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第十三章 探索
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同心の斎藤は、髪の長い僧衣の男を覚えていた。そこで、その男の顔を絵師に描かせ、その絵を板に彫らせて何枚も刷らせた。配下の目明したちに、それを持たせて、江戸中を走らせた。
五日も経った頃だった。目明し頭の佐吉が南町奉行所にいる斎藤のところに飛び込んできた。
「斎藤さま、今度こそ間違いはありません。あいつですぜ」
「本当かい?」
すぐに斎藤は顔を見に行くことした。前にも二度ばかり、斎藤が確かめに行くと別の人物だったことがあったからだ。
神田川が作られ、その時に神田山がとりくずされ職人町ができていた。だが、まだ高台の一部が残り、そこに木が生えたままで森になっている所が点在していた。目明し頭の佐吉は、斎藤をその森の一つに連れていった。木立の中に入れば、姿を隠すことができる。
「あれですよ」と、佐吉は顎をしゃくってみせた。顎の先には、長屋が見えていた。
「八軒はあるな。それに、他の家並みから少し離れている」と斎藤は押さえた声を出した。
「たしかに、見かけは普通ですが。おもしろい長屋なんですよ」
「ほう、どこがだい?」
「各部屋の両側に戸口がついている。つまり、玄関口から誰か気に入らない者が入ってくると、その部屋につけられた裏口の戸から、すぐに逃げ出すことができる。それに、各部屋に普段は野郎一人しかいないんですが、時々二人で住んでいることがある。つまり、一人が寝ている時には、もう一人は見張りに起きているようですな」
「なるほど、それは妙だな。だが、そんな事をいつもやっている訳ではあるまい」
そう言った斎藤は十手で首を叩き出した時だった。
長屋の端の部屋から、顔を出した男がいた。僧衣を着てはいなかったが、髪だけは切らずに頭の後ろに束ねている。男は長屋の前にある井戸に近づくと桶を井戸の中に落とし水を汲み上げ、上半身を裸にして長い髪を洗いだした。
「間違いねえ。あいつだ」
男の体は、筋肉もついていたが、幾筋もの刀傷もついていた。それが修羅場をくぐってきた者の証であった。
「小五郎と呼ばれているようです」
「小五郎かい。長屋に大家がいるはずだが、それは誰だい?大家に聞けば、もっといろいろ分かるはずだが」と、斎藤は佐吉に尋ねた。
「それが、いないようなんですよ」
「いない?」
「別棟に住む御隠居だと聞いていたんですがね。だいぶ前から見かけなくなっている」
「殺られちまったのかい?」
「そうかもしれやせん」と佐吉は顔をさげていた。
「これだけの長屋にいる者みんながおかしいと言うことになると、それぞれに動きを見張らせなければならんな。三、四人で見張って動き出したら、すぐに後を付けさせてくれ」
「へい、わかりやした。斎藤さま。後は、あっしらで、やりますんで」
佐吉は、他の目明したちと一緒に頭をさげた。斎藤は、大きく頷くと十手を腰に差し懐出になり、その場を離れた。残っていたかったのだが、奉行所に溜まった訴状を今日中に眼を通さなければならなかったからだ。
次の日の未の刻(午後二時)、目明し頭の左吉が南町奉行所にやってきた。
「斎藤さま、あそこにいた男たちが町人姿に着がえて、名取屋の周りをうろつき出していやしたぜ。水売りの時もあれば、飴売りの時もある」
「なるほど、名取屋か。あそこだけはまだ夜盗に襲われていなかったな」
「その通りです。大きい店ではないので、大丈夫だと手代は言っておりましたが」
米問屋の組合からも両町奉行所にかなりの金子が届き、一刻も早い盗賊の逮捕をして欲しいとの要望が出されたのだ。すぐに、与力や同心たちが集められ檄が飛んでいた。
「襲うつもりだな。そんな真似をさせるか。今度こそ、捕まえてやる。後付けのうまい友蔵に飴売りの後を付けさせろ。ともかく、相手がどう動くが押さえるんだ」
そう言った斎藤は唇をかんでいた。
「へい、わかりやした」と言った左吉は軽く頭を下げて帰って行った。
友蔵が飴売りに化けた男の後を付けているとの町中の居酒屋で名取屋の番頭と隣に座りあっていた。二人は声を低めるが、集中力を高めた友蔵の耳に二人の声は入ってくる。明らかに、番頭は盗賊側に寝返って店の情報を流していたのだ。声を出さなかったが、番頭は指で二と八を作り、さらに四を手で作って見せていた。
南町奉行所に知らせにきた友蔵は、「あっしの読みでは、来る二十八日で、夜四つ(午後十時)ですぜ」と、斎藤に言っていた。
「そうだな。間違いなさそうだな」
「まず、番頭をしょっぴいて来ましょうか?」
しばらく、斎藤は腕を組んで考えていた。
「いや、やめとこう。それをやったら、気づかれてしまう。それに押し込みを遣ろうとする時は、奴らはかえって神経質になる。寝ずの番を始めるぜ。それよりも、何もない時に、みんな捕まえてしまい、一気にお調べの場に引き入れるんだ」
そう言うと、斎藤は一歩金を縞模様の財布から出して、「これで、一杯飲んでくれ」と言って友蔵に手渡した。
「だが、人に話を聞かれない所で隠れて飲んでくれよ」
「斎藤さま。これは、有り難うございます」と言って、友蔵は頭を下げ、腰を曲げたままで斎藤から離れていった。
