5 / 16
1章
なにもかもを まちがえた
しおりを挟む
エレノーラはすでに王宮だけではなく、国内の要地をおさえ、主要な貴族たちの支持を取り付けている。たとえ重臣たちの協力があったとしても、異常なほどの早さだった。特に、我欲むき出しの貴族たちを手懐けたことがレジナルドには信じられなかった。
「嘘だ。奴らがおとなしく従うものか」
「黄金と、鋼鉄。それだけあれば、どんな躾の悪い犬もおとなしくなりますわ」
黄金と鋼鉄。つまりは財力と武力だ。この十数年間、エレノーラは一隻の商船をはじまりに、着実に人脈と販路を広げてきた。大陸の各地に拠点をかまえ、財力だけではなく武力をも蓄えた。彼女の麾下には装備も実戦経験も不足のない統率のとれた私兵団がしたがっている。
かつてエレノーラが国外へと去った時、レジナルドは深く考えることはなかった。国内では悪名が広がりすぎて縁談もないのだろうと思っただけだった。高慢な従妹がさぞ惨めな思いをしているだろうと想像しては溜飲を下げたものだった。
しかし、元婚約者は尾羽うち枯らすどころか王家を凌駕する力を携えて帰ってきた。野に下って粗野になるどころか、さらに洗練されている。十年の年月は、彼女をさらに美しくした。貴族たちを犬呼ばわりする傲然たるふるまいさえ、彩りにすぎない。
もうレジナルドは認めざるを得なかった。ずっと――おそらくは初めて引き合わされたそのときから、エレノーラを強烈に意識していたのだと。だからこそ一度は彼女を拒み、彼女とは正反対の女を妻に選んだのだ。
「……エレノーラ!」
衝動のままに立ち上がると、レジナルドは円卓の向こうに呼びかけた。
「やり直そう、エレノーラ。お前が帰ってきてくれて良かった」
「ご冗談を。あれから十年も経ちますのよ?わたくしもすでに夫も子もある身です」
「……いや、俺はそんなことくらいかまわない。
お前にふさわしい身分の男でもないだろう、苦労をかけて済まなかった。
細かいことは忘れて、ただ黙って俺の隣に戻ってきてくれれば良いのだ」
レジナルドが言いつのると、エレノーラは声を立てて笑った。
「相変わらず従兄殿は都合の良いおつむをお持ちですこと。
あのとき貴方は仰いましたわね。
“お前のように傲慢で、強欲で、俺を愛する心を持たない女など、王妃にふさわしくない!
それに引き替え、リリーは純真で、慈愛に満ち、俺を心から愛してくれる。“
こうでしたかしら?」
「それは……若気の至りだ。俺が間違っていた。お前こそが王妃となるべき女だ、エレノーラ。
この十年で嫌と言うほど分かった。あんなわきまえもなければ品もない卑しい女では王妃は務まらない。俺はもうあの女を愛していない。……いや、はじめから愛してなどいなかった気もする」
「何よ、それ……ひどい、あんまりだわ!」
甲高い声に人々ははっと目を向けた。いつのまにかそこに、王妃リリーが立っていた。血相を変えて夫に駆け寄ろうとする。まだ王妃である彼女を騎士たちが持て余していると、侍女たちが数人がかりで連れて行った。
泣きわめきながら連れ去られる王妃と、それを苦い顔で見送る王。彼らをその場にいる者たちがそれぞれの感情を込めて見つめていた。
エレノーラが無言で席を立った。
「待て、待ってくれ、愛しているんだ!エレノーラ!」
「先ほど仰ったことですけれど。わたくしに誰がふさわしいかは、わたくし自身が決めることです。そして、その選択にこの上なく満足しておりますわ」
そう言うと、エレノーラは傍らの護衛らしく見える男の腕に手を触れた。
「わたくしの夫、ダグラスです」
平凡な男に見えた。貴公子的な容貌の美丈夫でも、筋骨逞しい偉丈夫でもない。黒髪はこの国では少々珍しいが、目立つのはその程度だ。群衆に簡単に紛れてしまうだろう。
そんなレジナルドの内心を見透かしたように、エレノーラは皮肉な笑みを浮かべた。
「少なくともわたくしの夫はしっかり妻を守れるひとですわ、どこかのどなたかと違って」
――お前にリリーを蔑む資格があるのか――
言外の非難がレジナルドの胸を貫いた。
夫のエスコートを受けて立ち去ろうとしたエレノーラがふと振り返った。
