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於田縫紀

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第15章 ケルキラ旧要塞攻略⑴

第84話 旧要塞本館1回目

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 ビシュマにて行われる竜候祭。
 普通に生きているとまず見ることができないドラゴンの姿を拝めるとあって、国内外各地から大勢の人が集まる、スワラッド商国最大のイベントと言っていい。

 祭りという体ではあるが、本来はドラゴンから提示された試練に挑む場というのが本来の姿だ。
 純粋に祭りとして楽しむ一般市民とは違い、スワラッド商国にとっては暢気に楽しめるようなものではない。
 試練の結果次第で、遠く離れた別大陸へ行けるかどうかが決まるため、国としてはかなり力を入れて臨むことになる。

 この試練に関しては、祭りのメインイベントという扱いのため、広場に来さえすれば誰でも見ることができ、さらには希望すれば飛び入りで参加することも不可能ではない。
 ただし、飛び入り参加者が試練をクリアしても、特に賞金などが出るわけでもないので、ドラゴン相手に一手やりあうのが目当ての変わり者が祭りに色を添えることになる。

 毎年試練の内容は変わるため、飛び入り参加ができないケースもあり、事前にビシュマの行政側に尋ねることも勧められている。

 今年の場合は、広場にいる役人に申し出ると、早ければその日の内に、遅くとも翌日には試練に参加が許されるという話だ。
 なお、その際には参加希望者の力量を図るため、ギルドでのランクや職業なども聞き出され、実力不足と判断されると止められる。

 その甲斐あってか、広場で試練が行われる時には、十分な実力を備えた人間による迫力ある技を、一般の人間でも見学することができていた。




 この日、朝を迎えてからさほど時間は経っていないというのに、広場には大勢の姿があった。
 彼らはディースラと人間の立ち合いを見ようと、まだ暗いうちから集まってきた者達だ。

 ビシュマでは祭りの間、出店や振る舞いなどで住民は夜遅くまで賑わいを楽しみ、そのうえで試練を見ようと早朝に広場へ集まってくるせいで、そこかしこで寝不足気味の顔も見られる。
 俺とパーラも朝から広場に来ていたが、やはり昨日は遅くまで祭りの空気を楽しんでいたせいで、しっかり残った眠気に頭が支配されていた。

 それでも、ステージにディースラが姿を見せると空気が明らかに変わり、随伴している役人が今日の試練の開始を宣言すると、街全体が目覚めたように喧噪が沸き起こった。

 毎日やることになっているのか、試練に関するルールが役人の口から広場に向けて伝えられる。
 試練達成の目標として『ディースラ様に痛みを与えること』を掲げ、それは基本的に祭りの開始でディースラが宣言したものと同じではあるが、いくつか注釈のようなものが加わっていた。

 一、試練はディースラ様に対し一度のみ攻撃を行い、明確な痛みを与えたかどうかは、ディースラ様本人及び、立ち会う人員二名によって判定される。

 二、攻撃を行う際、流派や技術によっては複数の攻撃を経由する必要がある場合に限り、事前に申告することで複数の攻撃を予備動作とした複合技をまとめて一撃と認める。

 三、攻撃を行う際、武器に魔術、あらゆる道具と手段の使用を認める。ただし、必ず一対一を厳守し、挑戦する者以外が攻撃に参加した場合、結果の如何にかかわらずこれを無効とする。

 以上が大まかなルールとして周知され、疑問や不満を申し出れば、都度運営に携わる人間が対応するそうだ。

 説明が終わると、ステージにディースラへ挑む人間が現れる。
 まず最初に挑むのは、筋骨隆々な鬼人族の男だ。
 少女然としたディースラと鬼人族の対比は子供と化け物と言った様子だが、本当の姿で見れば実際は逆の印象となるのだから面白い。

 見るからに力自慢と思える鬼人族の登場には観衆もいいリアクションを見せ、これから行われることに対して男の方を応援する声がチラホラと聞こえてくる。
 この街の人間はディースラがいかに強大な存在か十分に分かっているだけに、どれほど善戦するかだけを楽しみにしているような感じだ。

