5 / 30
1章
過去は復讐する 1
しおりを挟む
サムディオ侯爵ヒルベルトは、幼いときから異相の持ち主だった。
ぎょろりとした大きな目は、大きく離れている。鼻梁はほとんど隆起していないのに、鼻孔は目立つ。口が大きく、おとがいは目立たない。一目見れば忘れられない風貌だ。
しかし、かつての苦い経験まではその自覚はなく、むしろ自分は目立って美しいのだと信じていた。
サムディオ侯爵家は豊かな所領と建国以来の歴史を持つ名門だ。その継嗣である彼には、多くの人間が群がりよってきた。その中には彼との婚約目当ての令嬢たちもいた。はなやかな令嬢たちに取り巻かれる楽しさに夢中になったヒルベルトは、遅くできた嫡男に両親が甘いのを良いことに、成人してもまだ婚約者を決めずにいた。
ある夜会に出席したヒルベルトが、酔いを醒まそうとテラスに出ようとしたとき、見覚えのある姿を見つけた。その三人の令嬢たちは、彼の知る中で群を抜いて美しく、おおいに気を惹かれていた。
婚約者の座を争う者同士でどんな話をするものか。好奇心をそそられた彼は、気づかれないよう近づいて、盗み聞きをした。
「挨拶をしたら、手を掴まれてしまって……あのカエルにはうんざりですわ」
「本当ね。早く適当な方と婚約して欲しいわ。……選ばれる方にはお気の毒だけど」
「あら、でもわたくし、あのカエルさんには感謝していますのよ?ついに父があの人との婚約を認めてくれましたの。妙な欲を出してカエルさんの愛人にでもされるより、ましだそうですわ」
少女たちの鈴を転がすような声が、ヒルベルトをしたたかに打ちのめした。愛しの幼なじみと婚約できた友人を祝福する明るい声を背に、ふらふらとその場を去った。
実のところ、お気に入りの令嬢たちの心証を損ねたのは、彼の容姿よりも「選んで欲しければせいぜい頑張って媚びを売れ」と言わんばかりの傲慢な態度だった。
しかし、彼はそれに気付くことなく、自分の殻にこもることを選んだ。
――貴族令嬢は何を考えているか分からないから、怖い。特に美人は。
両親が亡くなり侯爵となっても、結婚どころか婚約者も定めず、理想を追い求めた。
――平民の中にはきっと、身分や容姿にとらわれずにありのままの私を愛してくれる天使がいるはずだ。
そうして出会ったのが、小さな食堂で働いていたアニタだ。寄る辺のない身の上で懸命に働いているのがいじらしく、容姿はどうにか可愛いといえる程度だが、貴族令嬢には見られない開けっぴろげな笑顔が魅力的だった。
すぐに屋敷に迎えとって甘い生活を送っていたが、そこに縁談が持ち込まれた。アニタは決まった相手としてみられない。この国では貴族は貴族同士でしか結婚できないからだ。
カサンドラという名のその娘は、王太子妃候補にもなった名門出身の令嬢だったが、頼りにできる身内を亡くしていた。気乗りはしなくても、王太子妃の実家が持ち込んだ話では断りにくい。押し切られて結婚することになってしまった。
カサンドラは美しかった。洗練された挙措、どこか憂いのある風情。アニタ一人と誓った身であるのに、一応の礼儀だからと言い訳して、初夜を共にした。
その後の彼は、とるべき態度に困り果て、アニタの機嫌をとるのにも忙しかった。妻とまともに顔を合わせることもなく、二ヶ月が過ぎた。
そして、妻の懐妊の報せがあった。
――ただ一夜を共にしただけでか?もしや、腹に子をもって嫁いできたのでは……?
侯爵は口には出せない疑惑に苦しんだ。産み月に満たず出産を迎えると、疑惑は確信に変わった。
怒りをぶつける間もなく、産後の肥立ちが悪く妻は息を引き取った。あまりにもあっけなかった。生まれた女児は顔も見ないままに神殿に放り込んだ。
それから七年。一生そのまま会わずにいるつもりだったその娘は『聖女』などと言われて、王太子の婚約者として王宮に住まうようになった。
どうしようもなく不快だった。だが、それがのちに幸運をもたらした。姉に面会するとの名目で王宮に出入りするうち、愛する娘が王太子と思いあう仲になったのだ。
――やはりアレなどより、可愛いビビアナの方が将来の王妃にふさわしいのだ。
王太子の婚約破棄計画にも、侯爵は諸手を挙げて賛成していた。
何もかもうまくいくはずだった。クロエが姿を消したとき、むしろ邪魔者がいなくなったとせいせいしていた。
結界がなくなっても、まだ楽観していた。ビビアナが真の聖女として称えられる好機とさえ思った。しかし。
ビビアナは聖女にはなれない。
結界がなくなった事の重みを日が経つごとに思い知らされる。
ぎょろりとした大きな目は、大きく離れている。鼻梁はほとんど隆起していないのに、鼻孔は目立つ。口が大きく、おとがいは目立たない。一目見れば忘れられない風貌だ。
しかし、かつての苦い経験まではその自覚はなく、むしろ自分は目立って美しいのだと信じていた。
サムディオ侯爵家は豊かな所領と建国以来の歴史を持つ名門だ。その継嗣である彼には、多くの人間が群がりよってきた。その中には彼との婚約目当ての令嬢たちもいた。はなやかな令嬢たちに取り巻かれる楽しさに夢中になったヒルベルトは、遅くできた嫡男に両親が甘いのを良いことに、成人してもまだ婚約者を決めずにいた。
ある夜会に出席したヒルベルトが、酔いを醒まそうとテラスに出ようとしたとき、見覚えのある姿を見つけた。その三人の令嬢たちは、彼の知る中で群を抜いて美しく、おおいに気を惹かれていた。
婚約者の座を争う者同士でどんな話をするものか。好奇心をそそられた彼は、気づかれないよう近づいて、盗み聞きをした。
「挨拶をしたら、手を掴まれてしまって……あのカエルにはうんざりですわ」
「本当ね。早く適当な方と婚約して欲しいわ。……選ばれる方にはお気の毒だけど」
「あら、でもわたくし、あのカエルさんには感謝していますのよ?ついに父があの人との婚約を認めてくれましたの。妙な欲を出してカエルさんの愛人にでもされるより、ましだそうですわ」
少女たちの鈴を転がすような声が、ヒルベルトをしたたかに打ちのめした。愛しの幼なじみと婚約できた友人を祝福する明るい声を背に、ふらふらとその場を去った。
実のところ、お気に入りの令嬢たちの心証を損ねたのは、彼の容姿よりも「選んで欲しければせいぜい頑張って媚びを売れ」と言わんばかりの傲慢な態度だった。
しかし、彼はそれに気付くことなく、自分の殻にこもることを選んだ。
――貴族令嬢は何を考えているか分からないから、怖い。特に美人は。
両親が亡くなり侯爵となっても、結婚どころか婚約者も定めず、理想を追い求めた。
――平民の中にはきっと、身分や容姿にとらわれずにありのままの私を愛してくれる天使がいるはずだ。
そうして出会ったのが、小さな食堂で働いていたアニタだ。寄る辺のない身の上で懸命に働いているのがいじらしく、容姿はどうにか可愛いといえる程度だが、貴族令嬢には見られない開けっぴろげな笑顔が魅力的だった。
すぐに屋敷に迎えとって甘い生活を送っていたが、そこに縁談が持ち込まれた。アニタは決まった相手としてみられない。この国では貴族は貴族同士でしか結婚できないからだ。
カサンドラという名のその娘は、王太子妃候補にもなった名門出身の令嬢だったが、頼りにできる身内を亡くしていた。気乗りはしなくても、王太子妃の実家が持ち込んだ話では断りにくい。押し切られて結婚することになってしまった。
カサンドラは美しかった。洗練された挙措、どこか憂いのある風情。アニタ一人と誓った身であるのに、一応の礼儀だからと言い訳して、初夜を共にした。
その後の彼は、とるべき態度に困り果て、アニタの機嫌をとるのにも忙しかった。妻とまともに顔を合わせることもなく、二ヶ月が過ぎた。
そして、妻の懐妊の報せがあった。
――ただ一夜を共にしただけでか?もしや、腹に子をもって嫁いできたのでは……?
侯爵は口には出せない疑惑に苦しんだ。産み月に満たず出産を迎えると、疑惑は確信に変わった。
怒りをぶつける間もなく、産後の肥立ちが悪く妻は息を引き取った。あまりにもあっけなかった。生まれた女児は顔も見ないままに神殿に放り込んだ。
それから七年。一生そのまま会わずにいるつもりだったその娘は『聖女』などと言われて、王太子の婚約者として王宮に住まうようになった。
どうしようもなく不快だった。だが、それがのちに幸運をもたらした。姉に面会するとの名目で王宮に出入りするうち、愛する娘が王太子と思いあう仲になったのだ。
――やはりアレなどより、可愛いビビアナの方が将来の王妃にふさわしいのだ。
王太子の婚約破棄計画にも、侯爵は諸手を挙げて賛成していた。
何もかもうまくいくはずだった。クロエが姿を消したとき、むしろ邪魔者がいなくなったとせいせいしていた。
結界がなくなっても、まだ楽観していた。ビビアナが真の聖女として称えられる好機とさえ思った。しかし。
ビビアナは聖女にはなれない。
結界がなくなった事の重みを日が経つごとに思い知らされる。
11
お気に入りに追加
119
あなたにおすすめの小説
追放された薬師でしたが、特に気にもしていません
志位斗 茂家波
ファンタジー
ある日、自身が所属していた冒険者パーティを追い出された薬師のメディ。
まぁ、どうでもいいので特に気にもせずに、会うつもりもないので別の国へ向かってしまった。
だが、密かに彼女を大事にしていた人たちの逆鱗に触れてしまったようであった‥‥‥
たまにやりたくなる短編。
ちょっと連載作品
「拾ったメイドゴーレムによって、いつの間にか色々されていた ~何このメイド、ちょっと怖い~」に登場している方が登場したりしますが、どうぞ読んでみてください。
仲良しのもふもふに理不尽な婚約破棄を愚痴ったら、国が崩壊することになりました
柚木ゆず
ファンタジー
あのね。殿下は聖女様に心変わりをされて、理不尽に婚約破棄をされちゃったの――。
はぁ。関係者全員に、罰が当たらないかなぁ――。
6年前無理やり私を婚約者にしたくせに、結婚式まで3か月となった今日一方的に婚約破棄を宣告されたこと。おまけにお父様達は殿下や陛下と取り引きをしていて、私を悪者に仕立て上げて追放する準備を始めたこと。
それらを私は、唯一の親友に――7年前に偶然助けたことで仲良くなった、ラグドールのノアに愚痴った。
そうしたら…………え!?
ノアはラグドールじゃなくて、神様が住む世界に居た神獣!?
これから神の力を使って、関係者全員に罰を与えに行く!?
ノアからビックリする秘密を聞かされて、そうして私の長い長い1日が始まったのでした――。
『絶対に許さないわ』 嵌められた公爵令嬢は自らの力を使って陰湿に復讐を遂げる
黒木 鳴
ファンタジー
タイトルそのまんまです。殿下の婚約者だった公爵令嬢がありがち展開で冤罪での断罪を受けたところからお話しスタート。将来王族の一員となる者として清く正しく生きてきたのに悪役令嬢呼ばわりされ、復讐を決意して行動した結果悲劇の令嬢扱いされるお話し。
一家処刑?!まっぴらごめんですわ!!~悪役令嬢(予定)の娘といじわる(予定)な継母と馬鹿(現在進行形)な夫
むぎてん
ファンタジー
夫が隠し子のチェルシーを引き取った日。「お花畑のチェルシー」という前世で読んだ小説の中に転生していると気付いた妻マーサ。 この物語、主人公のチェルシーは悪役令嬢だ。 最後は華麗な「ざまあ」の末に一家全員の処刑で幕を閉じるバッドエンド‥‥‥なんて、まっぴら御免ですわ!絶対に阻止して幸せになって見せましょう!! 悪役令嬢(予定)の娘と、意地悪(予定)な継母と、馬鹿(現在進行形)な夫。3人の登場人物がそれぞれの愛の形、家族の形を確認し幸せになるお話です。
【短編】王子のために薬を処方しましたが、毒を盛られたと婚約破棄されました! ~捨てられた薬師の公爵令嬢は、騎士に溺愛される毎日を過ごします~
上下左右
恋愛
「毒を飲ませるような悪女とは一緒にいられない。婚約を破棄させてもらう!」
公爵令嬢のマリアは薬を煎じるのが趣味だった。王子のために薬を処方するが、彼はそれを毒殺しようとしたのだと疑いをかけ、一方的に婚約破棄を宣言する。
さらに王子は毒殺の危機から救ってくれた命の恩人として新たな婚約者を紹介する。その人物とはマリアの妹のメアリーであった。
糾弾され、マリアは絶望に泣き崩れる。そんな彼女を救うべく王国騎士団の団長が立ち上がった。彼女の無実を主張すると、王子から「ならば毒殺女と結婚してみろ」と挑発される。
団長は王子からの挑発を受け入れ、マリアとの婚約を宣言する。彼は長らくマリアに片思いしており、その提案は渡りに船だったのだ。
それから半年の時が過ぎ、王子はマリアから処方されていた薬の提供が止まったことが原因で、能力が低下し、容姿も豚のように醜くなってしまう。メアリーからも捨てられ、婚約破棄したことを後悔するのだった。
一方、マリアは団長に溺愛される毎日を過ごす。この物語は誠実に生きてきた薬師の公爵令嬢が価値を認められ、ハッピーエンドを迎えるまでのお話である。
勝手に召喚され捨てられた聖女さま。~よっしゃここから本当のセカンドライフの始まりだ!~
楠ノ木雫
ファンタジー
IT企業に勤めていた25歳独身彼氏無しの立花菫は、勝手に異世界に召喚され勝手に聖女として称えられた。確かにステータスには一応〈聖女〉と記されているのだが、しばらくして偽物扱いされ国を追放される。まぁ仕方ない、と森に移り住み神様の助けの元セカンドライフを満喫するのだった。だが、彼女を追いだした国はその日を境に天気が大荒れになり始めていき……
※他の投稿サイトにも掲載しています。
【完結】特別な力で国を守っていた〈防国姫〉の私、愚王と愚妹に王宮追放されたのでスパダリ従者と旅に出ます。一方で愚王と愚妹は破滅する模様
岡崎 剛柔
ファンタジー
◎第17回ファンタジー小説大賞に応募しています。投票していただけると嬉しいです
【あらすじ】
カスケード王国には魔力水晶石と呼ばれる特殊な鉱物が国中に存在しており、その魔力水晶石に特別な魔力を流すことで〈魔素〉による疫病などを防いでいた特別な聖女がいた。
聖女の名前はアメリア・フィンドラル。
国民から〈防国姫〉と呼ばれて尊敬されていた、フィンドラル男爵家の長女としてこの世に生を受けた凛々しい女性だった。
「アメリア・フィンドラル、ちょうどいい機会だからここでお前との婚約を破棄する! いいか、これは現国王である僕ことアントン・カスケードがずっと前から決めていたことだ! だから異議は認めない!」
そんなアメリアは婚約者だった若き国王――アントン・カスケードに公衆の面前で一方的に婚約破棄されてしまう。
婚約破棄された理由は、アメリアの妹であったミーシャの策略だった。
ミーシャはアメリアと同じ〈防国姫〉になれる特別な魔力を発現させたことで、アントンを口説き落としてアメリアとの婚約を破棄させてしまう。
そしてミーシャに骨抜きにされたアントンは、アメリアに王宮からの追放処分を言い渡した。
これにはアメリアもすっかり呆れ、無駄な言い訳をせずに大人しく王宮から出て行った。
やがてアメリアは天才騎士と呼ばれていたリヒト・ジークウォルトを連れて〈放浪医師〉となることを決意する。
〈防国姫〉の任を解かれても、国民たちを守るために自分が持つ医術の知識を活かそうと考えたのだ。
一方、本物の知識と実力を持っていたアメリアを王宮から追放したことで、主核の魔力水晶石が致命的な誤作動を起こしてカスケード王国は未曽有の大災害に陥ってしまう。
普通の女性ならば「私と婚約破棄して王宮から追放した報いよ。ざまあ」と喜ぶだろう。
だが、誰よりも優しい心と気高い信念を持っていたアメリアは違った。
カスケード王国全土を襲った未曽有の大災害を鎮めるべく、すべての原因だったミーシャとアントンのいる王宮に、アメリアはリヒトを始めとして旅先で出会った弟子の少女や伝説の魔獣フェンリルと向かう。
些細な恨みよりも、〈防国姫〉と呼ばれた聖女の力で国を救うために――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる