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2章
どうしようもない ばかだった
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「それが前に言ってたネックレスなの?」
「ああ。母上のお気に入りだから持ち出すのには骨が折れた。これを盗んだとあってはあいつも終わりだな」
「もしかして首をはねられちゃったりする?」
「そうまではならないだろう、神殿もうるさいからな。あんな奴を心配してやるとはビビアナは優しいな」
「そんなぁ」
「あの疫病神もようやく片が付く。全く父上にも困ったものだ」
「好きでもないのに結婚しなくちゃなんて、おかしいもんね。でもどうしてあんなのが婚約者になったの?」
「王家に聖女の血をいれたいらしい。だったら父上が愛妾にでもなさればいい」
「それじゃあ王様が可哀想だわ」
「そうだな、あの日干し女が相手では一戦挑む気にもなれないだろうな」
「もう、やだ~」
クロエはいつものように、本来は王太子の処理すべき書類を彼の執務室に運んできた。そして、婚約者と異母妹の下卑た会話と笑い声がわずかに空いていたドアの隙間から漏れてくるのを聞いてしまった。
ふらふらと自分にあてがわれた部屋に向かう。彼女のおぼつかない足取りを目にした衛兵は、いつものことだと気にもとめなかった。
クロエの部屋は、二代前の国王が平民の愛人に与えた離れにある。彼女が住むまでうち捨てられていたその建物は、元は瀟洒であったろうが、今は物寂しい空気が漂っている。詰めている使用人の姿もなく、身の回りのことは神殿に居た頃と同じく、自分でしている。
清潔にしてはあるが堅く寝心地の悪い寝台に横たわり、目を閉じる。
すると、奇妙なことに知らない女の声が頭の中で話しかけてきた。
『もしかしてショック受けてるの?』
――そんなことない。
『そりゃそうよね、あのクソ餓鬼があんたのこと邪魔にしてるのも、あの馬鹿娘が性悪なのも、ずっと前から知ってることだもの、今更よね』
――そんなこと、ない。
『嘘でしょ、分かってるくせに。色ぼけ親父があんたのこと娘だと思ってないことも、愚王夫婦に道具扱いされてるのも、神殿の連中も似たり寄ったりなのも、みーんな分かりきったことでしょ』
――分かったからって何だって言うのよ。どうにもならないのに。
『どうにもならない?ほんとに?
たとえそうでもこのまま唯々諾々とあいつらの言いなりになるの?
……私は嫌、絶対』
――この声は誰?ううん、知ってる……これは、私だ。
頭の鈍い痛みと同時に、横になって目を閉じているにもかかわらず、上下も左右もなく振り回されるような感覚がクロエを襲った。
それがおさまったとき、彼女の頭の中にあったのは『クロエ』でない自分が『日本』で生きた記憶だった。
ところどころ曖昧だが、女性で、そこそこの勤続年数の平凡な会社員だったことは憶えている。悪天候の中、なれない山道で車を運転したせいでスリップしたのが最後の記憶だ。
「あ~、これって前世の記憶ってやつ?あれは確実に死んでるもんね、私。他の人を巻き込まなかっただけ、まだましかな」
前世分をかさ増しした今の目であらためて『クロエ・サムディオ』という十七才の少女をみると
「どう考えてもお花畑だわ『クロエ』って」
クロエは物心つく前から神殿暮らしだった。本来貴族令嬢ならば、実家から寄進名目で生活費を送られて侍女もつけられ、呑気に暮らしているものだ。だが、彼女は家事労働や使い走り、菜園の世話もさせられていた。
もっとも、父親が銅貨一枚も持たせずに放り込んだにしては、ましな暮らしだったと言える。
だからといって、それは神殿が良心的な組織であるからではない。ごく幼いうちは正確な能力判定ができないが、生まれつき魔力が高い場合はそれと分かる。おそらくはクロエも使い道があるとみて、それなりに扱われていたのだろう。
「神殿の教育って、今思うと前世のカルトが信者を洗脳するやり口そっくりだよね。どう考えても真っ黒だ」