「ふむ、昨日に続き、また鬼人族か。膂力に優れた種族ゆえに自信もあろうが、果たしてな。一応聞くが、どちらの姿を所望か?」

 気だるげな様子のディースラが言うどちらの姿というのは、人間形態かドラゴン形態のどちらに挑むかというのを相手に委ねての質問だそうだ。
 姿は変わっても強さは変わらないディースラだが、人によっては少女の姿に全力で殴り掛かりたくないというのもいるらしく、試練の初めにはまず相手にああして尋ねるのだとか。

 ただ、今のところドラゴン形態に挑むという人間はいないらしい。
 ディースラの強さは姿で変わらないという点は知られているが、見るだけで恐怖を抱くドラゴンの姿と対峙するよりは、少女姿の方が幾分かましだということだろう。

「…そのままで」

「あいわかった」

 今回の挑戦者もやはり少女姿を希望し、ディースラも分かり切っていた返答だと言わんばかりに、感情の起伏がない声で返す。
 骨のある挑戦者なら、ここでドラゴン形態に挑んで広場にディースラの本来の姿が見れたのだが、流石に一度きりの挑戦に不利な要素を持ち込もうとする人間はいない。

 問答はそれでおしまいなのか、挑戦者は武器の準備に入る。
 鬼人族の男が使うのは、己の身の丈に並ぶほどの長さを誇る戦槌で、よく使いこまれた感のあることからも、十分手に馴染んだ武器のようだ。

 鋼鉄製と思われるあの大きさのものとなれば、恐らく重量は優に四十キロは超えていると思うが、手に持つ姿は重さを感じさせないもので、大柄な体格に見合う膂力であの戦槌が振るわれれば、人体程度なら軽くトマトジュース状に化けさせることはできるだろう。

 対するディースラはというと、それを見ても特に何かを感じるということもなく、先程から変わらぬ姿で立っている。
 どこか退屈そうな雰囲気なのは、相手をなめているとかではなく、純粋に脅威を覚えていないからだ。

「双方、準備はよろしいですか?…では、始めてください」

 ディースラと挑戦者が共に静かに佇む様子から、立会人が確認の言葉をかけると、二人が揃って頷いたことで、今日最初の試練が始まった。

 開始と同時に挑戦者は右足を一歩踏み出しながら腰を深く落とし、半身になった自分の背に戦槌を隠すようにして引き、その態勢のまま動きを止めた。
 すると挑戦者の全身が一回り大きくなったように見え、今すぐにでも爆発しそうな力を秘めた筋肉が、解放の時を待ちわびているかのように震えている。

 全身の筋肉をばねとし、背後に引いた戦槌を体の一部のようにして連動して振るうことで、最大威力をディースラへと叩きこもうというのが狙いだろう。
 彼我の距離は、戦槌が最も威力が乗る先端が丁度ディースラに届くと思われ、十分な破壊力を持って対象を打ち抜くことになる。

 これが実戦ならあからさまな攻撃に距離を取られるところだが、試練の内容上、そもそも躱される心配はなく、横なぎに振るえば、まず外すこともない。

 肉体が同時に解放と抑圧へ晒されていることから、ギチギチという音が聞こえてきそうなほどに筋肉が膨れだしたその時、踏み出されていた右足がステージ上に敷かれていた石畳を踏み砕く。
 余計な破壊を生み出さず、右足周辺の石畳だけが割れているのは、挑戦者の足から腕へ全身の筋肉が正しく連動された結果だろう。

 爆発的な勢いで繰り出された攻撃は、一般人の目には一瞬、あれだけの大きさの戦槌が消えたように見えたはずだ。
 凶悪な風切り音と共に、恐ろしい速度でディースラの脇辺りへ叩きつけられた一撃は、少女の姿を肉片に変えるのを幻視させるほどのものだったが、生憎相手が悪い。

