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2章
女王陛下の黒鷹 2
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サイムズ伯爵だけではなく列席する貴族たちが皆、声も無く公爵令嬢の姿に見入っていたが、彼女の後ろに無粋な官服姿の文官が数人、騎士たちとともに従っているのを見て眉をひそめた。戴冠式としてはありえないことだ。
誰かがその不審を口にする前に、シェフィールド公爵令嬢が口を開いた。
「皆様は狩りはお好きかしら?」
その声はよく響いた。あまりの脈略のなさが『青の間』に顔を連ねた人々の意表を突いた。戴冠式の場で何を、と顔をしかめるもの。失笑をかみ殺すもの。取るべき態度に困り果てるもの。そうした諸侯の様子を悠然と眺め渡して、彼女は続けた。
「わたくしも今狩りをしているところですの。手に入れたばかりの農園に小狡い野兎が何羽も棲みついているものですから。ほら、ちょうど帰ってきたようですわ」
異様な光景だった。荘厳ささえ感じる設えの『青の間』に礼装を身に纏った貴族たちが集っている。そのただ中にひとり現れた男は、今まさに戦地から帰還したと見える軍装のままだった。
あまりの非礼に血相を変えた貴族たちが非難の声を上げようとしたが、公爵令嬢が片手をあげてそれを制した。
「皆様にも狩りの成果を披露いたしますわ」
彼女の視線を受けて文官の一人が進み出る。平坦な声で報告書を読み上げるにつれて、サイムズ伯爵の顔色も悪くなっていった。
『計画』に加わって兵を挙げた貴族たちが制圧されたという報告だった。
一応の同盟を組んだとは言っても、信頼関係もなく緊密な連携など望みようがない。だからあえて合流をはかることなくそれぞれに行動を起こしたのだが、それが裏目に出た。巧みな情報の操作によって敵味方の正確な動きすら分からないまま、各個撃破されてしまったのだ。
兵を指揮し、それを短時日のうちに成し遂げたのが先ほどの闖入者だ。
ダグラス・ウェイン。知らぬ間に公爵令嬢の夫となっていたその男を、誰もが軽視していた。たいした出自では無く、当人もひどく凡庸に見えていた。
――とんだ食わせ者だ。
サイムズ伯は焦燥に歯ぎしりした。凡庸に見えた男は、今は得体の知れない化け物に見える。『化け物』は功を誇るでもなく、野遊びから帰ってきたとでも言うような呑気な顔で妻の側に立っている。それが反って凄みを感じさせた。列席する諸侯は圧倒されて身体を硬くしている。後ろ暗いサイムズ伯はなおさらだった。
――なぜだ、なぜこうなった……。
警戒もしていない相手の柔らかい横腹を突く。戦いとも呼べないたやすいことのはずだった。
サイムズ伯たちも無為無策に戦端を開いたわけではない。事前に情報収集は怠らなかった。
“シェフィールド公爵令嬢の私兵と言っても金で転ぶ傭兵であって、忠誠心などない。”
“国軍の将兵たちは女王に膝を折ることを嫌っている。積極的に守ろうとはしない。”
『計画』に加わったものたちはその情報を信じた。――目の前の現実は全く違う。
「いかがかしら。素晴らしいでしょう?わたくしの黒鷹は」
女王となる女は誇らしげな笑みを浮かべた。
確かに戦いとは呼べなかった。彼女の言葉通り、狩りだったのだ。こちらは機を見澄まして事を起こしたつもりだったが、うかうかと誘い出された愚かな獲物にすぎなかった。
その証拠というように、公爵令嬢は特徴的な青い瞳をこちらに向けた。
「でもまだ野兎が一羽、残っていますわね。
そうでしょう、サイムズ伯爵?」
哀れな獲物は心の底から震え上がった。抗弁さえできず、騎士たちに両脇から抱えられるようにして、その場から引き立てられていった。
誰かがその不審を口にする前に、シェフィールド公爵令嬢が口を開いた。
「皆様は狩りはお好きかしら?」
その声はよく響いた。あまりの脈略のなさが『青の間』に顔を連ねた人々の意表を突いた。戴冠式の場で何を、と顔をしかめるもの。失笑をかみ殺すもの。取るべき態度に困り果てるもの。そうした諸侯の様子を悠然と眺め渡して、彼女は続けた。
「わたくしも今狩りをしているところですの。手に入れたばかりの農園に小狡い野兎が何羽も棲みついているものですから。ほら、ちょうど帰ってきたようですわ」
異様な光景だった。荘厳ささえ感じる設えの『青の間』に礼装を身に纏った貴族たちが集っている。そのただ中にひとり現れた男は、今まさに戦地から帰還したと見える軍装のままだった。
あまりの非礼に血相を変えた貴族たちが非難の声を上げようとしたが、公爵令嬢が片手をあげてそれを制した。
「皆様にも狩りの成果を披露いたしますわ」
彼女の視線を受けて文官の一人が進み出る。平坦な声で報告書を読み上げるにつれて、サイムズ伯爵の顔色も悪くなっていった。
『計画』に加わって兵を挙げた貴族たちが制圧されたという報告だった。
一応の同盟を組んだとは言っても、信頼関係もなく緊密な連携など望みようがない。だからあえて合流をはかることなくそれぞれに行動を起こしたのだが、それが裏目に出た。巧みな情報の操作によって敵味方の正確な動きすら分からないまま、各個撃破されてしまったのだ。
兵を指揮し、それを短時日のうちに成し遂げたのが先ほどの闖入者だ。
ダグラス・ウェイン。知らぬ間に公爵令嬢の夫となっていたその男を、誰もが軽視していた。たいした出自では無く、当人もひどく凡庸に見えていた。
――とんだ食わせ者だ。
サイムズ伯は焦燥に歯ぎしりした。凡庸に見えた男は、今は得体の知れない化け物に見える。『化け物』は功を誇るでもなく、野遊びから帰ってきたとでも言うような呑気な顔で妻の側に立っている。それが反って凄みを感じさせた。列席する諸侯は圧倒されて身体を硬くしている。後ろ暗いサイムズ伯はなおさらだった。
――なぜだ、なぜこうなった……。
警戒もしていない相手の柔らかい横腹を突く。戦いとも呼べないたやすいことのはずだった。
サイムズ伯たちも無為無策に戦端を開いたわけではない。事前に情報収集は怠らなかった。
“シェフィールド公爵令嬢の私兵と言っても金で転ぶ傭兵であって、忠誠心などない。”
“国軍の将兵たちは女王に膝を折ることを嫌っている。積極的に守ろうとはしない。”
『計画』に加わったものたちはその情報を信じた。――目の前の現実は全く違う。
「いかがかしら。素晴らしいでしょう?わたくしの黒鷹は」
女王となる女は誇らしげな笑みを浮かべた。
確かに戦いとは呼べなかった。彼女の言葉通り、狩りだったのだ。こちらは機を見澄まして事を起こしたつもりだったが、うかうかと誘い出された愚かな獲物にすぎなかった。
その証拠というように、公爵令嬢は特徴的な青い瞳をこちらに向けた。
「でもまだ野兎が一羽、残っていますわね。
そうでしょう、サイムズ伯爵?」
哀れな獲物は心の底から震え上がった。抗弁さえできず、騎士たちに両脇から抱えられるようにして、その場から引き立てられていった。
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