斎藤は懐手で眼をつぶった。今度こそ、必ず捕まえなければならない。盗賊の一人が、不思議な技、式神を使うことを知っている。筒井屋で心徳寺のお札が鬼顔を近づけさせない力があることを聞いていたので、心徳寺の道観にお願いをして霊力のあるお札を作ってもらうつもりでいた。
五日も経った頃だった。目明し頭の佐吉が南町奉行所にいる斎藤のところに飛び込んできた。
「斎藤さま、今度こそ間違いはありません。あいつですぜ」
「本当かい?」
すぐに斎藤は顔を見に行くことした。前にも二度ばかり、斎藤が確かめに行くと別の人物だったことがあったからだ。
神田川が作られ、その時に神田山がとりくずされ職人町ができていた。だが、まだ高台の一部が残り、そこに木が生えたままで森になっている所が点在していた。目明し頭の佐吉は、斎藤をその森の一つに連れていった。木立の中に入れば、姿を隠すことができる。
「あれですよ」と、佐吉は顎をしゃくってみせた。顎の先には、長屋が見えていた。
「八軒はあるな。それに、他の家並みから少し離れている」と斎藤は押さえた声を出した。
「たしかに、見かけは普通ですが。おもしろい長屋なんですよ」
「ほう、どこがだい?」
「各部屋の両側に戸口がついている。つまり、玄関口から誰か気に入らない者が入ってくると、その部屋につけられた裏口の戸から、すぐに逃げ出すことができる。それに、各部屋に普段は野郎一人しかいないんですが、時々二人で住んでいることがある。つまり、一人が寝ている時には、もう一人は見張りに起きているようですな」
「なるほど、それは妙だな。だが、そんな事をいつもやっている訳ではあるまい」
そう言った斎藤は十手で首を叩き出した時だった。
長屋の端の部屋から、顔を出した男がいた。僧衣を着てはいなかったが、髪だけは切らずに頭の後ろに束ねている。男は長屋の前にある井戸に近づくと桶を井戸の中に落とし水を汲み上げ、上半身を裸にして長い髪を洗いだした。
「間違いねえ。あいつだ」
男の体は、筋肉もついていたが、幾筋もの刀傷もついていた。それが修羅場をくぐってきた者の証であった。
「小五郎と呼ばれているようです」
「小五郎かい。長屋に大家がいるはずだが、それは誰だい?大家に聞けば、もっといろいろ分かるはずだが」と、斎藤は佐吉に尋ねた。
「それが、いないようなんですよ」
「いない?」
「別棟に住む御隠居だと聞いていたんですがね。だいぶ前から見かけなくなっている」
「殺られちまったのかい?」
「そうかもしれやせん」と佐吉は顔をさげていた。
「これだけの長屋にいる者みんながおかしいと言うことになると、それぞれに動きを見張らせなければならんな。三、四人で見張って動き出したら、すぐに後を付けさせてくれ」
「へい、わかりやした。斎藤さま。後は、あっしらで、やりますんで」
佐吉は、他の目明したちと一緒に頭をさげた。斎藤は、大きく頷くと十手を腰に差し懐出になり、その場を離れた。残っていたかったのだが、奉行所に溜まった訴状を今日中に眼を通さなければならなかったからだ。
次の日の未の刻(午後二時)、目明し頭の左吉が南町奉行所にやってきた。
「斎藤さま、あそこにいた男たちが町人姿に着がえて、名取屋の周りをうろつき出していやしたぜ。水売りの時もあれば、飴売りの時もある」
「なるほど、名取屋か。あそこだけはまだ夜盗に襲われていなかったな」
「その通りです。大きい店ではないので、大丈夫だと手代は言っておりましたが」
米問屋の組合からも両町奉行所にかなりの金子が届き、一刻も早い盗賊の逮捕をして欲しいとの要望が出されたのだ。すぐに、与力や同心たちが集められ檄が飛んでいた。
「襲うつもりだな。そんな真似をさせるか。今度こそ、捕まえてやる。後付けのうまい友蔵に飴売りの後を付けさせろ。ともかく、相手がどう動くが押さえるんだ」
そう言った斎藤は唇をかんでいた。
「へい、わかりやした」と言った左吉は軽く頭を下げて帰って行った。
友蔵が飴売りに化けた男の後を付けているとの町中の居酒屋で名取屋の番頭と隣に座りあっていた。二人は声を低めるが、集中力を高めた友蔵の耳に二人の声は入ってくる。明らかに、番頭は盗賊側に寝返って店の情報を流していたのだ。声を出さなかったが、番頭は指で二と八を作り、さらに四を手で作って見せていた。
南町奉行所に知らせにきた友蔵は、「あっしの読みでは、来る二十八日で、夜四つ(午後十時)ですぜ」と、斎藤に言っていた。
「そうだな。間違いなさそうだな」
「まず、番頭をしょっぴいて来ましょうか?」
しばらく、斎藤は腕を組んで考えていた。
「いや、やめとこう。それをやったら、気づかれてしまう。それに押し込みを遣ろうとする時は、奴らはかえって神経質になる。寝ずの番を始めるぜ。それよりも、何もない時に、みんな捕まえてしまい、一気にお調べの場に引き入れるんだ」
そう言うと、斎藤は一歩金を縞模様の財布から出して、「これで、一杯飲んでくれ」と言って友蔵に手渡した。
「だが、人に話を聞かれない所で隠れて飲んでくれよ」
「斎藤さま。これは、有り難うございます」と言って、友蔵は頭を下げ、腰を曲げたままで斎藤から離れていった。
斎藤は懐手で眼をつぶった。今度こそ、必ず捕まえなければならない。盗賊の一人が、不思議な技、式神を使うことを知っている。筒井屋で心徳寺のお札が鬼顔を近づけさせない力があることを聞いていたので、心徳寺の道観にお願いをして霊力のあるお札を作ってもらうつもりでいた。
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