 ディースラは身構えることもなく戦槌の一撃をその身に受けたが、あれだけの勢いの攻撃にも関わらず小動もせず、むしろガンッという鈍い音と共に戦槌の方が大きく弾かれる結果となってしまった。
 金属とぶつかって立てる音としては到底見た目にそぐわないもので、流石人間サイズのドラゴンなだけはあると、見る側に説得力を与えるほどだ。

 当然ながらディースラは表情どころか呼吸にすら痛みの色を見せず、この時点で試練は失敗だと判断できる。

「それまで。…ディースラ様、いかがでしょう」

 流れていきそうな戦槌を抑え込んだ挑戦者に、立ち会い人の一人が声を上げた。

「うむ、全く痛みを感じぬ。これでは合格はいかぬのぅ」

 平坦な声ではあるが、どこか落胆したようにも思えるディースラの言葉に、挑戦者も一瞬悔し気な顔を見せるものの、この結果には不満を覚えるほどではないらしく、促されて素直にステージを降りた。
 今日最初の挑戦が迫力あるものだった証拠、この挑戦者には観衆から惜しみない拍手が送られる。

 続いて次の挑戦者がステージに上がった。
 今度は普人種の女性で、当然ながら体格は先程の鬼人族と比べてかなり小柄だ。
 こちらもやはり、ディースラには人間形態を希望してのスタートとなる。

 立ち会い人の合図で腰に提げていた剣を抜いたことから、魔術師ではなく剣士だと分かる。
 ただ、その剣はレイピアほどではないがかなりの細身で、構えと相まって刺突による攻撃を繰り出そうというのは読めた。

 これに対してもディースラはまたも構えらしい構えをとらず、剣の切っ先がピタリと己に向いても表情すら変わらない。
 これもまたドラゴンにとっては脅威足りえないと言わんばかりだ。

 開始の合図とともに、ディースラの胸元を狙った突きが放たれる。
 全身のばねと踏み込み、手首の返しが全て噛み合ったであろうそれは傍目に見ても完璧な一撃と言え、レーザービームのようにして一瞬で両者を繋ぐ線を描いた。

 キンという甲高い音が辺りに響く。

 相手が並の人間だったらライフル弾を喰らったような風穴が空いていただろうが、ドラゴン相手には威力が足りなかったようで、突き出された剣の先はディースラの肌でピタリと止まっており、ダメージは全く与えられてはいないようだ。

 見ていて背筋が寒くなる一撃でも毛筋ほどの傷すらも刻めず、むしろどれだけディースラの皮膚が硬いのかという恐怖を抱かせる。
 当然、判定もノーダメージとなった。

 二人目も失敗に終わったことで、また次の挑戦者が現れる。
 今度も普人種で、細身の若い男性だ。
 背中には長杖を背負っており、恰好からしても魔術師だと思う。

 前二人と違い、魔術師の挑戦ということで観客からも期待するような声が上がるが、俺からすればあまり期待はしない挑戦者だ。
 なにせ既に俺自身がディースラ相手に魔術で攻撃をした実績があり、その時の手応えからして並大抵の魔術ではまるで歯が立たないということを分からされていた。

 距離があるので正確ではないが、それでも薄っすらと感知できる魔力から判断するに、あの魔術師が果たして俺の暴走気味の最大出力を超える魔術が使えるかは疑問だ。

 そう思っていると、ステージ上では試練の開始と共に魔術が発動され、広場には風が渦を巻くようにして吹き始めた。
 どうやらあの男は風魔術を扱うようで、かなり広い範囲の空気を制御下に置いている点では、人間にしては中々の腕前だと思われる。

 とはいえ、あれを相手に魔術がいかに無力かは俺がよく分かっているので、風をどう使ってディースラを攻撃するのかは見ものだ。
 ひょっとしたら、何か俺の知らない方法でディースラにダメージを与える可能性もゼロではないが、果たして結果はいかに?





