ぬいぐるみ屋さん

矢野 零時

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第三話 シマリスさん

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 午後三時半。
 丸山小学校に通っている女の子たち五人がぬいぐるみ屋さんに入ってきた。放課後、家に帰りランドセルを置いてから風の子公園に一度集まり、そこからぬいぐるみ屋さんにやってきたのだ。
「いらっしゃい」と、ぬいぐるみ屋さんは笑顔でむかえた。
 先頭に入ってきた夏江。クラスで学級委員もやっているし、父親は市会議員で有名人。夏江といっしょにぬいぐるみ屋さんにきた者たちは夏江の言うことを聞く者たちばかりだった。
 その中に、真理恵がいた。
 背も低く、小学四年なのに一つ下の三年にしか見えない。クラスで仲間はずれをされないためにも、夏江たちのグループに入っていなければと真理恵は思っていた。
「ぬいぐるみ屋さんで好きなぬいぐるみを買うのよ。買ったぬいぐるみを持って公園に戻り、ぬいぐるみといっしょに遊びましょう。そうね。かくれんぼなんかでも、いいわね」
 夏江に風の子公園でそう言われていた女の子たちは、店に入るとすぐにぬいぐるみを見て歩き出した。
 ぬいぐるみの中に本当のクマと思えるほどの大きさのぬいぐるみがあった。思わず、どうしてこんな大きなクマを作ったのか、女の子たちの二人、志野と京子はぬいぐるみ屋さんに尋ねていた。
「これはね。私がであったクマの中で一番大きい月の輪だったんだよ。喉の白い毛が三日月に見えるだろう」
「おばあさんはどこでクマにあったの?」と、志野は聞いていた。
「それは山の中に決まっているだろう。でも、昔の話さ。みんなの前に出てみたいと言い出したのでね。それでぬいぐるみにしてあげたのさ」
「言われた?」
「そうだよ。私の夢の中には、思い出の動物たちが出てきてしゃべるんだよ」
 ぬいぐるみ屋さんの話に志野も京子も目を丸くしていた。
 真理恵はみんなから離れて一人で店の中を見て歩いた。そんな真理恵が肩からさげたバッグの中からキティちゃんの絵が描かれた赤い財布が見えた。いつもなら、財布が見えることはない。だが、いまはバッグの中にお母さんが買ってくれた童話、星の王子さまの本が入って膨らんでいたのだ。少しずつであるが、童話を読み続けていた。
 はみ出した財布を夏江と正美が見つけてしまった。すぐに夏江はいじわるを思いつき、正美に耳打ちをした。正美は夏江に言われたとおりに、真理恵に近づくとバッグから財布を抜き取り、財布の中にあった千円札二枚を取り出し、小銭だけになった財布をゆかに捨てた。その後、正美はうやうやしく夏江に千円札二枚を渡した。すると、夏江は大人が持っているような牛革の財布を出し、札をそれに入れて腰につけたウエストポーチにしまいこんでいた。
「あら、お財布、落ちているわよ」
 夏江は突然ゆかを指さしてみせた。真理恵も夏江の指さした方を見て、そこに置かれた物が自分の財布であることに気がついた。
「あら、どうして落としてしまったのかしら?」
 真理恵は首をかしげながらも、赤い財布をひろい、押し込むようにバッグに戻していた。
 そろそろ何を買うか決めなければならない。先ほど店の中を回っていいなあと思ったウサギの置かれたタナに真理恵は近づいていった。
 やっぱり、これだわ。
 真理恵はウサギに手をかけようとした時だ。真理恵がウサギにふれる前に、背の高い夏江がウサギをつかんでいた。いやがせだ。
「これ、どうお?」
「夏江さんのお部屋にぴったりあいますね」
と、正美がおへつらいを言っている。
 真理恵は唇をかんでその場を離れ、別のぬいぐるみを捜し出した。やがて、それほど大きくはないが、真理恵がしっかりと抱きしめられる大きさのぬいぐるみをみつけた。
 それはリスだった。
 そのリスは、頭から背中を通して黒い縞模様が入っていて、シッポが大きく丸まっている。シマリスだった。
 値段は二千五百円。少し高いが、この値段ならば、買うことができる。真理恵はそれを持ってレジを前にしているぬいぐるみ屋さんの所に行き、シマリスをさし出した。
「はい、これですね」
と言って、ぬいぐるみ屋さんはシマリスを受け取った。
 お金を払おうとして、財布の中を見た真理恵は真っ青になった。財布の中にあった千円札二枚がなくなっていたからだ。
「ぬいぐるみ屋さん、すいません。お金がないんです」
 離れて真理恵を見ていた夏江と正美はあざ笑いの声をあげている。その声を聞いたぬいぐるみ屋さんはすべてを理解していた。
「おやおや、いくらあるのかね?」
 ぬいぐるみ屋さんは、真理恵の赤い財布の中をのぞき込んできた。
「大丈夫だよ。五百円玉があるじゃないか」
「えっ、でも」
 真理恵がそう言った時、ぬいぐるみ屋さんはリスの首につりさげられていた値札を裏返したのだ。そこには、値引き後五百円と書かれていた。すぐに、ぬいぐるみ屋さんは値札を元に戻した。すると、値段二千円の上には赤い×がしるされていた。
 そんな×はなかったはずと、真理恵は目を大きくしながら首をかしげた。そんな真理恵の様子を見ながらも、ぬいぐるみ屋さんは気づかないふりをし続ける。それは、すばやく値段札に×を書き、値段札の裏に値引き後五百円と書きこんだのはぬいぐるみ屋さんだったからだ。
 ほっとした顔の真理恵は財布から五百円玉を出してぬいぐるみ屋さんに渡した。お金を受け取ったぬいぐるみ屋さんは、すぐにぬいぐるみのシマリスに顔を近づけた。
「この子と仲良くして、助けてあげるんだよ」
 ぬいぐるみ屋さんの声を聞いたシマリスの目は輝き出し、まるで、生きている動物のような目になっていた。
「じゃ、包んであげるよ」
「いえ、いいです。抱いて行きます」
 ぬいぐるみ屋さんからシマリスを受け取ると真理恵は両手で強く抱きしめていた。
 何か面白くない。
 夏江は口をとがらしながらウサギのぬいぐるみを右手に抱え、正美はへらへらと夏江にむかって笑い顔を見せながらタヌキのぬいぐるみを持ってぬいぐるみ屋さんの所にいった。志野と京子は、モモンガ、キツネを選んで夏江と正美の後についた。でも、もう、ぬいぐるみ屋さんは、ぬいぐるみに声をかけることはしない。そのせいか、どのぬいぐるみも生き生きとした物には変わらなかった。ぬいぐるみ屋さんは、手際よくどのぬいぐるみも水玉模様のついた包装紙で包み、その後、すぐに同じ水玉模様のついた袋に入れて女の子たちに渡していた。
 
