フルタイム・オンライン ~24時間ログインしっぱなしの現実逃避行、または『いつもつながっている』~

於田縫紀

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第6章 認知と理解と感情の時間差

第35話 認知と理解と感情の時間差

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 カリーナちゃんが来て2日目は朝から雨。
 雨の日は採取はお休みだ。
 街の中はいいけれど、街門の外はスライムが大量発生するから。

 大量発生するのは水スライムと呼ばれる種類。
 尖った物で突き刺せば簡単に倒せるけれど、魔石は小さく褒賞金も1Cカルコスにしかならない。

 雨の日はそんなスライムが街道に野原に出現しまくる。
 3歩歩けば水スライムに当たるという状態らしい。
 幸い雨が止んで地面が乾けば水スライムは消える。
 それまで街の外での活動はお預けという訳だ。

 ラッキー君もトイレの必要がある時以外は庭にすら出ない。
 そんな日にやることと言えば……

「ちょうどいいです。今日は中級に向けて少し錬金術を勉強しましょう」

 カリーナちゃんの提案で、今日は錬金術の勉強だ。

「難しい事はありません。ミヤさんなら多分、この本を読んだ後、実際に試してみるだけで上級や専修までは取れる筈です。

 本と錬金釜、必要な薬草を出しておきます。本を読むのはこの部屋でいいですけれど、調合作業は風呂場でやってください。調合中に多少臭いが出ますしラッキーちゃんが気になると危ないですから」

 風呂場で調合作業か。
 確かに合理的ではあるかもしれない。
 絵的には微妙な気がするけれど。

「私は作り置き用の料理をするつもりです。食材をひととおりアイテムボックスから出してくれると助かります」

「わかった」

 私でも食べられる料理を調理可能ではある。
 この前の料理訓練で判明した新事実だ。
 しかし進んで調理したくなったかと言えば答は否。
 あんな面倒な事、二度とやりたくないというのが本音だ。

 だからカリーナちゃんが料理をまとめて作ってくれるというなら、感謝感激雨霰。
 もうのし付けて御願いしますという状態だ。

 そんな訳で私は本とノートを出してお勉強、カリーナちゃんは料理という一日がはじまる。

 ラッキー君は基本的にカリーナちゃん直近。
 もちろん料理のおこぼれ狙いだ。
 今日は私と一緒にいても何もないとわかっている模様。

 確かにその通りだし勉強の邪魔にならないので正しいとは思う。
 少しばかり寂しいが、もふもふわんこと犬耳美少女が一緒にあれこれしているのを見るのは楽しい。

 こういうのも家族の風景かな。
 そう思った次の瞬間、ふと私は思い出した。
 父も母も死んでしまったという事を。

 父母が死んで悲しかったか、今までは良くわからなかった。
 悲しむべきだとは思ったけれど、心からそう感じる事はなかった。

 当初はそんな余裕が無かっただけかもしれない。
 知ってすぐ、叔母夫婦への警戒と怒りで感情が上書きされて。
 その後も手続きの煩雑さや寄付金狙いで訪問してくる連中への恐怖と怒りで感情が壊れて。
 その後の弁護士とのやりとりや実家脱出、更には現実逃避作戦の開始で上書きされて。

 そういったゴタゴタの間に悲しみは忘れたと思っていた。
 案外自分は薄情な人間なんだなと思ったりもした。
 何も考えずにこっちの世界へ移行できていたと感じていた。
 それなのに。

 そこまで仲がいい家族だったという訳では無い。
 多分良くある、ごく普通の母や父だった筈だ。
 ただもう二度と会えない、あの空間には戻れない。
 何故かその事を痛いほど感じる。

 母や父の顔を思い出そうとする。
 でも何故かうまくイメージ出来ない。
 顔さえしっかりイメージ出来ない。

 何故思い出せないのだろう。
 22年間一緒に暮らしていた筈なのに。
 何があったかも言語情報でしか思い浮かばない。
 具体的なイメージで出てこない。

 涙が止まらなくなった。
 これが悲しいという感情のせいなのかはわからない。
 今感じているのが悲しいという感情なのかさえよくわからない。

 わからないまま、それでも涙が止まらない。
 何で……

 きゅう、はあはあ。
 すぐ前でそんな音がした。
 ちょっとだけ目線を上げる。

 ラッキー君が真っ正面にお座りしていた。
 私がラッキー君に気付いた事を察知して、右手をくいっとお手をするように上げる。

 ラッキー君、なぐさめてくれているのかな。
 そう思って、そしてもう少し視線を上げたところで目の前にタオルが出てきた。
 勿論これはカリーナちゃんだ。

「ありがとう」

「泣きたい時は思い切り泣いていいんです。きっとそうする事が必要なんです」

 年齢相応じゃない言葉だなと感じる。
 でも今は甘えてしまおう。
 私はタオルを目に押し当てる。

 ◇◇◇

 多分落ち着いた。
 涙も止まった。
 私はそれを確認して上体を起こす。

 顔とタオルに清浄魔法を起動。
 きっと今、私の顔は見せられない状態になっているだろう。
 自覚はあるけれど、とりあえずタオルを畳んで。

「ありがとう。何とか落ち着いた。それにしてもごめんね、気をつかわせてしまって。こんな何でもない時に」

 何故涙が止まらないのかは一応説明した。
 我ながらわかりにくい説明だったとは思う。
 聞いてわかって貰うための説明じゃない。
 涙が止まらない上に感情が暴れていた中で、私自身の心を整理する為の説明だった気がするから。

「いいえ、気にしないで下さい。よくある事なんです。認知と理解は同時に来るわけではないですし、感情はさらにその後に来るんです。前に先生がそう言っていました。
 それに私にも良くある事でしたから」

 私の横に座ったカリーナちゃんは、見かけとは違う妙に大人びて落ち着いた口調で続ける。

「私や昔の仲間には良くある事だったんです。ある日突然いなくなるというのは。
 その理由がわかっても感情はすぐには動きません。何日かたって、ふとした瞬間にいなくなったという事がどういう事か気付くんです」

 えっ、それって。
 私は思い出す。

『何処かの病院の患者さんですか?』
『そんな筐体を使っているのって、重症で没入治療槽に浸かっている患者くらいしか』
 
 やはりというか、その意味は……
 カリーナちゃんの言葉は続いている。

現実リアルに出られる知り合いに聞けばどうなったかはわかります。結果、退院、そこまでいかなくとも状態が安定して没入型機器から出られるようになった事が理由の場合もあります。

 でもそうではない場合もあるんです。そしてそのどっちであっても、かつての私には喜べる事ではありませんでした。

 生きているなら嫉妬に似た感情で、そしてそっちでないなら次は自分もそうなるかもしれないという焦りにも似た何かで。

 そんな感情が過ぎ去って数日した後、はじめて気がつくんです。もう会えないんだと。同じ時間の中で話したりする事は無いんだと。
 涙がくるのはその更に後なんです」
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