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第四話 城下町の市に行きましょう!

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「…それで、どうですか?お姫様の様子は」
「とても元気ですよ。
 姿をお見せ出来ないのが残念なぐらいに」
「そうですか…どうやら楽しく過ごしている様ですね。安心しました」
「エキナケア姫は責任を持ってこちらで保護します。
 一切の精神的、肉体的な安全、衣食住、その他全てを保証しましょう。
 …そちらの方が貴方としても都合が良いのでしょう?」
「ええ。そうして頂ければ助かります。
 私とて、別にエキナ姫の死を望んでいる訳ではないですからね」
「…エキナケア姫は、いつまで魔界にいれば良いのですか?」
「…と、言うと?」
「ここは魔界、人の理の外側にある世界だという事に変わりはない。
 …それは、こちらがどんなに手と心を尽くしても、大なり小なりエキナ姫に精神的な負荷が掛かっているという事です。
 今までの…そして此度の貴方がエキナ姫に対し敵意を抱いているとは到底思えない。
 ですが貴方はエキナ姫を魔界に寄越した。
 …正直に言いましょう、僕には貴方の思考が理解出来ない」
「理解して頂けなくて結構。
 貴方はいずれ来るその日まで、エキナ姫を魔界で保護して頂ければそれで良いのです」
「…いずれ来る日とはいつの事ですか?
 …いったい、何が来るのですか?」
「いずれその日は来ます。その日までですよ」
「…………詳しい事を聞こうとしても、貴方は答えてはくれないのでしょうね」
「ええ、すいません」
「…謝るならもう少しバツが悪そうな顔をして欲しいものです」
「すいません」
「…まぁ良いです。
 ですが、出来れば早く決着を。
 …どうか、エキナ姫の為にも」
「…ええ、分かっています。分かっていますとも。
 …必ず…必ず、決着を着けます」
「…それが分かれば、それで良いです。
 …では、次の定例報告で」
「…ええ、また」



「ええと、これは…靴?わっ、すっごく丁寧な作り…!」
「これはレプラコーンのコデマリが作った靴じゃな。なかなかに良い履き心地じゃ。ほれ、儂含めメイド隊も愛用しとるし」
「じゃあコデマリさんに返せば良いのかな…あ、持ち主さんの名前が書いてある。この魔物さんだね。
 じゃあこっちは…スコップ?」
「こいつは…ああ、コボルトのサフランの仕事道具じゃな」
「じゃあサフランさんに返却しなきゃだねー」
「あやつどうやって仕事をしとるんじゃ…?」
「それじゃあこっちは?おっきな爪切りと爪砥ぎ」
「おおこんな所にあったのかサルビアの爪砥ぎっ!」
「サルビアさん?」
「いつも庭で日向ぼっこしているあのドラゴンじゃ。
 正式な名前はフレイムドラゴン…世界を構成する四代元素、火、水、空気、土のうち、火なる炎獄を司る竜じゃ」
「あのドラゴンさんそんな凄い感じだったんだ…!」
「これがあるとあやつ良い顔で砥がせてくれるんじゃよー」
「そ、そうなんだ…!」
 私が魔界に誘拐されてから一ヶ月が経ち、私は今、とっても楽しく幸せな日々を送っている。
 そんな中、私は魔王様に、毎日を魔界の勉強やみんなと遊びに興じるだけではあまりにも申し訳無い、何か私に出来る事は無いかと申し出たのだ。
「いやいやいやいやそんな事しなくて良いし気にしなくて良いんだってエキナ姫はエキナ姫のまま楽しく過ごしててっ!」
「いえいえいえいえでもでもこのまま食客の身分に甘んじているのは流石にどうかと思うので何かさせて下さいお願いしますっ!」
「いやいやいやいや!」
「いえいえいえいえ!」
「いやいやいやいやいやいやいやいや!」
「いえいえいえいえいえいえいえいえ!」
「いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや!」
「いえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえ!」
 …なんて押し問答も最初はあったけれど、説得して…とってもとっても説得して、今は先日の大掃除で出た荷物の後始末をしている。
 実はあの時、誰の物かすぐには分からない荷物は、木箱に詰めて魔王城の倉庫の隅っこに放置していた。
 それを私とヒルガオちゃんで仕分けするお仕事を、魔王様から任せてもらえる事になったのだ。
 魔王様は「こんな面倒な事をエキナ姫にお任せしてしまうなんて…!」と悶絶していたし、ヒルガオちゃんも「こんな面倒な事をエキナ姫に任せるなんて…!」と悶絶していた。
 ただ私が喜々として荷物の仕分けをし始めるのを見て、二人とも「あー…うん」と言いたげな温かい目をしてくれて。
 だって本当に楽しいんだもん。
 ここで見る物はどれもこれも魔界のみんなの物だったり、魔界らしい逸話があったりして、ヒルガオちゃんからお話を聞くだけでもとっても楽しい。
「最後のこれは…この…ええと…その…なんて言えば良いのか…」
「あー…これは…………あーーーー…………なんじゃこれ」
「ヒルガオちゃんでも分からない?」
「多分魔王の私物だと思うのじゃが…………ほんとなんじゃこれ」
「本当になんだろうこれ…」
「うーーーー…………む…………」
「えと…んと…とりあえず魔王様に届けた方が良いかな?」
「うむ、それが良いと思うぞ」
「じゃあこれは魔王様に返却だね。
 ええと…他にはもう無さそう?」
「うむ、これで全部じゃな。
 いやぁ本当に助かった。いつまでもここに置いておくのも良くないからのー」
「力になれて本当に良かったよー」
 床に置いたボストンバッグにむぎゅむぎゅと押し込んで、よいしょと肩に掛ける。
 私はこの後、一人でこの荷物をみんなに届けに行く予定だ。
「ほ、本当に一人で大丈夫か?途中道に迷ったりせんか?」
「うんっ!
 このお城の地図は頭に叩き込んでるし、新しく拡張したり無くなったりした部屋もちゃんと覚えてるから、大丈夫大丈夫っ!」
 それに私が言い出した事でこれ以上ヒルガオちゃんに迷惑は掛けられない。そうで無くてもとってもヒルガオちゃんの時間を取ってしまっているのに…。
「そ、そうか…」
 …あ、あれ?なんだかヒルガオちゃん、寂しそう…?
「そ、それじゃあ私、行ってくるね」
「うむうむ。気を付けるんじゃぞー」
 ふりふりと手を振るヒルガオちゃんを後にして、私はみんなの部屋に向かうのだった。



 魔王様の執務室の扉の前。
 この最後の目的地。
 コン、コン、コン。
 ゆっくり、三度ノック。
 キィと扉が一人でに開く。
 扉の正面、ずっと向こう。
 魔王様は、執務机に向かって難しい顔をしていたけれど。
「…あ、やほー、エキナ姫ー」
 私を見るなり、にこっと、満面の笑みを浮かべてくれた。
「あっ、えと、し、失礼しますっ!」
「どうぞどうぞ。見て面白いものは何も無いけどねー」
 にっこりとした魔王様の前に歩み寄って、歩み寄って…。
「…あー…エキナ姫?」
「はっ、はいっ!な、なんでしょうか!?」
「…手と足が一緒に出てるけど…大丈夫?」
「だっ、だだだだ大丈夫ですっ!」
 「ほんと大丈夫かなぁ…」と言いたげな不安そうな目を向けられたけれど、大丈夫!…うん大丈夫!
「こっ、これっ!荷物の中にあった魔王様の私物…と思われる物ですっ!」
 ぐいっと魔王様に、ボストンバッグにしまっていたあの良く分からない物を差し出す。
「…」
「…」
「……」
「……」
 魔王様から反応が無い。なんだかとっても酸っぱい顔をしている。
「魔王様はうんうんと唸りながら熟考に入る。…あ、これ本当に分かってないパターンだ。
「……………………あーーーーーーーーっ!思い出したっ!それ前に酒場で酔っ払った勢いで押し売りされた石像だっ!」
 どうしようこれ突っ込んだ方が良いのかな!?というかどこから突っ込めば良いのかな!?
「ま、魔王様?なんだか今の発言、その、色々と物凄いんですけれど…」
「ああうんそうだよね。
 結構前に酒場で飲んでたら、自称アーティストっていう魔物と意気投合しちゃってさ。
 それで、自分に投資するつもりでこれを買ってくれ、いつか数十倍に跳ね上がるからって言われて。
 最初は断っていたんだけれど、その魔物の熱意に押されちゃってさー…買っちゃったんだよねー…」
「あー…なるほど…。
 ちなみにこれはいったいなんなんですか?なんだか生き物みたいですけれど…」
「んと…確か……ドラゴンの石像…だった様な…」
「…えと、ちなみにおいくらで…」
「確か…金貨五十枚?」
「ごッ!?」
 魔界の通貨と人間界の通貨はあんまり変わらなくて、銅貨百枚で銀貨一枚、銀貨百枚で金貨一枚になる。
 普通のバターロールが五個銅貨一枚だから…んと…バターロール換算で…二百五十万個分!?
「あっもちろん個人で稼いだ資産だよ!?みんなの税金から出てるお給金はそもそも貰ってないし!」
 個人でどうやって稼いでいるのかちょっと気になるけれど今重要なのはそこじゃなくて!
 ああでもそれを売り付けた魔物さんは本気でアーティストを志しているのかもしれないし、私だってそこまで審美眼が高いという訳じゃないし、これも良く見れば確かに…ここのとんがりとかドラゴンさんの爪に見えなくも……うんっ、アーティスティック!
「…魔王様」
「ん?」
「…押し売りにはどうかご用心下さい…」
 魔王様はとてもお優しいから、ほいほいこういう事してそう…。
「それ前にメイド長に言われた…」
「ああ…」
 しかも言われていた…。
「…そっ、そろそろお昼だねっ!」
「はっ、はいっ!そうですねっ!」
「良かったら一緒にどうっ!?」
「はい是非っ!」
「よしじゃあ行こうっ!」
「お供しますっ!」
 …魔界の生活は、とっても、とっても楽しい。
 本当の本当に、今まで経験した事が無いぐらい、楽しい。
「…おいおい魔王様とエキナ姫が並んで昼飯食ってるぞ…!」
「しかも食べる事に一心不乱だ…!」
「動きに澱みが無い…!」
「というか早くね!?次々消えてくぞ!?」
 ご飯も美味しくて。
 みんな優しくて。
 私を沢山大切にしてくれて。
 …でも、問題が二つ。
 全部全部、私自身の事。
 一日の終わり。
 魔王様との夜のティータイムが終わって、もう寝ようかという時。
 ゴロンとベッドに仰向けになって、枕元に秘密箱を置く。
 問題その一。
 あれ以来何度も挑戦しているけど…この秘密箱、全く開かないのだ。
 秘密箱は木を複雑に組んで封印された小箱、正しい順序で木を動かさないと蓋を開ける事が出来ない。
 しかもそれは、微妙に位置が違うだけでも開かなくなってしまう。
 様々試してはいるし、一つずつ、ゆっくり、ゆっくりではあるけれど、確かに解除出来てはいる。
「……はぁ……」
 でもこのままじゃ、中身を見る事が出来るのはいつの事になるのやら…。
 …そして、二つ目は…。
「…………………………………………ぅあ」
 身をよじる。
 燃えている。
 熱い。
 熱い。
「あああ…ああああああああ…!」
 焼かれている。
 業火。
 煤。
 生き物が焼ける匂い。
 顔を手で覆う。
 ぐちゃり。
 嫌な音。
 粘着質な音。
 手のひらを見る。
 赤い。
 真っ赤。
 鉄の匂い。
「あ…あ…」
 これは、
「あああ…」
 これは、
「ああああああああ…!」
 これは、
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!」
 バシンと。
 頬に、強い衝撃を感じた。



「エキナッ!目を覚ませエキナッ!」
 目を覚ます。
 深夜。
 ベッド。
 私は横になっていて。
 ヒルガオちゃんが、
 私に馬乗りになっていて。
 頬がじんじんする。
 心臓が苦しい。
 うまく呼吸が出来ない。
 目の前が白くなる。
 気が、遠く……なって…………。
「無理にでも深呼吸をせいっ!酸欠で意識が飛ぶぞっ!」
 ヒルガオちゃんの言う通り、無理矢理深呼吸。
 肺が軋む。
 意識を失いそうになる。
 ヒルガオちゃんが、
 私の手を、握ってくれて。
「大丈夫じゃ…大丈夫じゃ…我等がいかなるモノからも守るから…だから…!」
 ヒルガオちゃんは今にも泣きそう。
 泣かないで。
 泣かないで。
 頑張るから。
 私、頑張るから。
 深呼吸。深呼吸。深、呼吸…。深…呼吸…。
「…………落ち着いたか、エキナ」
「……………………うん」
「…良かった…本当に良かった…!」
 ヒルガオちゃんは、はぁぁぁと深いため息をついた。



「ほれ、いつものミルクスープじゃ」
「ありがとう、ヒルガオちゃん」
 ベッドに座ったままヒルガオちゃんから手渡された、クオンソウでとろみをつけた牛頭のミルクスープを飲んで、ほぅと一息つく。
 ヒルガオちゃんはずりずりと椅子を持ってきて、私のすぐ傍に座ってくれた。
 その手の中には液体で満たされ氷の浮かぶグラス…多分お酒だと思う。
「本当にありがとう、ヒルガオちゃん。
 …もしもヒルガオちゃんが起こしてくれなかったら…」
 …ヒルガオちゃんが起こしてくれなかったら…私は…。
 …私は、どう、なっていたんだろう…。
「…ごめんね。ヒルガオちゃん」
「謝る事は何一つとして無いぞ、エキナ。
 儂はもともと体質的に眠る事が出来ぬからの、かつてはこの体質も恨んだ時もあったが、この体質のおかげでこうしてエキナの傍にいる事が出来る。
 …それだけで、この体質も悪くないと思えるよ」
 カランというグラスに氷が当たる音、
 ヒルガオちゃんがお酒を飲む音、
 ふぅという、ヒルガオちゃんのため息が聞こえた。
「…それで、いったい何の夢を見ていたんじゃ?
 …ああいや、言いたくないなら言わんでも良いんじゃが、他者に話せば吉になるとも言うし…あの呻き様、只事では無い。
 …それに、三度目じゃ。エキナが悪夢に魘され、儂が叩き起こすのは」
 そう。
 こんな悪夢を見て魘され、ヒルガオちゃんに心配されるのは、これで三度目なのだ。
 全く同じ状況、全く同じ感じで、三度。
 …流石の私も、只事じゃないって思ってる。
 …でも…。
「…思い出せないの」
 何も思い出せない。
 本当の本当に、この夢はとても危険な物なんだと思う。
 きっときっと、私一人ではどうする事も出来ない物なんだと思う。
 …でも…でも…。
「思い出せない…。
 ほんのかけらも、思い出せないの…」
「……そうか…」
 カランと、ヒルガオちゃんの持つグラスの氷が鳴った。
「…ごめんね。
 本当の本当に、ごめんね…」
「……思い出せんなら、それが良いのじゃろう。
 もしかしたら、心を壊すまいと無意識に忘れてしまっておるのかもしれんし、無理に思い出す事が正解とも限らん」
「…………ごめんね…」
「…………エキナよ、明日時間はあるか?」
 あまりにも唐突にヒルガオちゃんがそう聞いてきたので、思わず顔を上げる。
 ヒルガオちゃんは、とても優しい目をしていた。
 …………あ。
 私、ずっと…ヒルガオちゃんからミルクスープを受け取ってからずっと…俯いて、一度もヒルガオちゃんの顔を見てなかった…。
「…明日…?」
「幸いな事に明日儂は一日休みでの、暇を持て余していたんじゃ。もしエキナさえ良ければ城下町を案内したい。
 エキナの姿を隠せる丁度良い魔道具もあるし、予定通りなれば明日は市も開かれよう。
 …………どうじゃ?」
 …そういえば、ここに来てから一度も魔王城の外に出ていないなぁ。
 …うん、あの魔王様が治める魔界がどんな世界なのか、ちょっと気になる、かも…。
 …それに、これはきっと、ヒルガオちゃんが私の為に提案してくれたんだ。
 ミルクスープを受け取ってから、一度も顔を上げなかった…一度もヒルガオちゃんの顔を見なかった、私を案じて。
「…………うん。
 もしヒルガオちゃんさえ良かったら、城下町を案内して欲しいな」
 笑って見せる。
 うまく笑えなかった。
 少しだけ、ぎこちなかったかもしれない。
 …それでも。
「…うむっ!うむうむうむっ!
 ふっふっふ…ふっふっふ…っ!ならとっておきのコースを準備しようっ!
 ああ…ああ…!明日が来るのがすっごく楽しみじゃっ!」
「うんっ。
 私も、なんだか明日がすっごく楽しみっ」
 ヒルガオちゃんは、満開の花の様に可愛らしく、空に咲き誇る太陽の様に温かい、満面の笑みでそう言ってくれた。
 嬉しい。
 ヒルガオちゃんの笑みを見てたら、心がほんわかしてくる。
 …今まで、心の中にあった澱みが、溶けて消えていくみたい。
 ヒルガオちゃんはくくくと上機嫌に喉を鳴らし、こくりとお酒を飲む。
 私も、こくり、こくりと、ミルクスープ飲んでいく。
 それから、少しして。
 不意に意識が、ぼんやりとしてきて。
「…だいぶ話し込んでしまったの。
 エキナよ、明日への期待に胸を膨らませて、今はゆっくりと休むが良い」
「…うん。そうするね…」
 マグカップを片付けようと立ち上がる私をやんわりと止めたヒルガオちゃんは、私からマグカップを受け取ると、
「おやすみエキナ。
 …どうか、良い夢を」
「…うん、ありがとう、ヒルガオちゃん…」
 それから後の事は、覚えていない。
 ただ、落ちた眠りが、とても深く、心地の良い事だけは、よく覚えている。

