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三章 僕は普通の獣人……だったはず

裏道少女

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 昨夜の懸念はなんだったのか、貴重な薬草を言い値で売ったことに驚かれはしたものの、犯罪者扱いどころか獣人扱いすらされなかった。普段なかなかないギルドの丁寧な対応に、こちらも驚いてしまい、薬草の売買の手続き時は気まずい空気が流れた。
 ちなみに薬草を言い値で売ったのは、相場がわからなかったのもあるが、そこまで苦労してないのもあって多くの収入を得ることに抵抗があったのも一因している。獣の臭いを避けて薬草の臭いを追うだけだったから、鼻が利く者なら簡単なことだと思う。

 それから、二種の薬草採取と魔物の素材採取の依頼を受け、ギルドを出た。どれも三日以上の期限があるので、今日のところは宿をとって休むことにしよう。
 街で食材を買いこみながら、評判の良い宿を聞く。僕が獣人に見えないからか、元々親切な人たちなのだろう街の人は、ここが良いんじゃないか、あそこが良いんじゃないかととても親身に答えてくれた。色々候補が上がったが、最終的に肉屋のおばさんから聞いた兎卵亭に泊まることにした。自分が勧めた宿に決まって嬉しいのか、おばさんは力強いガッツポーズを見せてくれた。他の候補をあげていた人たちの方は大袈裟に残念がっていた。楽しそうな人たちだ。
 またあとで買い物に来ると告げたら、そんときはおまけしてやると口々に言ってくれた。気の良い人たちばかりだなぁ。

「えっと、広い通りのみっつめの角……あ、あそこかな、を曲がってー……」

 明るい街を笑顔で弾むように歩く。高く結った襟足を揺らして書いてもらったメモを読み上げながら、くるりとその通りに曲がろうとした。

 それは昼間の賑やかな街に似つかわしくない、静かで暗くて変な臭いで満ちた細い路地。昔から仲間に近づいちゃダメだって言われていた場所の一つだ。そう気付いたのはそれからずっと後のことだった。
 人がぽつぽつと倒れるように座っている。排水の管が張り巡らされ、所々に汚ならしく荒らされたゴミ箱が目立った。獰猛そうな鳥が羽根を地に叩きつけ、喧しく鳴き声をあげながら空へと飛び出していく。鳥の姿が消えると、泣きたくなるような音が耳を覆った。背が寒さに粟立って、さっきまで軽かった足がずんと重くなった気がした。

 片脚の無い老爺が呻くように手に置いた銭を数える。いや、よく見るとなんの価値もない屑鉄のようだ。嬉々として数えているのが何とも狂気的で、時折現実に目を向けて涙もなく嗚咽を漏らして痛々しい。
 奇妙に腹だけが出っ張った女がクチャクチャと咀嚼するように口を動かす。口にはあぶくばかりが溜まっているだけのようだ。飲み込めなかった唾液がぼたり、またぼたりと女の破れまくった服も、女の周りも濡らしていく。自身を汚していくそれには毛ほども気にせず、こちらを爛々と見ては目を笑ませてぬかるんだ地に手を何度も叩きつけた。
 目の虚ろな幼い子どもが二人、一着の大人用の服を引き合いながら抱き締めあって座っている。虚空をみて呟くは異国の言葉か、二人にしか通じない言葉か。恐らくは学など無いのだろう。何一つ意味を解さないというのにそれだけは分かった。一続きの言葉を抑揚もなく、親を求める赤ん坊のように呟いているのだから。

 これを、見せたくなかったのか。ザリと摺るように片足を引いた。気持ち悪さがないといったら嘘になる。けれど、それよりも、もしかしたら。
 もしも、自分が仲間たちに。これが、自身の末路だったのかと。そう思わずにいられなくて、そう思ったら恐怖に足がすくんで。うまく息が吸えなくて、変な音と一緒に浅い呼吸を繰り返す。

 同情をかけてはいけないと思った。これに堕ちた自分はそんなものを得たくないだろうから。なけなしの施しなんて、よりいっそうの惨めを助長するだけなのだから。
 驚愕と恐怖、そして少しの嘔吐感を歯噛みしながら嚥下すると、メモごと鞄を握り直し、少しでも日の当たる方向へと駆け出した。
 否、駆け出そうとしたが、後ろから引く感覚に阻まれてしまった。

 後ろとはもちろん、先程まで目を向けていた路地がある方だ。つまり、この引かれる感覚は路地に打ち捨てられたような者の――……

「―――っ!」
「あ……」

 ぐるんと、反動をつけて振り返る。
 怖かった。あの中の誰が僕の鞄をつかんでいようと、振り離して走って逃げようと思うくらいには。事実、振り離すことには成功してしまった。そして反動をつけすぎて鞄をつかんだ犯人と目が合った。

 汚い、とは思った。だけれど、それに隠されるようにして隠れきれない、鋭い綺麗さが、その目にはあった。
 どこか雪国を思わせる深い紫の瞳が僕を見つめる。
 犯人は十かそこらの幼い少女だった。あの道にいた者にしては、そこまで堕ちた様子はない。
 痩せこけた頬に触れたら折れそうな体躯。大人用の服で膝まですっぽりと覆われてはいるが、年月による劣化や人為的に見える解れが少女の薄い身体を見せていた。

