未来で待ってる

奈古七映

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第五話

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 本家の母屋に間借りして、学校に通いながら橙子の看病をする――思いつきで実行した試みだったけど、案外楽しい毎日で、あっという間に一ヶ月が過ぎた。

 養父や光希とは、電話やメッセージで連絡を取り合っているから問題ない。二人とも怒ってはいないようだ。

 学校までは思ったより距離があって自転車ではきつく、朝は出勤する祖父の車で、帰りはお手伝いさんの運転で送迎してもらっている。
 いや、はじめは勝手に押しかけて居候している身だからと、頑張って自力で通学していたのだ。
 だけど例の竜馬とかいう分家筆頭の勘違い野郎が、ちょいちょい現れるようになって「送るから乗れ」と新しそうなスポーツカーを見せびらかしてくるので、身の危険を感じて甘えることにした。

 実母の藤乃さんは祖父以上に家にいないことが多く、ちょっと橙子が可哀想だ。
 どうやら橙子は家族に遠慮しているようで、家政婦さんにもわがままは言わないし、もっと家にいて欲しいなんて口にすることはない。でも、本当は祖父や藤乃さんと過ごす時間が少なくて寂しいんだと思う。
 父親がいないせいかもしれないけど、橙子は相当なママっ子だ。甘えたいのを我慢しているのが、そばで見ているとよくわかって切なくなる。



「あの、もう少し橙子のそばにいてあげることって無理ですか?」
 土曜にまで出勤しようとしている藤乃さんを見かけ、思わず呼び止めてしまった。橙子にもう時間がないのなら、よけいなことは言わない方がいい、なんて大人ぶってる場合じゃない。
「無理ね」
 実母はじっと私を見て返事した。
 威圧感がある。わざと出しているような気がした。
「仕事の都合だけならどうとでもなるけれど、精神的に無理だわ」
「橙子より、自分の気持ちの方が大事なんですか?」
「有希乃もなかなか言うわね」
 グレーのスーツに身をかためた実母は、腕時計をチラッと見て白いパンプスに足を入れた。
「時間がないから、この話はまた今度。橙子との間には色んなことがあるのよ」
 言い残して玄関を出て行く後ろ姿を見て、私は複雑な気持ちになった。

 ここで暮らすようになってから、祖父に言われて気付いたこと――私は実母によく似ている。
 表情に乏しく、きびきびと行動し、口数が少ないくせに、言いたいことははっきり口に出す。

 育ての親である養父はあの通り喜怒哀楽が大げさで、養母も明るく笑顔の多い人だった。あの二人に愛情を沢山もらって育ったのに、産んだっきり会うこともなかった実母に似ているなんて、正直どう受け止めていいかわからない。



「今日は元気ないじゃない。どうしたのよ?」
 橙子に指摘されて、ハッと我に返った。一緒に見ていたアニメ映画が終わって、画面はチャプター表示になっている。
「ごめん、ぼーっとしてた」
 リモコンでテレビに切り替えると、DVDを取り出してレンタルのケースに戻した。橙子に見せようと学校帰りに借りてきたものだ。
「テレビ消していいよ」
 橙子はラブソファからベッドに移動して横になった。
「有希乃のオススメだって言うから見たのに、あんたが変だから気になって、よくわかんなかったじゃない」
 口をとがらして文句を言う。
「心配してくれたんだ? 橙子、優しい」
 私はベッドの端に腰かけ、橙子の頭を撫でた。
「可愛い可愛い」
「また馬鹿にして……私なんか相談相手にもなんないと思ってるんでしょ?」
「えっ、相談のってくれるの?」
「私の方が姉なんだから、話くらい聞いたっていいよ。ただし、何も出来ないからね、聞くだけで」
 これは意外な展開だ。でも、悪くない。むしろ嬉しい。
「ありがとう、橙子」
「別に……まだ何もしてないし」
 橙子はプイと窓の方を向く。照れているらしい。

