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出会う一年前
知らないことが多すぎる
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貧乏子爵アルナルディ家のオンボロ屋敷、一階エントランスホールから二階へと上がる階段の踊り場の壁に飾られているのは、亡くなった子爵夫人の肖像画だ。
カティンカ・アルナルディ。
豊かな黒髪の巻き毛に大きな金色の瞳。
真珠のような白い肌に果実のごとく艶やかな唇の美女。
その胸元を飾るのは、小さなペンダントで、家族そろいのモチーフを用いたものである。
母は赤いバラ、父は黒いバラ、兄は緑のバラ、そして私は白いバラだったはず。
そっと手に握りこむペンダントトップのバラの色は、あの日、死から戻ってきた日から青くその色を変えてしまった。
「お母様……」
仰ぎ見る肖像画の中の母は、淡く微笑み私の問いには答えを返してはくれない。
あの日、兄に冤罪を被せ処刑し、父とこの屋敷に火を放ったのは誰なのです?
そして……私が死に戻ったのはなぜ?
「シャルロット」
「お兄様」
くるりと階段上から振り向けば、玄関に兄が手荷物一つ持って立っていた。
「お帰りなさい。相変わらず荷物が少ないこと」
「ははは。ただいま、シャルロット。荷物なんて減ることはあっても増えることはないさ」
私と兄とのやりとりが聞こえたのか、厨房からリーズが小走りで出てきて、サッと兄の荷物を奪い取る。
「サミュエル様、お帰りなさいませ。さあ、旦那様にご挨拶を」
「ああ。ただいまリーズ」
今回の兄の帰省は、最終学年前の長期休暇に入ったからだ。
兄に悟られないように慎重に学園のことを聞き出しているが、兄の口からは第二王子殿下やその側近たちに話が出てくることはない。
まだ、兄には第二王子たちの悪辣な魔の手は伸ばされていないのか?
情報通である親友アンリエッタからの手紙にも、兄に繋がる情報は知らされていない。
私はもう一度、母の肖像画へ目をやり、ふうっと息を吐いた。
このとき、私はまだ、自分が犯していた罪に気が付くこともなかった。
全ての始まりが、自分の愚かな思いだったことを、知らないままだったのだ。
「リーズ。夕食まで部屋にいるわ」
「わかりました。準備ができましたらお声をかけますね」
ニッコリとリーズに笑いかけ、私は自室へと入る。
公爵家の使用人と比べたらリーズの立ち居振る舞いや言葉遣いは平民に近いけれど、私には安心できる心地よいものだわ。
どんなにマナーが良くても、そこに忍ぶ陰湿で汚泥に塗れた悪意を感じたら、息をするのにも苦心する。
公爵家での五年間で私が心から安らげた日などあっただろうか?
全ては悪夢の日々である。
「アンリエッタからの手紙をもう一度読んでおきましょう」
何か気になることがあったなら、兄に確認しなければならない。
アンリエッタからの手紙には、第二王子殿下の婚約者についての噂が書かれていた。
やはり、モルヴァン公爵家の令嬢が有力候補ではあるが、未だに公表されていないのは、その令嬢に何か問題があるからだという。
イレール様との冷えた結婚生活の中で、お会いしたことのない義両親でさえ、使用人たちの口から話を聞くことはあった。
でも、妹のことなんて、聞いたことないのだけれど?
アンリエッタからの手紙には、その令嬢の問題は健康問題じゃないかとあり、その根拠は他の貴族家へのお茶会には子どものころに参加したことがあるが、ここ何年かは参加したことがなく、高位貴族は必ず通うはずの学園には入学していないこと。
あとは、ニヴェール子爵家が経営している商会による情報として、定期的にモルヴァン公爵家には医師が通っているらしいとのこと。
「あの方の妹は病気だったのかしら?」
確かに、私との結婚生活は公爵家本邸ではなく別邸だったけど、本邸には義両親しか暮らしていなかったはず。
公爵家本邸に、私と年の変わらない女性がいた?
ぎゅむと眉間にシワを寄せて、前の時間を思い出す。
ほとんどは、下働きの女中と同様の暮らしだったけれど、何か思い出すことはないかしら?
あの意地悪な使用人たちのくだらないお喋りの中に何か、イレール様の妹についての言葉はなかったかしら?
「あら?」
アンリエッタの手紙の一文に目が止まる。
一度、読んでいるのに、この文は何か気になるわ。
「ジュリアン殿下の婚約者であるフルール様は、元はディオン殿下の友人として王城に招かれていた……?」
そうだったかしら?
