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出会う一年前
親友との再会
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朝、日課となっている温室の水やりへ。
兄と二人で朝日を浴びながらキラキラと水滴が光る光景に目を細めて水を撒く。
「シャルロット。いつもありがとう。心配していたこの子たちも元気そうだ」
「お兄様。植物に愛情を注ぐのはいいけれど、言い方には気をつけて」
学園で子爵家の事情を知らない人が聞いたら、兄は「未婚の子持ちの子爵令息」として有名になってしまうわ。
ふふふと顔を見合わせて微笑んで、植物の世話のあと温室の扉にはしっかりと鍵をかける。
「お父様は……やっぱりここには来れないみたい」
来れない、いいえ、ここに母が愛した温室があることすら忘れてしまっているみたい。
母が残した不思議な温室。
「そうか。僕たちが案内して入れたらよかったんだが」
母が一緒だと父もこの温室には出入りができたらしいけど、母が亡くなったあと、私か兄と一緒に温室を訪れようとしても辿り着くことはなかった。
屋敷からそんなに離れている場所ではないのに迷ってしまい、結局、屋敷の裏庭へと戻ってしまう。
父の記憶も母の姿が薄れていくことはないが、温室のことは靄がかかったみたいに朧気だった。
温室の中で育てている植物も兄なら手入れができるが、私は水やり以外は手を入れることはできない。
……よかれと思って手を出せば、必ず枯れてしまう。
不思議な温室だわ。
「お母様はなぜこんな温室を?」
母は父とは隣国で出会った他国の男爵令嬢だと聞いている。
けれど母の口から、育った国のことや家族、友達の話を聞いたことはない。
「さあ。ああ、シャルロット、みてごらん父上だよ」
お兄様の声に顔を上げると執務室の窓からこちらを見ている父の姿が映った。
「ほら、手を振って」
足を止めてお兄様と一緒に小さく手を振ると、父も照れくさそうに笑いながら手を振り返した。
――なんて、幸せだったのだろう!
失ってしまった家族との死に戻り再び訪れた幸せの時間に、そっと熱い思いを胸に閉じ込めた。
そうしないと、みっともなく泣き出して、兄へ父へと縋ってしまいそうだった。
平民と変らないメニューの朝食を家族揃って食べ、学園と戻る兄を見送った日の午後。
待ち人が訪ねてきてくれた。
「シャルロット。久しぶりね。手紙で呼び出すなんて、何かあったのかしら?」
「アンリエッタ」
手紙を出し会いに来てくれるよう頼んでいた親友が応えてくれた。
隣の領地、ニヴェール子爵の末娘アンリエッタ・ニヴェールは、自分の兄姉と年が離れているせいか隣の領地の私たち兄妹と幼馴染のように親しくしていた間柄だ。
貧乏で領地に閉じこもりの私と違って、ニヴェール子爵家は商会を持ち手広く商売をしていて情報通である。
そう、私は何も知らなかった昔を反省し、アンリエッタから情報を聞き出そうと考えた。
リーズに頼んでお茶を淹れてもらい、日持ちする焼き菓子しか出ない我が家の財布事情をわかっているアンリエッタが持ってきたお菓子をテーブルに広げる。
「美味しそう」
「王都で流行っているらしいわ。この真ん中に穴が開いている揚げ菓子はドーナツというのよ」
アンリエッタは行儀悪くドーナツを手に取り、そのまま噛りついた。
公爵家で暴力とともにマナーを叩きこまれた私にとって衝撃的な行為だったが、昔の私ならきっと何も考えずに彼女を真似ていたはずね。
「美味しいわ!」
「ね! でも食べすぎには気を付けて。かなり太るお菓子らしいわ」
甘い生地を油で揚げて、砂糖をまぶしてあるこのお菓子は、確かに貴族子女にとって危険なお菓子だと思った。
「それで、わざわざ呼び出してどうしたの?」
「ゴクン。……実は私に教えてほしいことがあるのよ」
紅茶を一口飲んでから、私は居住まいをただしアンリエッタの顔を真っすぐに見つめた。
「私に……第二王子殿下やその周りのことを教えてくれないかしら?」
少し前、死に戻ってきた私は、父にアンリエッタと同じことを請うた。
アルナルディ子爵家はどちらの派閥なのか? と。
しかし、返ってきた返事は拍子抜けする答えだった。
「派閥? なんのことだ?」
きょとんとする父の顔に訝しく思い、こちらも顔を歪めた。
「あるでしょう? 第一王子派とか第二王子派とか? お父様はどちらに肩入れをしているのですか?」
とっても大事なことなのよ。
死に戻る前、お兄様は第二王子殿下に能力を認められ取り立てられた。
それをバカみたいに喜んでいたけど、あのときからディオン第二王子は兄に悪事を働かせようとしていたのか?
