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甘い贖罪
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冬、ピコンと軽快な音を立てて届いた意味不明なメッセージに思わず頭を抱えた。
コートを着込んでいても紛らわせない寒さに今朝テレビで言っていた「今年一番の寒さ」というのも頷けるな、と悠長なことを考えて身震いする。
何回チャイムを鳴らしても出てくる様子のない幼馴染に舌打ちをひとつ打って、バッグの底に眠っていた合い鍵を取り出す。ドアを開けてすぐ目に入る荒れた廊下に目を逸らしたくなった。
「入るぞー」
多分奥の部屋で死んでいるであろう幼馴染に聞こえるよう靴を脱ぎながら声をかけると、まるで返事のようにドタドタ物音が聞こえてきた。
酒の空き缶やらが散らばってる廊下や誰のものかわからない血が付いた風呂場には目もくれずまっすぐ部屋に向かう。
「生きてるか?」
「ゆ~う~ひさしぶり~」
ドアの少し手前でうなだれている幼馴染が、焦点のあっていない目をこちらに向けへにゃりと笑う。幼馴染の後ろに見えている大量の市販薬の瓶にため息をついた。どれもこれも過剰に摂取すると危ないものばかりである。
「ましろ、」
咎めるように幼馴染の名前を呼ぶ。幼馴染は、母親に怒られたような顔をしてふい、と顔をそむけた。
幼馴染──真白にこうやって呼び出されるのは、初めてではない。真白が一人暮らしを始めて、彼氏を連れ込んだ翌日は決まって呼び出されるのだ。…いや、呼び出しというよりは真白から送られてくる意味の分からないメッセージに俺が心配して駆けつけているだけなのだが。
閑話休題、真白の彼氏は暴力を振るうクズ男だ。真白が言うには部屋でヤることだけヤった後満足するまで真白を殴って、気が済んだら帰っていくらしい。前に真白の手当てをしているときへらへらとしながらそういう男なのだと伝えてきやがった。
「今回は随分手酷くやられたな。」
「んぅ、やっぱゆうから見てもそう思う~?多分鼻の骨折れてるんだよねぇ…」
ではなぜ真白はそんな男と別れないのか。答えは簡単だった。
「でも、あの人殴った後には絶対愛してるって言ってくれるから」
ほかの誰でもない、真白自身が意図してそういう男を選んで付き合っているのだ。その事実に、腹の中のドロドロとしたものがぐっと重くなる。
俺は、きっと真白のことを好いていた。はっきりと自覚した日なんて覚えていないが、ずっと昔から俺を見るとへにゃりと綺麗に笑う真白を自分の物にしたいと、そう願っていた。
それなのに真白の中での‘愛情‘というのはいつの間にか歪んでいて、俺がその愛を与える人間になれる機会は無くなっている。
真白の親はいわゆるネグレクトに当てはまるような事をする人だった。日付が変わってから帰ってくるのが当たり前で、机の上に必要最低限のお金を置いてまた出て行ってしまう。真白はいつもそんな親に構って貰いたがっていたし、俺もいつかそうなるといいね、なんて言っていた。
だから、真白が体中に痣を作って「やっと構って貰えた」なんて言った時にはなんて返せばいいのか分からなかった。ぬくぬくと愛情のある両親に育てられ、まだ世間も知らなかった俺は真白の中での‘構う‘に暴力というものが入っているなんて考えもしなかったのだ。
真白があまりにも嬉しそうにするものだから、「そんなのおかしい」なんて死んでも言えず、嫌な汗を流しながら「良かったね。」と言うしかなかった。
そこからだ、真白の中での愛が暴力と結びついてほどけなくなったのは。
段々と己の体に増えていく痣を撫でながら、真白は幸せそうに親にされたことを俺に言うようになった。それはお互いが大人になった今でも続いていて、今度は彼氏にされた事を手当てする俺に言うのだ。正直、やめてくれと、そんな顔でほかの男の話をしないでくれと、そう叫びだしたかった。それでも、真白は俺がいなくなったらそのまま野垂れ死にしてしまいそうで、俺は黙ってその話を聞いていた。
「なんか食えるもんでも作ろうか。」