 女の子たちはぬいぐるみ屋さんを出ると公園に行った。
 風の子公園についた夏江は手に提げてきた袋をジャングルジムの側に置くと、みんなの顔を見廻した。
「私たちのぬいぐるみは包装紙の中にあるから、真理恵ちゃんのぬいぐるみを借りて遊ぼう」
 誰からも反対の声は出ない。他の三人は夏江の置いた袋の隣に自分の袋を並べていた。
 夏江は真理恵に近づき、真理恵からシマリスを取り上げた。だが、真理恵はされるままだ。
 夏江はうれしげにシマリスを赤子のように抱きかかえる。すると、シマリスは大きく口を開けて歯を見せた。その顔はぬいぐるみの顔ではなかった。野生の動物が見せる敵意が顔に浮かんでいたのだ。
「えっ」
 シマリスは夏江の腕から抜け出し、夏江が腰につけたウエストポーチの上にのった。すぐにウエストポーチを開け、中から財布を取り出すと千円札二枚を抜き出した。
 シマリスは、夏江の顔を見上げながら、札を歯で細かく裁断していく。そして、細かくなった札を夏江の前に紙吹雪のようにふらせていた。
 夏江はあわてて手を振りバッグの上のシマリスを払い落とした。
 誰もが目を丸くしている。だが、夏江の信奉者たちの前で、これ以上、怯えてみせるわけにはいかない。
 だが、本物のシマリスにしか見えなくなったぬいぐるみに再びふれたくはない。
 シマリスは勝手にウエストポーチから飛び降り真理恵の足元に走った。すぐに真理恵がシマリスを抱きあげると、シマリスは元のぬいぐるみに戻っていた。
「そうだ。私の家で、買ったばかりのぬいぐるみをお互いに見せ合わない。うちなら、サイダーやジュースも置いているわよ」
 夏江の信奉者たちは夏江にうなずいてみせ、夏江は安心したように青い顔に笑みを浮かべていた。
「真理恵ちゃんのぬいぐるみは、もう見ちゃったから、見せに私の家にこなくてもいいわよね」
 夏江について行くことができなくなっても、真理恵は微笑んでうなずいた。シマリスが自分を守ってくれていると思ったからだ。
 自信を持ち出した真理恵はこの日を境に学校でいじめにあうことはなくなっていた。
 やがて、真理恵はさらに動物好きになり、獣医になったのだ。そのことを知らせにきた真理恵とぬいぐるみ屋さんが顔を合わせるのには、さらに二十年という時間が必要だった。



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