生命の樹

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第5話 嵐の前の静けさ

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 地表から50~110m上空をゆっくりと泳ぐように飛ぶクジラ。その大きさは異様だ。一度見ればまるで、小さな島が空を飛んでいるように錯覚するだろう。さらに、その大きなクジラの背中には地表と同じような木々が生息していることも錯覚の要因だ。

 それもそのはず、そのクジラは生まれた時は地面の一部として生きるからだ。そして、ある程度成長すると空を飛ぶ。

 クジラは尾ひれを縦に振る。それだけで、周りを飛ぶ鳥や、雲が吹き飛んでいく。ゴウゴウという尾ひれと空気が擦れた音が辺りに響き渡る。

 そのクジラが食物連鎖の頂点に位置していることは誰の目にも明らかだった。しかし、動きがどこかぎこちない。クジラはゆっくりと高く上がっていく。

 その先には植物を恐れ地上を去った人が逃げた先、人が生を営む『暴食の樹』の頂上部分、樹冠があった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「せっかく人は植物から空に逃げたってのに、まさかのクジラの背中に生え、やってくるとはね」

 バン博士はぽつりとつぶやいた。

 僕は双眼鏡を覗く。そのクジラの背中で群生する植物を見る。様々な種類の植物が蠢いている。
 今、地上で見られる植物に似ている種はあるものの、殆どが見たこともないような異形の形をした植物だらけで。
 返しのついている棘が幹に所せましと生えている木、幹の先に体の半分ほどはある大きな塊がついた木々まるで見た目はハンマーだ。異様な鋭利な面を持つ木。
 
 どれがも生存に適した進化をしたと思えない。

 進化した先がこれなのか……。僕はぼんやりと思った。

 数千年もの間、植物はガベト族のために進化した。もともと人の存在は環境に大きく影響を与える。その人間がエネルギー源と化したことで、さらに環境に与える影響は大きくなった。人為淘汰、環境に人の意識が濃く反映され、淘汰が強く働いた。

 種子を残さなくても、同種を殺しても、ガベト族に気に入られれば繁栄できる。

 その結果、起こった進化は極端なものだった。
 種の繁栄を引き換えに、植物はガベト族にすべてを捧げた。ガベト族は植物の中で絶対的な存在となった。

 そして植物全体の進化の方面として、大きく三つに区分できる。一つは食料としての進化。一つは、人の命を救う、医療機器としての進化。そして、最後の一つは、人の命を奪う、武器としての進化した。

 人の意識が環境に濃く反映された結果の進化。

 博士はそのまま持っていた資料をめくりながら、

「約三百年前に空へ浮かび上がったクジラか」

 眼下には小さな島を彷彿とさせるクジラ。どんどんとこちらに近づいてくる。この高さまでたどり着くには数日もかからないだろう。

 僕と博士は研究所の庭から眼下にあるクジラを双眼鏡で見ていた。というのも、研究所は『暴食の樹』の端に位置している。だからこそ、研究所の裏から地上を見ることが出来る。

「あのクジラ……すごくやせ細ってませんか?」

 ふいに僕は気づいた。

「……環境の違いだ。ガベト族はグラシアを除いてもういない。あの巨体を維持するほどのエネルギー源がないんだよ。弱っているのが見て取れる」

 博士は当然とばかりに言った。

「なるほど……」

「こうしちゃいられないな。すぐに対策を考えないと」

 すぐに研究室に戻っていく博士。僕はその後を追わず、しばらく一人でクジラを眺めていた。

 クジラはガベト族が放出することで育った、豊富な栄養素があったことも相まってその体を大きくし、海から地上に進出したと言われている。その中で、体に『気球の樹』を取り入れたことで空を浮かべるようになり、それによって誰にも襲われない。異性も見つけやすいという理由で繁栄したというのが見解だ。

 つまり、クジラは巨体化と、空を飛ぶという進化のおかげで繁栄した。

 進化し、あれだけ大きく圧倒的な存在になったのに、その進化が自らに牙を向いてしまう。

 そこまで考えた後、僕は不意に思った。

 人だって一緒なのかもな……。

 生きるのに必要になったのが、曖昧さで。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ギギギッ

 鉄が鉄をこする鈍い音が洞窟内に響き渡り、ゆっくりと開くドア。年季を感じさせる錆だらけの大きな鉄製のドアの先は真っ暗だった。

 その中をライトで照らす研究員のエツィオとシーナ。

「行こう」

 バン博士を先頭に、僕、エツィオ、シーナと洞窟の中に入っていく。

 今、僕たちは『生命の樹』の親木のもとへ向かっている。

 目的は医療に使う用の『生命の樹』の回収だ。クジラの一件で大量の『生命の樹』が必要になる。グラシアによって回収した分ではまだまだ足りない。

『生命の樹』の生態は不思議だ。
 その一つに繁殖方法がある。親木と呼ばれる『生命の樹』を生み出す木がある。他に、『生命の樹』を生み出す方法は現在発見されていない。

 進むと比例して、鈍い匂いが強くなっていく、僕は鼻を抑えた。ここは様々なにおいが複雑に絡み合って、でもその根底に染みついて取れない血の匂い。強烈なにおいで、まるで血を舐めているような味がしてくるほどに。