「分かってるつもりだったけど、やっぱりドラゴンってのは人の手に負える相手じゃないわ。叩く切る突く、とどめに魔術もダメだってんだからどうしようもないよ。あんなのが続くようじゃあ、今年の試練は失敗だね」

 大勢が行き交う道の上を歩きながら、昼食のパンをかじるパーラが言うのは、先程まで広場で行われていた試練の感想だ。
 今日の試練には十六人が挑戦し、いずれもディースラに痛みを与えることはできなかった。

 俺達は初めて見る試練の光景だったが、物理攻撃から魔術まで全て正面から受けて跳ね返すディースラの姿は、まるでプロレスを見ているような趣があり、ショーとしては面白いものだった。
 ただ、パーラの言う通り、今年の試練が失敗する可能性が見えてきては、穏やかではいられないところだ。

「そんなこと言うなよ。試練が失敗に終わったら、俺達は来年までこっちで過ごすことになるんだぞ」

「困るねぇ、それは。でもさ、ディースラ様が言うには、明日か明後日の挑戦者が本命らしいけど、あれを見た後だとどうにかなりそうって気がしないよ」

「どうだろうな。聞いた話だと、ディースラ様が出す試練は毎年違うから、色んな場合に備えて事前に多様な人材をスワラッドは用意してるらしいが、今回適した人材となると…」

「ネイさん並みに強くないと無理じゃない?ドラゴンを相手にできるってなると、私、あの人ぐらいしか想像できないよ」

「さて、世の中は広いからな。ネイさん程の化け物もいないとは限らんぞ」

「それ本気で言ってる?」

「ああ、ビシュマに明日雪が降りそうなぐらい本気だ」

「ほぼ無いってことね」

 確かに、パーラの言うようにドラゴンを相手取るには、俺が知る限りでは人類最強と言える、ネイぐらいの強さが必要だろう。
 もう一人、拳一つで巨人と渡り合ったイーリスも可能性はあるが、この二人は人類の範疇に収めていいか疑問なレベルなので、どっこいどっこいってところか。

 しかし、こっちの大陸にはネイはいないだろうし、あれクラスの戦士がそうそういるとも思えない。
 明日以降の試練で顔を見せるであろうスワラッド商国側の何者か次第で、俺達の今後の方針も大きく変わるため、ディースラを打倒してくれるかどうかが問題だ。

「こうなると、スワラッドが用意する人材がどうかはともかく、やっぱりアンディも試練に参加するべきかもね」

「まぁ試練の合格率を上げるなら、それがいいんだがな」

 三日目までに試練の合格者が出なかった場合、俺も参加するつもりだと、既にパーラとは話をしていた。
 元の場所に戻るために試練の突破が必須である以上、挑戦者数の分母を増やして損はない。

「じゃあ飛び入り参加する?そうすると、明日は午前が見回りだから無理だとして、明後日以降になるね」

「そうだな。ただ、問題はどうやってディースラ様に痛みを感じさせるかってことだ」

「それね…。今日見た感じだと、多分どんな攻撃も通じないもんね。アンディの雷魔術でもダメだったんでしょ?」

「ああ、今出せる最大出力の電撃でも、傷一つ負わせられなかった」

「うわっ流石ドラゴン。でもさっきの光景を見ると、それも当然と思えるのが怖いね」

「生物としての格が違いすぎるんだ。そんなの相手じゃ、とっかかりも思いつかんな」

「うーん、多分正攻法じゃダメだろうね。もっとこう…ドラゴンの弱点を突くとか、方向性を変えたやり方で挑んでみたらどうかな」

 こちらの世界でも有史以来、数少ないながらもあるドラゴンを討伐したという伝説を見てみれば、正面切ってやりあったというよりは、搦め手でどうにか倒したという話がほとんどだ。
 生物として頂点に立つドラゴンに対し、人間側は神や精霊の力を借りられればようやく対等というのだから、敵に回すことの愚がいかなるものかよくわかる。

「いやお前、ドラゴンの弱点って…具体的にはどんなんだよ?」

「……さあ?」

 ドラゴンと戦ったあらゆる逸話の中でも、弱点について語られているものはほとんど存在していない。
 あったとしても個体によるものだったり、極めて特殊な技能が必要だったりと、参考にならないものばかりだ。

「いやでもさ、アンディならできるよきっと。そういう小狡いこと思いつくの得意でしょ?」

「…小狡いとか言うなよ。でもまぁ、確かになんか考えないとな。普通の手以外の何かか…」

 パーラの言いようは癪だが、確かに知恵と工夫でここまでやってきたところはあるので、今回もその経験を生かしたいものだ。
 とはいえ、相手は多少の工夫など容易く食い破ってきそうな存在ではあるし、やるとしたら核爆弾でも欲しいところではある。
 …いや、それすらも効くイメージがわかないのが恐ろしい。

「あ、ラトゥさんだ。おーい!」

 そんなことを考えていると、俺達の足はある場所へと到着していた。
 今日の午後からはまた見回りの仕事があり、他のメンバーと合流するのがこの場所だ。
 パーラが大声で手を振ると、集団の中でも頭一つ大きいラトゥが手を振り返してくる。

「おう、来たな。じゃあ出発するか。今日は港側の地区が受け持ちだ。数はそうでもないが、範囲が……どうしたんだ?アンディ」

「え?何がですか?」

「何がってお前、そんな困った顔してりゃあよ。なんか悩みでもあんのか?」

 ラトゥが仕事の説明を途中で切るほど、俺の表情に何かを感じたようだ。
 ついさっきまで試練のことを考えていたのがまだ顔に残っていたのか、神妙な顔で心配されてしまった。

「まぁ悩み…と言っていいのか、ちょっと色々と考えることがありまして」

「ふむ、その様子だとあまり深刻じゃなさそうだが、仕事には影響を出すなよ?」

「ええ、勿論です」

 悩みを仕事に持ち込んで支障をきたしては目も当てられないので、言われるまでもなくそこは切り替えて臨むつもりだ。

 今日の俺達が受け持つ区域は、ビシュマの街でも南東側にある、港と隣接した生鮮市場のようなところとなる。
 扱っている品はその日の内に陸揚げされた海産物や、交易船で運ばれてきた食料品などが最初に並ぶこととなるため、一日の賑わいとしてはこの街でも一番のエリアだろう。

 悪徳商人を取り締まるのが俺達の仕事だが、そのついでにディースラに対抗する手段か道具のヒントでもないか探すのもアリだな。
 あまり期待はしないが、ドラゴンに効く毒とか見つかったりしないものか。
 まぁまずないだろうけど。




 試練が始まって四日目、ついにスワラッド商国が用意する人材が試練へと挑むこととなった。
 前日の内にビシュマの街中では、スワラッド商国でも有名な魔術師がやってくるとの話が広まっていたため、今朝の広場は人の入りが特に多い。

 俺とパーラも午前が空いている日だったため、またここへやってきていたのだが、この群衆の規模には圧倒されている。
 そこそこ広いはずの広場が、もう既に周りの人間と肩が触れ合うほどの密度となっているのも、件の魔術師なら試練を突破するという期待の表れと言っていいだろう。

 ―霜天氷刃そうてんひじんだ!

 人混みの中にいる俺達の耳に、遠くで誰かが上げた声が届く。
 すると、それまで広場にあった騒めきが一瞬治まり、そして少しおいて低く抑えられた歓声があちこちで生まれていく。

 声と視線が集まる先を見てみれば、ディースラが歩く少し後ろに、一際目を惹く女性の姿があった。
 見た目の年齢は二十代辺りと思われるが、身体的な特徴からエルフだと分かることから、見た目よりも年齢は上だと思われる。

 女性としては高い部類に入る身長に、身に纏う薄手の青いローブから覗くスラリと伸びた手足は、この国の人間にしては珍しく、日焼け一つない真っ白なものだ。
 その肌とは対照的に漆黒と言っていい長髪は、風にたなびいて太陽の光を受けると濃い紫色にも見え、どこか冷たさを感じさせる鋭利な表情も相まって、神秘的な雰囲気を醸し出している。

