上 下
1 / 1

聖杯の聖女

しおりを挟む
 わたしは奇跡の力を持っている。
 聖杯の力。多くの聖杯を召喚して、大量の水を国にもたした。その甲斐かいがあって、降水量の少なかったネプテューヌ帝国に水が戻り、人々が喜び、幸せになった――はずだった。


「フィセル、婚約破棄してくれないか」


 エタンセル伯爵ことロワンは、険しい表情で唐突にそう告げてきた。あまりに突然だったので、わたしは驚いて困惑した。


「二週間前に婚約を交わしたばかりなのに……どうしてですか? わたしに不満があったのなら言ってください」

「不満は大ありだよ。君は確かに多くの水をその聖杯で作った。でも、君の妹のシトロンの方がもっと大量の水を作れる。力の違いだよ」


 わたしにはシトロンという妹がいた。今までは奇跡を持たず、聖女という立場でもなかったというのに、三日前になって突然その力に目覚めたらしい。母から受け継いだ血のせいだろうか、遅咲きだったのかもしれない。


 それからは、妹の活躍が目覚ましい成果を上げていた。


 それからだ。
 それから、ロワンの態度は急変した。


「そんな……わたしを愛してくれていたのではないのですか!」

「君は確かに美しい。その雪ような銀髪も、容姿も健康的な体つきも申し分ない。どこへ出しても恥ずかしくない女性だった……だが、奇跡の力は妹より劣ったんだ。そう、所詮君の力はその程度・・・・だったというわけさ」


 そんな風に見下してきた。
 彼は、わたしというよりは『聖杯』の力に興味があったようで、そこに愛はなかったみたい。ショックが大きすぎて、頭が真っ白になる。


「……」

「この屋敷から出て行って貰おうか。ここは君がいるべき場所じゃない……さあ、おいでシトロン」

 パンパンと手を鳴らす伯爵。すると、奥の部屋から妹のシトロンの姿が。豪華なドレスに身を包み、今までの修道服ではなくなっていた。教会に仕えるただのシスターだったはずなのに、どうして。


「ふふっ、これが現実よ、フィセルお姉さま。少量の水しか出せない聖女なんて、もう需要がないの。聖杯から大量の水を出せるわたくしこそが本物の聖女です。ねえ、そうでしょう、ロワン」

「もちろんだ。フィセルは使えんし、シトロンのような優雅さが足りなかった。あぁ、あと上品さにも欠けたかな。さあ、おいでシトロン。君のそのフィセルよりも美しい銀髪を撫でさせてくれないかい」

「ええ、いいですよ」


 二人はわたしの目の前で――。

 もう見ていられないし、此処ここに居たくない。



 ――わたしは屋敷を出た――



 その日は、三年ぶりに大雨となった。
 ゴロゴロと雷が鳴り始めて、雷雨となる。
 わたしは大雨にさらされて、ずぶ濡れとなった。


「――――」


 ……おしまいね。何もかも。


 アテもなくかすみがかかる小さな裏路地を彷徨さまよう。この周辺の治安は良いとは言えない。貧窮ひんきゅうしている者が金持ち貴族を狙い、金品を狙った強盗事件も頻発していると聞く。


 やっぱり、現れた。

 ならず者の男は三人。
 わたしに狙いを定めていた。


「おぉ、こりゃ……噂の聖女じゃねえか」
「だなぁ。美人さん大歓迎」
「やっちまおうぜ」


 ジリジリと寄ってくる。わたし……こんな所で――嫌だ、そんなの。逃げようとして、でも、男たちに捕まりかけた――その時だった。


『その人に手を出すな』


 そんな強い一言が発せられると、雷が走った。
 黒々とした雲から雷が落ちて――あの男三人を撃った。


『『『ギャアアアアアアッ!!!』』』


 男たちは倒れて、黒い煙をプスプスと上げていた。あれは死んでしまったのだろうか……?


「あ、あの……あなたは?」
「どうやら無事のようですね、フィセル様」


 その顔を見て、わたしは納得した。
 一度だけお会いした事があった。
 あれは二週間前ではあったけど、聖水の力を公衆に示したあの時だ。声を掛けられて、話をと誘われたけど断っていた。


「タンドレス城伯……ですよね」

「いや、今は辺境伯の地位も賜っているのです。二つの爵位を持っているんですよ。でも、堅苦しいからレザールと呼んでくれると嬉しいかな」


 えっ……そうだったんだ。
 あの時は城伯だって仰っていたから。
 そうなんだ、今は辺境伯なのね。驚き。


 タンドレス城伯――いえ、辺境伯は、背が高くて、サラサラとした金髪をしていた。その体格もスマートで無駄がない。聞くところによれば、水と風の専門魔法使いだとか。


「分かりました、レザール様。先ほどは助けて戴き、感謝しております。……でも、どうしてわたしを救って下さったのです?」

「はい、実はですね……三日前のシトロン様です。ほら、聖杯の力に目覚めたっていう……彼女もその力を民に知らしめていたんですよ。
 その時、僕もその場にいましてね。その後でした……シトロン様がエタンセル伯爵と親し気にされていた所を目撃したのです。これはオカシイなと思い、後を付けていけば……二人は抱き合っておられました」


 ――そう、その時に妹は伯爵と。


「もういいです。あの二人の事は聞きたくありません……。それより、わたしは疲れました。何もかもを失いました……このまま死なせて下さい」

「そうはいきません。僕にはあなたの力が必要だ」

「わたしの? 妹よりも劣っているのに?」


 そう聞き返すと、レザール様は優しく微笑まれた。そんな笑みを向けられ、わたしは不思議と安堵する。なんだろう、まるで太陽のような……心がポカポカする。


「劣ってなどいませんよ。フィセル様こそが本当の聖女なのですから、堂々と胸を張って下さい。少なくともこの僕は認めます」

「でも、もうわたしは……」

「大丈夫、信じてください。貴女の妹……シトロン様は、もう数日持たないでしょう」


 彼は不思議な事を口にした。
 シトロンが持たない?


「どういう事ですか?」

「いいですか、フィセル様。聖杯から湧きだす聖水アクアは、人間の心によって左右されるのです。清き心を持たねば水は穢れてしまう。それを証拠にフィセル様の水は透き通っていて綺麗だった。対して、妹のシトロン様の水は、ただの水。早くも汚れも目立っておりました。水と風の専門である、僕が言うのです。間違いありません」


 そうだったの……そうね、信じるに足る十分な説得力があった


「つまり、シトロンの聖水は劣化しているという事なのですね?」

「ええ、もう間もなく『汚水』となるでしょう。そうとなれば、フィセル様が再び注目されるんです。だから、あなたが必要だ。如何でしょう、僕の所へ来ませんか?」


 エメラルドグリーンの瞳を向けれ、わたしはドキリとする。優しい目。この人なら信じられる。わたしを助けてくれたし、ずっと前から見てくれていた。


 わたしは彼の手を取った。


 ◆


 ――三日後――


 レザール様のお屋敷に入って、新しい生活を送っていた。彼の言う通り、妹のシトロンの出す水は『汚水』になって、民から抗議が大殺到。強い非難にさらされていた。


「どういう事だよ、シトロン様!」「水が汚いじゃない!!」「こんな臭くてマズイの飲めるか!」「死活問題だよ、こんなの!」「フィセル様の方が良かった!」「そうだ、フィセル様に戻せ!」「お前は必要ない!」「役立たず!」


「――そ、そんな……わたくしの聖杯が……聖水が……。エタンセル伯爵、た、助けてちょうだい……!」

「し、知るか! こっちまで実害が出ている。申し訳ないが、君とは婚約破棄する。……くそっ、こんな事ならフィセルを……フィセルを……戻って来てくれぇ……フィセル……うあぁッ!?」


 シトロンも伯爵も汚水を浴びせられていた。
 それから二人の信頼は失墜。
 民から一切信用されなくなっていた。


 その光景をわたしは遠くから見ていた。もちろん、レザール様のお屋敷から。此処は三階もあって快適だし、見渡せる風景も綺麗だった。


「ほら、こうなったでしょう」

「ええ……そうですね、レザール様。でも、わたしはどうも思いません。だって、今がとっても幸せなのですから」

「僕も君と出会えて最高に幸せです。やっとこの気持ちを打ち明けられる……愛していますよ、フィセル様」


 静かにレザール様は婚約指輪を取り出された。
 わたしはそれをお受けした。


 以来、わたしとレザール様は幸せに、そして、民に幸福をもたした。わたしは、真の聖女として民の希望となった――。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

護国の聖女、婚約破棄の上、国外追放される。〜もう護らなくていいんですね〜

ココちゃん
恋愛
平民出身と蔑まれつつも、聖女として10年間一人で護国の大結界を維持してきたジルヴァラは、学園の卒業式で、冤罪を理由に第一王子に婚約を破棄され、国外追放されてしまう。 護国の大結界は、聖女が結界の外に出た瞬間、消滅してしまうけれど、王子の新しい婚約者さんが次の聖女だっていうし大丈夫だよね。 がんばれ。 …テンプレ聖女モノです。

聖女の能力で見た予知夢を盗まれましたが、それには大事な続きがあります~幽閉聖女と黒猫~

猫子
恋愛
「王家を欺き、聖女を騙る不届き者め! 貴様との婚約を破棄する!」  聖女リアはアズル王子より、偽者の聖女として婚約破棄を言い渡され、監獄塔へと幽閉されることになってしまう。リアは国難を退けるための予言を出していたのだが、その内容は王子に盗まれ、彼の新しい婚約者である偽聖女が出したものであるとされてしまったのだ。だが、その予言には続きがあり、まだ未完成の状態であった。梯子を外されて大慌てする王子一派を他所に、リアは王国を救うためにできることはないかと監獄塔の中で思案する。 ※本作は他サイト様でも掲載しております。

逆行令嬢は聖女を辞退します

仲室日月奈
恋愛
――ああ、神様。もしも生まれ変わるなら、人並みの幸せを。 死ぬ間際に転生後の望みを心の中でつぶやき、倒れた後。目を開けると、三年前の自室にいました。しかも、今日は神殿から一行がやってきて「聖女としてお出迎え」する日ですって? 聖女なんてお断りです!

無能と罵られた私だけど、どうやら聖女だったらしい。

冬吹せいら
恋愛
魔法学園に通っているケイト・ブロッサムは、最高学年になっても低級魔法しか使うことができず、いじめを受け、退学を決意した。 村に帰ったケイトは、両親の畑仕事を手伝うことになる。 幼いころから魔法学園の寮暮らしだったケイトは、これまで畑仕事をしたことがなく、畑に祈りを込め、豊作を願った経験もなかった。 人生で初めての祈り――。そこで彼女は、聖女として目覚めるのだった。

結婚式前日に婚約破棄された公爵令嬢は、聖女であることを隠し幸せ探しの旅に出る

青の雀
恋愛
婚約破棄から聖女にUPしようとしたところ、長くなってしまいましたので独立したコンテンツにします。 卒業記念パーティで、その日もいつもと同じように婚約者の王太子殿下から、エスコートしていただいたのに、突然、婚約破棄されてしまうスカーレット。 実は、王太子は愛の言葉を囁けないヘタレであったのだ。 婚約破棄すれば、スカーレットが泣いて縋るとおもっての芝居だったのだが、スカーレットは悲しみのあまり家出して、自殺しようとします。 寂れた隣国の教会で、「神様は乗り越えられる試練しかお与えにならない。」司祭様の言葉を信じ、水晶玉判定をすると、聖女であることがわかり隣国の王太子殿下との縁談が持ち上がるが、この王太子、大変なブサメンで、転移魔法を使って公爵家に戻ってしまう。 その後も聖女であるからと言って、伝染病患者が押しかけてきたり、世界各地の王族から縁談が舞い込む。 聖女であることを隠し、司祭様とともに旅に出る。という話にする予定です。

【短編】追放された聖女は王都でちゃっかり暮らしてる「新聖女が王子の子を身ごもった?」結界を守るために元聖女たちが立ち上がる

みねバイヤーン
恋愛
「ジョセフィーヌ、聖なる力を失い、新聖女コレットの力を奪おうとした罪で、そなたを辺境の修道院に追放いたす」謁見の間にルーカス第三王子の声が朗々と響き渡る。 「異議あり!」ジョセフィーヌは間髪を入れず意義を唱え、証言を述べる。 「証言一、とある元聖女マデリーン。殿下は十代の聖女しか興味がない。証言二、とある元聖女ノエミ。殿下は背が高く、ほっそりしてるのに出るとこ出てるのが好き。証言三、とある元聖女オードリー。殿下は、手は出さない、見てるだけ」 「ええーい、やめーい。不敬罪で追放」 追放された元聖女ジョセフィーヌはさっさと王都に戻って、魚屋で働いてる。そんな中、聖女コレットがルーカス殿下の子を身ごもったという噂が。王国の結界を守るため、元聖女たちは立ち上がった。

醜い私を救ってくれたのはモフモフでした ~聖女の結界が消えたと、婚約破棄した公爵が後悔してももう遅い。私は他国で王子から溺愛されます~

上下左右
恋愛
 聖女クレアは泣きボクロのせいで、婚約者の公爵から醜女扱いされていた。だが彼女には唯一の心の支えがいた。愛犬のハクである。  だがある日、ハクが公爵に殺されてしまう。そんな彼女に追い打ちをかけるように、「醜い貴様との婚約を破棄する」と宣言され、新しい婚約者としてサーシャを紹介される。  サーシャはクレアと同じく異世界からの転生者で、この世界が乙女ゲームだと知っていた。ゲームの知識を利用して、悪役令嬢となるはずだったクレアから聖女の立場を奪いに来たのである。  絶望するクレアだったが、彼女の前にハクの生まれ変わりを名乗る他国の王子が現れる。そこからハクに溺愛される日々を過ごすのだった。  一方、クレアを失った王国は結界の力を失い、魔物の被害にあう。その責任を追求され、公爵はクレアを失ったことを後悔するのだった。  本物語は、不幸な聖女が、前世の知識で逆転劇を果たし、モフモフ王子から溺愛されながらハッピーエンドを迎えるまでの物語である。

婚約破棄の上に家を追放された直後に聖女としての力に目覚めました。

三葉 空
恋愛
 ユリナはバラノン伯爵家の長女であり、公爵子息のブリックス・オメルダと婚約していた。しかし、ブリックスは身勝手な理由で彼女に婚約破棄を言い渡す。さらに、元から妹ばかり可愛がっていた両親にも愛想を尽かされ、家から追放されてしまう。ユリナは全てを失いショックを受けるが、直後に聖女としての力に目覚める。そして、神殿の神職たちだけでなく、王家からも丁重に扱われる。さらに、お祈りをするだけでたんまりと給料をもらえるチート職業、それが聖女。さらに、イケメン王子のレオルドに見初められて求愛を受ける。どん底から一転、一気に幸せを掴み取った。その事実を知った元婚約者と元家族は……

処理中です...