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異世界転生、はじめました

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 新緑の香る、春の夕暮れのなか、僕は足を速める。

 スーパーの店頭で、最後の1個になった特売の24ロールのトイレットペーパーに駆け寄って、腕に抱え込んだ時だった。

 車が、突っ込んできた。

 あ、とか、う、とか、ぎゃあ、とか、声を出す隙間さえなかった。

 アクセルとブレーキを踏み間違えて突っ込んだんだと思う。
 よくある事故で、僕は42年の、友達のひとりもいない、後ろも前も清らかな人生に幕を下ろした。


 未練のない人生、さようなら!


 と思ったら、意識が戻る。

「ふぎゃああああ!」

 し損なった、盛大な叫びをあげて。





 ぺろぺろ、僕の顔を、生温かく、濡れた、ざりざりのものが這い回る。

 うん、これ、舌だね。
 触手はぬるっとしてるはずだ! そっちは全く求めてない!

 目があんまり明かないよ。

 ふぬぬぬぬ!

 思いきり力を籠めて、瞼を開く。
 膜が張ったような視界で、真っ黒な犬が、ふんふん鼻を鳴らしていた。

 夕暮れだったはずが、世界は真っ暗だ。
 嗅いだことのないような、強い緑の香りがした。

「わん!」

 ああ、僕も犬派だよ。
 犬、かわいいよ、犬。

 撫でてあげたいけど、身体が動かない。

 警察犬かな。
 たすけに来てくれた?
 思いっきり車が突っ込んでたから、瓦礫の下敷きになってるのかも。

 何とか動けないかな、と動かしてみた手が、視界に入る。


 ちっちゃ!

 何これ、ちっちゃ!


「わん!」

 僕の顔を、ぺろぺろ嘗め回す犬が、僕の鼻を、口を塞ぐ。

 く、くるしいよ。
 息ができないよ。

「ふぎゃあああ!」

 僕の口から溢れたのは、赤ん坊の叫び声みたいだった。


 ちっちゃい手 + 赤ちゃんの声 = 異世界転生?


 いやいやいやいや。
 そんな夢のような話──


「なんだ? 赤子?」

「わん!」

 駆けて行った犬が、誰かを呼んできてくれたらしい。
 大きな影が、近づいてくる。

「……捨て子か」

 大きな手が、僕へと伸ばされて、止まる。

「人間──!」

 悲鳴をあげた者の耳は、尖ってた。



 僕は、どうやら、人間の赤ん坊になったらしい。

 そして、ここでは人間は、おぞましい生き物らしい。

 ということは、異世界転生っぽいけど、状況はよろしくない。


「殺せ!」

 取り囲まれ、叫ばれる羽目になった。


 人生ハードモードだ。
 というか、始まった途端に終わりそうだ。

 折角の異世界転生お約束チートの言語理解も、これだとうれしくない。

 春っぽい穏やかな風も、濃い緑の香りも、包みこまれる夜も、ちっとも僕を癒してくれない。

 ため息をつく赤ん坊というシュールな僕を守るように、声をあげてくれたのは、犬だった。

「わんわん!」

 僕の味方は、犬だけだ。
 誰もいなかった前世より、しあわせだ。

 ありがとう、犬!

 きみの、べろちゅーと、きみの鳴き声を胸に、僕はまた死ぬよ。

 お買い得トイレットペーパーを胸に死んだ前世より、ずっとしあわせっぽいよ!

 ありがとう、犬!



 感謝とともに、目を閉じる。

 僕、あきらめ早いんだよ。

 振り下ろされる鉈を、胸に受けようとした時だった。


「止めよ」

 静かな声がした。


「……レトゥリアーレ様」

 呼び声に、ビクンとふるえた僕は、目を明ける。

 まだよく見えない目が、つややかな銀糸の髪をとらえた。
 どこまでも透きとおる蒼の瞳が、僕の顔を覗き込む。


「赤子に、罪はない」

 長い指が、そっと、僕の頬に触れる。

「ルル。
 きみの名だ」

 やさしく頬をなぞった指が、離れた。


「レトゥリアーレ様! 黒い目に黒髪は悪魔の子です!」

「殺さねば、災いが──!」

「私が責任を持つ」

 静かな声に、集まった者たちが、どよめいた。


「何かあれば、私が殺す」

 氷の声に、誰もが頭を下げた。


 蒼の瞳に、銀の髪の、レトゥリアーレ様。
 人間の、黒目、黒髪の、悪魔の子、ルル。


 覚えのある言葉に、僕は痛いほど目を瞠る。


 最愛のRPGゲームの、最愛の推しのエルフの元に転生したっぽい!!!


 しかし!


 エルフの隠れ里を滅ぼし、エルフを絶滅させる元凶、なのにどうやったって殺せない、むかつくモブNo1のルルに転生とか、真剣に止めてください!!


 涙出たよ。


 赤ちゃんだからじゃないよ。








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