「この匂いどれだけたっても慣れないですね」

 エツィオが顔をしかめる。

「ごめんね。マスクを取りに行くほどの時間が今はないんだ。急がないと」

 博士はそう答える。

 次第に足元にビチビチッと跳ねる『生命の樹』が増えてくる。思わず踏みつけてしまえば足を滑らせてしまうだろう。

「シーナ気を付け……」

 普段から鈍臭いシーナが心配になったのだろう博士がそう言い始めようとしたが間に合わず。

 ガンッ

 シーナは『生命の樹』で足を滑らせ、そのまま尻もちをつく。

「大丈夫か?」

 慌てて尋ねるエツィオ。シーナは痛かったのか腰をさすりながら立ち上がり、

「まぁ、大丈夫です。ですが、私鈍臭いんで、またコケてしまいますね。多分。急いでいるんですよね? 私はこのあたりの『生命の樹』を回収しておきます。先に行ってください」

 いつも通り、当然というような表情で淡々と答えるシーナ。返事も待たずあたりの『生命の樹』の回収を始める。

「そうだね。じゃあ、お願いするよ」

 バン博士はシーナのその態度にも、もう慣れた様子でそう答えるとバン博士はシーナのその態度にも、もう慣れた様子でそう答えると、「さぁ、行こう」とルティとエツィオに言って博士は親木に向かって歩き出した。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~’

 親木のもとへたどり着いた僕、博士、エツィオ。地面は『生命の樹』で埋め尽くされ、足の踏み場がない。気持ち悪い感覚だ。地面から鼓動が伝わってくる。歩かないと、『生命の樹』が足を伝って登ってくる。それを払いながらエツィオは気持ち悪そうに呟いた。

「これを見た瞬間だけ、『生命の樹』の存在は生命を冒涜しているって批判する人の気持ちが分かります」

 エツィオは親木を見た。

『生命の樹』の親木の幹と枝は一般的な木の形をしているが、葉はなく枝の先から、数十のひょうたん型の実がなっている。
 その実の中で『生命の樹』は生まれる。大きさは人の顔より一回り大きいくらいで、その身は透けていて、中身が見える。

 その中にあるのは、緑色の淡く光る液体と、その中に無数の『生命の樹』だけではなかった。
 人間になり切れなかった生命体が敷き詰められている。

 これが『生命の樹』の生態系で最も奇異な部分だ。

 親木から生まれた『生命の樹』は宿主を見つけるため移動し、宿主の一部となる。
 しかし、宿主が死んだ場合、『生命の樹』は親木のもとへ戻り始める。そして、親木の一部となる。
 そうすることで、変異していた遺伝子情報が親木に蓄えられ、次の世代へと引き継がれる。

 その特性が現れている。
 親木に蓄えられ子供に伝えられた他種の遺伝子情報が、子供が生まれる際、発現する場合がある。
 そして、同じような現象が同じ実の中にある他の個体も運よく行っていた時、お互いでくっつきあい、他種の体を作ることがある。
 しかし、人体の構造は複雑だ。簡単に完璧な体を作れるわけもない。99.9%の確率で出来上がるのはもどきだ。

 体の至る所に目や口がついているもの。腕、頭、足の位置と数のどれもが不正確なものはまだましだ。数十個の様々な内臓がつながっているもの。明らかに他の動物の特性を持ったもの。
 それは見るに堪えないものばかりで。

 生まれてきた時から、体のすべてが『生命の樹』で出来ているルティは違和感を覚えないが、体の大部分を『生命の樹』に取って変わらせたエツィオには堪えるものがあるのだろう。

 エツィオの顔が明らかに強張っている。 

「自分の体が『生命の樹』で作り上げられている気分が強くなって、自分の体が自分の物じゃないように感じて好きじゃないです」

 そうぽつりとつぶやいた。

 バン博士は「そうだよね」と同意を示しながら親木へ近づくと、実を切り落とした。その人間もどきは生き残れるはずもなく、死を迎えた。形は崩れ、無数の『生命の樹』へと姿を変える。

 それを網で掬い、瓶につめるバン博士。それに続く僕。そのあとを我に返ったようでエツィオも後に続く。 

 そのまま三人である程度離れて『生命の樹』の回収を始める。

 その途中だった。

 網で掬いながら、微かな違和感に気づいた。少し網の先に何かが引っかかった気がしたのだ。僕は網の中に手を突っ込み、網の中を手探りで探る。すぐにその違和感の正体を見つけた。僕は優しく持ち上げる。

 手が二個分ほどの大きさのそれは、外見からは完璧に人の姿をしていた。
 『生命の樹』によって出来上がった限りなく人間に近い生命体。
 ここまで人間に近い個体はもう数年ぶりだ。しかし、血だらけで、今にも……。

 普通だったらすぐに博士に連絡して保護しないといけない。しかし、僕は躊躇した。ここですぐに博士に知らせるべきか。
 その数十秒の躊躇の間に、その個体は死を迎え、指の間からぼろぼろと『生命の樹』が零れ落ちていく。

 それを見ながら僕は、ほっとしたような、羨ましいような、怖いような、そして圧倒的な胸苦しさ。
 少し違えば自分もこうなっていた。頭の中に過去の人間になり切れない個体を彷彿とさせた。僕は口元を手で押さえた。喉の奥にすっぱいものを感じる

 人に近い形を持つことだけでどれだけ確率が低いか。僕やユズキのような完璧な人間の形を持って生まれるものなど、奇跡だ。更に、そこから数年生き残れる確率なんてほぼ0に近い。

 僕はあたりを見渡した。一面に広がる『生命の樹』と、人間もどき。そして、完璧な人間の体を保つ自分。ここの違いはただの偶然。ほんの少しでも違うかったら僕はいなかった。

 ……どうして僕だったんだろう。
 僕はまた曖昧な答えを探し出そうとしていた。

 『生命の樹』のままだったらこんなに楽そうなのに。こんな数十年で一度ほどの低い確率を引いたのに。……いや……引いてしまったのか。

 僕はそのまましばらくの間動けなかった。



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