手当てした後、来る途中に買ったポカリスウェットを渡す。未だに焦点の合わない真白の目を見て聞くと、真白は小さくいや、と首を振った。
「いま物食べたら吐く…」
「そうか。」
口を押えながらそう言った真白に、いったいどれだけの薬を飲んだんだ?と問いかけようとしてやめる。床に散らばっている瓶の数を見て大体察した。
真白は彼氏が帰ってから俺が来るまでの間に薬を飲んでいる。それも、一瓶だとか二瓶だとか、馬鹿にならない量を。
初めてこの惨状を見たときは、それはもう驚いた。ついに真白が自殺を図ったのかとも考えたし、彼氏に無理やり飲まされたんじゃないかとも思った。ただその予想はどれも外れで、真白は自分が気持ちよくなるためにこれをやっているのだと慌てる俺に言ってきた。
俺は、真白のやることを否定できない。否定しようと口を開いて言葉を発する前に、あの時真白への虐待を止めず、正しい愛を教えれなかったお前が今更何を否定するのだ。と誰かに責められている気がして口を閉じてしまう。
だから、これは贖罪なのだ。真白に優しい愛を教えず、ただここまで歪んでいくのを眺めていただけの、この世で一番重い罪を背負った俺がすべき贖罪。
「ね、ゆう。」
真白が甘い声で俺を呼ぶ。ゆっくりとした手つきでまだ開けていなかったらしい風邪薬のシロップを手に取ると、その小さい口に含んだ。
「真白、おまえ何して、」
そのまま近づいてきた真白に後退りするも、すぐに壁に追い詰められてしまう。
唇に柔らかい感触がした。思わず声を上げそうになって、口をわずかに開くと真白の舌とともに甘い液体が入ってくる。
「ん…ふ、ぅ」
甘い液体を一通り流し込んで、唇が離れた。名残惜しそうに俺と真白の口を繋ぐ糸がぷつりと切れる。移された甘い液体を飲み干すと、俺より少しだけ背の低い真白が上目遣いで俺を見る。いつの間にかしっかりと据わっている真白の瞳には情欲がはっきりと浮かんでいた。
「ねぇ、ねぇ。ゆう」
あぁ、やはりこれは贖罪なのだ。真白に愛を教えることをしなかった罪、真白を好いてしまった罪、真白を彼氏から守れない罪、その全部に対して贖わなければいけない。あと何をすれば、どうすれば俺は許されるんだろう。
なぁ、真白。愛してた。
コートを着込んでいても紛らわせない寒さに今朝テレビで言っていた「今年一番の寒さ」というのも頷けるな、と悠長なことを考えて身震いする。
何回チャイムを鳴らしても出てくる様子のない幼馴染に舌打ちをひとつ打って、バッグの底に眠っていた合い鍵を取り出す。ドアを開けてすぐ目に入る荒れた廊下に目を逸らしたくなった。
「入るぞー」
多分奥の部屋で死んでいるであろう幼馴染に聞こえるよう靴を脱ぎながら声をかけると、まるで返事のようにドタドタ物音が聞こえてきた。
酒の空き缶やらが散らばってる廊下や誰のものかわからない血が付いた風呂場には目もくれずまっすぐ部屋に向かう。
「生きてるか?」
「ゆ~う~ひさしぶり~」
ドアの少し手前でうなだれている幼馴染が、焦点のあっていない目をこちらに向けへにゃりと笑う。幼馴染の後ろに見えている大量の市販薬の瓶にため息をついた。どれもこれも過剰に摂取すると危ないものばかりである。
「ましろ、」
咎めるように幼馴染の名前を呼ぶ。幼馴染は、母親に怒られたような顔をしてふい、と顔をそむけた。
幼馴染──真白にこうやって呼び出されるのは、初めてではない。真白が一人暮らしを始めて、彼氏を連れ込んだ翌日は決まって呼び出されるのだ。…いや、呼び出しというよりは真白から送られてくる意味の分からないメッセージに俺が心配して駆けつけているだけなのだが。
閑話休題、真白の彼氏は暴力を振るうクズ男だ。真白が言うには部屋でヤることだけヤった後満足するまで真白を殴って、気が済んだら帰っていくらしい。前に真白の手当てをしているときへらへらとしながらそういう男なのだと伝えてきやがった。
「今回は随分手酷くやられたな。」
「んぅ、やっぱゆうから見てもそう思う~?多分鼻の骨折れてるんだよねぇ…」
ではなぜ真白はそんな男と別れないのか。答えは簡単だった。
「でも、あの人殴った後には絶対愛してるって言ってくれるから」
