未来で待ってる

奈古七映

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第七話

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 実母が意外と弱い人だとわかった日、私はひそかに光希と連絡を取って頼みごとをした。

「いくらなんでも無茶だろ、それ」
「無茶でもなんでもいいから、お願い! お兄がこっち側に付いてくれないと困る」
「困るのは俺の方だっつーの」

 だいぶ渋る光希をねばって説き伏せ、結納の三日前、本家に来てもらった。私も光希もちょうど夏休みに入ったところだった。
「橙子の部屋に行こう」
「まじでやるわけ?」
「もちろん」
「その、橙子が俺を……っての、有希乃の勘違いじゃないのか? 今までそんな素振りとか全然なかった気がするんだけど」
「本人に聞けばわかるよ」
「そんなこと聞けるかよ」
 光希はため息を吐きながら、離れに足を踏み入れた。

「お邪魔します」
「光希くん、いらっしゃい」
 橙子は珍しく立ち上がって迎えた。ふわっとした水色のワンピースがよく似合う。
「起きてていいの?」
 驚いたように尋ねる光希に、橙子はうんと小さくうなずいて笑顔を返した。これを見てもまだ勘違いだと思うようなら、よっぽどひどい鈍感で一生独身間違いなしだろう。
「無理なお願いしてごめんね」
 橙子はベッドに腰かけ、光希にラブソファをすすめたので、私は学習机の椅子を引いて座る。

「私、たぶん結婚とか無理だと思うから」
「そんなこと……」
 ない、と否定してやれないことは、光希もわかっているはずだ。

 最近の橙子は、またいちだんと食が細くなっている。日によっては顔がむくんで丸く見えることもあるけど、健康な丸顔とは明らかに違う。今はもうほぼ寝たきりのようなもの。
 だから、今日こうして起き上がっているのだって奇跡に近く、本当は不思議なぐらいなのだ。

「もし万が一の時のために手紙をね、書いといたから」
 橙子は机を指差した。
「大きい引出しに入ってる。いざという時はみんなに見せてね。そしたら誰も悪くないって、わかってもらえると思う」
 遺書、という単語が頭をよぎる。そこまで覚悟しているとは思わなかった。
「わかった」
 光希は立ち上がり、橙子に近付くと床にひざをついてその手を取った。
「俺に出来ることだったら何でもするから、遠慮しないで頼って」

 橙子はびっくりした顔で、自分の手を握る光希の手を見下ろし、それからゆっくり頬を赤く染めていく。
 きっとドキドキしていることだろう。
 もしかしたら心臓に良くないんじゃ……でも、やめろとはとても言えない。
「ありがとう、光希くん」
 はにかみながら笑った橙子は嬉しそうで、とても可愛かった。



「ごめんね、有希乃」
 光希が帰った後、橙子はベッドに横になってぽつんとつぶやいた。
「私、小さい頃から光希くんが好きだったの」
「うん」
「光希くんは強くて、優しくて、他の分家の子にからまれて困ってると、いつも助けてくれたの。正義の味方みたいでかっこよくて、建前とか下心とか、そういう薄汚いとこがなくて信じられる。私いつも……有希乃と入れ替わって光太郎さんちの子になる妄想してた。そしたら光希くんといつも一緒にいられるのにって」
「うん」
「でも養子に出されて、実の親が誰かも知らされないで育つって、どういうことか、わかってなかった。そのうえ早くに育てのお母さんを亡くして、すごく悲しい思いしたんだよね」

 天井を向いた橙子の目尻から透明な雫がこぼれ落ちる。

「光希くんと本当に結婚するのは有希乃。悔しくないって言ったら嘘になるけど、幸せになって欲しいと思ってる。本当だよ?」
 心が痛む。
 この結婚話は偽装だと、橙子に打ち明けるタイミングを逃して、ここまで来てしまった。だけどもう、言わないままで通すしかない。
「うん。ありがとね」
 私は橙子が眠るまで髪を撫で続けた。



 橙子の顔はきつめに、私の顔はやわらかめに。
 実母がメイクを終えた時、向かい合った私たちはぷっと吹き出してしまった。
「やだ、そっくり」
「嘘みたい」

 朱色の振袖を、出来るだけ苦しくないように着付けた橙子は、きりっとした濃いめのメイクで笑っている。
 私はレンタルした薄桃色の振袖を着て、いつもより愛らしくメイクされた自分の顔を鏡で見て、橙子とは正真正銘の一卵性双生児なんだなとしみじみ思った。

「写真撮りましょう。こんなにメイクがうまく出来るとは、我ながらすごいわ」
 実母はごついレンズの付いたカメラを構えてシャッターを押しまくった。
 今日の結納は、双子がこっそり入れ替わって臨むことになっている。橙子の望んだことだ。

 はじめは、協力者は光希だけにしようと考えていた。
 でも、実父を呼んで橙子に会わせたことを黙認していたこの人なら、ちゃんと事情を話せばこっち側に付いてくれるんじゃないかと思った。その読みが外れていたら、計画自体を断念しなきゃいけなかったけど、実母が私たちの期待に応えてくれて本当に助かった。

「橙子、平気?」
 室内用の車椅子に乗せられた橙子は、笑顔でうなずいた。
 ぎりぎりのところまでそのまま行って、私たちは入れ替わった。
「有希乃って……」
 橙子はきゅっと口をとがらせて、車椅子の私を見た。
「こんな感じ? どう?」
「そんな変な顔してないよ」
 私を笑わそうとしているのだろう。今日ばかりは、なるべく笑顔でにこにこしていようと思った。
「頑張ろうね」
 握手を交わす。橙子の手は冷たいのに汗びっしょりだった。

 本家には表座敷と奥座敷があって、格式みたいなものは奥座敷の方が上のようだけど、広いのは表座敷の方だ。
 今日はその表の方に、親族や会社や取引先の幹部などが集まっている。結納が終わったら、お披露目の宴会が開かれることになっているからだ。
 結納そのものは奥座敷で、本当の身内と仲人夫妻だけで執り行うことになっている。仲人さんは顔合わせで一回会ったきりの全然知らない人なんだけど、祖父の知人のようだ。

 私は廊下で車椅子から降り、なるべくゆっくり新婦側の席に向かう。
 私の手を取るふりをして、橙子が付き添う。支えてもらうふりをしながら実は逆に支えて歩く。練習していたせいで、うまく誤魔化せたようだ。
 新婦席に橙子、その隣に実母、祖父、私の順で座る。全員が和装だ。
「有希乃、その振袖、橙子に借りたのか?」
 祖父が橙子に質問している。願いを込めてあつらえただけあって、覚えていたらしい。
「はい。レンタルじゃみっともないって、橙子が言ってくれたので」
 橙子は低い声で淡々と答えた。私のモノマネをしているつもりなんだろうか。
「橙子も楽しみにしていたものね」
 実母が微笑んで私を見るので、私もにっこり笑うしかない。
「ぜひ有希乃に着て欲しかったの」
「そうか、橙子が望んだのか」
 
 それならいいと言わんばかりの祖父。ちょっと複雑だけど笑顔は崩せない。

「今日は橙子も顔色が良いな」
「お父さん、あまり話しかけないで。しゃべるだけで体力消耗するんですから」
 実母のナイスアシストで、祖父はすまんと言ったきり黙った。
 そうこうするうち養父と光希もやって来て、対面に並んで座る。
 やっぱり二人とも和装だった。これは紋付袴、というんだっけ?
「有希乃、きれいだ」
 養父は橙子を見て涙ぐんでいる……見破られなくて良かった。

「これより結納の儀を執り行います」
 仲人さんが宣言して、養父をうながす。
「結納の品でございます。幾久しくお納め下さい」
 養父が言いながら差し出した低い白木の台には、昆布やよくわからない色んな品を一つ一つ豪華に紙で包んだものが並べて載せてある。
「けっこうな品々をありがとうございます。幾久しくお受けいたします」
 実母が返答して、それから結婚記念品の交換まで滞りなく進んだ。

「有希乃、手を出して」
 指輪のケースを手にした光希が、橙子に近付く。
「おお、はめてやるのか。それはいいな」
 祖父が笑顔で言うので、養父もうんうんとうなずいて二人を見る。
 橙子が差し出した左手の薬指に、光希は優しい手つきで指輪をはめてやった。

「嬉しい……」

 つぶやいた橙子は左手を目の高さまで上げて、うっとり眺める。
 その姿はとてもきれいで、私はすごく……心の底から感動してしまった。入れ替わりを実行して良かったと、にじむ涙を指先で誤魔化そうとした、その時だった。

「ありがとう」

 光希を見つめてそう言うと、橙子は前のめりに倒れはじめた。

「橙子っ!」
 実母が悲鳴に似た声を上げる。
 光希が抱きとめて支えたけど、橙子は口を押さえたまま動かない。
「橙子! しっかりして!」
 私は思わず座布団を蹴立てて駆け寄った。
 息が出来ないのか、すごく苦しそうな表情で、みるみるうちに顔色が悪くなっていく。
「救急車を呼んで! 早く!」
 着物の裾を乱して廊下に飛び出した実母が、叫びながら走っていく。

「こっちが橙子だと!?」
 祖父の怒った声が聞こえた。
「どういうことだ!?」

 説明している暇はない。
 私は大急ぎで押入れを開け、万が一に備えて用意していたAEDを取り出した。


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