 ♪

 朝日の差し込む大広間には、いくつもの端が見えない程の大テーブルが置かれている。
 朝食にはまだ少し早い為か、席についているのは手元の地図を見ているヒルガオだけだ。
「ふわぁぁ…眠い…」
 大広間の扉が開き、大口を開けてあくびをする魔王が入って来る。
「あ、メイド長おはよー」
「うむ、おはよう、魔王よ。
 今日の朝食は一番乗りじゃな」
「まぁねー、僕だってたまにはやるもんさー」
「魔王が徹夜で書物を読み漁っているという報告が無ければ花丸をあげられたんじゃがのぉ…」
「ご、ごめんなさい…。
 …あれ?エキナ姫は?」
「うむ、エキナはまだ寝とるよ」
「…もしかして、どこか調子が悪いの?」
「いや、昨晩は少々夜更かしをしてしまっただけじゃ。昼食には起こすつもりじゃよ」
「そっか…良かったぁ…」
 本当にエキナ姫が心配だったのだろう、魔王ははぁぁぁと深い溜息をつくと、どさっと大きな音を立てて自分の椅子に座った。
「…ん?それって…この魔都の城下町の見取り図?」
「うむ。
 今日はエキナと市を回る予定じゃからの、しっかりと案内出来る様になっておかねば」
「…そっか。エキナ姫、魔界に来てから一回も魔王城の敷地の外に出てないものね…うん、ずっとここにいたら気も滅入っちゃうよ」
 ここ暫くエキナの様子がおかしい事を魔王もどこか察していたのだろう。声も表情も、どこか暗い影が落ちていた。
「…うん、分かった。
 存分に楽しんで来てね」
「うむ、感謝するぞ、魔王よ。
 …ちなみに魔王、どこかおすすめはあるか?」
「おすすめ?
 ええとそうだなぁ…あ、ここのお花屋さん、市にはいつも自家製の花のジャムを使ったワッフルのお店を出すんだ。
 それがもう美味しくて美味しくて…」
「うむうむなるほどなるほど」
「エキナ姫が喜びそうってなると…あとはここかな?
 有名じゃ無いけど腕の良い木彫り細工職人がいてね、その魔物が可愛らしいチャームを作って出店してるんだー」
「なるほどなるほど、それはエキナも喜びそうじゃ」
「ここおすすめだぁよぉー」
 不意にコックのスライムの触手が伸び、地図をトントンと叩く。
「ここは?」
「地獄鶏を牛頭バターと豆を発酵させたソースで焼いたものだぁよぉー」
「うむ、それは美味しそうじゃ」
「それじゃあここもおすすめー、搾りたてのフルーツジュースのお店ー」
「そういえばここら辺に魔界牛の串焼きの出店があったな…」
「ここ色んな魚のフリッター無かったっけ?」
 スライムのコックの声を皮切りに、大広間にやって来た魔物達がやんややんやと地図を指さしては出店の詳細を述べていく。
「うまそうなもんっていやここ、テンプラっていう日ノ本の手法で野菜のフリッター出してるらしいぜ」
「肉魚野菜甘い物ってきたらスープよねぇ…あ、ここここっ!ここのトマトスープ絶品よぉーっ!」
「なんというか市におったら一日分の食事が賄えるのぉ…」
「市に行けば一日楽しめるぜ?…“いち”だけにっ!」
「はいはい」
「面白く無かった?」
「正直に言っても良いの?」
「なんかごめんなさい」
「楽しめると言えば…ああそう、ここ射的屋あるよ?景品も良いの揃ってる!」
「ここの硝子細工屋が市の度に出すハートのチャームがすっごく可愛いわよー」
「ここの小物屋さんにはいっぱいハンドメイドの布製品がありまくりするますですよー」
「あと絶対外しちゃいけないのは大広間のマーケットでしょっ!安くて古くて面白そうなもん沢山あるしっ!」
「エキナ姫ゲテモノ大丈夫ならここに魔甲虫の幼虫」
「それ以上は絶対言うな朝食前に食欲が失せるっ!」
「あとはここじゃない?魔界の色んな所のお酒があるお店」
「それはアンタが酒飲みたいだけだろーがエキナ姫お酒飲めねぇし」
「ここの本屋の店主はなかなか面白い自費出版の本を出してるぜ。多分姫様も気に入るだろ」
「あれイキシア?今日は随分と早いねー」
「あんだけ騒いでちゃ眠れるもんも眠れねぇですぜ魔王様」
「明日は吹雪かのぉー」
「バァさん流石に失礼じゃぶっ!」
 ヒルガオがイキシアを宙に舞わせている間にも地図に数多の文面が書き込まれていき、ヒルガオが再び見た時には地図全面に書き込みがなされていた。
「…あー…新しい地図いる?」
「いや、これも貴重な情報じゃ。ありがたく頂いておこう。
 さぁ皆っ!もうすぐ朝食の時間じゃ席に着けーっ!」
 ぱたぱたと地図を折り畳み、スカートのポケットに入れたヒルガオはぱんぱんと手を叩く。
 その声と音を聞いた魔物達は「腹減ったー」「メシー」等々呟きながら、各々の席へとついていった。
「…ああ、そうそう。
 メイド長、分かってるとは思うけれど、ワルグのパン屋には極力近付かない様にしてほしい。
 ミソハギは話せば分かると思うけれど…あの二人には本当に気を付けて」
「分かっておる。
 …儂とて、あの場所にエキナを連れて行こうとは思わんよ」



「ヒルガオちゃん本当にごめんなさい…!
 まさか起きたらお昼近くだなんて思わなくて…!」
「昨晩は稀に見る夜更かしじゃったからのぉ、寝てしまうのは仕方の無い事じゃ」
 ヒルガオちゃんに起こされると、もうお昼ご飯の少し前になっていて。
 確かに昨日は夜遅かったけれど…まさかこんな時間まで眠りこけちゃうなんて…!
 魔界での生活に慣れちゃって、ちょっと気が緩んでしまっていたのかも…。
「本当にごめんなさい…これからは気を付けるから…」
「…ほれ、髪、解かし終わったぞ。
 ついでに…鏡を見よ」
「えっ?…わぁ…っ!」
 鏡に映る私の髪は、お団子二つにまとめられていて。
 あんまり自分の髪を結う事なんて無いから、なんだかすっごくに映る。
「気分転換にと思ったのじゃが、どうじゃ?」
「うんっ!すっごく可愛い髪型になってるっ!
 ありがとうっ!ヒルガオちゃんっ!」
「……くくくっ」
 ヒルガオちゃんは喉を鳴らして笑う。
 私、何か変な事言っちゃったのかな…?
「ああいや、すまぬすまぬ。
 …やはりエキナに言われる言葉は、謝罪より感謝の言葉の方がずっとずっと嬉しいのぅ」
「…あ…」
 私…思い返してみれば、私、ヒルガオちゃんに謝ってばっかりだ。
 昨日も、今日も。
 私、ずっと、ごめんなさいって言ってばっかりだ。
 ごめんね。
 思わず、そんな言葉が口から出そうになる。
 でもそれを、すんでの所で止めて、
「…うん。
 ありがとう。
 いっぱい、いっぱい、ありがとう、ヒルガオちゃん」
 笑って。
 ヒルガオちゃんに、言ってみる。
 今までの分も。
 ごめんなさい、って、言った分も。
「……………………ずびっ」
「ヒルガオちゃん!?どうして泣いているの!?」
「いやもうなんだかこうクるものがあってのぉ…!」
「なっ、泣かないでヒルガオちゃんっ!
 え、えと、よしよーし、よしよーし」
「やめいエキナっ!
 今このタイミングで頭なでなでなどされたらもっと泣くぞっ!」
「ええーーーーっ!?」




 お昼ご飯を食べて魔王城入り口前。
 動きやすい麻の服とスカートの上からフード付きのマントを羽織った、ヒルガオちゃんと私。
 いつもみたいなドレスだったら目立っちゃうし、動き辛いと思う。
 それにヒルガオちゃんが気を使ってくれたのか、旅人が着る服やスカート、マントがちょっと可愛らしい。
 ドレスも好きだけれど、この格好すっごく大好き。性に合ってるみたいだ。
「…エキナよ、大丈夫か?
 違和感や具合が悪いというのは無いか?」
「うん、大丈夫だよ。
 気持ち悪くなったりしていないし、違和感も無いし」
「うむ、魔道具はうまく動いている様じゃな。良かった良かった」
「…でもまさか、人生で獣人になる日が来るなんて思いもしなかったなぁー」
 私は頭からぴんと生えている兎の耳をふにふにといじる。
 うん、生えている。
 付け耳とかじゃなくて、本当に生えている。
 それだけじゃなくて、体の所々には白い毛が生えていて、手足も人のそれとは違っていて、顔付きもちょっと兎っぽくなっていて。
 半人半兎。
 私の姿は、魔界では獣人と呼ばれる魔物さん達の姿にとても良く似ていた。
 これがヒルガオちゃんが私の身を案じ用意してくれた、魔道具の効果。
 なんでもこの魔道具を付ければ、見た目を変えるだけでなく、私の匂いや気配までも獣人さんに近付けてくれるらしい。
 …ヒルガオちゃんから渡された付け耳を付けた途端獣人さんになったのはびっくりしたけれど…これはこれで貴重な体験という事で!
 ちなみに魔王城では獣人さん達も働いていて、その獣人さん達に確認して貰っている。
『ちゃんと人間の匂いや気配は消せているでしょうか…?』
『お、おお…』
『い、良いと思うぞ…?』
『…あ、あの、似合っていないのは分かっていますので…』
『違うそうじゃないっ!そうじゃないんだっ!』
『自信持てエキナ姫っ!アンタが一番だっ!』
 なんだかすっごく慰められた。
 あと女性の獣人さんが『ディーフェンスッ!ディーフェンスッ!』と言いながら私を囲っていた…どういうことだろう…。
「エキナ姫、メイド長、やほー」
 不意に魔王様の声が聞こえた。
 声のした方を見れば、いつもの動きやすい服に、丈の長い焦げ茶色のフード付きのマントを着た魔王様がいる。
「おお…本当に獣人になってる…!」
「はっ、はいっ!
 この様な魔道具を貸して頂いて本当にありがとうございますっ!」
「いやぁ良いよ良いよー。
 エキナの身に何かあっても嫌だし、それに良い物見れたからねっ!」
 わぁ魔王様良い笑顔だなぁ…。
「それで魔王よ、お出掛けか?」
「うん。人間界にちょっとねー」
「人間界…ですか?」
「ああ、魔王はちょくちょく人間界に行っていての。
 ほれ、たまに日中おらん時があるじゃろ?
 全部が全部、という訳では無いが、あれは魔王が人間界に行っておる為じゃ」
「…言われてみれば…」
 確かにいない時がある…!それでタイムさんが「魔王様いずこにいいいいいい!」って叫びながら魔王城中を走り回っていた時があったっけ…!
「でも、どうして魔王様が人間界に…?」
「色々な物資や材料、情報、その他諸々の調達にねー」
「ほんに毎度毎度余計な物を大量に買って来おって…」
「余計な物?」
「例の収集物じゃ。
 全く…いくら空間をいじって収集出来ると言っても限度があるんじゃぞ?」
「いやぁ…良い物があるとついねぇー」
「良いか魔王!
 くっ、れっ、ぐっ、れっ、もっ!余計な物は買ってくるでないぞ!?
 もし収納が足りなくなったらもうお主の執務室の空間をいじるしかないからの!?」
「…最悪それもありか…!」
「もちっと懸命な判断をしてくれんかのぉ…執務室の空間をいじるのどれだけ大変だと思うとるんじゃ…」
 ヒルガオちゃんは「はぁぁぁぁぁぁぁ…」ととっても深いため息をついた。よっぽど大変なんだろうなぁ…。
「それじゃあ僕行くね?
 …ああ、エキナ姫、一つ注意して欲しいんだけれど、その付け耳は魔王城に帰るまで絶対に外さない事。
 外してもエキナ姫の生命に危険が及ぶ事態にはならない…とは思いたいけれど、人間が魔王城城下に行くなんて前例が無いからね…用心はしていて欲しい」
「は、はい。分かりました」
「メイド長も、エキナ姫の事、どうかよろしくね」
「勿論じゃ。大船に乗ったつもりで任せよ。
 魔王も、どうか気を付けるんじゃぞ?」
「魔王様…どうか、どうか本当に、お気を付け下さい」
「…ん。ありがとね、エキナ姫、メイド長。
 それじゃ、存分に市を楽しんで来てねー」
 「バイ!」と言う様に手を上げた魔王様は、瞬きの刹那に消えていた。
「さて、儂等も行くとするかのー」
「うんっ!れっつごーっ!」
「ごーっ!じゃっ!」