ほかの誰でもない、真白自身が意図してそういう男を選んで付き合っているのだ。その事実に、腹の中のドロドロとしたものがぐっと重くなる。
俺は、きっと真白のことを好いていた。はっきりと自覚した日なんて覚えていないが、ずっと昔から俺を見るとへにゃりと綺麗に笑う真白を自分の物にしたいと、そう願っていた。
それなのに真白の中での‘愛情‘というのはいつの間にか歪んでいて、俺がその愛を与える人間になれる機会は無くなっている。
真白の親はいわゆるネグレクトに当てはまるような事をする人だった。日付が変わってから帰ってくるのが当たり前で、机の上に必要最低限のお金を置いてまた出て行ってしまう。真白はいつもそんな親に構って貰いたがっていたし、俺もいつかそうなるといいね、なんて言っていた。
だから、真白が体中に痣を作って「やっと構って貰えた」なんて言った時にはなんて返せばいいのか分からなかった。ぬくぬくと愛情のある両親に育てられ、まだ世間も知らなかった俺は真白の中での‘構う‘に暴力というものが入っているなんて考えもしなかったのだ。
真白があまりにも嬉しそうにするものだから、「そんなのおかしい」なんて死んでも言えず、嫌な汗を流しながら「良かったね。」と言うしかなかった。
そこからだ、真白の中での愛が暴力と結びついてほどけなくなったのは。
段々と己の体に増えていく痣を撫でながら、真白は幸せそうに親にされたことを俺に言うようになった。それはお互いが大人になった今でも続いていて、今度は彼氏にされた事を手当てする俺に言うのだ。正直、やめてくれと、そんな顔でほかの男の話をしないでくれと、そう叫びだしたかった。それでも、真白は俺がいなくなったらそのまま野垂れ死にしてしまいそうで、俺は黙ってその話を聞いていた。
「なんか食えるもんでも作ろうか。」
手当てした後、来る途中に買ったポカリスウェットを渡す。未だに焦点の合わない真白の目を見て聞くと、真白は小さくいや、と首を振った。
「いま物食べたら吐く…」
「そうか。」
口を押えながらそう言った真白に、いったいどれだけの薬を飲んだんだ?と問いかけようとしてやめる。床に散らばっている瓶の数を見て大体察した。
真白は彼氏が帰ってから俺が来るまでの間に薬を飲んでいる。それも、一瓶だとか二瓶だとか、馬鹿にならない量を。
初めてこの惨状を見たときは、それはもう驚いた。ついに真白が自殺を図ったのかとも考えたし、彼氏に無理やり飲まされたんじゃないかとも思った。ただその予想はどれも外れで、真白は自分が気持ちよくなるためにこれをやっているのだと慌てる俺に言ってきた。
俺は、真白のやることを否定できない。否定しようと口を開いて言葉を発する前に、あの時真白への虐待を止めず、正しい愛を教えれなかったお前が今更何を否定するのだ。と誰かに責められている気がして口を閉じてしまう。
だから、これは贖罪なのだ。真白に優しい愛を教えず、ただここまで歪んでいくのを眺めていただけの、この世で一番重い罪を背負った俺がすべき贖罪。
「ね、ゆう。」
真白が甘い声で俺を呼ぶ。ゆっくりとした手つきでまだ開けていなかったらしい風邪薬のシロップを手に取ると、その小さい口に含んだ。
「真白、おまえ何して、」
そのまま近づいてきた真白に後退りするも、すぐに壁に追い詰められてしまう。
唇に柔らかい感触がした。思わず声を上げそうになって、口をわずかに開くと真白の舌とともに甘い液体が入ってくる。
「ん…ふ、ぅ」
甘い液体を一通り流し込んで、唇が離れた。名残惜しそうに俺と真白の口を繋ぐ糸がぷつりと切れる。移された甘い液体を飲み干すと、俺より少しだけ背の低い真白が上目遣いで俺を見る。いつの間にかしっかりと据わっている真白の瞳には情欲がはっきりと浮かんでいた。
「ねぇ、ねぇ。ゆう」
あぁ、やはりこれは贖罪なのだ。真白に愛を教えることをしなかった罪、真白を好いてしまった罪、真白を彼氏から守れない罪、その全部に対して贖わなければいけない。あと何をすれば、どうすれば俺は許されるんだろう。
なぁ、真白。愛してた。
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