 物乞いなのだろうか。僕があげられるものはないのだけれど。そもそもこんな子どもよりも金持ちそうな大人にたかれば良いのに。

「ごはん、ちょうだい?」

 まじまじと少女を眺めていると、再度鞄を掴んでいた少女に首を傾げてねだられた。僕は言葉が通じそうなことに少し安心しながら、少女の手を鞄から離して鞄の中身を漁る。何かあげたら満足して解放してくれるだろう。といっても、今すぐ食べられるのは作りおきの飴ぐらいしかないんだけど。

「え、ええと、飴なら……ってちょっと何してんの!?」
「ごはん」
「ないって!そんなとこにないって!!」

 何でベルトに手をかけようとしてんの!?少女が跪いて、シャツを捲り上げる。
 必死に抵抗するけども少女は慣れた手つきで僕のズボンからベルトを抜きとってしまった。

「おまえ、おんな?」

 僕の言葉に反応したのか、動く手をピタリと止めてそんなことを問うてきた。これ幸いと少女からベルトを奪い返し、逃げようとするが少女がズボンをしっかりと握っていて叶わなかった。この少女、確実に僕より力が強い。
 これはどうにかしないと今日中に宿につけるかも怪しい。少女を無理矢理引き剥がすことは無理だと悟ったので、平和的な話し合いで解決を願う。

「僕は、女の子じゃない、よ」

 先程の恐怖はまだ拭えていなかったらしく舌が縺れ、たどたどしい喋りになってしまう。なら、と少女が口を開いた。

「ここ、ごはんある」

 ここ、と指したのは、未だ跪いている少女の目の前、僕の股間の位置。
 女に無く、股間の位置にある、モノ。それが何かに気付いてしまって、血の気が引いていくのを感じた。

「いやいやいやいや!ない!ご飯はない!」
「おまえ、おとこ。なら、ごはんある」
「ご飯じゃないよ!別の食べ物ならあげるから!脱がそうとするのやめてよ!」

 ソレ食べられちゃったら、僕、女の子になっちゃう。喋りながら見える少女の歯に、身が縮まる。というか、何でそんなもんをご飯だと思ってんの。

「たべもの、なに?」
「ああああ飴、飴あげるっ!だから離して!」

 こてんと首をかしげ手を止めた少女に、即座に鞄を漁って飴を押し付けた。受け取った少女は琥珀色の飴を手の上で転がしたり、日に透かしたりしてしげしげと眺める。パチパチと瞬きをしながら飴を口に含んだ。
 この隙にも逃亡を図ったものの、少女はズボンを掴んだまま。どうしようもないので、とりあえずベルトをつけ直した。今度は簡単にとられないように、少しきつめに締める。
 すると、先程街で買った食材の入った紙袋を右腕に抱えていたのを思い出した。そうだった、今日の晩はグリーズブでの初の街記念に、豪勢にオーク肉の香草ステーキにしようとお肉買ってたんだった。兎卵亭ならキッチンも貸してくれるって話だったので、そこを今日の宿に決めたんだ。良い宿っていうのは夕方には満室となってしまっているので、昼の今のうちに部屋を取っておきたかった。

 でも、と腹の位置に頭が来る少女に目を向ける。少女は飴を舐めながら、顔が緩んでいた。先程は極寒を思わせる表情だったのに、今は暖かい野原のようだ。片手は迷子がようやく見つけた母親のようにしっかりと握っていて、よく見るとその手の小ささに少し悲しくなった。
 この少女はいったいどうしてこんなところで、こんな格好をしているのだろう。改めて少女を見てみると、頬が少し痩けているが整った顔立ちをしていると思う。ちゃんと栄養が行き届いて、身なりもちゃんとしていれば養子に貰ってくれそうなお貴族様もいるだろう。そんなことを望んでないのかもしれないけど、薄汚い路地で暮らすより良いんじゃないだろうか。

 少女の絡みきった黒みの紫色の髪を梳くように撫でる。飴に夢中になっていた少女が不思議そうに顔を上げた。

「ね、手、離してくんない?僕、宿取んなきゃいけないんだよ」

 パチリと一つ瞬きすると眉根を寄せて首を振った。嫌だと言う代わりに、少女の握るズボンが深くシワを作った。まるで星導会のちびっこたちみたいだと思い至って、少しこの少女に絆されてしまっているのだと気づく。
 前髪を軽くかきあげると深く、長くため息を吐く。こりゃだめだ。この子をここに放っとけない。
 下を向いてしまった少女の頬を両手で包んで上を向かせる。少女の瞳は、また冷たそうだった。

「ねえ、一緒に行く?ちょっと食材買いすぎちゃったんだよね。僕一人でご飯も味気ないし、来てくれると助かるんだけど」

 努めてゆっくり、お得意の笑顔も乗っけて伝えれば、少女はゆっくりと頷いてくれた。
 それに少し乱雑に頭を撫でると、ズボンをつかんでる手を握って元の道へと戻る。
 もう間違わないように、グシャグシャにしちゃったメモ書きをしっかりみて、道に二人分の足跡をつけた。
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