もふもふ獣人転生

誤作動だよ

　セバが貸してくれた絵本で、リトは字のお勉強だ。
　
「ひととおり、字を憶えろ。試験するからな」

　広やかな執務机に着いたセバの銀縁眼鏡がきらりと光る。

「うぅ」

「返事は？」

「あい」

　こくりと頷いたリトは、セバの執務室の隅で邪魔にならないように絵本を広げた。

　家令長セバはジェディス邸に執務室を与えられている。
　天井に届くほど高い書棚には本が隙間なく詰まり、たくさんの資料は整えられ、机は綺麗に片づいていた。

　ごちゃごちゃしてない。
　すごい。セバ、えらい。

　ぼんやりある前世の部屋は、狭いのに、ぐっちゃぐちゃだった。
　片づいた部屋には、尊敬しかない。

「きれぃ、ね」

「ゲォルグさまが、散らかってるのがおきらいなんだ」

「なるほろ」

　うむうむしたリトに、セバの眦がほんのり朱くなる。


　──ああ、これをゲォルグに見せられないさみしさ！

　セバ×ゲォルグなのかな？　ゲォルグ×セバ？

　セバが教えてくれなかったからとゲォルグに聞いたら、首が飛びそうだ。


「リト、勉強」

　鋭い蘇芳の瞳が銀縁眼鏡の向こうできらめいて、リトはあわてて絵本に顔をくっつけた。

　話し言葉は日本語を話している感覚なのだが、書き言葉は日本語と全然違うのが、大変不服だ。
　異世界転生特典が、発動してない。

　地球の字でいうと、マヤ文明の文字に近い？
　意味のある絵文字を組みあわせて単語をつくる。漢字みたいな感じかな？

「たいへん──！」

　涙目のリトに胸を押さえたセバは、にやりと笑った。

「それをひと通り学んでから、こっちを見ると？」

　セバが見せてくれたのは、字をもっともっと簡単にした絵本だった。

「かんたん！」

「だろ？　こっちは古代文字。これを省略して現代の字ができてる。だが今も重要な契約書は古代文字で書くからな。あと魔法は精霊文字を使う」

　セバが開いてくれたのは子ども用の絵本らしいが、今までの字がお遊戯に見えるような、はちゃめちゃな字が並んでいた。

「これはもう呪文だ。頭に叩き込むしかない。知識として読めるようになれ。ジゼさまの従僕ならな」

「……あぃ」

　耳もしっぽも、ぺしゃんとしてる。

　う、と胸を押さえたセバが続ける。

「いいか、これは基本中の基本だ。ここに、国の知識、世界の知識、領土の知識、交易品の知識、すべての貴族の顔と名と力関係を記憶し、礼儀に振舞いを会得しなければならん」

「ひぃい──！」

　頬に両手をあてて、口を縦長に開いて、絶望を表現してみた。
　笑うのを堪えたセバが、ぷるぷるしてる。

「ジゼさまのお傍にいるためだ。やれるな？」

「あい！」

　リトはぺしぺし、掌で自分の両頬をたたいた。


「がんば、まし！」

　決意を表すため、きゅ、と両手の拳を握ってみた！

「ぐぅ！」

　胸を押さえたセバがうずくまる。


「セバ……！」

　あわあわしたリトが駆け寄るよりはやく、セバの執務室の扉が開く。

「リト、毎朝の健診だよー」

　丁度いいところに、丁度いいテデが！

「テデ、セバ、たいへん！」

　うずくまるセバを見おろしたテデは、呟いた。


「今ジェディス邸で、こういう癖が大流行してるんだ。気にしないで」

「くせ？　くるし、なぃ？」

「ふ、不覚をとった」

　起きあがるセバに、テデの冷たい目が刺さる。

「不覚しかないでしょ」


　バァン──！

　音をたてて、扉が開く。


「何となく不穏を感じて」

　さらさらの月の髪をなびかせ顔を出したジゼのセンサーが、誤作動してる。