『聖女』の覚醒

いぬい たすく

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1章

愚者は夢想する

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 王太子ベルナルドは夢見ている。

――こんなことで終わる私ではない。元通りに、いや、もっとうまくやれるはずだ。

 
 母レアンドラは、幼い息子にことあるごとに語ってきかせた。
「あなたのお父様はひとめで私に夢中になったの。それで、どうしてもと請われて結婚したのよ」
 だから自分も好きになった相手と自由に結婚できるのだと信じていた。

 それなのに、婚約者として聖女クロエをあてがわれた。自分は惚れた女と結婚したくせに、とベルナルドは猛烈に父に反発した。

 しかもクロエときたら、成長と共に美しくなるどころか、見るたびみすぼらしくなっていくのだ。下級の女神官の着る簡素なローブを着て歩く姿が、まるで亡霊のようだった。

 父にいくら頼んでもきいてもらえない。向こうから婚約を解消させよう。そう考えて冷たくあたり、さえない容姿を馬鹿にした。王太子の歓心を買おうと、取り巻きたちも尻馬に乗って聖女を嘲った。

 それでもなお、クロエは卑屈にへらへらと笑っている。ベルナルドはそんな婚約者のことを次第に気味悪く思うようになっていった。

 やがて抵抗もむなしく、内々だった婚約は公になってしまった。ビビアナと出会ったのはその頃だ。

 腹違いの姉との関係に悩み、涙ぐむ様子がいじらしかった。あれは性根が腐りはてているからと説得して、仲直りを諦めさせるには骨が折れたが、傷心が癒えるとベルナルドに心を許すようになった。異母姉と違って明るく無邪気なところが愛おしかった。

 愛おしかった。そのはずだった。

 
「いきなりビビアナと結婚せよとは、なぜですか、父上!」

「そなたがあれほど望んでおったことではないか」

「クロエを婚約者となさったのは父上でしょう!」

「そのクロエのためだ」
 国王は頭痛をこらえる表情でため息をついた。

 結界がなくなった悪影響は至る所に及んでいる。物も足りなければ武力も足りない。それらを得るための財源も乏しい。安寧なくらしに慣れた民衆の不満はふくれあがっている。

 聖女を連れ戻し、元通り結界を張ってもらう。それが一番だが、限りなく望みは薄い。聖女をどう説得するか、それ以前に彼女の行方が杳として知れないのだ。

 結局は、結界のなかった頃のやり方に戻しつつ、聖女が自分から戻ってきてくれることに期待するほかない。

 そのための窮余の一策が『王太子の結婚』なのだ。

「あの娘が姿を消す前に言ったそうではないか。お前と結婚するくらいなら死んだ方がましだと」

 嫌な男との結婚を強いられる可能性がある限り、聖女は戻っては来ないだろう。幸いこの国は王族でも側室を認められていない。少しでも可能性を高めるために、ベルナルドを他の女と結婚させるべきだ。それが王と重臣たちの一致した意見だ。

 侯爵令嬢とは言っても妾腹のうえ、ろくな教育を受けていないビビアナを王太子妃とすることに反対意見もあった。だが、すぐに立ち消えた。

 王家やサムディオ侯爵家を襲った異変は、主立った貴族たちにも広まりつつある。黒い靄のもたらす様々な身体の異常、原因不明の体の痛み。前触れもなく襲ってくるそれらは、貴族たちを震え上がらせた。

――これは、神罰に違いない。

 だからこそ王家とつながりをもちたくはない。下手にビビアナを排斥して自分の娘に白羽の矢を立てられてはたまらない。王太子の身分と容姿に群がっていた令嬢たちも彼から逃げ出して、近寄りもしない。

 残ったのがビビアナ、という訳だ。


 そうしてベルナルドは不平たらたらで婚儀の日を迎えた。
 妻となるビビアナのふくれっ面を横目に見て、どうしても前の婚約者と比べてしまう。

 夜会で見たクロエの姿はそれまでと別人だった。髪や肌のかがやきもさることながら、身のこなしが優美そのものだった。思えば彼女は厳しい王太子妃教育を受けてきたのだ。それまでの老いさらばえた老婆のようにおぼつかない動きは、魔力枯渇のためだろう。それに、うつむいてばかりいた彼女がまっすぐにベルナルドの目を見たのはあれがはじめてだった。あの射貫いぬくような強いまなざしを思い出すたびに、胸を高鳴らせずにはいられない。

 一方のビビアナは、と言えば。今のこの国で装いが野暮ったいのは仕方が無い。だが、裾捌きもままならない粗雑さはどういうことか。かつてのベルナルドならむしろ、初々しくて可愛いと鼻の下を伸ばしただろう。だが、今となっては彼女のすることなすことが鼻につく。

 無邪気で素直で優しい娘だとはもう思えない。クロエが乳児の時から神殿育ちだったというなら、ビビアナが異母姉にいじめられたというのは、どう考えてもおかしい。愛人の娘であるビビアナの方は、母親ともども侯爵邸で贅沢三昧に暮らしていて、姉妹ながら一つ屋根の下で暮らしたことなどないのだから。

 ビビアナの愛らしさにのぼせ上がっていたときには気付かなかったことが、今は分かる。いや、その愛らしささえ、まやかしだったのだ。


 ベルナルドの頭の中はいびつなモザイクだ。

 国土をすっぽりと覆う結界と、健康なクロエとが、矛盾なく両立している。
 最後に会ったときのクロエの美しい姿はおぼえていても、彼女の宣言はさっぱりと忘れている。

――とにかくクロエさえ、クロエさえ取り戻せば、すべてが上手く行くのだ。

 ベルナルドにはそれが難しいこととは思われない。
 彼女はどんなに酷い仕打ちをしても、自分から離れようとはしなかった。それは婚約者であるベルナルドを愛しているからに違いない。彼はそう固く信じている。

 そうして独り甘い夢の世界にいるベルナルドは、隣の『妻』が自分のにやけ顔を気味悪げに見上げていることにさえ気付かなかった。
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