電話は将一郎から一方的に切られた。
(だったら、萬度を利用して親父にも一泡吹かせてやる・・・)
「常務、どちらへ向かいますか?」
「横浜港だ、ミスターS・・・、いや、孫に直接会う」
「総帥の許可を頂いてからの方が・・・」
「やかましいっ、そろって皆で俺をバカにしやがって・・・。このまま黙って引き下がれるかよっ!」
駆を乗せた車は一路、横浜港へと向かった。


「今日はいろいろあったね」
「うん・・・」

あの後、アキと七瀬は奈美に誘われ星野荘でともに夕食をとっていた。
ハルも夏休みが終わるのも間近と、少しはゆっくりとしておいでと送り出したのだ。
星野荘の温泉に三人で入り、郷土料理のおしぼりうどんとおやきを堪能し眠りについた。
早瀬コンツェルンのこと、渋温泉のリゾート計画のことなど自分たちの知らないところで物事が大きく動いていることを目の当たりにしたアキと七瀬、自分たちにできることとしてアイドル部+昭和のアイドルで本当に集客に結びつけられるのかなど不安を抱えながら眠りについたこともあり寝不足まま朝を迎えた。

「行ってらっしゃい」
奈美が七瀬を送り出す。
夏休みも今日で終わりだ。
明日からはテルマエ学園での生活に戻ることになる。
女将の顔に戻っている奈美を見て、七瀬は胸を撫でおろす。

(ハルさんには程遠いけど、姉貴ならきっと大丈夫。あたしもあの日から姉貴に心配させないって決めたんだから)

「おはよう、七瀬っ!」
温水屋から、アキが走り出てくる。
その後からゆっくりとハルの姿を現わす。
「女将さん、姉貴のこと宜しくお願い致します」
七瀬がハルに深々と頭を下げる。
「あの子だって、立派な女将だよ。心配しないで行ってきな」
「はい」

僅か数か月前、テルマエ学園に入ることを説得してこの温泉を出ていった二人がこんなにも大きく成長して帰ってくるなど誰も予想もしていなかった。
「峰・・・、流馬・・・。本当にどこまでも人騒がせなやつだね」
「女将さん?  何か言いました?」
「何でもないよ、弥生さん。アキたち、今度はいつ帰って来れるんだろうねぇ」
どこまでも広く、青く澄み渡った空を見上げながらハルが呟く。

この夏休みの間だけであったが、アキと七瀬が仲居の仕事だけでなく宿泊の予約など様々な仕事を精一杯手伝ったこともあり今年の客の入りは例年より少しだけ多かったことをここに付け足しておく。

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