12 / 16
2章
女王陛下の黒鷹 2
しおりを挟む
サイムズ伯爵だけではなく列席する貴族たちが皆、声も無く公爵令嬢の姿に見入っていたが、彼女の後ろに無粋な官服姿の文官が数人、騎士たちとともに従っているのを見て眉をひそめた。戴冠式としてはありえないことだ。
誰かがその不審を口にする前に、シェフィールド公爵令嬢が口を開いた。
「皆様は狩りはお好きかしら?」
その声はよく響いた。あまりの脈略のなさが『青の間』に顔を連ねた人々の意表を突いた。戴冠式の場で何を、と顔をしかめるもの。失笑をかみ殺すもの。取るべき態度に困り果てるもの。そうした諸侯の様子を悠然と眺め渡して、彼女は続けた。
「わたくしも今狩りをしているところですの。手に入れたばかりの農園に小狡い野兎が何羽も棲みついているものですから。ほら、ちょうど帰ってきたようですわ」
異様な光景だった。荘厳ささえ感じる設えの『青の間』に礼装を身に纏った貴族たちが集っている。そのただ中にひとり現れた男は、今まさに戦地から帰還したと見える軍装のままだった。
あまりの非礼に血相を変えた貴族たちが非難の声を上げようとしたが、公爵令嬢が片手をあげてそれを制した。
「皆様にも狩りの成果を披露いたしますわ」
彼女の視線を受けて文官の一人が進み出る。平坦な声で報告書を読み上げるにつれて、サイムズ伯爵の顔色も悪くなっていった。
『計画』に加わって兵を挙げた貴族たちが制圧されたという報告だった。
一応の同盟を組んだとは言っても、信頼関係もなく緊密な連携など望みようがない。だからあえて合流をはかることなくそれぞれに行動を起こしたのだが、それが裏目に出た。巧みな情報の操作によって敵味方の正確な動きすら分からないまま、各個撃破されてしまったのだ。
兵を指揮し、それを短時日のうちに成し遂げたのが先ほどの闖入者だ。
ダグラス・ウェイン。知らぬ間に公爵令嬢の夫となっていたその男を、誰もが軽視していた。たいした出自では無く、当人もひどく凡庸に見えていた。
――とんだ食わせ者だ。
サイムズ伯は焦燥に歯ぎしりした。凡庸に見えた男は、今は得体の知れない化け物に見える。『化け物』は功を誇るでもなく、野遊びから帰ってきたとでも言うような呑気な顔で妻の側に立っている。それが反って凄みを感じさせた。列席する諸侯は圧倒されて身体を硬くしている。後ろ暗いサイムズ伯はなおさらだった。
――なぜだ、なぜこうなった……。
警戒もしていない相手の柔らかい横腹を突く。戦いとも呼べないたやすいことのはずだった。
サイムズ伯たちも無為無策に戦端を開いたわけではない。事前に情報収集は怠らなかった。
“シェフィールド公爵令嬢の私兵と言っても金で転ぶ傭兵であって、忠誠心などない。”
“国軍の将兵たちは女王に膝を折ることを嫌っている。積極的に守ろうとはしない。”
『計画』に加わったものたちはその情報を信じた。――目の前の現実は全く違う。
「いかがかしら。素晴らしいでしょう?わたくしの黒鷹は」
女王となる女は誇らしげな笑みを浮かべた。
確かに戦いとは呼べなかった。彼女の言葉通り、狩りだったのだ。こちらは機を見澄まして事を起こしたつもりだったが、うかうかと誘い出された愚かな獲物にすぎなかった。
その証拠というように、公爵令嬢は特徴的な青い瞳をこちらに向けた。
「でもまだ野兎が一羽、残っていますわね。
そうでしょう、サイムズ伯爵?」
哀れな獲物は心の底から震え上がった。抗弁さえできず、騎士たちに両脇から抱えられるようにして、その場から引き立てられていった。
誰かがその不審を口にする前に、シェフィールド公爵令嬢が口を開いた。
「皆様は狩りはお好きかしら?」
その声はよく響いた。あまりの脈略のなさが『青の間』に顔を連ねた人々の意表を突いた。戴冠式の場で何を、と顔をしかめるもの。失笑をかみ殺すもの。取るべき態度に困り果てるもの。そうした諸侯の様子を悠然と眺め渡して、彼女は続けた。
「わたくしも今狩りをしているところですの。手に入れたばかりの農園に小狡い野兎が何羽も棲みついているものですから。ほら、ちょうど帰ってきたようですわ」
異様な光景だった。荘厳ささえ感じる設えの『青の間』に礼装を身に纏った貴族たちが集っている。そのただ中にひとり現れた男は、今まさに戦地から帰還したと見える軍装のままだった。
あまりの非礼に血相を変えた貴族たちが非難の声を上げようとしたが、公爵令嬢が片手をあげてそれを制した。
「皆様にも狩りの成果を披露いたしますわ」
彼女の視線を受けて文官の一人が進み出る。平坦な声で報告書を読み上げるにつれて、サイムズ伯爵の顔色も悪くなっていった。
『計画』に加わって兵を挙げた貴族たちが制圧されたという報告だった。
一応の同盟を組んだとは言っても、信頼関係もなく緊密な連携など望みようがない。だからあえて合流をはかることなくそれぞれに行動を起こしたのだが、それが裏目に出た。巧みな情報の操作によって敵味方の正確な動きすら分からないまま、各個撃破されてしまったのだ。
兵を指揮し、それを短時日のうちに成し遂げたのが先ほどの闖入者だ。
ダグラス・ウェイン。知らぬ間に公爵令嬢の夫となっていたその男を、誰もが軽視していた。たいした出自では無く、当人もひどく凡庸に見えていた。
――とんだ食わせ者だ。
サイムズ伯は焦燥に歯ぎしりした。凡庸に見えた男は、今は得体の知れない化け物に見える。『化け物』は功を誇るでもなく、野遊びから帰ってきたとでも言うような呑気な顔で妻の側に立っている。それが反って凄みを感じさせた。列席する諸侯は圧倒されて身体を硬くしている。後ろ暗いサイムズ伯はなおさらだった。
――なぜだ、なぜこうなった……。
警戒もしていない相手の柔らかい横腹を突く。戦いとも呼べないたやすいことのはずだった。
サイムズ伯たちも無為無策に戦端を開いたわけではない。事前に情報収集は怠らなかった。
“シェフィールド公爵令嬢の私兵と言っても金で転ぶ傭兵であって、忠誠心などない。”
“国軍の将兵たちは女王に膝を折ることを嫌っている。積極的に守ろうとはしない。”
『計画』に加わったものたちはその情報を信じた。――目の前の現実は全く違う。
「いかがかしら。素晴らしいでしょう?わたくしの黒鷹は」
女王となる女は誇らしげな笑みを浮かべた。
確かに戦いとは呼べなかった。彼女の言葉通り、狩りだったのだ。こちらは機を見澄まして事を起こしたつもりだったが、うかうかと誘い出された愚かな獲物にすぎなかった。
その証拠というように、公爵令嬢は特徴的な青い瞳をこちらに向けた。
「でもまだ野兎が一羽、残っていますわね。
そうでしょう、サイムズ伯爵?」
哀れな獲物は心の底から震え上がった。抗弁さえできず、騎士たちに両脇から抱えられるようにして、その場から引き立てられていった。
95
お気に入りに追加
172
あなたにおすすめの小説
彼女が望むなら
mios
恋愛
公爵令嬢と王太子殿下の婚約は円満に解消された。揉めるかと思っていた男爵令嬢リリスは、拍子抜けした。男爵令嬢という身分でも、王妃になれるなんて、予定とは違うが高位貴族は皆好意的だし、王太子殿下の元婚約者も応援してくれている。
リリスは王太子妃教育を受ける為、王妃と会い、そこで常に身につけるようにと、ある首飾りを渡される。
絶対に間違えない
りりん
恋愛
「エヴァリーナ、君の傍に迎えてくれないか」
水を被り石床に身体を横たえた
愚かな王太子であった僕は、最も愛していた婚約者のエヴァリーナを殺してしまった。愚かな自分の行いによって。
弟に王太子の座を譲り、僕はエヴァリーナのもとに行く
はずだった。
目が覚めた僕は、10歳の僕に戻っていた
ならば僕は間違えない、絶対に間違えない
政略結婚で結ばれた夫がメイドばかり優先するので、全部捨てさせてもらいます。
hana
恋愛
政略結婚で結ばれた夫は、いつも私ではなくメイドの彼女を優先する。
明らかに関係を持っているのに「彼女とは何もない」と言い張る夫。
メイドの方は私に「彼と別れて」と言いにくる始末。
もうこんな日々にはうんざりです、全部捨てさせてもらいます。
七年間の婚約は今日で終わりを迎えます
hana
恋愛
公爵令嬢エミリアが十歳の時、第三王子であるロイとの婚約が決まった。しかし婚約者としての生活に、エミリアは不満を覚える毎日を過ごしていた。そんな折、エミリアは夜会にて王子から婚約破棄を宣言される。
【完結】愛に裏切られた私と、愛を諦めなかった元夫
紫崎 藍華
恋愛
政略結婚だったにも関わらず、スティーヴンはイルマに浮気し、妻のミシェルを捨てた。
スティーヴンは政略結婚の重要性を理解できていなかった。
そのような男の愛が許されるはずないのだが、彼は愛を貫いた。
捨てられたミシェルも貴族という立場に翻弄されつつも、一つの答えを見出した。
【完結】もう誰にも恋なんてしないと誓った
Mimi
恋愛
声を出すこともなく、ふたりを見つめていた。
わたしにとって、恋人と親友だったふたりだ。
今日まで身近だったふたりは。
今日から一番遠いふたりになった。
*****
伯爵家の後継者シンシアは、友人アイリスから交際相手としてお薦めだと、幼馴染みの侯爵令息キャメロンを紹介された。
徐々に親しくなっていくシンシアとキャメロンに婚約の話がまとまり掛ける。
シンシアの誕生日の婚約披露パーティーが近付いた夏休み前のある日、シンシアは急ぐキャメロンを見掛けて彼の後を追い、そして見てしまった。
お互いにただの幼馴染みだと口にしていた恋人と親友の口づけを……
* 無自覚の上から目線
* 幼馴染みという特別感
* 失くしてからの後悔
幼馴染みカップルの当て馬にされてしまった伯爵令嬢、してしまった親友視点のお話です。
中盤は略奪した親友側の視点が続きますが、当て馬令嬢がヒロインです。
本編完結後に、力量不足故の幕間を書き加えており、最終話と重複しています。
ご了承下さいませ。
他サイトにも公開中です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる