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エピローグ
しおりを挟む夏の終わり、橙子は眠るように静かに旅立った。
「未来で待ってる」
遺した手紙には、私に向けてそう書かれていた。
いつかまた会えると橙子が信じているのなら、私も同じ気持ちで人生をまっとうしよう。彼女に恥じないよう真剣に生きて、良い報告が沢山出来るように頑張ろう。
だから、泣いてばかりいる場合じゃないと思った。
「有希乃、どうする?」
葬儀が終わって数日後、泊まり込んでいた養父と光希が自宅に戻ることになった。
「一緒に帰るよ」
このまま橙子のいない本家で暮らすつもりは、最初からなかった。
ただ、祖父と実母には時々――わりとちょくちょく会いに来ようと思う。
「光希、わかっているとは思うが」
帰り際、見送りに出てきた祖父が咳払いして言った。
「くれぐれも間違いは起こすなよ。婚約しているとはいえ、おまえたちはまだ学生で結婚前なんだからな」
「なんで光希にだけ言うの? 私の方が我慢できなくなって襲うかもしれないのに」
からかうと、祖父は目を白黒させた。
古臭い家柄に縛られて頭の固い祖父だけど、根は愛情深くて真面目なのだ。橙子の臨終に声をあげて泣き崩れた姿を見て、くだらないしきたりを理由に養女に出されたというわだかまりは水に流そうと思った。
橙子の代わりにはなれないけど、私もこの人の孫には違いない。
「有希乃、よしなさい」
養父が笑いながら注意したことで、やっと冗談だとわかったらしく、祖父はぷうっと頬をふくらませて怒った。
「年寄りをからかうとはなにごとか!」
「ごめんなさーい」
玄関から逃げ出して、明るく晴れた戸外へ。
ふり向くと祖父は笑顔で手をふっていて、私も高々と手をふり「また来るね」と声をかけた。
「そういえば、お母さんは?」
「朝早く出勤してったよ。切り替えて前に進まなきゃって。タフだよな、藤乃」
養父は肩をすくめて苦笑する。
大切な人を亡くした悲しみや苦しさは、彼もよく知っているはずで、深い部分で気持ちをわかってあげているようだ。同居している間はもちろん、葬儀の一切が終わるまで、出しゃばることなく細やかに実母を気遣っていた。
家ではしょっちゅう変なギャグを言い、大げさに笑ったり泣いたりでめんどくさいが、意外と有能な人なのかもしれない……私が言うのも失礼な話だけど。
「ところでこんなに荷物あるのに、なんで玄関前に車つけなかったの?」
「あ、そっか。その発想はなかったよ」
養父は古風な風呂敷包みを背負い、手には重そうなバッグを持っている。私や光希よりうんと多い。いったい何が入っているのか。
「歩いて運べないほどじゃないだろ」
ゴロゴロと音を立ててキャリーを運ぶ光希は涼しい顔だ。
「それはそうだけどさ」
かさばる荷物を持ち直そうと、いったん地面に置いたら、横から手が伸びてきた。
「ひとつ持ってやるよ」
「ありがと」
「なんだよ、お礼なんか。気持ち悪いな」
光希は真顔でスタスタ歩いて行く。
そういえば今までは、いちいち家族にお礼なんて言わなかったっけ……礼儀のしっかりした橙子と一緒にいたせいか、私もいつの間にか自然に「ありがとう」が言える人間になっていたらしい。
当たり前みたいに受け取っていた光希の優しさや親切は、義理とはいえ兄妹だから与えられてきたのであって、他人ならかなり特別な関係じゃないと受けられないものだろう。
将来この義兄が誰かと結婚したら、私はその人に遠慮して距離を置かなければいけなくなるかもしれない。血のつながらない妹が、いつまでも甘えて頼りにしていたら、夫婦仲に良くない気がする。
「なんか嫌だな……」
見知らぬ女が光希に守られるのを想像すると、もやもやして気分がよろしくない。
どうやら私は、他人に彼を取られたくないようだ。
「あのさ、もしお兄が良かったら、ほんとに結婚してもいいよ」
背中に投げかけると、光希は立ち止まってふり向いた。あんぐりと口を開けた驚愕の表情がおかしくて、私は笑って見つめ返す。
「おまえ、まじで変だぞ。どうかしたのか!?」
「やだなぁ、ちょっとした冗談だよ」
今のところは仕方ない。
兄妹でしかない認識を変えさせて伴侶の座を勝ち取るには、相当な努力が必要だろう。
「悪趣味な冗談はやめろ。親父の顔、見てみろよ」
言われて視線を移してみれば、養父は目玉が飛び出しそうなほど大きく目を見開いて私を凝視していた。
「ごめんごめん。そんなにびっくりすると思わなかった」
笑って謝ったのに、養父は真顔のまま言った。光希には聞こえないぐらいの小さな声で。
「……お父さんは有希乃の味方だからな」
どうして急にこんな気持ちになったか、自分でもよくわからない。でも不思議なほど戸惑いはなかった。
もしかすると、橙子は本当に私に憑いたのかもしれない。
駐車場に着いてふり返り、本家の屋敷を眺めてみると、まだそこに橙子が暮らしているような気がした。
母屋から部屋に向かってドアを開ければ、いつでも笑って迎えてくれるような、そんな感じがする
。
「未来で会おうね、橙子」
やわらかく木々を渡って吹く風が、約束だよ、とささやいて通り過ぎて行った。
(完)
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