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chapter3
無数の凶器
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【同時刻、天宮邸______】
「奥様、お身体をひやします。そろそろお戻りください。」
「鈴森。」
その鈴森という使用人に声をかけられた
上品なドレスを纏った女性は美しい花々が咲き誇る庭園を名残惜しそうに目に焼き付けると
そうね、と呟いて踵を返した。
「今日は、いかがなさいますか。」
「アネモネを。」
「かしこまりました。」
「鈴森、何か連絡はあった?」
「と、言いますと?」
「学園からの連絡に決まってるでしょう。」
「いいえ。何もございません。あそこは、隔離されていますからよっぽどの事がないと連絡はないかと。心配なさらずとも春様なら無事、何事もなく入学されたと思われます。」
「私があの子の心配をするとでも?一度でもあの子に、あの子たちに心配なんて感情持ったことはないわ。
私は、そのよっぽどの連絡を待ち望んでいるのよ。一年が過ぎれば、全て終わるわ。本当に愚かで馬鹿な子だわ。誰かのためといって、結局は、自分のことしか考えない。愚かな子。そう思いませんか?鈴森」
「私には何のことだか、お察ししかねる質問です。」
鈴森の受け答えに何かを言うでもなく、その女性は屋敷へと足を運び出す。
その道の途中、花壇を見つめ続け
その首にかかる銀色のチェーンを首元から覗かせるその背中を見つける。
「私との約束は、守ってもらうわよ。貴方が選んだモノがどんなものだとしても、春。やっぱり、あの子に春なんて綺麗な名前は似合わない。」
なんとなく見上げた空が雲に覆われ始めているのを
みて、その女性はあの日もこんな天気だったことを思い出す。
そして、今日なんとなく選んだ花があの日も飾られていたことを女性は思い出して微かに笑った。
「鈴森。アネモネの花言葉は知っていますか?」
「いい花言葉ではなかったかと。確か……《見捨てられた》だったかと思いますが。」
「そうね。いい花言葉じゃあないわ。でも、あの日にぴったりの花言葉だわ。けれど、見捨てたのはあの子だけれど。………妹を捨ててまで何をしたいのだか、私には分かりませんけれど。」
その華奢な背中から視線を外して
その女性は鈴森に告げる。
「鈴森、あの子を屋敷の中へ連れていきなさい。もうすぐ、雨が降るわ。」
「かしこまりました。奥様」
女性は鈴森が花を見つめるその背中に向かっていくのを
チラリと視界に入れると、向日葵の姿が描かれたストールをかけ直して屋敷へと向かう。
屋敷に入ってすぐ
バケツをひっくり返したような雨が降り注ぎ
遠くの方でゴロゴロと雷が鳴いているのを耳にしながら
部屋の中、机に飾られたアネモネを目にする。
「捨てるのは貴方よ。貴方の一番のタイセツを捨てていくのは______〝春〟______貴方。貴方が選んだのは、1年間、妹と居られる時間よりもあの学園での自由ですもの。」
あの日、鈴森にある言伝をあの子に伝えさせてから
たったの数日後のこと。
自室のソファーに座って
来るはずの人物を待ち続けていると
ノックの音とともに
痛々しい真っ白に包まれながら春は現れた。
いつも以上に真っ白な肌をして
血色のない顔色で告げる春の様子を思い出してその女性は
微かに鼻から息をもらすように笑った。
「受け入れます。____けど、1つだけお願いが。」
「それは、どういうことかしら?1年は不満?貴方の妹と一緒にいられる環境を貴方は望み続けていた。メリットは与えたはずだけれど。それとも、1年後、貴方自身が屋敷を出ていくことが不満なのかしら?」
「いいえ。不満ではないです。」
「貴方がどうしても嫌だというならそうね、もう一人の方を追い出しても構わないのよ。あやめを追い出しても貴方を追い出しても私にとってはどちらでもいいのだけれど。」
細い指先を顎に添えて
視線を春へと向ける女性のその視線は冷淡さを称えていた。
「貴方の妹に耐えられるかしらね?ストレスに弱いから、発作が起きなければいいのだけれど、ね?」
その言葉を聞いた瞬間
ここ数年と、一切の動揺を見せなかった春のその瞳が分かりやすいほどに大きく揺らいだのを女性は見てとった。
「……いえ。受け入れます。」
「そう。いい子だわ。1年という猶与を与えるだけでも感謝して欲しいくらいだわ。ねぇ?そうでしょ」
「けど、1つだけ、もう一度だけ。ただ、1つお願いが。」
「何かしら?」
「……行かせて欲しいんです、あの学園に。」
その言葉を聞いた瞬間に女性の
表情が固まったのを視界にいれながらも
春は言葉を続けた。
「あそこは、各家の跡取りが行く学園よ。貴方にその資格はないわ。傲慢もいいところよ。」
「天宮としてはいきません。でも。行かせてくれたなら、もう何も言いません。いう通りにします。それ以外は受け入れます。」
「私の提案の全てを受け入れるということ?
