声なし王女と教育係

白藤結

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第一部

プロローグ(2)

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 白鷺の間の前で厳重に守りを固めていた衛兵に名乗れば、すぐさま部屋の中に通された。あまり使用されることのなく、入る者も少ない部屋とはいえ、そこはやはり王城であり国王の使用する部屋。装飾は豪華で、豪奢な朱色の絨毯が敷き詰められており、著名な画家のものと思われる絵画も額縁に入れられて壁にかけられていた。

 それらを見て、ルークは身を固くする。ここに来るまでの回廊も、今まで仕事のために通ってきた王城のどこよりも華美で、王族の権力を象徴していたが、ここは、当たり前のことだが、そこよりもさらに装飾が施されている。自然と緊張してしまうのは仕方のないことだった。

「こちらでお待ちください」

 王族の従者らしき人物に言われ、ルークは頷き、ひとまず示されたソファーに腰掛けた。従者が出ていくとこっそりあたりを見回す。
 部屋にはまだ誰もいなかった。おそらく国王には執務があるから、ルークが来るまでずっと待つ余裕などなかったのだろう。それと、上位の者が下位の者を待たせるのは通例と言える。この国――シャールフのめんどくさいルールだ。それもあって、国王はまだ来ていないのだろう。

 部屋には扉が二つあった。一つが先ほどルークが入ってきた扉で、下座しもざになっており、もう一つがその扉から見て部屋の対角線上にある扉だった。そちらが上座かみざで、明らかにもう一つの扉とは違って豪奢で、素材からして違う。その近くには国王が座るであろうゆったりとした一人がけのソファーが、ルークの座るものより三段高い場所にあった。窓の類は一切なく、荘厳なシャンデリアが天井で輝いて部屋全体を照らしていた。

 その、あまりにも場違いな周囲に、ふと、過去のことが思い返される。にっこりと、無邪気に、感情をあらわにして微笑む少年。その体のあちこちには、ルークが今まで見たことのないほど高価な装飾品が惜しげもなくつけられており、しかし当の少年はそのことなどまったく気にもしていないようだった。王家の所有する森、そこにある花畑に、身につけている物のことなど気にすることなく寝転がる。「ほら、ルークも」ざっ、と風が吹いた。色とりどりの花弁が空に舞い上がる。とろりとした蜂蜜色の髪が揺れ――

 そのとき、上座にあった扉がゆっくりと開かれ始めた。「国王陛下の御成り」と声がしてハッ、と我に返り、ルークは弾かれたように勢いよく立ち上がって頭を下げる。あのままぼうっとしていたら座ったまま国王を出迎えるという、ひどい無礼をしてしまうところだった。ほっと息をつきたいところだが、むしろここからが本番だ。緊張が身を包む。
 しばらく衣擦れの音がしたあと、扉の閉まる音がした。

おもてを上げよ」

 そう声がして、ルークはゆっくりと顔を上げる。そこにいたのは、かつて式典などで遠目に見かけたことのあるこの国の国王だった。薄い金髪はシャンデリアの光に照らされてゆらゆらと輝き、目元の柔らかなエメラルドの瞳は柔和な印象を与えながらも、どこか強い光が灯っていた。国王らしく、油断のない双眸。

 思わずごくりと唾を飲み込んだとき、「ルーク・アドランか」と声をかけられた。ただの確認であろうそれに、「はい」と、わずかに上擦った声を返す。鼓動が強く、速く、体を内側から揺らしていた。
 国王がゆっくりと上座にあるソファーに腰掛ける。驚いたことに、国王はたった一人だった。従者だと思われる者や近衛兵もおらず、正真正銘、ルークは国の最高権力者と部屋で二人きりだ。否応なく緊張が高まっていく。

 そのとき、国王が軽く手を下ろすような動作をした。おそらく、座れ、ということだろう。「失礼致します」と断りの言葉を述べ、ルークはソファーに座った。話をする準備が整い、ますます緊張が全身を支配していく。果たして、ルークにはどのような罰が下るのだろう。罰金か、禁固刑か、それとも――
 そのとき、国王が口を開いた。

「今日其方呼んだのは、やってもらいたいことがあるからだ」

 その言葉にルークはわずかに目を見張ったが、それを抑え込み、ごくりと唾を飲み込んだ。おそらくかなり機密性の高いものを頼まれることになるのだろう。だから白鷺の間に呼ばれたのだろうし、こうして二人きりとなっている。――この頼まれごとを叶えることが、ルークに課せられた罰なのだろうか。それとも、ルークならば、〝あの事件〟を引き合いに出せば何でも言うことを聞くだろうとでも思われたのか。

(確かにその通りだしな)

 あのできごとは、今でも棘のように心に刺さり、じくじくと痛みを発し続けている。それを出されたら、従うほかないだろう。そうする以外の選択肢を、ルークは自ら手放すしかなくなる。

 ――ルーク!
 声がした。幼い少年の声。無邪気で清純で、悪意というものを知らない……。
 頭がくらりとした。幻聴だと、わかっている。あの子がここにいるはずなどないのだから。それでも、目を閉じれば彼の紫紺の瞳が脳裡に浮かび上がってきて、胸が苦しくなる。心が悲鳴をあげる。絶望に色濃く染まった双眸が、表情が、瞼の裏に焼きついて離れない。

「かしこまりました」と、ルークはぼんやりとした頭で応えた。ただ、隙を見せてはならないという一心で、平生へいぜいを取り繕う。視界が薄くかげった。……少し、気持ちが悪い。
 そのとき、扉の開く音がした。上座にある扉から、誰かが部屋に入ってくる。そのことがすぐに頭の中で弾き出されたけれど、力が入らなくて、立ち上がるのがわずかに遅れた。

 やって来たのは少女だった。軽くウェーブする薄い亜麻色の髪を持ち、瞳は国王と同じエメラルド。まとうドレスは一級品で、薄い水色のものだった。全体的に白などを使っており、けれど刻まれた刺繍は繊細で、幻想的な雰囲気を感じさせる。
 見た途端、ルークはこの少女が誰なのかすぐにわかった。慌てて頭を下げる。
 国王の声がした。

「クラリス、ちょうどいいところに来たな。そうだな……彼の隣に座ってくれるか?」

 ルークは内心ぎょっとして、頭を下げていたと心の底から安堵した。自分の娘――王女を、ルークのような下級役人、しかも事情持ちの隣に座らせるなんて正気の沙汰ではない。顔を上げていた場合、そのような表情を隠せる自信はなかった。
 事実、王女もあまりのことにか何も言わない……と思ったところで、はた、と思い出す。

(そういえば、話せないんだったか……)

 王女は生まれつき話すことができない。その噂はよく耳にしていた。まだ王女は社交界デビューをしていないため噂の正確な真偽はわからないものの、おそらくこれだけ誠したたかに言われており、また王族も否定しないことから、おそらく本当のことだろう、という噂も。
 だがさすがに話せなくても、意思を伝える術が限られているとしても、これを了承するはずが……と思っていたら、衣擦れの音がした。は? と、心の中で声を漏らす。

(一国の――)

 一国の王女としての矜持はないのか。そんなことを思っていると、ドレスの裾がちらりと視界に入った。嘘だろ、と声を漏らす。その行動はありえない。確かに国王は王女にとっても上位に位置し、命令は聞かなければならないが、軽く抗議くらいはしなければならないはず……。
 呆然としていると、「ルーク・アドラン、其方も座れ」と言われた。ぼんやりと、ルークは再度ソファーに腰掛ける。あまりのことに、表情を取り繕うだけの余裕は失っていた。
 国王は「さて、」と、鋭い眼光をこちらに――ルークと王女に向けてくる。

「今日、二人を呼んだのは、――ルーク・アドラン、其方にクラリスの教育係をしてもらいたいと思ったからだ」

 ――教育係。その言葉を耳にし、理解し、ルークは思わず目をぱちくりさせた。
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