私が知ったときには、第一王子ジュリアン殿下の婚約者はフルール様だったし、第二王子ディオン殿下の婚約者はいなかった。
イレール様の妹がディオン殿下の婚約者候補だったことも知らなかった。
そもそも、ディオン殿下は一度他国の方と婚約を結んでいる。
「このことがフルール様の毒殺と何か関係してくるのかしら?」
私は知らず顔を顰める。
第二王子の周りを調べるだけでも伝手がなくて大変なのに、第一王子やフルール様の周りまで調べるとなると、貧乏子爵令嬢の手に余る。
「何か、いい案はないかしら」
無理だとは思うけれど、疑わしい人たちとまとめて知己になれるような手段があればいいのだけど。
コンコン。
「お嬢様。夕食の準備ができました」
「……いま行くわ」
とりあえず、生きていればお腹が減るのだもの。
家族揃っての夕食の時間を楽しむこととしよう。
カティンカ・アルナルディ。
豊かな黒髪の巻き毛に大きな金色の瞳。
真珠のような白い肌に果実のごとく艶やかな唇の美女。
その胸元を飾るのは、小さなペンダントで、家族そろいのモチーフを用いたものである。
母は赤いバラ、父は黒いバラ、兄は緑のバラ、そして私は白いバラだったはず。
そっと手に握りこむペンダントトップのバラの色は、あの日、死から戻ってきた日から青くその色を変えてしまった。
「お母様……」
仰ぎ見る肖像画の中の母は、淡く微笑み私の問いには答えを返してはくれない。
あの日、兄に冤罪を被せ処刑し、父とこの屋敷に火を放ったのは誰なのです?
そして……私が死に戻ったのはなぜ?
「シャルロット」
「お兄様」
くるりと階段上から振り向けば、玄関に兄が手荷物一つ持って立っていた。
「お帰りなさい。相変わらず荷物が少ないこと」
「ははは。ただいま、シャルロット。荷物なんて減ることはあっても増えることはないさ」
私と兄とのやりとりが聞こえたのか、厨房からリーズが小走りで出てきて、サッと兄の荷物を奪い取る。
「サミュエル様、お帰りなさいませ。さあ、旦那様にご挨拶を」
「ああ。ただいまリーズ」
今回の兄の帰省は、最終学年前の長期休暇に入ったからだ。
兄に悟られないように慎重に学園のことを聞き出しているが、兄の口からは第二王子殿下やその側近たちに話が出てくることはない。
まだ、兄には第二王子たちの悪辣な魔の手は伸ばされていないのか?
情報通である親友アンリエッタからの手紙にも、兄に繋がる情報は知らされていない。
私はもう一度、母の肖像画へ目をやり、ふうっと息を吐いた。
このとき、私はまだ、自分が犯していた罪に気が付くこともなかった。
全ての始まりが、自分の愚かな思いだったことを、知らないままだったのだ。
「リーズ。夕食まで部屋にいるわ」
「わかりました。準備ができましたらお声をかけますね」
ニッコリとリーズに笑いかけ、私は自室へと入る。
公爵家の使用人と比べたらリーズの立ち居振る舞いや言葉遣いは平民に近いけれど、私には安心できる心地よいものだわ。
どんなにマナーが良くても、そこに忍ぶ陰湿で汚泥に塗れた悪意を感じたら、息をするのにも苦心する。
公爵家での五年間で私が心から安らげた日などあっただろうか?
全ては悪夢の日々である。
「アンリエッタからの手紙をもう一度読んでおきましょう」
何か気になることがあったなら、兄に確認しなければならない。
アンリエッタからの手紙には、第二王子殿下の婚約者についての噂が書かれていた。
やはり、モルヴァン公爵家の令嬢が有力候補ではあるが、未だに公表されていないのは、その令嬢に何か問題があるからだという。
イレール様との冷えた結婚生活の中で、お会いしたことのない義両親でさえ、使用人たちの口から話を聞くことはあった。
でも、妹のことなんて、聞いたことないのだけれど?
アンリエッタからの手紙には、その令嬢の問題は健康問題じゃないかとあり、その根拠は他の貴族家へのお茶会には子どものころに参加したことがあるが、ここ何年かは参加したことがなく、高位貴族は必ず通うはずの学園には入学していないこと。
あとは、ニヴェール子爵家が経営している商会による情報として、定期的にモルヴァン公爵家には医師が通っているらしいとのこと。
「あの方の妹は病気だったのかしら?」
確かに、私との結婚生活は公爵家本邸ではなく別邸だったけど、本邸には義両親しか暮らしていなかったはず。
公爵家本邸に、私と年の変わらない女性がいた?
ぎゅむと眉間にシワを寄せて、前の時間を思い出す。
ほとんどは、下働きの女中と同様の暮らしだったけれど、何か思い出すことはないかしら?
あの意地悪な使用人たちのくだらないお喋りの中に何か、イレール様の妹についての言葉はなかったかしら?
「あら?」
アンリエッタの手紙の一文に目が止まる。
一度、読んでいるのに、この文は何か気になるわ。
「ジュリアン殿下の婚約者であるフルール様は、元はディオン殿下の友人として王城に招かれていた……?」
そうだったかしら?
私が知ったときには、第一王子ジュリアン殿下の婚約者はフルール様だったし、第二王子ディオン殿下の婚約者はいなかった。
イレール様の妹がディオン殿下の婚約者候補だったことも知らなかった。
そもそも、ディオン殿下は一度他国の方と婚約を結んでいる。
「このことがフルール様の毒殺と何か関係してくるのかしら?」
私は知らず顔を顰める。
第二王子の周りを調べるだけでも伝手がなくて大変なのに、第一王子やフルール様の周りまで調べるとなると、貧乏子爵令嬢の手に余る。
「何か、いい案はないかしら」
無理だとは思うけれど、疑わしい人たちとまとめて知己になれるような手段があればいいのだけど。
コンコン。
「お嬢様。夕食の準備ができました」
「……いま行くわ」
とりあえず、生きていればお腹が減るのだもの。
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