隠遁薬師は山に在り

あつき

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町の薬師

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 猟師仲間たち三人と、解体小屋で作業をしていた。
 朝の狩りを終えて、主に若いものが集まり、道具の手入れをするのだ。山の中の様子を話し合ったり、肉や毛皮についた値の話を交換したりする。危険ながけの場所を聞いたり、安く買い叩かれそうになったという行商人の名前を聞いた時は、年かさの猟師たちへも流す。
 今日はそんな話もなく、どうしたら弓の腕が上がるか、という話をしながら、弦を張り替えたり小手を磨いたりする。そろそろ自分のは、皮屋に持ち込んで直しを頼んだ方が良さそうだ。
 安くて良い皮があるといいが、仲間内で毛皮をたくさん持ち込んだという話は聞かない。あまり期待しない方が良さそうだ。こっそりため息をつくと、小屋の戸が、タントントン、と叩かれた。
「兄ぃ、いる?」
 返事より早く開けたのは、アキだった。旅籠で働くときの頭巾と前掛けを付けていた。
「どうした」
 アキは仲間たちに軽く頭を下げると、こちらを向いた。
「あたしの働いてる旅籠のお客さんがこれから発つんだけど、熊が出たんだってさ。兄ぃたち、送ってあげてくれない?」
 熊、と聞いて自分たちの間に流れる空気が変わる。少しばかりの緊張と、沸き立つような興奮と。
「どこまで?」
「峠の先の町だって。お礼もはずむって言うから、お願いよ。上客なの」
 ちょっと困ったような顔に、仲間を見渡すと、みんな頷いてくれた。
「わかったよ。人を集めて向かうから、少しお待ち」
「ありがとう」
 アキが出て行くと、みんな自然と手元の手入れ道具をしまう。そうして、外していた仕事道具を再び身に着け始める。
「……熊か。まだ捕ったことはないな」
「爺さんが銃を使えただろ。声をかけてみよう」
「街道沿いながら昼は大丈夫だ、夕方に気を付ければいい」
 対策を話し合う。薄暗いところでよく動く獣だ。熊の相手をしたことのある熟練を二人と、自分達の中から二人を用意して、向かうことにする。
 若手は道に詳しい仲間と自分とで行くことになった。残りの者は、熊の嫌いな香草を山と村との境に巻く役割を引き受ける。
「ケイはちょこまか動くのに向いてるから、同行組だと安心だな」
「やれやれ、囮か」
 小さな弓も大きな弓も使えるから、参加するのは吝かでない。じゃあしっかりな、と互いに励まし合い、旅籠へ向かった。

 銃を扱える猟師たちも、熊の知らせを聞いて快く加わってくれた。
「会ったら会っただ、若者に捕り方を教えてやれるから良い」
 そう言って火薬と猟銃を担いだ姿は、とても頼もしく見えた。
 旅籠に泊まっていた一行は、問屋だった。彼らの荷馬車の上に乗せてもらい、ともに峠道を行く。途中で出会う旅人達に、熊の姿があったから、明るいうちに必ず旅籠に着くよう、声をかけながら進む。
 道中は平和そのものだった。昼間、街道沿いまで下りてくる獣はそういない。それでも、いつ大きな爪をもつ熊が現れるかと、目を凝らしながら馬車に揺られた。
 日が傾きかけたころ、隣町へ着いた。ここは平地が多く、川も二本流れており、米がよく取れる。
 半日ずっと緊張していたせいか、街へ着いて馬車を下りた途端、どっと疲れが押し寄せた。若い仲間と一緒に、その妙に疲れた顔を見合わせて、あまりに普段と違うから笑ってしまった。銃を担いだ二人の猟師はちっとも疲れを見せてはおらず、すごいなあと眩しかった。
 夜の山歩きは危険だからと、町の若衆が世話を焼いてくれることになった。一人一人、別の家へ泊めてもらう。自分が紹介されたのは、瓦屋根の、こぎれいな家だった。
「世話になります」
 家の主は、自分の親と同じくらいの夫婦だった。家に上がると、ほのかな薬のにおいを感じた。
「医者様ですか」
 家主の男性に聞くと、彼はいいやと笑った。
「私の母が、この町の薬師をしとります。奥の離れが調合部屋なんですが、家全体から薬草のにおいが取れませんで」
「はあ、この町の薬師……」
 母、といった。女性の薬師なのだろう。
「ああ、これです」
 客間に案内される時、廊下で一人の老婆に出くわした。腰が曲がっているが、きちんとした装いをした、白髪の女性だ。
「母です。お袋、こちらが今日のお客さん。峠向こうの村から来たんだ。問屋の一行を送ってくれたんだってさ」
「猟師のケイです」
 老婆は、皺だらけの目を丸く見開いて、こちらをしげしげと見た。そうして、くしゃくしゃと笑って、ゆったり頷く。
「ああ、ああ。峠に熊が出たってねえ。ゆっくりしていっておくれ。若い者がいると、うちの中が明るくて良い」
 そう言って、彼女は廊下の先にあった客間の戸を開けて、案内してくれた。
「俺の村にも薬師がいます」
 荷物を置いた。客間は、あまり薬のにおいがしない。老婆は笑った。その向こうから、主人が奥さんに茶を持たせてきてくれた。礼を言って受け取る。
「あんたたちのとこの薬師の噂は聞いたことがあるよ。山向こうの化け物みたいな婆さんに仕込まれたってね。あたしらが知らんような薬も毒も、何でも作れるおっかない薬師さ」
 茶をすすりながら、老婆はしみじみと言った。
「有名なんですか、琉璃は」
「ああ、そんな名だったね。男のくせに大したもんだ」
 傍の主人を見て、老婆はくつくつと笑う。琉璃が他の薬師にも知れるほどの腕前とは知らなかった。しかし、あの尖った男が普通の薬師ではないというのは頷ける。
「あんな隠遁生活は、女性にはつらかろうと思います」
 琉璃の庵を思い出しながら答える。作業場としては良いのかもしれないが、家として快適かわからなかった。どこで寝るのか見当もつかないほど、薬と道具であふれていた。
「人と暮らしておらんのか、その琉璃は」
 老婆は、また目を丸くした。今度は驚いたようだ。
「山の中で生きています。小さな庵を見せてもらったことがありますよ、人嫌いなんだそうで」
 村で親しくしている者はいないと話すと、老婆は神妙にうなずいた。
「ああ、ああ。あいつなら人なんか嫌いだろうね。坊や、よく人の分際で琉璃の家に行けたもんだね」
「彼は気難しいが、何でも振り払うような男でもないです」
 濡れ鼠を迎えて火を貸してくれた。傷に触れさせてくれた。人嫌いでも、冷たい人間ではない。
「そうかい。だったら、琉璃の羽織を見せてもらうといい。婆さんの調薬法が、裏地に全部縫いこまれているそうだ。坊やが見てもわからないだろうが、あたしらが見れば読める言葉だ。次に来るまでに、少しばかり覚えてきちゃくれないかい」
 重そうな刺繍の施された羽織を思い出す。表の模様は植物をかたどったものだったが、裏を見たことはなかった。
「……まあ、やってみます」
 町へは、たまに来る用もある。今日のように護衛を頼まれることもあれば、アキの買い物に付き合ってやることもある。
「頼むよ。――他の薬師に興味はあるかい。あたしの離れで良けりゃ寄っていきな。今なら孫娘がいる。孫は器量良しでね、薬師の才能も有りそうだ。坊やが気に入ったなら、婿としてうちに来てもいいよ」
 老婆の孫には惹かれなかったが、薬師の作業場は見てみたいと思った。
「ぜひ見せてほしいです」
「じゃあおいで。食事の時間まで少しあるようだから」
 立ち上がって、老婆と共に家の中を進んだ。離れへは、渡り廊下でつながっていた。中へ入ると、強い薬の匂いがした。人の姿はない。
「おや、あの子は行ってしまったようだ。すまないねえ」
 部屋を見渡した薬師は、肩をすくめた。孫娘とやらが見当たらないのだろう。しつこく宛がわれても迷惑だから、自分はほっとした。
「……あなたは里に暮らすのですか」
 離れの中には、琉璃の庵と同じように、たくさんの引き出しがついた棚がしつらえられていた。調薬道具と思しきものは、彼の作業場よりも、はるかにたくさんあって、きれいに整えられていた。
 町の薬師は、ゆったりと頷く。
「他の薬師だってそうさ。山のものも野のものも採るからね、里の外れに居を構えることが多いが、山の中に棲むなんて奴はいない」
 薬の材料が入った籠を見せてくれた。植物や乾いた茸が詰まっていた。
「どうして琉璃は里で暮らさぬのでしょう」
「知らんよ。聞ける仲なら聞けばいいじゃないか」
「……ああ」
 薬師は、他にも材料を見せてくれて、丁寧に説明もしてくれた。すらすらと、材料の名前や効能を並べ立てていく様子に、あの琉璃の頭にも、これが全てつまっているのだと思うと、あの風変わりな男に、尊敬の念が沸く。
「……あなたは獣を使いますか?」
 水筒の中身を使った調合を見られなかったことを思い出す。
「獣?」
 薬師は不思議そうに首をかしげた。
「山犬だとか、そういうものの身体からとったもので薬を作ることは?」
 続けて問うと、薬師は難しそうな顔で考えていたが、すぐに首を横に振った。
「……いいや、危ないからやらないよ。琉璃はそんなことをしているのかい」
「よくは知りません。ただ、獣を懐かせているところは見るんで」
 琉璃が具体的に何をしているのかを、話すのは憚られた。薬師は小さく頷いた。
「そうかい。聞いたことはあるが、ほとんど外法だよ。でも、あの化け物婆さんなら授けるかもしれないね。大したもんだ、琉璃とやらは」
 うんうん、と彼女が頷くと、離れの扉がそっと開いた。アキと同じくらいの少女が覗いて、ご飯ができました、と言ってくれた。
「ああ、今いくよ。ほれ、あれが孫娘だ」
 少女ははにかみ屋のようで、すぐに行ってしまった。確かに器量の良い娘であったが、まだ幼すぎる。
「妹があれくらいですね」
 他には何にも言わずに、薬師の仕事についてだけ話を向けながら、食堂へと案内してもらった。
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