 あの女性こそが、先程霜天氷刃という名で呼ばれた、スワラッド商国最優の魔術師であるシャスティナだろう。
 昨日、街で集めた情報と外見は一致しているし、何よりも周りから向けられる尊敬の視線は、スワラッドにおけるシャスティナの地位の高さを物語っていた。

「…あの人が霜天氷刃?確かに身に纏う魔力はそこらの魔術師なんか足元にも及ばないね。それにすんごい美人」

 しみじみといた様子でいうパーラの言葉に、俺も頷きで同意をしておく。
 美人という点はともかくとして、無意識にシャスティナが体から出している魔力からは、重厚かつ凪の海のような穏やかさが感じられ、熟練の魔術師とは確たるものかと唸ってしまう。

 元々エルフという種族は普人種に比べて魔術師の比率が多い傾向にあり、また長い年月を生きることで魔力の成長も相応に重ねるため、自然と有名な魔術師にはエルフが多くなりがちだ。
 シャスティナもその口だろうが、感じ取れる魔力からは俺やパーラよりもずっと魔術師としては洗練されていると思えてならない。

「『凍天を舞う雪、これ全て我が刃なり』、か」

 ふと口を突いて出たのは、シャスティナの二つ名である霜天氷刃の由来についてだ。
 この国では有名な逸話のようで、少し聞いて回ったらすぐに知ることができた。

 氷雪系の魔術を操るシャスティナは、その昔、熱帯のスワラッドに雪を降らせるほどの規模の魔術を行使し、魔物の大群をたった一人で殲滅したという。
 その際に使用した魔術が、降ってくる雪を全て刃物のように変えて広範囲を攻撃するもので、この時に周囲の人間に語った先の言葉もあり、国から霜天氷刃という二つ名が与えられたそうだ。

 そんなスワラッド商国においては英雄的な扱いのシャスティナだけに、試練の突破を期待する周囲の思いも相当なもので、ステージに上がってディースラと向き合った瞬間、広場にいる全ての人間の視線が集まった。

「久しぶりだの、シャスティナ。最後に会ったのは…三十年ほど前か?」

「は、久方ぶりにございます、ディースラ様。正確には、三十三年前となります。あの時も、この試練の場でした」

 共に長命であるためか、かなり前に面識はあったようで、親し気に話しかけるディースラに対し、シャスティナの方は表情に見合うような平坦な声音で返す。
 一見冷たそうなシャスティナのこの反応は、恐れ多いと思ってのものだろう。

「であるか。あの時の試練は確か…」

「『命と誇りを舟券にかけろ!ワクワク!どの船が一着でしょう!』という、船を使ったレースでした。憚りながら、私が勝ちを頂きました」

 何て試練をしてやがる。
 聞いた感じだと、ボートレースをやったようだが、ディースラのあのふざけたタイトル付けは昔からやってたのか。
 特に戦闘要素はないようだが、たまたまシャスティナが駆り出されたのか、あるいは賭け事に強いからかのどちらかだろう。
 無表情ながら、シャスティナも少しだけ誇らしげなのは、意外と楽しんだからかもしれない。

「おお!あれか!あれは面白かったな!我ながら傑作な試練だったと自負しておる」

「あの時は急遽スワラッドに胴元を任せていただいたおかげでずいぶん稼がせてもらったと、当時の財務担当者はよろこんでおりました」

 しかもスワラッドは胴元で儲けてたのかよ。
 試練も突破して航路を確保して、しかも国庫に臨時収入でもあれば、財務方の官僚はさぞかしウハウハだったことだろう。

「…さて、それで此度の試練、お主がスワラッドからの本命ということでよいのか?」

 昔話に花を咲かすのも僅かな間のみと、ディースラが目を細めて尋ねる言葉に、シャスティナもゆっくりと頷きを返す。

「はい。この度の試練、私以外の魔術師ではあまりにも不足。ゆえに、我が君より命を受け、我が魔術の深奥を持って臨む所存にございます」

「ほう、スワラッド最優の魔術師がその力を示すか。その意気やよし。ならば合図などいらぬ。今この時より、お主の全てを見せよ」

「では…参ります」

 本来であれば立ち会いの役人が開始の合図を出すのだが、ディースラはそれすらも無粋だと言わんばかりに試練が始まってしまった。
 すぐさま立ち合い人は急いでステージを下りていく。

