隠遁薬師は山に在り

あつき

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傷のある身体

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 庵へ戻ると、琉璃は棚へ向かった。
 薬の材料が仕舞ってあるのとは別の、彼自身の日用品が並んでいる場所だった。普段使いの食器や手拭が僅かばかり置かれていて、仕事の道具以外は、ほとんど何も持たずに生きているように見えた。
 彼は、その並んだものの中から、手のひらほどの大きな貝を取り出した。薬の入れ物だ。
「自分の薬か?」
 俺の家にもある。生傷をこさえた時に、母親がよく塗ってくれた軟膏だ。今でも、狩りで怪我をしたときは世話になる。
「ああ、よく効くぞ」
「知ってる、村の者ならみんな使っている」
「だろうな」
 単純な頷きには、得意げな色もなかった。彼は裸のままで囲炉裏の傍へ座り込み、傷を負ったところへ塗り込んでいく。その近くに腰を下ろして、手当の様子を見守った。背中もひどかったので、入れ物を渡してもらうと、そうっと塗っていった。
「山犬との交尾は、よくするのか」
 薬を指先で薄く広げていく。傷口へ触れても、琉璃はちっとも痛がらなかった。
「身が持たん。月に一度がせいぜいだ」
 身体はつらそうだ。それでも、月に一度もしているのかと、驚きと呆れとが、一度にやって来た。
「人とはしないのか」
 女にせよ男にせよ、村の者が連れ込まれたという話は聞かない。が、行商の中には安く買える湯女もいる。しかし琉璃は、背中越しでもわかるほど、大きなため息をついた。
「一度きりだな、あれで懲りた」
 背中へ薬を塗り終わって、貝の蓋を閉じた。動く気はないようだから、入れ物を持って、彼が出してきた棚へ戻した。棚の近くには、衣服を入れた大きな籠もあった。
「替えの服は」
「このままでいい」
 ぼんやりとした様子で、彼は答えた。寒そうには見えなかった。
 彼の近くへと戻って、濡れたまま放り出されていた服を、囲炉裏の傍へ広げる。
「水筒はどうする」
「……今日は気分じゃない。お前も出直せ」
 そう言って、皮の水筒を傍らへと除けてしまった。
 素裸で手足を投げ出して、濡れた長い髪だけが、辛うじて体を隠している。女だったら色気のありそうな格好でも、枯れた体の男がしていると、なんだか心許なく見える。弱々しさに、うずうずと何かが湧き上がってくる。
「……なんだ、愉快な顔をして」
 その男が、のろのろとこちらを向いた。視線が、合いそうで合わない。覗き込んでも、はっきりと俺のことを見ない。
 いつも瞳や言葉の鋭い男も、このように消耗するのか。
「抱いてみたい」
 口をついて出た欲求に、彼は薄ら笑った。はっきりとした、軽蔑の色があった。
「そんなことだろうよ、好きにしな」
「良いのか。俺の精も使うか」
 肩にかかった髪をすくい上げると、首筋が細いのが目についた。
「人なら肉や内臓の方がいい薬になる。寝首を掻いたりはしない、さっさとしろ」
 琉璃の背中は傷だらけだ。寝かせては抱けない。
「膝に来てくれるか」
 裸の身体を引き寄せると、あっさりと従った。本当に生きているのか不安になるほど、彼の身体は軽かった。

 琉璃の身体は慣れていた。
 犬と交わった直後だからかもしれないが、女の身体よりも簡単に交わることができた。
 膝の上に乗せて、軽い体を揺さぶっても、彼の瞳はぼんやりとして、倒れぬようにこちらへ腕を回してはいるが、かすかに息を吐くだけだ。
「善くないか、琉璃」
 熱い体の中を穿ちながら聞いても、気のない返事しかなかった。
「犬に慣れすぎたな、何とも感じぬ」
「そうか」
 こちらとしては、彼の身体はなかなか好かった。
 ふう、と時折ため息をつく身体をしばらく楽しんでから、放した。中へ注ぐと、わずらわしそうに眉根を寄せたが、琉璃は何も言わなかった。
 彼は膝から下りると、布の上へ座りこんでしまう。
「……人とは一度きりで懲りたと言っていたな」
 琉璃は鬱陶しそうに頷いた。のろのろと、重そうな刺繍の施された羽織を肩にかけて、痩せぎすの体を包んだ。昼だというのに羽織の中は夜みたいに暗くなって、彼の身体は隠れてしまう。投げ出された剥き出しの足は、日陰者らしく生白かった。
「なぜ懲りた」
 顔を覗くが目を合わせてはくれない。ただ面倒だとでも言いたげに、深いため息をつかれた。
「人は好かん」
 短い答えに、ふと笑う。
「なぜ」
 じろり、と鋭い瞳が睨みつけてくる。
「好かぬものは好かぬ」
「今お前は、人に抱かれたぞ」
 好きでもないくせに。揶揄が声音に出た。彼は不快そうに顔を顰める。
「おかげで吐きそうだよ、用が済んだならさっさと帰れ」
「また来ても良いか」
 自分も服を整えた。
「用があるならな」
 羽織をかぶって亀のように首だけ出した琉璃は、怠そうに言う。用を作って来ようと思った。彼のすることは、どうにも危なっかしい。具合の好い身体も、一度きりでは惜しいと思った。
「……なあ琉璃。お前は俺の名を知っているか?」
 ふと、尋ねる。彼を呼んだことはあっても、呼ばれたことはなかった。彼は首を横に振る。
「知らん」
 それを聞いて、なぜか、気が抜けてしまった。
「……ケイだ。名も知らぬ男に身体を許すか、琉璃」
 俺に何も興味がないのだ。そしてきっと、彼は彼自身を大切にするとか、そういうことにも、興味がないのだ。
「山犬など、自分らがイヌと呼ばれてることも知らんだろうさ」
「……そうか、そうだな」
 琉璃の髪に、手を伸ばす。撫でようとすると、嫌がられた。
「帰れ」
「ああ、そうする」
 手を引っ込めて、立ち上がる。
 庵を出るときに振り返っても、琉璃は同じままの姿勢で、身じろぎもしなかった。
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