そもそも、なぜ王太子妃の命を狙ったの?
王位継承を望むなら、邪魔なのは兄である第一王子の命のはずでしょう?
「ふむ。なぜシャルロットがアルナルディ家のことを考えるようになったかわからんが、我が子爵家は寄り親である侯爵家の決定に従う」
「その……侯爵家はどちら派なの?」
「なぜそんなことを気にするのだ? ま、いいか。あえて言うのなら国王派だな」
「国王……陛下?」
今度は私がきょとんとする番だった。
「ああ、おじ様の言うとおりよ。あなたも変なことに興味を持ったわね? 国王派、つまり陛下の意思決定に従うということ、陛下が第一王子殿下を王太子と決めたら、第一王子派になるし、第二王子殿下を王太子と定めたら彼を支援する貴族たちのことよ」
「……そんな。私はてっきり第一王子殿下か第二王子殿下で支持が分かれていると思っていたのに」
国王派ってなによ。
しかも、貴族のほとんどが国王派と言ってもいいなんて……。
我が国の貴族の勢力分布がまったくわからないわ。
「そもそも。第一王子殿下派とか第二王子殿下派なんてないわよ。我が国の王子殿下は同じ母、王妃様の子供ですもの。派閥なんてできるわけないでしょ」
「えっ……」
第二王子殿下と第一王子殿下は同母兄弟だったの?
じゃあ、兄に罪を被せて命を奪ったのは……誰?
兄と二人で朝日を浴びながらキラキラと水滴が光る光景に目を細めて水を撒く。
「シャルロット。いつもありがとう。心配していたこの子たちも元気そうだ」
「お兄様。植物に愛情を注ぐのはいいけれど、言い方には気をつけて」
学園で子爵家の事情を知らない人が聞いたら、兄は「未婚の子持ちの子爵令息」として有名になってしまうわ。
ふふふと顔を見合わせて微笑んで、植物の世話のあと温室の扉にはしっかりと鍵をかける。
「お父様は……やっぱりここには来れないみたい」
来れない、いいえ、ここに母が愛した温室があることすら忘れてしまっているみたい。
母が残した不思議な温室。
「そうか。僕たちが案内して入れたらよかったんだが」
母が一緒だと父もこの温室には出入りができたらしいけど、母が亡くなったあと、私か兄と一緒に温室を訪れようとしても辿り着くことはなかった。
屋敷からそんなに離れている場所ではないのに迷ってしまい、結局、屋敷の裏庭へと戻ってしまう。
父の記憶も母の姿が薄れていくことはないが、温室のことは靄がかかったみたいに朧気だった。
温室の中で育てている植物も兄なら手入れができるが、私は水やり以外は手を入れることはできない。
……よかれと思って手を出せば、必ず枯れてしまう。
不思議な温室だわ。
「お母様はなぜこんな温室を?」
母は父とは隣国で出会った他国の男爵令嬢だと聞いている。
けれど母の口から、育った国のことや家族、友達の話を聞いたことはない。
「さあ。ああ、シャルロット、みてごらん父上だよ」
お兄様の声に顔を上げると執務室の窓からこちらを見ている父の姿が映った。
「ほら、手を振って」
足を止めてお兄様と一緒に小さく手を振ると、父も照れくさそうに笑いながら手を振り返した。
――なんて、幸せだったのだろう!
失ってしまった家族との死に戻り再び訪れた幸せの時間に、そっと熱い思いを胸に閉じ込めた。
そうしないと、みっともなく泣き出して、兄へ父へと縋ってしまいそうだった。
平民と変らないメニューの朝食を家族揃って食べ、学園と戻る兄を見送った日の午後。
待ち人が訪ねてきてくれた。
「シャルロット。久しぶりね。手紙で呼び出すなんて、何かあったのかしら?」
「アンリエッタ」
手紙を出し会いに来てくれるよう頼んでいた親友が応えてくれた。
隣の領地、ニヴェール子爵の末娘アンリエッタ・ニヴェールは、自分の兄姉と年が離れているせいか隣の領地の私たち兄妹と幼馴染のように親しくしていた間柄だ。
貧乏で領地に閉じこもりの私と違って、ニヴェール子爵家は商会を持ち手広く商売をしていて情報通である。
そう、私は何も知らなかった昔を反省し、アンリエッタから情報を聞き出そうと考えた。
リーズに頼んでお茶を淹れてもらい、日持ちする焼き菓子しか出ない我が家の財布事情をわかっているアンリエッタが持ってきたお菓子をテーブルに広げる。
「美味しそう」
「王都で流行っているらしいわ。この真ん中に穴が開いている揚げ菓子はドーナツというのよ」
アンリエッタは行儀悪くドーナツを手に取り、そのまま噛りついた。
公爵家で暴力とともにマナーを叩きこまれた私にとって衝撃的な行為だったが、昔の私ならきっと何も考えずに彼女を真似ていたはずね。
「美味しいわ!」
「ね! でも食べすぎには気を付けて。かなり太るお菓子らしいわ」
甘い生地を油で揚げて、砂糖をまぶしてあるこのお菓子は、確かに貴族子女にとって危険なお菓子だと思った。
「それで、わざわざ呼び出してどうしたの?」
「ゴクン。……実は私に教えてほしいことがあるのよ」
紅茶を一口飲んでから、私は居住まいをただしアンリエッタの顔を真っすぐに見つめた。
「私に……第二王子殿下やその周りのことを教えてくれないかしら?」
少し前、死に戻ってきた私は、父にアンリエッタと同じことを請うた。
アルナルディ子爵家はどちらの派閥なのか? と。
しかし、返ってきた返事は拍子抜けする答えだった。
「派閥? なんのことだ?」
きょとんとする父の顔に訝しく思い、こちらも顔を歪めた。
「あるでしょう? 第一王子派とか第二王子派とか? お父様はどちらに肩入れをしているのですか?」
とっても大事なことなのよ。
死に戻る前、お兄様は第二王子殿下に能力を認められ取り立てられた。
それをバカみたいに喜んでいたけど、あのときからディオン第二王子は兄に悪事を働かせようとしていたのか?
そもそも、なぜ王太子妃の命を狙ったの?
王位継承を望むなら、邪魔なのは兄である第一王子の命のはずでしょう?
「ふむ。なぜシャルロットがアルナルディ家のことを考えるようになったかわからんが、我が子爵家は寄り親である侯爵家の決定に従う」
「その……侯爵家はどちら派なの?」
「なぜそんなことを気にするのだ? ま、いいか。あえて言うのなら国王派だな」
「国王……陛下?」
今度は私がきょとんとする番だった。
「ああ、おじ様の言うとおりよ。あなたも変なことに興味を持ったわね? 国王派、つまり陛下の意思決定に従うということ、陛下が第一王子殿下を王太子と決めたら、第一王子派になるし、第二王子殿下を王太子と定めたら彼を支援する貴族たちのことよ」
「……そんな。私はてっきり第一王子殿下か第二王子殿下で支持が分かれていると思っていたのに」
国王派ってなによ。
しかも、貴族のほとんどが国王派と言ってもいいなんて……。
我が国の貴族の勢力分布がまったくわからないわ。
「そもそも。第一王子殿下派とか第二王子殿下派なんてないわよ。我が国の王子殿下は同じ母、王妃様の子供ですもの。派閥なんてできるわけないでしょ」
「えっ……」
第二王子殿下と第一王子殿下は同母兄弟だったの?
じゃあ、兄に罪を被せて命を奪ったのは……誰?
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