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プロローグ
約束したんです
しおりを挟む翌日の朝。
すっきり目覚めたわたしは、予定通り日の出前から机に向かい宿題を片づけて、朝ごはんも食べずにゆかりさんのお家へやってきました。
この時間帯はまだ病院が始まっていないので、少し回り道です。正面から家の敷地に入ります。
晴れやかな朝陽が目に眩しい中、古風な建物からは何故だかより古びた印象を受けて、誰も住んでいない廃墟のように見えました。
陰影が色濃く出ているせいかもしれません。
そもそも家主が手放した建物をそのまま使っているわけですから、古く見えるのは当然でした。
前の家主は、ゆかりさんのお祖父さん。ここは彼が生まれ育った家で、ゆかりさんのお父さんの生家でもあります。
そしてゆかりさんも、この家に住んでいた時期がありました。
お祖父さんたちは既に引っ越しをしていて、長く放置されていた古い家を取り壊そうかとなった時、ゆかりさんがそこで暮らしてみたいと言い出したのです。
一度でいいから病室を出て、普通の生活を味わってみたいと。
もちろん許可はすぐにはおりませんでした。
が、勝手知ったる家であり使い勝手も良く、目と鼻の先に病院があることもあって、試験的な自宅療養に使うにはもってこいだと結論が出され、築数十年の古い家屋には、修繕と改装の手が入りました。
自宅療養が始まった後、わたしも度々この家に遊びに来ては、ゆかりさんと穏やかで楽しい時間を過ごしました。
それは、あの日もそうでした。
ゆかりさんが深い眠りに就いてしまったあの日。
わたしはいつものように床に臥せるゆかりさんとおしゃべりをしていて、ふいに彼女がわたしの手を握り、走馬灯を口に出すかのようにこれまでの思い出を語り出し、そして……。
「ありがとうね、みぃちゃん。こんな私に長い間付き合ってくれて」
「ゆぅちゃん……? どうしたの、急に……」
動揺しながら、心のどこかで予感はしていました。いつかこんな日が来るのではないか、と。
考えないようにしていたのです。
ゆかりさんと目が合って、儚げな眼差しがわたしを見つめて。
ざわりと背筋が凍り付きました。
なんとなく。
漠然と。
言い知れぬ不安に任せて、わたしは叫んでいました。
「待っているからっ!」
と。
「ゆぅちゃんとまた遊べる日が来るまでまで、ずっと待ってる……っ」
わたしの言葉にゆかりさんは安らかな笑みを浮かべ、ゆっくりと目を閉じて、そのまま深い眠りに就きました。
わたしが何度呼びかけても身体を揺らしても、彼女はもう起きることはなく。
すぐに集中治療室へ運び込まれましたが、根本的な原因は分からず。病状の悪化という何とも曖昧な診断が下されました。
肉体的病状的には落ち着いているのに、何故か意識が戻らない。医学では説明づけられない事態に陥ってしまったのです。
待合室でずっと待っていたわたしは、お母さんに連れられて病室へ通され、真っ白なベッドの上で眠るゆかりさんと対面し、そこでどうにもならない現実を知って泣き崩れました。
まあ、それから一夜明け、彼女の笑顔にまた会うことのできたわたしは、今度はへたり込んでしまうんですけれど。
今思えば、きっとゆかりさんはわたしとの約束を果たしてくれたのでしょう。
動けなくなった肉体から抜け出して魂だけの存在となってでも、わたしの言葉に応えてくれたのです。
それならわたしも頑張らなくてはいけません。決意を胸に思い立ちました。全ては、彼女とまた穏やかな日々を過ごすために。
わたしはお母さんに頭を下げに行きました。今後もゆかりさんの家に出入りさせてはもらえないかと。
「約束したんです。あの場所でずっと待っているって。ゆぅちゃんが目を覚ますのを待っていてあげたいんです。お願いします!」
「みぃちゃん……」
改装したとはいえ築数十年家屋はとても古く、好き好んで住みたい人がいるとは思えない有り様。
もともと取り壊す予定だった家をそのままにしておいて欲しいなんて、そんな我がまま普通は聞き入れてもらえません。
娘の友達でしかないわたしの我がままを、聞き入れる理由なんてないのです。
それでも。
ゆかりさんがわたしとの約束を守ってくれたように、わたしも彼女とまた遊べる場所を守らなければ。
帰って来てくれた彼女のためにも。何より、ゆかりさんに会いたいわたし自身のためにも。
お母さんは、とても辛そうな表情をしていました。
「みぃちゃん。あの子はいつ目を覚ますか分からないわ。もう目を覚まさないかもしれないの。だから、あなたももう……」
「ゆぅちゃんはきっとまた笑顔を見せてくれます……!」
わたしは強く首を振って言いきりました。
ゆかりさんの笑顔を思い浮かべるだけで、そう言いきるだけの力が胸の奥から溢れてくるのです。
「ゆぅちゃんはきっと約束守ってくれますから! だから、わたしもそれを待ちます!」
「みぃちゃん……」
涙ながらに我がままを叫ぶわたしを、お母さんはじっと見つめて。長い間見つめ続けて。
ふっ、と泣きそうな顔に変わりました。
「ごめんなさい、少し弱気になっていたわ。……そうよね。きっとまた目を覚ましてくれるわよね……。みぃちゃん、ありがとう……」
「え?」
突然強く抱きしめられ、耳元でお母さんの声がしました。ひどく震えた声でした。
「ゆかりのことをこんなにも想ってくれて。あなたがゆかりの友達で良かったわ……」
さらに強くぎゅっとされながら、涙声を耳にしながら、わたしもまた堪え切れず。
「はい……っ」
最後になんとかそれだけを絞り出すことができました。
お許しを貰えたわたしは、それからこの家を訪れ続け、ゆかりさんと笑顔を交わす毎日を送りました。
何一つ変わることなく。いいえ、以前よりずっと元気な笑みを見せてくれるゆかりさんと一緒に、いつまでも穏やかな日々を。
来るかもしれない〝いつか〟に怯えながら、それでも満ち足りた笑顔で、三年間。
いまだにこの家の扉を開けるときは緊張します。もしかしたらそこにゆかりさんはいないんじゃないかと。
「すう……はあ……」
深呼吸をひとつ。
言い知れぬ不安を腹の底へ押し沈め、にこっと口角を上げます。ゆかりさんと会う時は、笑顔で。そう決めているのです。
よし、と頷きをひとつ。わたしはさっそく合い鍵を使って鍵を開け、引き戸を開きます。
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