童話好きな大人のために書かれた小さなお話

矢野 零時

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お空

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「お祖母ちゃん、お母さん、いまどこにいるの?」
 抱いていた鈴音に尋ねられた祖母の理恵は少し首を傾げながら、窓ガラスに向かって右手をあげた。
「お空だね」
 鈴音はまぶしそうに理恵の指さした青い空を見あげている。
「じゃ、飛行機にのって行けるね?」
「でも、空の遠い所にいるからね」
「お母さんとお話をしたいの。電話をかけてもいい?」
「電話が通じない所だからね」
「だったら、お手紙ならいいでしょう?」
「そうだね。お手紙なら、お母さんの所に届くかもしれないね」
「じゃ、住所は、『お空』でいいわよね?」
「住所? そうなるね」
 理恵は空に浮かんでいる小さな雲を見つめた。
「じゃ、お母さんに、お手紙を書くわ。お返事くれるよね?」
「えっ」と言って、理恵は額に深いしわを作っていた。だが、すぐに笑顔になった。
「でも、お空のお母さんも忙しいかもしれないよ」
 理恵が言っていた言葉は、もう鈴音には聞こえていなかった。
「どんなことを書けばいいのかな?」と言いながら、鈴音は自分の部屋に戻って行った。
               
 ソファに義春がすわり二人の話を聞いていた。義春は個人タクシーの運転手。昼食時間にはいつも一度家に戻ってきていたのだ。
 義春は理恵の方に顔を向けた。
「母さん。どうするつもりなのさ。鈴音、手紙を書くつもりだよ」
「そうだね。鈴音は、まだ小学校にあがってないけど、もう字を書けるようになっているからね」
「そういうことを言っているんじゃないよ。返事をどうするつもりなのさ」
「朋子さんなら、手紙を必ずくれるよ」
「死んだ姉さんが手紙をくれるわけがないだろう。母さん、姉さんの代筆をするきだね。でも、鈴音は母さんが字を書いているのを見ているから、母さんが書いたら分かってしまうよ」 
「分かっているよ。そんなこと」と言って、母はテレビのチャンネルをニュースからお笑いに変えていた。
                 ◆
 しばらくして、鈴音が画用紙に書いた手紙を持って理恵のところに戻ってきた。
「字、間違っていない?」
「どれどれ、読んであげるよ」
「お母さん、お元気ですか? 空では雲の上に住んでいるのですか? いつも何をしていますか? お父さんもいっしょにいますか? 私は、幼稚園に行っています。友だちもたくさんできて楽しいです。お祖母ちゃんも、元気です」
「たくさん書いていて、いい手紙だね。まの字の丸がつぶれない丸になっていればもっとよく見えるよ」
「うまく丸くならないみたいなの。練習が必要だわ」
「そうだね。初めての手紙だものしょうがないよ」
 そう言った理恵は、状差しに入れていた未使用の封筒を一つとると、鈴音に渡していた。
「これの表に住所とお母さんの名前を書いてね。そして名前の後にはさまを書いて」
「お母さんの住所は『お空』でいいのかしら?」
「そうだね。それでいいよ。裏には、ここの住所と鈴音の名前を書いてね」
 鈴音は、利恵が口伝えで教えてくれた家の住所を書き、自分の名前も漢字でしっかりと書いていた。その後、鈴音は画用紙に書かれた文を四つに折って封筒にいれ、唾をつけて封をし、利恵から切手をもらうと、封筒の左上にそれを貼っていた。
「後は、お祖母ちゃんが郵便に出しておいてあげるからね」と言って理恵は鈴音から封筒を受け取っていた。
 義春は、大丈夫かと言う顔で理恵をみつめた。だが母はすまし顔で、外へ出て行った。
 本当に、郵便局に行ったのだろうか?

 やがてテレビでマンガ映画をやり始めた。鈴音は楽しけに、声を上げて笑っていた。
 鈴音は書いた手紙が空にいる母に届くと思っているのだろう。

 義春は鈴音と一緒に居間にいるのがつらくなって、階段を上がり、二階にある自分の部屋に行った。
 机の上にパソコン、プリンターがおいてあった。別に電子機器が好きなわけじゃない。前に友達に付き合って、買っていたのだ。
 パソコンのスイッチを入れて、パソコンをたちあげ、ワードを開いた。文章を書くことは前にもやっている。でも、今でもやれるだろうか?
 もし、鈴音への手紙を理恵から頼まれたら書いてあげてもいいと義春は思っていた。

 死んだ朋子は、義春にとってやさしい姉だった。三つ歳上だったから、義春にとっては常に大人で、ちゃんと大学に入り、結婚してみせてくれた人だった。勉強ぎらいの義春は、大学を行くことも諦め、もちろん結婚もしていない。だから姉は幸せな人生を歩んでいくと思っていたのに、夫を交通事故で無くし、姉も肺癌になって死んでいったのだ。義春には、姉は美しい思い出しか残っていない。

 姉の代わりでは、なんと書けばいいのだろう?
  
 しばらく、首をひねった後、キーを叩きだした。

 鈴音、元気にやっていますね。お母さんは、空から、いつも見ていますよ。
 お父さんも、お母さんの側にいてくれて、笑顔で暮しています。

 そういうふうにキーを打って見たが、義春は朋子の夫が笑っているのをあまり見たことがなかったことを思い出した。それに死んだ人が元気という事が第一おかしいかもしれない。さらに鈴音宛に出す手紙にしては漢字が多すぎる。

 ともかく、母から手紙を書くように頼まれることがあった場合に、文章はもっと考えなければならない。でも、いじっぱりな母が自分に頼むことなどないかもしれない。義春は頬をゆがめて、笑っていた。
                 ◆
 その日の朝。
「お祖母ちゃん、お母さんから、手紙がきていたよ」と、鈴音の大声がした。
 鈴音は手紙を書いてから、毎日、朝起きると郵便受けを見に行っていたのだ。
「あら、ほんとうかい!よかったね」
 母は、鈴音の頭をなぜながら、義春の方を見つめてきた。その時の母はどや顔をしていた。
 鈴音から預かった白い封筒に母ははさみを出してきて封筒の上を切ってから、鈴音に返していた。義春は、顔をあげて封筒を見ると、そこに書かれていた宛名書きはワープロで書かれた文字であった。
 きっと、母が加入している老人クラブの中にいる誰かに頼んで手紙を書いてもらったのに違いない。
 やがて、鈴音は、祖母に手紙を見せた後、義春にも手紙を見せてくれた。

  すずねちゃん、おてがみ ありがとう。ものすごく がんばっていますね。
  じも ちゃんと かけて しょうがっこうに いっても あんしんですね。
  ここには、はなばたけが あって はながさいていて、いつも いいにお
 いに かこまれて いるのよ。
  だから、たのしくくらしています。
  おとうさんも いっしょに くらして いますよ。
  みんな しあわせに くらしています。
                  すずねの おかあさんより

「おじさん。いいでしょう」と鈴音は自慢げで嬉しそうだった。
「あっ、そうだね」
 誰が書いたのかはわからないが、鈴音にちゃんと返信の手紙をわたされたので、義春も喜んでいた。
                 ◆
 どうやら、母は人に頼らずに自分でパソコンで鈴音の手紙を作成する気になったのだろう。繁華街にあるパソコン教室に通い出していた。
 タクシーにのっていると、持っているスマホの電話がなった。すぐにタクシーを路肩に寄せてとめてから、電話にでた。
「母さん、どうしたのさ?」
 すると、母はパソコン教室に通う途中で、スマホを見ながら自転車にのっていた人とぶつかり、怪我をしてしまったというのだ。
「だから、幼稚園が終わる時に私の代わりに、迎えに行って欲しいのよ」
「ああ、いいよ。ところで、病院はどこさ?」
 いつもは幼稚園バスでおくられてきた鈴音を母は通り沿いに迎えに行っていた。だが、今日はそれができない。義春はタクシーで幼稚園の前でとめ、幼稚園の先生に事情を話し 門のそばで鈴音を待っていた。
 やがて、鈴音は幼稚園の先生の一人に連れられて出てきた。
「お祖母ちゃん、自転車にぶつかってしまったらしいんだ。だから、お祖母ちゃんの代わりに迎えに来たんだよ」
「えっ、そうなの! じゃ、病院に行かないと」
「そうだね。松田総合病院にいるらしいよ。これから、俺もそこには行こうと思っているけどね」
 二人で、幼稚園の先生に頭をさげて、幼稚園を出ると、義春はタクシーの助手席に鈴音をのせ自分は運転席にのりこんだ。
 車を走らせると、やがてビルの間にはさまれるように病院の白い建物が見えてきた。だが、駐車場は地下にあったので、そこに車を入れなければならなかったので、思ったよりも時間がかかった。

 一階の案内で話を聞き、二人はエレベーターで五階にあがった。
「あら、きてくれたのね」
「お祖母ちゃん、大丈夫だったの?」と、鈴音はすぐに聞いていた。
「たいしたことがないに決まっているじゃない。でも自転車にぶつかった時は気を失ってしまったけどね」
「本当に大丈夫だったのかい?」
 義春が改めて聞いたのは、母の右手に包帯がまかれていたからだ。
「相手の自転車がぶつかっただけだよ」
「もう痛くないのかい?」
「大丈夫だよ。明日になれば歩けるから」
 その晩は鈴音がラーメンを食べたいと言ってくれたので、義春の行きつけのラーメン屋に連れて行った。鈴音はラーメンをおいしそうに食べてくれ、汁も全部飲んでくれた。

                 ◆
 翌日、理恵が退院をするので病院に迎えにきてくれとスマホで義春は言われた。そこで、前日と同じように、まず鈴音を幼稚園に迎えに行き、その後に母を迎えに行った。
 家に帰った理恵は居間に入ると、「どっこいしょ」と言いながら、すぐにソファに腰をおろしていた。
「やっぱり、家にいるのが一番落ちつくわね」
 鈴音は、すぐに郵便受けを見に行っていた。
「お母さんから、手紙がきているよ」と言って、鈴音は白い封筒をかかげて居間に入ってきた。
 義春はすぐに母の方に顔を向けた。
「私は出してはいないよ。もちろん、友達にも頼んではいないしさ」と小声で言う。
「あんたじゃないのかい。あんたもパソコンを持っていただろう」
「俺じゃ、ないよ」
「じゃ、誰だっていうのさ?」
「それに封筒の宛名は手書きだよ」と言って、義春は手をあげて鈴音の手にしている封筒を指さした。封筒の字を見れば見るほど、その字体は鈴音の母、朋子の書いた字にそっくりなのだ。
 鈴子ははさみで封筒の上を切り取ると、中から手紙を出して読み出していた。
 何が書かれているのだろうか?
 鈴音は嬉しそうに笑顔になっていた。
                  




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