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2章
歌を知らないカナリアは
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母国に戻り女王として戴冠する。そう決意したエレノーラは準備を始めた。
ラザフォード侯爵は重臣をまとめ、新女王即位の足場を固めると約束したが、無邪気にそれを当てにすることはできない。
エレノーラは常日頃から情報を重視している。複数の方面から得た情報を照らし合わせれば、より精度は上がる。集めた情報をもとに狙いを定め、調略に取りかかった。
その結果はエレノーラに溜息をつかせた。あまりにも脆い。ことに軍はあっけなかった。即位後の再編を期して豊富な経験と兵士からの支持のある者を選んで調略の手を伸ばしたが、レジナルド王とリリー王妃が完全に兵士や騎士の信望を失っているのがよく分かった。
即位以来の冷遇。国防費の無軌道な削減。そこに王妃がとどめをさした。多くの兵の血で守られた領土を何の見返りもなく敵国に差しだそうとしたのだ。もう兵士たち、騎士たちの誰一人として国王夫妻のために命がけで戦おうなどとは思わない。
一応の安全を確保して王宮に乗り込むと、見覚えのある顔ぶれがエレノーラを迎えた。伯父の代から王の側近くに仕える彼らはラザフォード候同様にやつれ果てていた。
彼らの心労の最大の原因である国王夫妻は、病を口実に王宮の一角に軟禁されていた。
久しぶりに軟禁を解かれたレジナルドは、握りつぶされていた父王の遺言を聞いて憤慨した。
「馬鹿な!俺は父上のただひとりの子ではないか!」
エレノーラが思うに、おそらくはそれが彼の過ちのもとなのだ。
レジナルドは遅くに生まれた唯一の王子だった。もし彼の身に何かあれば、貴族たちの争いの火種になる。是が非でも無事に成人してもらわねばならなかった。虚弱で癇性のレジナルドにまともに栄養と睡眠を取らせることを最優先にした結果、尊大で抑えの効かない気性が出来上がった。彼が健康になっても周囲の過保護は変わらなかった。それが彼の性根を鍛え直そうとする父王の足を引っ張り続けたのだ。
レジナルドは軍務を経験するどころか視察に赴いたことさえない。極端に世間が狭い。
彼は王宮という豪奢な鳥籠の中の小鳥のようなものだ。外の世界では生きていけない。求めるものを自分で手に入れるための強い翼も鋭い爪もない。
ならばせめて、愛し愛される存在であろうとするべきではないか。美しく歌うカナリアのように。
しかし、彼はそれさえしなかった。自分のために罪を犯した叔父をかばうこともなく、自分で選んだ妻への愛を自ら否定してのけた。それは『私』よりも『公』を優先したためではない。むしろ逆だ。彼が愛するのは自分自身のみなのだ。
「待て、待ってくれ、愛しているんだ!エレノーラ!」
歌を知らないカナリアの空しい声は、エレノーラの胸にさざ波のひとつもたてることができなかった。
「あのときの貴方の言葉は、間違ってはいませんわ。
わたくしは傲慢で、強欲で――何よりも、貴方を愛したことなど一度たりともありませんもの」
一度たりともなかった。そしてこれからも。
振り返ったエレノーラが最後に見たかつての婚約者は、取り残された子供のような顔をしていた。
ラザフォード侯爵は重臣をまとめ、新女王即位の足場を固めると約束したが、無邪気にそれを当てにすることはできない。
エレノーラは常日頃から情報を重視している。複数の方面から得た情報を照らし合わせれば、より精度は上がる。集めた情報をもとに狙いを定め、調略に取りかかった。
その結果はエレノーラに溜息をつかせた。あまりにも脆い。ことに軍はあっけなかった。即位後の再編を期して豊富な経験と兵士からの支持のある者を選んで調略の手を伸ばしたが、レジナルド王とリリー王妃が完全に兵士や騎士の信望を失っているのがよく分かった。
即位以来の冷遇。国防費の無軌道な削減。そこに王妃がとどめをさした。多くの兵の血で守られた領土を何の見返りもなく敵国に差しだそうとしたのだ。もう兵士たち、騎士たちの誰一人として国王夫妻のために命がけで戦おうなどとは思わない。
一応の安全を確保して王宮に乗り込むと、見覚えのある顔ぶれがエレノーラを迎えた。伯父の代から王の側近くに仕える彼らはラザフォード候同様にやつれ果てていた。
彼らの心労の最大の原因である国王夫妻は、病を口実に王宮の一角に軟禁されていた。
久しぶりに軟禁を解かれたレジナルドは、握りつぶされていた父王の遺言を聞いて憤慨した。
「馬鹿な!俺は父上のただひとりの子ではないか!」
エレノーラが思うに、おそらくはそれが彼の過ちのもとなのだ。
レジナルドは遅くに生まれた唯一の王子だった。もし彼の身に何かあれば、貴族たちの争いの火種になる。是が非でも無事に成人してもらわねばならなかった。虚弱で癇性のレジナルドにまともに栄養と睡眠を取らせることを最優先にした結果、尊大で抑えの効かない気性が出来上がった。彼が健康になっても周囲の過保護は変わらなかった。それが彼の性根を鍛え直そうとする父王の足を引っ張り続けたのだ。
レジナルドは軍務を経験するどころか視察に赴いたことさえない。極端に世間が狭い。
彼は王宮という豪奢な鳥籠の中の小鳥のようなものだ。外の世界では生きていけない。求めるものを自分で手に入れるための強い翼も鋭い爪もない。
ならばせめて、愛し愛される存在であろうとするべきではないか。美しく歌うカナリアのように。
しかし、彼はそれさえしなかった。自分のために罪を犯した叔父をかばうこともなく、自分で選んだ妻への愛を自ら否定してのけた。それは『私』よりも『公』を優先したためではない。むしろ逆だ。彼が愛するのは自分自身のみなのだ。
「待て、待ってくれ、愛しているんだ!エレノーラ!」
歌を知らないカナリアの空しい声は、エレノーラの胸にさざ波のひとつもたてることができなかった。
「あのときの貴方の言葉は、間違ってはいませんわ。
わたくしは傲慢で、強欲で――何よりも、貴方を愛したことなど一度たりともありませんもの」
一度たりともなかった。そしてこれからも。
振り返ったエレノーラが最後に見たかつての婚約者は、取り残された子供のような顔をしていた。
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