幼児の頃から現実離れした理想論を詰め込まれて禁欲を強いられ、王宮に連れて行かれてからもずっとひとりぼっちだったクロエは、承認欲求の塊だった。
――笑顔を絶やさず、聖女として真心込めて尽くしていれば、いつかきっとみんなわかってくれる。
「あいつらに限ってないない。ほんと馬鹿だわ。……育ち方があれじゃあ、まあ仕方ないかもしれないけど。
右向いてもクソ、左向いてもクソ。……なんか私、ハードモード過ぎない?」
クロエはぼやきながら体を起こした。独り言が多いのは、記憶が戻ってまだどこかふわふわしている思考が、声を出すとまとまるような気がするからだ。
「とにかく、ここから出て行くことを考えないとね」
……計画はすぐに行き詰まった。とにかく何もかも足りない。逃走資金も無ければ亡命先の当てもなく、協力者もいない。情報も不足している。
「馬なんて乗れないし、歩いて移動して、野宿……必要だろうなあ。こんな虚弱体質で国境までたどり着けるかな?せっかく魔法のある世界なんだから、なんかこう、ワープかなんかできたらいいのに」
いや、魔法ならある。考えられる逃走手段は、それを上手く利用することしかなさそうだ。
「よし、いっぺん結界解こう」
利用法はあれこれと頭に浮かぶが、実際に使えるかどうか、試してみなければ分からない。ステータスウィンドウやヘルプメッセージの出るような親切設計はないのだ。結界がなくなってトラブルは起こるかもしれないが、数時間くらいならたいしたことにはならない、そう考えることにする。
「うわあ、何これ、すごい!」
クロエは子供のようにはしゃいだ。結界を解除したとたん、いつからか慢性化していた倦怠感と疲労感がきれいさっぱりなくなったのだ。
しかし調子に乗って軽く飛び跳ねると、足元がふらついた。
「いきなり健康体ってわけにはいかないか」
クロエはベッドに仰向けになって目を閉じ、溜息をついた。
「ああ。母上のお気に入りだから持ち出すのには骨が折れた。これを盗んだとあってはあいつも終わりだな」
「もしかして首をはねられちゃったりする?」
「そうまではならないだろう、神殿もうるさいからな。あんな奴を心配してやるとはビビアナは優しいな」
「そんなぁ」
「あの疫病神もようやく片が付く。全く父上にも困ったものだ」
「好きでもないのに結婚しなくちゃなんて、おかしいもんね。でもどうしてあんなのが婚約者になったの?」
「王家に聖女の血をいれたいらしい。だったら父上が愛妾にでもなさればいい」
「それじゃあ王様が可哀想だわ」
「そうだな、あの日干し女が相手では一戦挑む気にもなれないだろうな」
「もう、やだ~」
クロエはいつものように、本来は王太子の処理すべき書類を彼の執務室に運んできた。そして、婚約者と異母妹の下卑た会話と笑い声がわずかに空いていたドアの隙間から漏れてくるのを聞いてしまった。
ふらふらと自分にあてがわれた部屋に向かう。彼女のおぼつかない足取りを目にした衛兵は、いつものことだと気にもとめなかった。
クロエの部屋は、二代前の国王が平民の愛人に与えた離れにある。彼女が住むまでうち捨てられていたその建物は、元は瀟洒であったろうが、今は物寂しい空気が漂っている。詰めている使用人の姿もなく、身の回りのことは神殿に居た頃と同じく、自分でしている。
清潔にしてはあるが堅く寝心地の悪い寝台に横たわり、目を閉じる。
すると、奇妙なことに知らない女の声が頭の中で話しかけてきた。
『もしかしてショック受けてるの?』
――そんなことない。
『そりゃそうよね、あのクソ餓鬼があんたのこと邪魔にしてるのも、あの馬鹿娘が性悪なのも、ずっと前から知ってることだもの、今更よね』
――そんなこと、ない。
『嘘でしょ、分かってるくせに。色ぼけ親父があんたのこと娘だと思ってないことも、愚王夫婦に道具扱いされてるのも、神殿の連中も似たり寄ったりなのも、みーんな分かりきったことでしょ』
――分かったからって何だって言うのよ。どうにもならないのに。
『どうにもならない?ほんとに?
たとえそうでもこのまま唯々諾々とあいつらの言いなりになるの?
……私は嫌、絶対』
――この声は誰?ううん、知ってる……これは、私だ。
頭の鈍い痛みと同時に、横になって目を閉じているにもかかわらず、上下も左右もなく振り回されるような感覚がクロエを襲った。
それがおさまったとき、彼女の頭の中にあったのは『クロエ』でない自分が『日本』で生きた記憶だった。
ところどころ曖昧だが、女性で、そこそこの勤続年数の平凡な会社員だったことは憶えている。悪天候の中、なれない山道で車を運転したせいでスリップしたのが最後の記憶だ。
「あ~、これって前世の記憶ってやつ?あれは確実に死んでるもんね、私。他の人を巻き込まなかっただけ、まだましかな」
前世分をかさ増しした今の目であらためて『クロエ・サムディオ』という十七才の少女をみると
「どう考えてもお花畑だわ『クロエ』って」
クロエは物心つく前から神殿暮らしだった。本来貴族令嬢ならば、実家から寄進名目で生活費を送られて侍女もつけられ、呑気に暮らしているものだ。だが、彼女は家事労働や使い走り、菜園の世話もさせられていた。
もっとも、父親が銅貨一枚も持たせずに放り込んだにしては、ましな暮らしだったと言える。
だからといって、それは神殿が良心的な組織であるからではない。ごく幼いうちは正確な能力判定ができないが、生まれつき魔力が高い場合はそれと分かる。おそらくはクロエも使い道があるとみて、それなりに扱われていたのだろう。
「神殿の教育って、今思うと前世のカルトが信者を洗脳するやり口そっくりだよね。どう考えても真っ黒だ」
幼児の頃から現実離れした理想論を詰め込まれて禁欲を強いられ、王宮に連れて行かれてからもずっとひとりぼっちだったクロエは、承認欲求の塊だった。
――笑顔を絶やさず、聖女として真心込めて尽くしていれば、いつかきっとみんなわかってくれる。
「あいつらに限ってないない。ほんと馬鹿だわ。……育ち方があれじゃあ、まあ仕方ないかもしれないけど。
右向いてもクソ、左向いてもクソ。……なんか私、ハードモード過ぎない?」
クロエはぼやきながら体を起こした。独り言が多いのは、記憶が戻ってまだどこかふわふわしている思考が、声を出すとまとまるような気がするからだ。
「とにかく、ここから出て行くことを考えないとね」
……計画はすぐに行き詰まった。とにかく何もかも足りない。逃走資金も無ければ亡命先の当てもなく、協力者もいない。情報も不足している。
「馬なんて乗れないし、歩いて移動して、野宿……必要だろうなあ。こんな虚弱体質で国境までたどり着けるかな?せっかく魔法のある世界なんだから、なんかこう、ワープかなんかできたらいいのに」
いや、魔法ならある。考えられる逃走手段は、それを上手く利用することしかなさそうだ。
「よし、いっぺん結界解こう」
利用法はあれこれと頭に浮かぶが、実際に使えるかどうか、試してみなければ分からない。ステータスウィンドウやヘルプメッセージの出るような親切設計はないのだ。結界がなくなってトラブルは起こるかもしれないが、数時間くらいならたいしたことにはならない、そう考えることにする。
「うわあ、何これ、すごい!」
クロエは子供のようにはしゃいだ。結界を解除したとたん、いつからか慢性化していた倦怠感と疲労感がきれいさっぱりなくなったのだ。
しかし調子に乗って軽く飛び跳ねると、足元がふらついた。
「いきなり健康体ってわけにはいかないか」
クロエはベッドに仰向けになって目を閉じ、溜息をついた。
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