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前世を思い出したよ

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 降りしきる雨のなか、あふれる記憶の洪水に撃ち倒されるように、リトは泥のなかに倒れた。

 ビリリと、鞭の痕を抉じ開けるように熱い衝撃がリトの身体を貫いた。

『大地のなかには、怖い魔素が潜んでいることがあるんだ。傷口があるときは、決して土や泥に触っちゃいけない。魔素が体のなかに入りこんだら、お終いだ。
 ……救いかもしれないがね』

 教えてくれたのは、誰だったろう。

 ドブ色に染まったドロドロのリトを、躊躇うことなく抱きあげてくれたジゼの腕のなかは、頭の芯が痺れるような、いい匂いがした。

「リト──!」

 推しが、僕の名を呼んでくれる。
 僕が、自分でつけた名を。

 ……え、と……僕の、名は……

 あふれ流れるリトの記憶が、彷徨う。

 生まれてすぐ捨てられた。
 拾ってくれたのは獣人を強制労働に就かせて使い潰す組織で、成長の速い獣人は1歳でちょっとした荷物なら運べるようになる。
 1歳からリトは働き、5歳で使い潰されて死ぬ、ふつうの獣人生を辿り──あれ……? その前の記憶がある……?

 そうだ、前世だ!

 思い出そうとすると蜃気楼のように逃げてゆく、霞む記憶を懸命に手繰り寄せる。

 暗い部屋、カップラーメンの汁にコバエが浸かって死んでいる。
 モニターの画面には月の光のようにきらめく髪に鋭い蒼い瞳の青年が映ってた。

『阿呆か』

 睥睨に、震える。

「あぁ、ジゼさま──!」

 悶えてる。

 赤い頬で、目をうるうるさせて、ぼさぼさの黒髪で、ぐるぐるの瓶底眼鏡のあれは──前世の、僕……?

 名前は、どんなだったろう。
 どんな風に生まれて、どんな風に生きただろう。

 掴もうとする指は、記憶の海を頼りなく掻いた。


 名も、両親に愛されたのかも、どんな風に死んだのかも解らない。

 ゲームをするのがすきで、いつもモニターの前に座ってた。
 ……あぁ、そうだ、BLゲームをするのがすきだった。

 誰にも言えなかったから。

 言えないことこそ恥ずかしくて情けないと解っていたのに、堂々と自分のジェンダーを誇っていいのに、言えなくて。
 夢のような世界のBLゲームばかりしてた。

 ジゼ・ディオ・ジェディスは一番大すきだったBLゲームの最愛の推しだった。
 グッズをすべて買い漁り、抱き枕も勿論購入、いつも一緒に眠ってた。

 自分の名前も死に方も朧気なのに、最愛の推しジゼのことは憶えてるってどうなの──!?

 痛い頭の向こうで、意識が遠くなる。

「リト──!」

 ジゼが、呼んでくれる。

 ……あぁ、そうだ、僕がつけた、僕の名だ。




 ぼんやり、目が明いた。
 生きていることに吃驚したリトは瞬いた。

 ふかふかの寝台に寝かされている。
 暗い部屋の窓の向こうから月明かりが射してくる。

「……気がついたか」

 月影にきらめく短い髪が揺れて、蒼の瞳が振り返る。

「俺は治癒魔法が使えない。
 この街には治癒士がおらず、応急処置しかできなかった。……すまない」

 ちいさな声に、跳び起きたリトは首を振る。

「あ、あの、たすけてくれて、ありがとうございます。
 きれいな寝台を汚しちゃって、ごめんなさい」

 ふかふかの布団から抜け出そうとするリトを、しなやかな腕が止めた。

「酷い怪我をしてる。
 足は神経が壊れて……一刻も早く治癒を受けないと、きみの足は──」

「獣人は5歳で殺されるんです。
 僕はもう、寿命です」

 微笑んだ。

 最愛の推しが、哀しい思いをしないように。

 なのにジゼは顔を歪める。

「──俺は、何も知らなかった。
 獣人の子どもたちが、どれだけ劣悪な強制労働を強いられているか、何も」

「……獣人は、人間じゃないから」

 やさしい推しが辛い思いをしないようにと紡ぐリトの言葉は、ジゼを抉るようだった。

 ちいさなかんばせが、歪む。

「……ご、ごめんなさい、僕、帰ります」

 いよいよ動かなくなってきた足を引きずり、寝台を降りようとするリトに、ジゼは顔をあげる。

「きみにこんな酷い労働を強いる両親のもとへ?」

 首を振った。

「僕、捨て子です。
 名前も、自分でつけました。
 あなたが呼んでくださって、うれしかった。
 ──はじめて、名を呼ばれたから」

 火照る頬で、笑う。

「……っ」

 あたたかな腕が、降ってくる。
 とろけそうなのに涼やかな香りに包まれる。

 微かに震えるジゼの肩に、そっと触れた。

 最期に、最愛の推しに逢えるだなんて、間違いなく夢だから。

 そっと、その背に手を回す。


「ありがとう、ジゼさま」

 燃える頬で、その胸に口づけるように、ささやいた。





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