名前も捨てて、ここでのことも忘れて。全てを捨てて、出ていくのを受け入れると?」
「受け入れます。だから、お願いします。」
「その言葉の意味を知らないとは言わせないわよ。あの学園に行けば。最後、もう、二度と貴方の大切な、大切な妹に会うことのないその選択を選ぶのかしら?春、あなたのその選択は貴方を貴方達を捨てていった母親と同じことだけれど、いいのかしら?」
「…………捨てていきます。」
「親も親なら子も子ね。酷い子だわ、悪魔のような子。」
女性はそっと立ち上がると目の前の春の頰に手を添えて
視線をじっと交わせながら冷たい声色で告げる。
「そんなこと、もう分かりきってることです。」
「そうね。分かりきってることだったわ。私は、一年後。貴方がこの屋敷から出ていくことだけを願うわ。そう願い続けてあげる。ねぇ?春
貴方はもうイラナイ子。用済みなの。」
とびきりの笑みを浮かべて
女性は真っ白な包帯に包まれる春の手を柔く柔く取ると
優しく語りかける。
「___ぃ、っ!」
「あらあら、痛いの?でも、どうして痛がってるの?昔から貴方の周りには不幸が溢れていたのはどうしてだと思う?この包帯は、この傷を負った理由はどうして?どこが痛いの?この傷?それとも____心が?何にせよね」
その女性は
春の髪をまた、やわく梳きながら冷たく囁くのだ。
「貴方が傷ついていいと思って?
傷ついていいのはね、本当に心優しい人間だけだわ。
天宮にとっての汚点に、愛人の子に傷つくことは許されないのよ。不幸の原因が傷つくことを許されるわけがないの。」
春の視線がゆらゆらと彷徨い乱れるのを
目にしながら、笑みを浮かべながら
昔と変わらないその隠しきれない春の動揺する様に
女性は満足げに言うのだ。
「いいわ。行かせてあげる。ただし、天宮とバレればそこで終わりよ。すぐに出ていってもらうわ。もしも、バレたのにそこにいつづけた時は貴方の妹もただではすまないことを忘れないことね。」
その部屋を出ていこうとする春の背に
あまりにも優しい声色で幼い頃と同じ言葉を投げかける。
「貴方は、貴方たちは____愛されることなど許されてはいけない子たちなのよ。誰からも永遠に。愛されてはいけないの。だから、バカな考えなんか持たないことね。私の目が届かぬ所に行ってもね。分かっていますね?____春」
「はい。お婆様。」
幼い頃から刷り込みのように何度も何度も
言われ続けた言葉に
春は向けた背を再びその女性の方へと振り向いて
穏やかにそう言ってのけた。
_____心に無数に刺しこんでくる凶器に気づかないふりをして、イヤに震える心臓の鼓動を無視して
微かに震える指先を隠しながら。
幼い頃と同じように穏やかに言ってのけるのだ。
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