 これまでの試練では立ち会い人もステージに残っていたのだが、今回に限ってはシャスティナの魔術の危険性が勝ったのか、ディースラとシャスティナのみがステージ上に残る形となった。

 それを待っていたのか、シャスティナが手にした杖の先をディースラへ向け、魔術の詠唱を始めた。
 当然、受けて立つディースラは律義に待っているが、思いのほか長い詠唱であることから、これから発動される魔術の規模もそれに応じて大きくなることは予想できる。

 ソプラノが歌うような高音で紡ぐ詠唱文は、全く耳馴染みのないものであったが、そもそもが希少な氷雪系の魔術師の戦う所など見たことがないので、その系統の魔術もこれが初めて目にすることとなる。

 詠唱文には属性ごとに特定の文言が込められるのだが、氷雪系の魔術では停滞や閉じると言った言葉が多用されているのは興味深い。
 そんなことに興味を惹かれながら、気付くと自分の吐く息が白くなっているのに気付く。
 見ると周りにいる人の息も白く、肌をさする姿も見られることから、明らかにこの場には寒さが広まっていると見ていい。

 ビシュマの街は朝は多少気温も低いが、息が白くなるなどまずなく、今感じられる肌の寒さは亜熱帯の気候では異常気象レベルと言っても過言ではない。
 となると、これはシャスティナの魔術の影響だと思うが、まだ詠唱が終わっていない段階でこの規模の現象が起きているのは、これから発動する強大な魔術の先触れということになる。

 辺りの気温はどんどん下がっていき、ついには気温差から来る霧が辺りに出始めた辺りで、シャスティナの詠唱が完了する。

「―氷結の誓いに銀の扉は開かれる!『白く狂う矢』!」

 その力強い言葉で締められた詠唱によって発現したのは、シャスティナを中心に爆発するようにして広がった氷の花びらだった。
 一片が三メートルはある五枚の花弁は、意志を持ったようにして舞い上がり、ディースラへと一斉に襲い掛かる。

 白く狂う矢という魔術の名前通り、矢のような勢いのそれは、未だ涼しい顔のディースラへと覆いかぶさるようにして殺到すると、甲高い音と共に巨大な白い木へと姿を変えた。
 まるでステージ上にいる少女の姿をしたドラゴンを封じ込めるかのように、厚く巨大な氷の木は、見ているこちら側の魂まで凍らせそうな恐ろしさがある。

 この魔術はシャスティナにも相応の消耗をもたらしたようで、放った直後から彼女は肩で息をしており、今も杖を頼りにして立っている様子は深い疲労を如実に表している。

 魔術の余波か、広場には雪が舞っており、それもまた使われた魔術の強大さを代弁しているようだった。
 これを喰らっては流石のディースラもひとたまりもないと思え、立ち会い人の役人も少し慌てだす。

 あのドラゴンがこれで死ぬとも思えないが、同時に死んでもおかしくはない魔術だというのもまた感じてしまう。

 試練はクリアとなるのか?
 ディースラは氷漬けとなって、よもや死んだのか?
 果たしてどうなっているのか、ただ見守るしかない俺達は、立ち会い人による結果発表を待つのみだった。
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辺境の田舎街に住むエリオは落ちこぼれの底辺冒険者。 普段から無能だの底辺だのと馬鹿にされ、薬草拾いと揶揄されている。 そんなエリオだが、ふとした事がきっかけで『野良犬』を手懐けてしまう。 そこから始まる底辺落ちこぼれエリオの成り上がりストーリー。 そしてこの世界に存在する宝玉がエリオに力を与えてくれる。 うっかり野良犬を手懐けた底辺男。冒険者という枠を超え乱世での逆転人生が始まります。 いずれは王となるのも夢ではないかも!? ◇世界観的に命の価値は軽いです◇ カクヨムでも同タイトルで掲載しています。

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