「あのさ、言いたくなかったら無理に聞かないけど、橙子のパパってどんな人だったの?」

 実父のことは、離婚して出て行ったから会わせられない、と言われたっきり話題にも出なくて、誰にも質問できない。養父に聞くのも微妙だし、そこまで真剣に知りたいわけでもないから、なんとなくスルーしたままだったのだ。
「パパ?」
 橙子は拍子抜けしたように表情をゆるめた。
「そんなことで悩んでたの? だったらいくらでも教えてあげるよ」
 違うけど、まあいい。橙子が喜んでいるようだから、そういうことにしてしまえ。
「パパが出てったのは私が小三の時。もうずいぶん前からママとは喧嘩ばっかりでね。病気してから一回だけ会いに来てくれた。ママと違って良く笑う人で、優しかったよ」
「そうなんだ? でも、なんで一回しか……」
「ママが追い返したから。さすがに私の前では言わなかったけど、パパには他に好きな人いたみたいなの。今は再婚して子供もいるって聞いたよ」
 橙子は意外とさばさばした様子だ。
「じゃ、私たちには母違いの弟か妹がいるってこと?」
「そうだね。見たこともないけど」
「どこにいるんだろ……まさか市内じゃないよね」
「隣町にいるよ。有希乃、そこの机の一番上の引出し開けて」
 言われた通り開けてみると、ペンやホッチキスやシールなどがごちゃっと入っていた。
「橙子、大雑把なんだね」
「普通でしょ。そこにメモ帳ない? リングの厚いの」
 あった。
「貸して」
 手渡すと、橙子はパラパラめくってから、再び私に差し出す。

「ここがパパの住所。会いたいなら行って来れば?」
 あっさり言ったけど、一瞬の表情の変化を私は見逃さなかった。

「橙子、一緒に会わない?」
「無理に決まってるでしょ。こんな体で行けるわけない」
「来てもらおうよ」
「ママが許さないわよ。お祖父さんだって家に上げないと思う」
 それぐらいわがまま言っても許されると思うけど、橙子はいつもこうやって我慢してきたんだろうか。私に対しては言いたい放題なくせに、藤乃さんの前では聞き分けの良い子みたいにおとなしくなる。
「じゃあさ、内緒で……」
 耳打ちすると、橙子は目を見張って驚き、それからちょっと笑った。



「伯父さんにバレたらどうするんだよ」
 おびえる養父を説き伏せて、共犯者にした。
「知らなかった、でいいじゃん。玄関でお手伝いさんたちと楽しく会話してくれるだけでいいんだから」
「有希乃、お父さんはそんな子に育てた覚えは……」
「いいから早く」
 養父が玄関に向かったのを確認して、私は養父の車の影にしゃがんでいた親子に声をかけた。
「行きますよ」
 平均よりは背の高そうなひょろっとした男性――実父の恭平と、大きな目がくりくりっとした五歳の男の子――異母弟の蓮くんである。
「うまくかくれんぼ出来たら、ご褒美あげるからね」
 小声で告げると、蓮くんはニカっとちっちゃい歯を見せてうなずく。
 こんな可愛い子が弟なのかと思うと、なんだか不思議で面白い。私には義理の兄しかいないと思ってたのに、実際には血の繋がった姉と弟がいたのだ。いくら感情の抑揚に乏しい私だって、嬉しくないわけがない。

「橙子がそんなに悪いとは知らなかった」
 訪ねて行った時、初対面の挨拶もそこそこに状況を説明すると、実父はこっちがびっくりするほど動揺して涙をこぼした。
「有希乃も、こんなにしっかりした子になって……養子に出したまま会いにもいかず、申し訳なかった」
 泣きながら謝られたのには困ったけど、こういうことを一切言わない実母より「普通」というか、常識的な人なんだなと思った。

 今の奥さんとの子が五歳の男の子だと聞いて、橙子に会わせてもらえないか頼むと、実父は迷わずうなずいてくれた。祖父と実母の留守中にこっそり訪ねて来て、なんて無茶な要求なのに、だ。

 橙子が「パパは優しい」と言っていた意味がわかった。
 すごく普通な人なのだ。こういう人は旧家の婿養子として生きるより、普通の温かい家庭を持つ方がずっと幸せだろうと思う。
 そして、実母がどうしてこの人と結婚したかってことも、なんとなくわかる気がする。離婚して出て行った彼を、未だに許せず怒っている理由も。



 離れの勝手口をそっと開け、二人を招き入れる。
「三十分したら戻って来ますから」
 同席は遠慮した。
 もてなしの飲み物や蓮くんにあげるお菓子は、すでに橙子の部屋に用意してある。
 私は養父が頑張ってるはずの玄関へ向かった。

 やがて、誰にも見つからず無事に面会を終えた実父たちは、来る時と同じように養父の車で帰って行った。

「ありがとう、有希乃」
 
 その日の橙子は、今までで一番ゆったりと、落ち着いて見えた。
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