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激務
しおりを挟むレイティアルト付きになったリイのお昼休みは消し飛んだ。
ご飯を食べて戻るのが精いっぱいだ。
──……花のきみに、逢いに行けない。
女だと打ち明けられないリイにとって、レミリアにとっても、よいことなのかもしれなかった。
星の海の瞳を覗き込むたび、ルフィスの蒼と碧にきらめく瞳を覗き込む気がした。
花のきみが笑ってくれるたび、ルフィスが笑ってくれたらと願った。
あなたに、ルフィスを重ねてばかりで。
あなたは、知識も魔法も与えてくれたのに。
……あなたを、裏切っている。
思うと、果てしなく拉がれた。
申し訳ない。
あわせる顔なんて、ない。
痛いほど、解っているのに。
朝まだき、リイの足は噴水の庭へと向かう。
来てくれるはずなんて、ない。
目覚めた鳥が歌う庭で、ぼんやり明けゆく東雲を見あげたリイの視界の向こうで、金の光が揺れた。
朝陽にきらめく髪が、揺れる。
星の瞳が曙を吸いこむように輝いた。
「リイ」
照れくさそうに、うれしそうに、レミリアが名を呼んでくれる。
うれしくて、申し訳なくて、泣けてきた。
「……レミリアさま……」
ぐすぐす鼻を啜るリイに、目をまるくしたレミリアは、たおやかなつま先で背伸びした。
ちいさな手が、リイの頭をぽふぽふ撫でる。
「兄さまの相手は大変でしょう。
お勉強が足りないと思うの。
毎朝、少しずつ、一緒にがんばりましょうね」
闇を照らすやさしい光のような瞳で、笑ってくれる。
「レミリアさま、俺は──」
女です。
言えない唇を、噛み締めた。
千年光国レイサリアの全権を担うことがどれほどの激務なのか、レイティアルト付きになったリイはほんの数日で身に沁みて実感した。
王太子殿下はレイサリア光国と十八も連なる属国のすべての農耕、牧畜、漁業を総括し、天候と収穫に応じた税制を調整している。
商工産業を支援するとともに税を課すことで公道や貯水池、下水施設(あるんだよ、すごいよ、臭くないよ!)をはじめとした公的施設整備、医薬院、学術院、武芸院、図書院の拡充を行い、特産品である紙(和紙よりつるんとしてる。コピー用紙に近い。紙がある世界だよ。チート不可!)の生産と改良に尽力し、レイサリア光国軍を賄う。
それだけではない。
光国全土と十八の属国から寄せられる浪のような陳情書、貴族諸侯の歎願に目を通し、隣国との領土問題に神経を尖らせ、他国との親睦と貿易を奨励し、敵国の情勢に目を光らせる。
広大な千年光国レイサリアと十八の属国を、数えきれぬほどの民の命を、双肩に背負う。
朝まだきから夜深くまで、休む暇もない。
親レイサリア光国の王女殿下が謁見とか、光国議会に出席して議決を下すとか、新しく造成された薬草苑の視察とか、公務が隙を縫うように、息つく間もなく入る。
「こ、んなに大変なんですね!」
初秋の昼下がり、リイは思わず声をあげた。
王太子なんて、豪奢な椅子で踏ん反り返っているだけかと思ってました!
顔に書いたリイに、レイティアルトは笑った。
「自分で何もかもしてはいない。優秀な臣下を信頼している。
……信頼しすぎるのもよくないと、リイのおかげで知ったがな」
レイティアルトの呟きに、リイは目を伏せた。
王宮だけでなく、貴族も公的機関までも、項目数の膨大な計算は大変で、確かめられることがないという理由で、水増し請求が横行していたのだ。
リイが次々と指摘し、一斉に摘発、横領した者はその財産を没収し国庫に返納させたうえで懲戒解雇、貴族は爵位を落とされ、要職からは外された。
監査院が全く機能していなかったことが発覚、殆どの者が資産を差し押さえられ、給金を返納させられた上で懲戒解雇となった。
『計算、間違ってるよ!』
安易に指摘したリイのために、国が震撼する事態となってしまった。
長年レイティアルトに仕えていたノゼも、公費横領と収賄で解雇された。
断罪したレイティアルトには、処罰が厳し過ぎると抗議の声が上がった。
「……王太子殿下」
「レイティアルトでいい」
微笑んでくれるレイティアルトの目の下には激務の隈が刻まれている。
「俺のせいで……」
レイティアルトが眉をあげる。
「俺は『ありがとう』と言った。
民の血税を懐に入れるような輩は、ひとりも要らぬ」
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