 店の前に作られた即席の出店。
 砂糖と果物だけで作ったジャムの甘酸っぱい香り。
 バターと塩で炒めた茸の食欲を刺激する香り。
 それらをくるみ焼き上げたパンの香ばしい香り。
 …そして、その中に微かに紛れ込む、異質な匂い。
 今まで嗅いだ事の無い匂いだ。
 嫌…とまでは言わないが、やけに鼻に付く…ぞわりとする匂い。
「…アスパ。ラガス。
 すまないが暫く店番を頼む」
 声を掛けると、店の中からアスパとラガスが顔を出し、
「どうしたリーダー!」「トイレかリーダー!」
 二体なのに一体の様な喋り方でとことこと店先に出て来た。
「違う。
 妙な匂いがして気になってな、少し見て来る」
「合点リーダー!」「任せろリーダー!」
 アスパとラガスの声に頷き、着けていたエプロンを出店の台の下に押し込んでその場を離れる。
 アスパとラガスだけでは不安だ…前にいちゃもんつけてきた客を半殺しにしていたし…。
 とっとと正体を突き止めて戻ろう…。
「らっせー!」「らっせー!」
「ワルグのパン屋だぜー!」「うまいぜー!安いぜー!」
「お一つ下さいなー」
「お買い上げー!」「毎度ありー!」
 …案外大丈夫…か?



 徒歩五分程度で辿り着いた城下町の雰囲気は、そこまで大きくルクスカリバー王国のそれとは変わらなかった。
 レンガ造りの家々、舗装された幅広の道路、遠目に見えるのは噴水だろうか?
 ここに初めて来た時のあの禍々しい雰囲気の道とは全然違う。あの道は裏道だったのかな…?
「どうじゃ?…と言われても、町並みは殆ど人間界のそれと変わらんじゃろうけど…」
「うん。
 ルクスカリバー王国に負けず劣らず、すっごく良い城下町だと思うよ?」
 市だから、と言う事もあるのだろうけれど、道を歩く魔物さん達はとっても楽しそうで、活気があって。
 きっとすっごく、頑張ったんだ。
 町のみんなが、こんなにも笑顔なんだもの。
 魔王様が、魔王城のみんなが、そして市の開催の為に町のみんなが奮闘したんだと思う。
 そんな町が、凄くない訳なんかない。
「では行くとするかの、エキ…いや、エナよ」
「うんっ!」
 ヒルガオちゃんは私の手を取って、魔物さん達で混み合う道を歩き出す。
 エナ、というのは私の偽名だ。
 なんでも魔王城にエキナケア・ルクスカリバーという人間がいる事はすでに町のみんなは知っているらしい。
 というのも、魔王城のみんなが町に出た時に私の事をお話しているんだとか。
 それで、わざわざ魔道具を使って姿を隠しているのに名前でばれてしまっては元も子もない、という事で、エナという偽名を使っている。
「この市の為に沢山の魔物から情報を貰っているからの、儂に全部お任せじゃっ!」
「…………うんっ。
 ありがとうっ、ヒルガオちゃんっ」
 迷惑を掛けてごめんなさい。
 手間を取らせてごめんなさい。
 そんな言葉が、口から出そうになったけれど。
 きっと、ヒルガオちゃんはその言葉を望んでいなくて。
 だから、ありがとうって。
 そっちの方が、きっと良いのかなって思って。
 ヒルガオちゃんは一瞬だけ、驚いた様な顔をしたけれど、にっこり、笑ってくれて。
「…よしっ!最初は魔王オススメのワッフルと木彫りのチャームじゃなっ!
 その次は地獄鶏、フルーツジュース、魔界牛の串焼き…それ以外にも沢山あるからのっ!楽しみにしておれっ!」
「うんっ!」
 楽しもう。
 ここは、それが許された場所なのだから。



「らっせー!」「らっせー!」
 アスパとラガスの客を呼ぶ声が響く。
 売れ行きはなかなかに好調な様だ、先程よりかなり減っている。
「安いよー!」「うまいよー!」
 まるで二体で一体であるかの様に声を張るアスパとラガスは、道行くある魔物に目を付けた。
 大量の食べ物や小物を抱えながらうろうろきょろきょろしている、兎の獣人だ。
 きっと遠くからこの市に遊びにやって来ているのだろう、あの兎の獣人に売り込まない手は無い。
 同じ事を考えていたのか、互いに顔を見合わせこくりと頷くと、
「ヘイそこの兎の獣人!」「よってけよってけ!」
 声を掛ける。
 しかし兎の獣人は反応しない。
「おーいおーい!」「聞こえてるのかぁー!」
 再度声を掛ける。
 そこでようやく兎の獣人は反応し、自身を指差した。
「そうだそうだー!」「こっちに来ーい!」
 兎の獣人はてこてこと歩み寄る。随分と警戒感の無い魔物だ。
「あの、何かご用でしょうか…?」
「ご用は無ぇ!」「買ってけ買ってけー!」
「え?えと、あの…わぁ…!美味しそう…!」
「どれもこれもうめーぞー!」「最高の味だぞー!」
 兎の獣人はアスパとラガスの声に頷きながら、「これも美味しそう…」「あ、でもこっちも美味しそう…!」と目移りしていた。
 こうしてお客がパンを選ぶ姿が、アスパとラガスは大好きだ。
 ワルグのパン屋と言えば、この町で一番の名店だとアスパとラガスが思っている。
 勿論全部を買っていって欲しいが、それは流石に難しいという事はちゃんと理解しているので、そこまでは求めない。
 だから、お客が選びに選んで買ったパンを、美味しい、美味しいと、良い顔で食べてくれる姿が、アスパとラガスは大好きなのだ。
「三個買ってくれたら一個おまけするぜー!」「お得だぜーお買い得だぜー!」
「そうなんですか!?それじゃあ…」
 兎の獣人がパンを指差そうとしたその瞬間、どんっと、兎の獣人に魔物の子供がぶつかる。
 結構な衝撃だったのか、兎の獣人はパンの売り台に手を付いた。
 ぶつかった魔物の子供は駆け抜けて行ったが、その親らしき魔物は兎の獣人に「すいません!」と謝り、子供を追い掛けて行く。
「気を付けろー!」「うちの大事なお客だぞー!」
 アスパとラガスは魔物に叫び、すぐに兎の獣人の方を向いて、
「……………………お前、人間か?」「お前、人間のお姫様か?」
 そう、告げた。



 それより、少し前の事。
「…どうしよう…はぐれちゃった…」
 私は、ヒルガオちゃんとはぐれてしまっていた。
 魔物さん達の混み合いに巻き込まれ、ヒルガオちゃんの手を離してしまったのだ。
 離れた時は必ず探しに行く、その場から動かないでとヒルガオちゃんからは言われているから、離れた場所からは動いていない…魔物さん達の流れに流されてしまって、少し動いてしまったけれど。
 …これからどうしよう…。
 町の事は何一つ分からない。魔王城がどっちかも分からない。見知った魔物もいない。
 …怖い。
 あの魔王様の治める町だ、たとえ迷っても何かある訳じゃない。
 それに、
「獣人さん、大丈夫かい?」
「迷子?自警団呼んだ方が良い?」
 そうやって、心配そうに声を掛けてくれる魔物さん達もいる。
 そんな魔物さん達には、別の魔物を待っていると言っているけれど…これ以上ヒルガオちゃんに迷惑を掛ける前に、魔物さんに魔王城の方向を聞いて帰った方が良いのかな…。
「ヘイそこの兎の獣人!」「よってけよってけ!」
 …情けない。
 ヒルガオちゃんやみんなが、こんなにも心を砕いてくれているのに…私がこんなんじゃ、みんなに損させてばっかりだ…。
「おーいおーい!」「聞こえてるのかぁー!」
 そこでようやく、私は私が呼ばれている事に気付いた。
 声のした方を向く。
 そこはパン屋さんの様だ。出店の売り台には沢山のパンが並んでいて、お店の二階には「ワルグのパン屋」と看板が掛かっている。
 そこの売り子さんが、私を呼んでいたのだ。
 双子の…人間の様な見た目をした女の子達だった。
 黒いウルフカットも、緑色の瞳を持つ吊り目がちな目も、袖から布が垂れている不思議な服まで、何から何までそっくりだ。
 一応、伸ばした前髪でそれぞれ左目、右目を隠していたり、動きが左右対称になっていたりと、なんとなく違いは分かるけれど…もし全く同じになっていたら、きっとどっちがどっちだか分からないと思う。
 …うん、記憶を探ってみても、この魔物さん達に会った事は無い。
 というか、声を掛けているのは本当に私なんだろうか…?
 そう思って、魔物さん達を見ながら、自分を指差してみる。
「そうだそうだー!」「こっちに来ーい!」
 どうやら私らしい。その売り場にてこてこと歩み寄る。
「あの、何かご用でしょうか…?」
「ご用は無ぇ!」「買ってけ買ってけー!」
 魔物さん達はとっても元気な声で売り込んで来た。
 一応魔王様からはお金を貰っている。なんでも魔王様のポケットマネーらしい。
『こっ、これは戴けませんっ!
 魔王様のお金を、私個人の為に使うなんて…!』
『ああ良いの良いの。
 これぐらいなら減った事にならないし、僕のポケットマネーを民のみんなに還元出来るなら、むしろガンガン使っちゃって良いよー』
『うむうむ。
 貯め込んでおいてもどうせ魔王は余計な事に使うからのー、民の為に使うのが一番じゃ』
『まっ、そういう訳だから、気にしないでねー』
 …そう魔王様から言われて、結構なお金を貰っている。
 だから買う事は出来るのだ。
 でも、突然の売り込みで買って良い物なのだろうか…?
 なんて考えながら、売り台に並べられているパンを覗いて、
「…わぁ…!美味しそう…!」
 驚いた。
 だって、どれもこれも、とっても美味しそうだったから。
 柔らかそうなパン、噛みごたえがありそうなパン、真ん中に宝石の様なジャムがあるパン、茸をくるんだパン。
 ああ…全種類買ってしまいたい…!
「あれも美味しそう…あ、でもこっちも美味しそう…!」
「どれもこれもうめーぞー!」「最高の味だぞー!」
 双子の魔物さん達はにこにこ、満面の笑みを浮かべておすすめしてくれる。
 売り子さんがこんなにも楽しそうにおすすめしてくれると、なんだか私の方も楽しくなってしまう。
 …それでうまい事乗せられて沢山買っちゃうんだよね…もうこんなに買っちゃっちし…。
「三個買ってくれたら一個おまけするぜー!」「お得だぜーお買い得だぜー!」
「そうなんですか!?それじゃあ…」
 これを下さい。
 そう言う前に、どんっと、私に何かがぶつかった。
 思わずよろけ、かろうじてパンに触れないであろう位置にの売り台に手を付く。
 ぶつかったのはどうやら魔物の子供の様だった様でそのままどこかへと駆け抜けて行ったが、その親らしき魔物は私に「すいません!」と謝り、子供を追い掛けて行った。
「気を付けろー!」「うちの大事なお客だぞー!」
 魔物さん達は走り去っていく魔物さんを叱り付け、
「……………………お前、人間か?」「お前、人間のお姫様か?」
 言われ、気付く。
 付け耳が、外れている。
 外れて、道に落ちている。
 …気配が、変わった。
 私は、日々訓練を積んでいる兵隊さん達や魔物さん達の様に、気配に敏感な訳じゃない。
 …けれど。
 そんな私でも分かってしまう程、濃密な殺気が、
 目の前の、
 双子の魔物さんから、
 獰猛な笑みで、血走った目で私を見る、魔物さんから、放たれていて。
「お姫様逃げろッ!」
 魔物さんの誰かが、叫んだ刹那。
 双子の魔物さんはパンの売り台を飛び越え、
 各々の両の手に巨大なパン切り包丁を携え、
「お姫様死すべしッ!」「王族死すべしッ!」
 斬り掛かってくる。
 躊躇いの無い四振りの斬撃。
 倒れながら転がりながら回避する。
 パン切り包丁は空を斬り、煉瓦の道に叩き付けられた。
「避けたね?」「避けたな?」
 吊り上がった笑みを浮かべて、魔物さん達は私を見る。
 敵意。
 殺意。
 どれも私が、魔界に来て始めて向けられるもの。
 なんで?
 どうして?
 私が人間だから?
 私が獣人と嘘をついていたから?
 どうして?
 どうして?
「…どうしてこんな事をするんですか!?」
 問うた瞬間、双子の魔物さんは突進してくる。
 駄目だ。
 殺される。
 殺されてしまう。
 …嫌だ。
 殺されて、たまるもんか。
「シールド展開枚数は四被ダメージ予測位置に自動移動ッ!」
 詠唱。
 もともと使えたシールドの魔術に、魔界で学んだものを組み込んだ応用形術式。
 瞬時に青みがかった透明の正六角形が展開、双子の魔物さんの刃が届く前に、四つの斬撃全てを防ぎ切る事が出来た。
「アスパとラガス止めるぞッ!」
「何をどうしたら王族ぶっ殺すモードになったあいつらを止められるってんだよッ!」
「とにかく超特急でミソハギ呼んで来いッ!」
「非戦闘系の魔物は建物の中にッ!防御系回復系の魔物は各所防護と回復ッ!あとお姫様に魔力供給ッ!
 戦闘系は万が一の為のアスパとラガスとの戦闘に備えろッ!」
「お姫様ミソハギが来るまで耐えてくれッ!こっちでも援護するッ!」
「はっ、はいっ!」
 とにかくミソハギさん、という魔物さんが来ればどうにか出来るそうだ。
 何が何だか状況が全く分からないけれど、とにかくそれまで耐え凌げば…!
「くたばれ王族ッ!」「くたばれお姫様ッ!」
 私の前後に立つ双子の魔物さん…他の魔物さん達がアスパとラガスと呼んだ魔物さん達は、その声と共に、攻撃を開始する。
 ガンッ!ガンッ!ガンッ!ガンッ!
 斬撃の速度は速くない。
 太刀筋はお世辞にも熟練者とは言えない。
 シールドも斬撃に合わせて展開されている。
 ガンッガンッ!ガンッガンッ!
 乗り切れ。乗り越えろ。
 そうすれば私は生きて帰れる。
 ガンッガンッガンッガンッ!
 みんなの下へ。
 魔王様や、ヒルガオちゃんや、タイムさん、イキシアさんの下へ。
 ガンガンガンガンガンガンガンガンッ!
 ……あ…れ…?
 ど…して、さっきまで傷一つ無かったシールドに、罅が入っているの…?
 ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガッ!
「ッくそったれッ!円舞だッ!
 奴等斬撃速度を上げやがったッ!」
 円舞。
 魔物さんの誰かがそう言った意味が、直接対峙している私には、よく分かる。
 アスパちゃんとラガスちゃんの刃は、円を描く様な軌跡を描いている。
 そうする事で刃の勢いを殺す事なく、勢いと威力を更に更にと上乗せする事が出来るのだろう。
 時間が経てば経つ程アスパちゃんとラガスちゃんの斬撃はより速く、より強力になる。
 そう気付いた時には、もう遅かった。
 ビシッ。
 シールドに致命的な罅が入る。
 魔力を注いで修復しても、修復された傍から壊されていく。
 追い付かない。
 追い付かない。
 駄目だ。
 思った瞬間。
 シールドが、派手な音をたてて砕けた。
 アスパちゃんとラガスちゃんは私から距離を取り、切っ先を私に向け、
「死ね、お姫様」「くたばれ、王族」
 獰猛な笑みを浮かべて、
 死ぬ。
 咄嗟の動き。
 腕で顔を隠し、ぎゅっと目を瞑り、


「何をしてるんだこの馬鹿野郎共が」


 深いどすの効いた、男性の声が聞こえた。
 痛みは…来ない。
 恐る恐る、目を開ける。
「だってこいつはお姫様だぞミソハギッ!」「だってこいつは王族だぞミソハギッ!」
 アスパちゃんとラガスちゃんは、とっても大きな誰かに頭を掴まれて、プランプラーンと揺れていて。
「だっても何もあるか。
 この人間はルクスカリバー王国の姫だ、日ノ本の姫じゃない。
 そもそも今は魔王の食客として魔界にいる。姫としての権力も権限も無いし、この姫はそれの権力を振るう気すら無い。
 …だからエキナケア・ルクスカリバーを見掛けても絶対に手を出すなと昨日散々言った筈だが?」
「でもッ!」「でもッ!」
 反論をしようとした途端、大きな誰かはアスパちゃんとラガスちゃんの頭を煉瓦の道に叩き付けた。
 相当な力で叩き付けたのだろう、煉瓦が砕け、陥没する。
 アスパちゃんとラガスちゃんは…ビクッ、ビクッと痙攣しているけれど、動く気配は無い。
 …………ひとまず命の危機は…去った…のかな…?
「お姫様、怪我は?」
 大きな誰かは私に駆け寄って来る。
 本当に大きな魔物さんだ。
 私より頭三つは高い身長、麻の服の上からでも充分を分かる程の筋骨隆々の体付き。
 黒く艶やかな毛並みに覆われた、キリッとした顔付きの、犬の獣人さんだ。
 …もしかして、この獣人さんが…。
「は、はい。私は大丈夫です。
 …貴方が、ミソハギさんですか?」
「ああ。俺がミソハギだ」
 ミソハギさんは片膝を付き、心臓の辺りに右手を添え、深く頭を垂れる。
「謝罪の言葉だけではとても許される事では無いのは重々承知している。
 だが、アスパとラガスにも事情があるんだ。
 …どうか今回の件、穏便に事を済ませてもらえねぇか?」
「あ、は、はい。
 …アスパちゃんとラガスちゃんにも、事情があるのは充分に理解出来ますから」
 私が私であると知った途端、アスパちゃんとラガスちゃんの態度は一変した。
 それまでは、とても楽しそうに、とても嬉しそうに接客をしてくれていたんだ。
 …だから、一変してしまう程の何かが起きたんだって、充分に察する事が出来たから。
「あの、それよりも、アスパちゃんとラガスちゃんは大丈夫ですか…?」
 アスパちゃんとラガスちゃんはぐったりしたままビクッ、ビクッと痙攣している。起き上がる気配は無い。
 生き…てはいると思うけれど…大丈夫なんだろうか…?
「心遣い感謝する。
 アスパとラガスは問題ねぇよ。あいつらは長所と取り得に頑丈と書けるぐらいには頑丈だからな」
「許すまじお姫様ぁ…」「許すまじ王族ぅ…」
 譫言の様にアスパちゃんとラガスちゃんは呟く。
 ええと…とりあえずは無事…みたい…?
「…あの、えと…それで、私はどうして襲われたのですか…?」
「…詳しい話は店の中で、だな。
 誰か魔王城に使いを!ルクスカリバー姫はワルグのパン屋にいると伝えてくれ!」
「それなら大丈夫だミソハギー!さっき道で魔王城のメイド長と会ったー!多分こっちに向かってる筈だー!」
「鬼気迫る勢いだったぞー!」
「骨は拾ってやるー!」
「魔王城のメイド長…ヒルガオか…鬼気迫る表情か…うわぁ…」
「ご、ごめんなさい…ヒルガオちゃんは私の護衛で一緒に来てくれただけなんです…」
「いや、お姫様が謝る事は何一つとして無ぇよ。元はと言えばこちらがきっかけを作った様な物だからな。
 あいつも話が分からん奴では無いし、話して分かってもらえると良いなぁ…」
 み、ミソハギさんが遠い目をしてる…絶対ヒルガオちゃんを説得しなきゃ…!
「まぁお姫様、どうぞ中へ。ハーブティーを準備するぜ」
「あ、はい…」



「美味しい…!
 ハーブティーって、こんなに美味しいのですね…!」
「お姫様にそう言って頂けるとは恐悦至極。
 俺が独自に研究して配合した、ワルグのパン屋オリジナルのハーブティーなんだ。
 良かったら茶葉を譲ろうか?」
「い、いえ!きちんと買わせて頂きます!
 こんなに素敵な物をタダでなんて頂けません!」
「気持ち程度だが此度の件のお詫びも兼ねているんだ、気にしなくていい」
「は、はぁ…」
 ワルグのパン屋。その売り場に設けられたイートインスペース。
 そこで私とミソハギさんは、向かい合ってハーブティーを飲んでいた。
 勿論、緊張しない訳じゃない。
 今日初めて会った…しかも私を襲ったアスパちゃんとラガスちゃんとも知り合いで、私が苦戦したアスパちゃんとラガスちゃんを容易くねじ伏せた魔物さん。
 …その気になれば、きっと、呼吸をするより容易く私を殺せるだろう。
 でも…なんだろう、ミソハギさんからは、殺意とか敵意とか、そういった悪意を感じないのだ。
 …それに、このハーブティーは、とっても美味しい。
 こんなにも美味しいハーブティーを淹れられる魔物さんだもの、きっと悪い魔物さんじゃない。そんな気がするんだ。
「…あの、それで、その…私はどうして、攻撃を受けたのですか?
 えと、事情がある、という事は察していますし、攻撃されたから仕返しをする、という事はしません。
 それに理由を知っておけば、今後はこんな血生臭い戦闘になる、という事は回避出来る筈です。
 だから…」
 ミソハギさんは一瞬だけ驚いた様に目を見開いたけれど、すぐに「なるほど、そういう事か」と小さく呟いて、
「…分かった。
 ただまぁ、少し長い話になる。
 それに、俺はどうにも物を語るというのが苦手なんでな、その二つは勘弁して欲しい」
「は、はい」
 ミソハギさんはハーブティーを一口含み、ふぅと一つ息をついた。
「アスパとラガスは付喪…永い年月が経過した人形から魂が生まれ、人間の様な姿を成した魔物なんだ。
 アスパとラガスのオリジナルの人形は、日ノ本と呼ばれる国の姫が持っていたとある人形だった。
 姫はその人形を私のたった一人の友人と呼ぶ程に気に入っていたが、王位継承を巡るいざこざや謀略に巻き込まれ、同じ王位継承者に殺された。
 …アスパとラガスのオリジナルはその時に引き裂かれ、今の双子の様な姿になったそうだ。
 故にアスパとラガスは二体で一体、互いが互いを自分と認識している。
 …アスパとラガスは、以前言っていたよ。
 たった一人の友人である姫を殺した王位継承者を、それを招いた王制を、
 …王族のシステムその物を、けして許しはしないと」
「…だから…だから私の様な王族を憎んで…攻撃をしてきたのですね…」
 それが、私を攻撃してきた理由。
 自分をたった一人の友人と言ってくれた、たった一人の友人を、王制というシステムに殺された怨念。
 それは、あまりにも深く。
 そのシステムを構築する者達、そのシステムを維持してきた者達、そのシステムに甘んじる者達、全てを皆殺しにしても、なお晴れず。
 理解してしまった。
 …何故か、理解、出来てしまったんだ。
「理解が早くて助かるぜ。
 そういった理由で魔王城に使える者達を無差別に攻撃してしまうから、ワルグのパン屋には魔王城の関係者をけして近付かせない様にすると、魔王と取り決めをしていた筈なんだが…」
「魔王様と面識があるのですか!?」
「ああ、まぁな。
 …さっきからどうにも気になるんだが、もしかしてお姫様、魔王様から俺達の事を何も聞いていないのか?」
「…え?」
「…その様子だと、本当に何も聞かされてないみたいだな。
 クソ、魔王め…お姫様を守ってるつもりなんだろうが、こんなんじゃ守れるもんも守れんだろうに…」
「あ、あの、えと…」
 何かを愚痴る様に、ミソハギさんはぶつぶつと呟く。どういう事なんだろう…?
「…名乗りが遅れたな。
 俺はミソハギ・ワルグワイヤ。
 このワルグのパン屋の店主であり、城下町の自警団の団員であり…反王政一派「アリウム」のリーダーだ」
「……………………え?
 え…………え?」
 質の悪い冗談かと、一瞬本気で思った。
 何が何だか全然分からない私の緊張を解す為の、ミソハギさんの心遣い。
 …でもミソハギさんは、私の緊張を解く為に訳の分からない事を言う様な魔物さんにはとても見えない。
 …じゃあ。
 じゃあ、本当に、
「…本当に、反王政一派の、リーダーなんですか…?」
「ああ」
「…じゃあ、アスパちゃんとラガスちゃんも、反王政グループのメンバーで…」
「まぁな。
 パン屋の下働きとして働かせながら「アリウム」の構成員として動いてもらっている」
「どうして…どうしてそんな事を…」
「…俺だって、王政に対して、恨み辛みの一つや二つ持っているのさ。
 その恨み辛みが誰よりも何よりも深く、王政に対し初めて声を上げたのが俺だった。
 …「アリウム」の存在理由は魔王へ民の声を届け、魔王を監視し…必要なら魔王の首を跳ねる事。
 王政への反逆の意志と魔王の敵対者としての覚悟を持ち、魔王と…王政と相対する。それが「アリウム」存在理由…そして構成員になる為の必須条件だ」
「でもそんな事をしたら、魔王様に目を付けられて…その…消されてしまうのでは…?」
「あの魔王が暴力的手段に出るとはとても思えんがね。
 それに俺達は「アリウム」の事、そして俺が「アリウム」のリーダーである事を魔王は承知している。
 月に一度、魔王の目の前で意見陳述だって言っているんだぜ?」
「…でも、どうして反王政組織を?
 現魔王様の治世は、私の目から見ても充分以上に機能していると思われます。
 …それこそ、人間界の政治なんかより、ずっとずっと、素晴らしい物だと思われます。
 それに、先代の魔王様の治世も、とても素晴らしい物だったと聞いています。
 そんな魔界の王政の、何が問題なのですか…?」
「…………確かに、現魔王、そして先代の魔王の治世になんの問題は無ぇよ。
 俺もかつて人間に仕えていたんだけどな、酷い物だった。
 それに比べればここの王政は理想そのものだ。
 国民の声は確実に届き、それを確実に政治に反映する。
 王たる魔王も…まぁ頼りないが慈悲深く、聡明で…いやそこまで頭が良い訳じゃないが…まぁ良い奴だ。一回どつき合った俺が保証する」
「どつき合った…って喧嘩したんですか?」
「会った当初はな。そりゃもう血で血を洗うどつき合いだった…いやだいぶ脚色してるから、そんな青い顔すんな」
「は、はい…。
 でも、そんなにも理解しているのに、どうして…」
「だからこそ、だ。
 確かに先代も、今代の魔王も立派だよ。
 …だけどな、今の素晴らしい王政が永久に続く保証なんて、何一つ無いんだぜ?
 次代の魔王は言葉にする事すらおぞましいクズかもしれない。
 今の魔王が何らかのきっかけで狂ってしまうかもしれない。
 …特別なきっかけなんか無くても、もっと年を取れば考え方が変わるかもしれない。
 …何があって魔王が国民の敵となるか、完璧な未来予知が出来ない限り、安楽する事は出来ねぇんだよ」
 ミソハギさんはすぅとハーブティーを啜り、眉をひそめ、
「…冷めちまったな。新しい物を淹れて来る」
 そう言って、奥…多分キッチンへと歩いて行った。
 冷めたハーブティーを、じっと見つめる。
 次代の王。
 当代がどんなに立派でも、次代の王になった途端に一気に崩壊したという話は、まま聞く事だ。
 ミソハギさんは多分、それを嫌という程に承知している。
 反王政の組織を結成し、率いる程に、王政への恨み辛みは深く。
 …良く知っているから、どつき合った仲の魔王様に弓を引くんだ。
「待たせたな。カップをくれ」
「あ、はい」
 戻って来たミソハギさんにカップを手渡すと、ミソハギさんはコポコポとカップにハーブティーを注いでくれた。
「ほれ」
「あ、はい。ありがとうございます」
 受け取ったカップに口を付け、すぅと一口。
 さっきのとは違って、少し酸味のあるハーブティーだ。
 うん、美味しい。
「…魔王は俺達みたいな、王政に対し反感の意志を持つ奴等の言葉を良く聞いてる。
 俺達みたいな奴等の意見は、国の実情を忌憚無く映し出す。
 だからとても重要で、何を差し置いてでも聞くべきなんだそうだ」
「…確かに、魔王様なら言いそうですね」
 そっと目を閉じる。
 目蓋の裏に映るのは、何よりも誰よりも、国を憂い、国の行く末を案じ、へにゃりとした頼りない笑みを浮かべる、魔王様。
「…大丈夫…なんじゃないでしょうか。
 魔王様なら、たとえ何があっても、正しく魔界を導けるのでは無いでしょうか。
 私は、そう、思っています」
「…俺も、そう信じてる。
 だが可能性がある以上、「アリウム」は在り続ける。
 …王への反逆者として、あいつの首をはねる日を…俺は、戦々恐々と待っているのさ」
 ミソハギさんはふっと目元を緩めた。
 微笑んでいる…のとは、違う。
 なんだろう…なんだか、遠い昔の事を思い出している様な、そんな目だ。
「…私は、魔王様を信じています。
 魔王様なら、信じられるのです」
「…あんた、あいつと同じで、とんでもないお人好しなんだな」
「そ、そうですか?そんな事は無いと思いますけれど…」
「お人好しっていうのは大概自覚は無いもんさ。あんたみたいにな」
 ふっと、先程とは違う微笑みを浮かべたその瞬間、ばんと勢い良くパン屋の扉が開いて。
 そこには、多分扉を蹴り開けたであろう体勢のヒルガオちゃんがいて。
 その両手は、きゅー…と目を回すアスパちゃんとラガスちゃんの襟首を掴んでいて。
「強いぃ…」「ほんとにメイドか貴様ぁ…」
「…貴様等如きで儂に勝てる訳が無いじゃろうが」
 ヒルガオちゃんが手を離すと、「ぎゃっ!」「ぐぇっ!」と悲鳴を上げて床に倒れた。
「ミソハギ貴様…よくもエキナに…我等が愛しの姫に手を上げたな…ッ!
 万死に値する…致死に値する…ッ!」
 鬼の様な形相のヒルガオちゃんは左手の平に拳を添えると、何かを引き上げる様に引っ張る。
 そうしてヒルガオちゃんの右手に現れたのは、全長一メートルぐらいの…銃!?
「やめてヒルガオちゃんッ!ミソハギさんは悪くないのッ!」
 叫ぶ。
 けれど声は届かない。
「ッシールド展開数は一眼前に集中防御ッ!」
 叫ぶ。
 目の前に、アスパちゃんとラガスちゃんとの戦闘の時よりずっと色が濃いシールドが展開される。
 ヒルガオちゃんは照準を私の後ろにいるミソハギさんに定め、
 引き金に指を掛け、
 指に力を込め、
 銃口が、
 火を、
 目を瞑る。
 駄目だ。
 撃たれる…ッ!
「やめるんだメイド長」
 声が聞こえた。
 聞き慣れた声。
 安堵する声。
 目を開ける。
 そこにいたのは、朝見かけた時の、長いフード付きのローブを纏った、
「…魔王様…!」
「メイド長、落ち着いて。
 深呼吸、深呼吸だよ」
「どけ魔王ッ!
 反逆の意志のみならず、無関係なエキナにまで手を上げるならもう駆逐しない理由は無いッ!」
「今回は事前に何も説明しなかった僕が原因だ。誰にも落ち度は無い」
「二度とこんな事が起きない様、アスパとラガスには俺がしっかりと言っておく」
「うん。
 ミソハギの方でも、そうしてもらえると助かるよ。
 …ほらメイド長、ミソハギもそう言っているんだ。銃を納めて」
「…………チッ」
 ヒルガオちゃんは一つ舌打ちをすると銃を手のひらの中に押し込んで、私に駆け寄って来てくれた。
「大丈夫かエキナ!酷い事をされなかったか!?精神的肉体的にトラウマになる事をされなかったか!?
 ミソハギ貴様…エキナにおかしな事をしなかっただろうなぁ…ッ!」
「だ、大丈夫だよヒルガオちゃん!
 その、アスパちゃんとラガスちゃんの事情も聞いたし、それに美味しいハーブティーもご馳走になったよ!?」
「お姫様の言う通りだ、俺は何もしちゃいねぇよ。
 つか魔王よ、今回の件、こっちも悪いがしっかりルクスカリバー姫にここの事を言わないのも原因なんだぜ?
 …守っているつもりなんだろうが、中途半端なんだよ、テメェは」
「…忠言、痛み入る」
「偉そうな事を言える立場かこの犬畜生め」
「言うじゃねぇかこの木偶人形」
「三回回ってワンと言わせてやる」
「面白おかしく着せ替え人形にしてやるよ」
「やるか犬畜生」
「上等だ木偶人形」
「あ、あの、魔王様、今にも血みどろの事態になりそうです…ッ!」
「二人は犬猿の仲だからね…まぁ互いの立場上仕方ないんだけれど。
 あ、エキナ姫、座って座って。
 ミソハギー、ハーブティーもらうよー」
「奥の厨房の食器棚の二段目に新しいカップが入ったから使ってみてくれ。
 パンにはジャムだろうが駄メイドが」
「たわけパンにはバターじゃぼけぼけリーダーが」
「あ?」
「あ?」
 あああああ…ほ、本当に大丈夫なのかな…!?
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。
 よほどの事が無い限りやり合わないだろうし、罵り合っていればその内クールダウンするのがいつもの流れだし」
 …ねぇ、エキナ姫。
 僕はまた、エキナ姫を危険に晒してしまったんだね」
 イートインスペースに座る魔王様は、へんにゃりと顔を歪めている。
 この顔を、私は前に見た事がある。
 私が不注意に扉を開けて、荷物の雪崩に押し潰されてしまった時。
 その後ベッドの傍でしていた顔と、とても良く似ていて。
「魔王様は何も悪くないです!
 それは私がまた何も警戒していなかったから招いた事態で…!」
「いや。僕がしっかりとエキナ姫に話していれば、そもそもこんな事態になる事は無かったんだ。
 …本当に、ごめんなさい」
 魔王様は深々と頭を下げる。
 魔王様が口だけじゃない事は、充分に分かっている。
 魔王様は、心の底から謝っているんだ。
 …それが、今は、とても苦しい。
 私のせいなのに。
 私が不注意にアスパちゃんとラガスちゃんに近付かなければ。
 私が市に来なければ。
 私がヒルガオちゃんに心配をさせなければ。
 …魔王様に、こんな顔、させなかったのに…。
「…私の方こそ、ごめんなさい。
 私、いつもいつも、魔王様や、ヒルガオちゃんや、他のみんなに迷惑ばかり掛けて…。
 …ごめんなさい。
 …本当に本当に、ごめんなさい…」
 俯き、拳を握り締める。
「…私なんて…」
 ここに…魔界に来てから、ずっとずっと感じていた、胸の奥に広がる痛み。
「迷惑ばかり掛ける、私なんて…」
 痛い。
 痛い。痛い。痛い。
「…私、なんて…ッ!」
 消えて、無くなってしまえば良い。
 口から出そうになった言葉。
 喉元まで出掛かった言葉。
 焼ける。
 何かが私を焼き尽くす。
 心を。
 体を。
 痛い。
 痛い。痛い。痛い。痛い。
 …痛い、よぉ…。
「エキナ姫」
 魔王様の声に、はっとする。
 自分の世界に入ってしまっていたんだ。
「エキナ姫」
 顔を上げられない。
 魔王様を見る事が出来ない。
「エキナ姫」
 …どんな顔で。
 私を想ってくれた方の行為全てを否定する言葉を吐いた私は、
 どんな顔で、魔王様を見れると言うんだ。
「…エキナ姫」
 私を呼ぶ魔王様の声は、とても優しい。
 …そんな声で呼ばれたら、顔を上げない訳にはいかないじゃない。
 恐る恐る、顔を上げる。
 魔王様は、微笑んでいる。
 優しげに。
 ちょっぴり悲しげに。
「…それ以上は、言わないで。
 消えて無くなってしまえば良いなんて…どうか、どうか、言わないで。
 それに、僕はエキナ姫の事、迷惑だなんて、これっぽっちも思っていないよ。
 僕だけじゃない。魔王城のみんなだって、エキナ姫の事を迷惑だなんて…」
 諭す様に、魔王様は言葉を紡いで、
 不意に、その言葉を止めた。
 じっと、何かを考える様に、口をぎゅっと、真一文字に結んで。
「……ううん…これじゃない。
 …多分、違うんだね」
 長い思考の後、魔王様は、そっと口を開く。
「…エキナ姫は、自分がした事…してる事が、僕達に迷惑を掛けてるって思っているんだよね?」
「……」
 私は何も言う事が出来なくて。
 こくんと、私は頷く事しか出来なくて。
「…ん、そっか。
 …えと、こういうのはちょっと酷いかもしれないけれど…少なくとも僕はね、エキナ姫に迷惑を掛けられる事が、すっごく嬉しいんだ」
「…え…?」
「エキナ姫が困った時に、僕達は何かが出来る。
 エキナ姫が大変な時に、僕達は手を貸す事が出来る。
 エキナ姫が苦しい時に、僕達は声を掛けてもらう事が出来る。
 …エキナ姫が掛けている迷惑って、僕にはそういう解釈になるんだ。
 そもそもそれを僕は迷惑だなんて思っていないけれど…でも、エキナ姫が迷惑を掛けているって思うなら、それでも良い、解釈が違う事なんてままある事だから」
 魔王様は、言葉を紡ぐ。
 ゆっくり。ゆっくり。
 一言、一言、大切に。
「…迷惑という単語を分解して読むと、迷い惑わす、となる。
 相手を迷わせ、惑わし、混乱させ、苦悩させる…それが迷惑という単語の、本当の意味なんだと、僕は思う。
 …でも、迷い、惑い、混乱し、苦悩し…その果てに、答えが出せたのなら。
 迷惑を掛けた誰かと、迷惑を掛けられた誰かが、一緒になって答えを導き出せたのなら。
 …導き出した答えは、何物にも代え難い、
 あらゆる迷いを断ち切り、あらゆる惑いを薙ぎ払い、あらゆる混乱を物ともせず、あらゆる苦難を乗り越える、そんな答えになる。
 …なんて、偉そうな事を言える程長く生きている訳じゃないけれどね。
 でも、そう思って…そう願っていく事は、決して間違いじゃない、間違いである筈は無い、間違いだと吐き捨てられて良い筈は無いんだ」
 魔王様は、まっすぐ私を見ながら、とても…とても優しい声で、言葉を紡ぐ。
「それに、もし答えを出せたなら、迷惑を掛けた誰かにとってもプラスになる。
 蓄積された答えという経験は、その誰かが迷惑を掛けられた時、迷惑を掛けた誰かを助けられる力になる。
 迷惑を掛けられた誰かが迷惑を掛けた誰かを助けて、その誰かが迷惑を掛けられ、迷惑を掛けた誰かを助けて…そうして、環は閉じずに続いていく。
 助け、助けられる環は、閉じずに続いていく。
 …世界がそんな形になったのなら、戦争なんて無くなりそうな物だけれど…ま、人間界も魔界も、そうそううまくはいかないよね」
「……………………どうして」
「?」
「どうして、そんなに…そんなにも、魔王様は…」
 どうして魔王様は、こんなにも凄い事を考えられるのだろう。
 どうして魔王様は、こんなにも素敵な事を考えられるのだろう。
 どうして魔王様は、こんなにも素晴らしい事を考えられるのだろう。
 …どうして魔王様は、それら全てを言葉にしても足りない程、立派なのだろう。
 駄目だ。
 魔王様は、そもそもの次元が違う。
 人間とも、魔物とも、存在の次元が違う。
 …それはまるであらゆる存在を超越した…神様の、様な。
「…ん。
 エキナ姫が僕をどう認識するのか、それはエキナ姫が好きな様に思い描いて良いと思う。
 …けれど、僕はエキナ姫が思い描く程、特別な存在なんかじゃない。
 僕は、多分エキナ姫以上に迷惑を掛けて来た…そりゃもうとんでもない程にね。
 だからこそ。
 だからこそ、誰かに迷惑を掛けられる事を、僕は恐れたくない。
 それはかつて、僕が誰かにした事で。
 それはやがて、誰かが誰かを助ける糧になるから。
 だからエキナ姫も、沢山迷惑を掛けて良いんだ。
 その代わり…と言う訳じゃないけれど、いつかエキナ姫が誰かに迷惑を掛けられたなら、その誰かを助けてあげて欲しいかな。
 助け助けられる環が、いつまでも、続く様に」
 そう言って、魔王様はにんまりと笑った。
 …………ああ。
 本当に。
 …本当に、この笑顔には、勝てないなぁ…。
「…………その、魔王様の様にうまく出来るかは、分からない、ですけれど…。
 …でも、こんな私が、魔王様が思い描く世界の、一旦を担えるなら。
 …頑張ります。
 頑張って、みます」
「ええと、ほどほどにね。
 エキナ姫はとっても優しくてとっても責任感が強いから、すぐに無茶しちゃいそうで、ちょっと心配で…」
「え、えと…じゃ、じゃあほどほどに!ほどほどに頑張ります!」
「うんうん。その意気その意気」
「良い心掛けじゃ、エキナよ」
「あんたはもちっと傲慢になって良いと思うぜ。でなきゃいつか世界に潰されちまうからな。
 …んで、話は終わったか?」
「ああうん、多分決着が着いたと思わあああああああああああああああああっ!」
「でっけぇ声出すな魔王。
 ほれ、お姫様だってびっくりしてるじゃねぇか」
 魔王様の声もそうだけれど、いつの間にかテーブルの端に顎を乗せていたヒルガオちゃんとミソハギさんにもびっくりしちゃって、思わず飛び退いてしまった。
 ほんとにびっくりした!ほんとにびっくりした!
「いやいやいやいや突然そこにいたら誰だってびっくりするからね!?
 メイド長もミソハギも気配か何か出して欲しかったかな!?」
「いや魔王よ、こう言っちゃあれだが俺達結構長い間ここにいたぜ?」
「うむうむ。
 まぁ魔王もかなり話に集中しておったからの、気付かないのも無理はなかろうて」
「あ、えと、その、ひ、ヒルガオちゃんとミソハギさんも、お話、終わったんですか?」
「うむ。
 ひとまずはジャムとバターを一緒に塗ったコッペパンをこの店で出す事になった」
 え、いつの間にか新商品が出来上がってる。しかも美味しそう。
「…あの、ヒルガオちゃんとミソハギさんって、実はそんなに悪い仲じゃないんじゃ…」
「「いやそれはない」のじゃ」
「合わせんじゃねぇ木偶人形」
「それはこっちの台詞じゃ犬畜生」
「あ?」
「あ?」
 ああああああ…ヒルガオちゃんとミソハギさん、また睨み合ってる…!
「まだいんのかお姫様こらー!」「しかも魔王とメイド長までまだいるぞこらー!」
 しかもアスパちゃんとラガスちゃんまで復活してるっ!すっごい回復力!
「どうどうアスパもラガスも噛み付こうとすんな」
「むきー!」「うきゃー!」
「アスパもラガスも復活したし、僕達はそろそろお暇しよっか」
「そうじゃの。
 こやつら力こそ無いがコンビネーション取られるとはったおすの面倒じゃし」
「かかってこいこらー!」「次は負けねーぞおらー!」
「喧嘩を売んなパンを売れ」
「ほれエキナ、外に落ちてたぞ」
「あ、付け耳。
 ありがとう、ヒルガオちゃん」
 ヒルガオちゃんから受け取った付け耳を着ける。
 すると、二回目で体が馴染んだからか、瞬く間に兎の獣人に早変わりした。
「ほー…なるほど、お姫様が妙な匂いの正体だったのか」
「あ、えと、変な匂い、しますか…?」
「こちとら犬の獣人なんでな。
 人間でも魔物でも無い匂いがしていたが、今のお姫様の姿を見てようやく合点がいった」
「やっぱりミソハギクラスだと分かっちゃうかー…もっと改良が必要だねー…」
「普通じゃ分かんねぇと思うぜ?
 というか今更着けなくても良いんじゃねぇか?
 その姿の獣人がお姫様だって街の奴らにバレちまった訳だし」
「まぁあった方が安心出来るからねー」
 ミソハギさんがアスパちゃんとラガスちゃんを押さえてくれている間に、私達はそそくさと帰り支度を済ませる。
 その間にアスパちゃんとラガスちゃんがミソハギさんの手をすり抜けて魔王様に襲い掛かったり、ミソハギさんがアスパちゃんとラガスちゃんの延髄に手刀を入れて気絶させたり、ミソハギさんからハーブティーを貰ったりして。
「それじゃあね、ミソハギ」
「ああ、魔王。
 三日後にまた会おう」
「うん、また三日後に」
 魔王様とミソハギさんは、そんな話を、別れ際にしていて。
 …三日後に、何かあるんだろうか…?



 …あれから三日後、魔王城内、魔王の執務室を尋ねる者がいた。
「よっ、魔王」
「やほ、ミソハギ」
「あ、仕事中だったか?
 すまねぇ、タイミング悪かったな…」
「ううん、大丈夫。丁度終わった所だから」
「なら良い。
 …お姫様は…いねぇのか?」
「え?ああ、うん。
 …エキナ姫、呼んだ方が良い?」
「いや、後で伝えてもらえりゃそれで良い」
 魔王はサインをした書類を書類棚に置くと、立ち上がり、執務室の中央へ歩み寄って、
「…それじゃあ、始めようか」
 ぱんと、手を叩いた。
 瞬間。
 敷かれたカーペットに描かれた魔術陣が光り出し、虚空に、光で描かれた魔界全土の立体地図が現れる。
 山々の起伏、砂漠に生える木々、建物の形状まで忠実に再現された、精巧な立体地図だ。
「…まずは前回話したイシュナ村の河川氾濫の件の報告だな。
 魔王からの提案通り、雨の日に貯水湖を確認したら馬鹿でかいウォーターリザードが根城にしていやがった。
 雨の日にだけその貯水湖に来ていたみたいで、そのせいで発覚が今になったらしい」
「やっぱり…雨量は変わらないのに川が氾濫なんてするからおかしいと思ったんだ…。
 調査に携わった魔物達に被害は?」
「きっちり対策してたからな、こっちに被害はゼロだ」
「良かった…その後ウォーターリザードはどうしたの?」
「晴れの日にウォーターリザード対策を組んだ。
 結果は次の雨の日まで分からんが多分大丈夫だろう。
 これが今回の調査書だ」
「ありがとう。後で確認する。
 前にお願いしていた盗賊の件はどうなったの?」
「デナムド国南貿易陸路の件だな。
 そこら辺を管轄している「アリウム」から報告だが、盗賊共は全員とっつかまえた」
「戦闘はあった?」
「ああ。まぁこっちもあっちも大した被害は無いらしい。
 ただ盗賊共の言い分を聞いた「アリウム」のメンバーが境遇に同情してなー…「アリウム」の方で職業訓練をしている。
 半年もすりゃ生活に困らない程度には稼げるぐらいにはなるだろうな」
「なるほど…事後対応までありがとう。
 何か困った事があったら遠慮無く言って欲しい」
「了解。伝えておこう。
 次に…」
「…………」
「………」
「……」
「…」
「…それじゃあナガル村に大量発生した食虫植物についてはこちらから専門家を派遣する、って事で」
「ああ、頼む。
 …最後の議題なんだが…リラータ村の不作についてだ」
「……リラータ村……」
「気持ちは分かるがそう苦い顔をするなよ。
 それに今年は天候不良のせいで大規模な不作が予想される。…このままじゃリラータ村だけじゃない、何百、下手すりゃ何千単位の魔物が飢餓で死ぬ」
「分かってる。分かってるよ。
 …でもリラータ村は…せめてリラータ村に手を入れる前に他の村から…」
「リラータ村が一番酷い状態なんだ、手を入れるならそこが一番だろう?」
「でも…!」
「言いたい事は分かるが、俺だって無策で言っている訳じゃない。
 …「アリウム」リーダー、ミソハギ・ワルグワイヤの名のもとに、リラータ村の飢饉の改善を、魔王…そしてエキナケア・ルクスカリバー姫に要請する」


第四話「城下町の市に行きましょう!」…CLEARED!
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