「あのときの貴方の言葉は、間違ってはいませんわ。
わたくしは傲慢で、強欲で――何よりも、貴方を愛したことなど一度たりともありませんもの」
「嘘だ。奴らがおとなしく従うものか」
「黄金と、鋼鉄。それだけあれば、どんな躾の悪い犬もおとなしくなりますわ」
黄金と鋼鉄。つまりは財力と武力だ。この十数年間、エレノーラは一隻の商船をはじまりに、着実に人脈と販路を広げてきた。大陸の各地に拠点をかまえ、財力だけではなく武力をも蓄えた。彼女の麾下には装備も実戦経験も不足のない統率のとれた私兵団がしたがっている。
かつてエレノーラが国外へと去った時、レジナルドは深く考えることはなかった。国内では悪名が広がりすぎて縁談もないのだろうと思っただけだった。高慢な従妹がさぞ惨めな思いをしているだろうと想像しては溜飲を下げたものだった。
しかし、元婚約者は尾羽うち枯らすどころか王家を凌駕する力を携えて帰ってきた。野に下って粗野になるどころか、さらに洗練されている。十年の年月は、彼女をさらに美しくした。貴族たちを犬呼ばわりする傲然たるふるまいさえ、彩りにすぎない。
もうレジナルドは認めざるを得なかった。ずっと――おそらくは初めて引き合わされたそのときから、エレノーラを強烈に意識していたのだと。だからこそ一度は彼女を拒み、彼女とは正反対の女を妻に選んだのだ。
「……エレノーラ!」
衝動のままに立ち上がると、レジナルドは円卓の向こうに呼びかけた。
「やり直そう、エレノーラ。お前が帰ってきてくれて良かった」
「ご冗談を。あれから十年も経ちますのよ?わたくしもすでに夫も子もある身です」
「……いや、俺はそんなことくらいかまわない。
お前にふさわしい身分の男でもないだろう、苦労をかけて済まなかった。
細かいことは忘れて、ただ黙って俺の隣に戻ってきてくれれば良いのだ」
レジナルドが言いつのると、エレノーラは声を立てて笑った。
「相変わらず従兄殿は都合の良いおつむをお持ちですこと。
あのとき貴方は仰いましたわね。
“お前のように傲慢で、強欲で、俺を愛する心を持たない女など、王妃にふさわしくない!
それに引き替え、リリーは純真で、慈愛に満ち、俺を心から愛してくれる。“
こうでしたかしら?」
「それは……若気の至りだ。俺が間違っていた。お前こそが王妃となるべき女だ、エレノーラ。
この十年で嫌と言うほど分かった。あんなわきまえもなければ品もない卑しい女では王妃は務まらない。俺はもうあの女を愛していない。……いや、はじめから愛してなどいなかった気もする」
「何よ、それ……ひどい、あんまりだわ!」
甲高い声に人々ははっと目を向けた。いつのまにかそこに、王妃リリーが立っていた。血相を変えて夫に駆け寄ろうとする。まだ王妃である彼女を騎士たちが持て余していると、侍女たちが数人がかりで連れて行った。
泣きわめきながら連れ去られる王妃と、それを苦い顔で見送る王。彼らをその場にいる者たちがそれぞれの感情を込めて見つめていた。
エレノーラが無言で席を立った。
「待て、待ってくれ、愛しているんだ!エレノーラ!」
「先ほど仰ったことですけれど。わたくしに誰がふさわしいかは、わたくし自身が決めることです。そして、その選択にこの上なく満足しておりますわ」
そう言うと、エレノーラは傍らの護衛らしく見える男の腕に手を触れた。
「わたくしの夫、ダグラスです」
平凡な男に見えた。貴公子的な容貌の美丈夫でも、筋骨逞しい偉丈夫でもない。黒髪はこの国では少々珍しいが、目立つのはその程度だ。群衆に簡単に紛れてしまうだろう。
そんなレジナルドの内心を見透かしたように、エレノーラは皮肉な笑みを浮かべた。
「少なくともわたくしの夫はしっかり妻を守れるひとですわ、どこかのどなたかと違って」
――お前にリリーを蔑む資格があるのか――
言外の非難がレジナルドの胸を貫いた。
夫のエスコートを受けて立ち去ろうとしたエレノーラがふと振り返った。
「あのときの貴方の言葉は、間違ってはいませんわ。
わたくしは傲慢で、強欲で――何よりも、貴方を愛したことなど一度たりともありませんもの」
420
お気に入りに追加
372
あなたにおすすめの小説

彼女が望むなら
mios
恋愛
公爵令嬢と王太子殿下の婚約は円満に解消された。揉めるかと思っていた男爵令嬢リリスは、拍子抜けした。男爵令嬢という身分でも、王妃になれるなんて、予定とは違うが高位貴族は皆好意的だし、王太子殿下の元婚約者も応援してくれている。
リリスは王太子妃教育を受ける為、王妃と会い、そこで常に身につけるようにと、ある首飾りを渡される。

ローザとフラン ~奪われた側と奪った側~
水無月あん
恋愛
私は伯爵家の娘ローザ。同じ年の侯爵家のダリル様と婚約している。が、ある日、私とはまるで性格が違う従姉妹のフランを預かることになった。距離が近づく二人に心が痛む……。
婚約者を奪われた側と奪った側の二人の少女のお話です。
5話で完結の短いお話です。
いつもながら、ゆるい設定のご都合主義です。
お暇な時にでも、お気軽に読んでいただければ幸いです。よろしくお願いします。

幸せな人生を送りたいなんて贅沢は言いませんわ。ただゆっくりお昼寝くらいは自由にしたいわね
りりん
恋愛
皇帝陛下に婚約破棄された侯爵令嬢ユーリアは、その後形ばかりの側妃として召し上げられた。公務の出来ない皇妃の代わりに公務を行うだけの為に。
皇帝に愛される事もなく、話す事すらなく、寝る時間も削ってただ公務だけを熟す日々。
そしてユーリアは、たった一人執務室の中で儚くなった。
もし生まれ変われるなら、お昼寝くらいは自由に出来るものに生まれ変わりたい。そう願いながら

【完結】真実の愛だと称賛され、二人は別れられなくなりました
紫崎 藍華
恋愛
ヘレンは婚約者のティルソンから、面白みのない女だと言われて婚約解消を告げられた。
ティルソンは幼馴染のカトリーナが本命だったのだ。
ティルソンとカトリーナの愛は真実の愛だと貴族たちは賞賛した。
貴族たちにとって二人が真実の愛を貫くのか、それとも破滅へ向かうのか、面白ければどちらでも良かった。


断罪される一年前に時間を戻せたので、もう愛しません
天宮有
恋愛
侯爵令嬢の私ルリサは、元婚約者のゼノラス王子に断罪されて処刑が決まる。
私はゼノラスの命令を聞いていただけなのに、捨てられてしまったようだ。
処刑される前日、私は今まで試せなかった時間を戻す魔法を使う。
魔法は成功して一年前に戻ったから、私はゼノラスを許しません。

【完結】裏切ったあなたを許さない
紫崎 藍華
恋愛
ジョナスはスザンナの婚約者だ。
そのジョナスがスザンナの妹のセレナとの婚約を望んでいると親から告げられた。
それは決定事項であるため婚約は解消され、それだけなく二人の邪魔になるからと領地から追放すると告げられた。
そこにセレナの意向が働いていることは間違いなく、スザンナはセレナに人生を翻弄されるのだった。

理想の『女の子』を演じ尽くしましたが、不倫した子は育てられないのでさようなら
赤羽夕夜
恋愛
親友と不倫した挙句に、黙って不倫相手の子供を生ませて育てさせようとした夫、サイレーンにほとほとあきれ果てたリリエル。
問い詰めるも、開き直り復縁を迫り、同情を誘おうとした夫には千年の恋も冷めてしまった。ショックを通りこして吹っ切れたリリエルはサイレーンと親友のユエルを追い出した。
もう男には懲り懲りだと夫に黙っていたホテル事業に没頭し、好きな物を我慢しない生活を送ろうと決めた。しかし、その矢先に距離を取っていた学生時代の友人たちが急にアピールし始めて……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる