玲香哀愁

矢野 零時

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3新たなアルバイト

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 放課後、真治は玲香に一緒に帰ろうと誘った。力になれることがあると思ったからだ。
 だが、玲香は淋しそうな顔をして首を左右に振った。
「もしかしたら、夕刻にできるバイトでもみつけたの?」
「うん。私ね。人体強化訓練所に行くことになったの」
「えっ」と、真治は声をあげて、玲香をみつめた。
「女性でも受けつけてくれたわ」 
 人体強化訓練所の募集ポスターは職員室の掲示板に貼られていた。その隣には自衛隊員の募集をするポスターも貼られ、人体強化訓練所も国が保証している事業の一つらしかった。
 そのポスターには次のように書かれていた。
 
 日本の国を守りたいと考えている若者。そんな若者はぜひ人体強化訓練所の訓練を受けてください。
 参加いただければ、今のあなたよりは堅強な体になることは間違いありません。国を守る人として十分に体を強化したと認められた場合には、人体強化訓練所で防衛大学への入学ができるように推薦をさせていただきます。
 なお、人体強化訓練所の強化を受けてもらう方は、最初に検査を受けてもらいます。検査を受けていただければ、一万円を支給いたします。
 また、検査の結果、訓練を受けるのに相応しい方であることが証明され、今後、訓練に参加していただければ、日々訓練参加料をお支払いいたします。
                 入江口市中央区南三丁目 
                     特殊医療法人  人体強化訓練所

 このポスターを昭と一緒に見て、話をしたことを今も忘れない。人体強化訓練所について、よくないという話をしていたからだった。
 その時のことが真治の脳裏を走っていく。

「兄貴が通っていた公立高校にも、これが貼ってあったらしいよ。これを見て人体強化訓練所に行った人がいた。兄貴の友達で、石島剛さんと言う人。ぼくが高校に入る前の話だけど、ぼくの家にもよく遊びにきていたんだ。だから、ぼくも顔見知りになっていた。でも、ぼくが高校に入った頃には、もう家に来ることがなくなった。剛さんどうしているのと、大学に入った兄貴に聞いたら、高校にいた時から学校に来ることがなくなったと言われたんだ」
「剛さん、どこかに就職をしてしまったということかい?」
「いや、違うと思うよ。剛さんの親から、ぜんぜん家に戻らなくなったと相談されてしまい、兄貴は人体強化訓練所に訪ねていった。そこで、剛さんに会いたいと言ったら、ここにはもういないと言われた。じゃ、いまどこにいますかと聞いたら、分かりませんと言われたそうだよ。その後、剛さんの親たちは警察に行方不明で届けた。でも、警察は届け出を受理しただけで捜査をしていなかったと兄貴は怒っていた」
「つまり、人体強化訓練所はヤバイと言いたいんだね」と真治は声を大きくした。職員室から出てきた体育教師が不審げに睨んできた。真治は目を合わせたくなくて思わず目をふせた。
「小学生じゃないんだから、廊下で大声を出すんじゃない」と言って、体育教師は肩をゆすりながら、通路の右に消えて行った。
 彼がいなくなったので、再び二人は話し出した。
「人体強化訓練所は、いったいなんの組織なんだい?」
「よく判らないけど。そこの訓練生が中東ナイジェリアにボランティア義勇兵として派遣されたって、だいぶ前の新聞に出ていたよ」
「ボランティア義勇兵? やっぱり自衛隊員の養成をしているのかな?」
「さあ、ともかく危ない所には近づかない方がいいと言うことだよ」

 それなのに、玲香は人体強化訓練所の訓練生になってしまった。
 学校で見る玲香の体はじょじょに肩に肉が付きだし、体型も筋肉質になっている。確かに、前よりも健康的になっているとしか見えない。
 だが、玲香の母は清掃会社をやめさせられ、玲香が普通に学校にきていては、母の代わりに弁当の配達もできない。月々の支払は母の病院代も加算されている。それらを人体強化訓練所から貰う参加料だけで補うことができるのか? 分からない。
 やはり、玲香に聞いてみるしかない。だが、お金の話を学校の友達がいる所ですることはできない。だから、直接、玲香に会わなければならないと思っていた。 
 もし、お金の話になった時のことも真治は考えていた。
 真治には大学に入れたら、それを記念して外国旅行をしたいと思って貯め続けている預金がある。その預金のカードを玲香に渡してやろうと思っていた。カードならば、玲香は好きな時にお金をおろすことができるからだ。
 玲香に会える場所として、ピースランドを思い出した。玲香はそこのバイトだけは続けているはずだ。
 その晩、真治は明日のための予習を午後九時に終えることができた。小銭が入っているサイフと預金カードをズボンのポケットに押し込んだ。
 そこで、音を立てないように自分の部屋から階段をおりて裏口に行った。裏口には自分の靴は置いていなかったので、真治はサンダルに足を入れ裏口の戸を開けて家を出た。
 真治は大島公園に行くために右にまがった。公園に沿ってなぞる道路は半円を描いている。その道路を照らすように光っている建物が見え出した。
 ピースランドだ。
 真治はゆっくりと店に近づき、体の重みで自動ドアを開かせた。
 店の中にいる玲香は、客に買われて空いた棚の上に品物を並べ直していた。
 真治に気づいた玲香は驚いていたが、すぐに笑顔を見せてくれた。その顔を見ただけで、真治はこれで帰ってもいいと思った。だが、それでは、ここにきた目的をはたしたことにはならない。玲香と対面するために真治はブラックサンダーと一袋のポテトチップを買った。
 買った物を持って、真治は玲香がいるカンターに近づいた。レジスターを打ち出した玲香を見ながら、話しかける機会をうかがっていた。
 そんな時、突然、玲香の手が止まり、レジスターから顔をあげた。視線は店の出入口の方に向けられている。真治も顔を廻し出入口に向けた。
 忘れられない顔が並んでいた。
 玲香から三千円を取ろうとした三人組だった。
「やっぱり、あの時のねえちゃんだ。昨日、ここにきた時は似ているけど、違うかもしれないと思っていたが、間違いはない」と、ニキビ面が言った。
「なんの用ですか?」
「用があるから、入ってきたんだ」
「本当ですか?」
「あれ、お客さんにその言い方はないだろう」
「あんたらが、お客なわけがないだろう」と、真治は思わず声を上げてしまった。
「あれ、あの時のあんちゃんもいる」
 三人は顔を見合わせ、キツネのように目を細めた。
「三千円を借りそこなったから、今日は三千円ぶんを物で貰って行くかな」と、ニキビ面はにやつき出し、出入口のところに向かって歩き出した。その後を二人が続く。
 そこに積んであるお客用のバスケットを、それぞれ手に一つ持つと、そのバスケットの中に手当たりしだいに物をつめこみ出した。
 騒がしい物音がしたので、物品室から主任の篠原が店内に戻ってきた。
「あなたたち何をやっているんです」
 篠原は、小柄な男の肩に手をかけた。
「なに、しやがるんだ」
 その手を掴んで篠原を引き倒したのだ。篠原は床を転がっていた。
「警察を呼ぶぞ」と、真治が言った。
「あれ、突然、肩に手をかけられたから、祓っただけですよ」
「このままでは、店に迷惑がかかってしまう。外へ出ろ」
「本気のようだね。今度は前のようには行かないぞ」と、背の高い男が真治に近づいてきた。
「逃げようなんて、思わない。まずは外に出ろや」
「駐車場で勝負だ」と、小柄な男はいきがっている。
 真治は先に駐車場に出た。今度は顔の痣一か所だけじゃすまないかもしれないと思っていた。
 店の方を振り向くと、四人が並んで店から出てくる。まずは戦う体制をとらないといけないと思い、サンダルを脱ぎ捨て両腕をあげて身構えた。
 すると、玲香も彼らの後を追って出てきた。そして最初に動き出そうとした背の高い男の足に両手で抱きついたのだ。男は前のめりになって、真治の前に倒れて行った。
 長身の仲間を倒した者を見て、それが玲香だったことを知って三人組の二人は驚きの表情を浮かべた。千円札三枚を取り上げた時には、泣きそうな顔をしていた少女だった記憶しかないからだ。
 だが、今は違う。
 戦う者の鋭い目をこちらに向けてくる。
「この野郎」
 ニキビ面は、玲香に殴りかかった。だが、彼のパンチは空を切った。玲香がその動きを見切ったからだ。背の一番低い男は玲香に抱きつこうとした。連係プレーのつもりだったのだろうが、その手からも玲香は逃れた。
 玲香は人体強化訓練所で強化訓練を受けて、普通の体ではなくなっている。だが、その力がどの程度なのか、玲香本人も知らなかったのかもしれない。
 玲香には、三人の動きがまるで幼子が手足をばたつかせているようにしか見えない。
 そんな風に見られているとは思っていない三人は交互に玲香に襲いかかった。だが、すばやく逃げられてしまう。三人は格闘技の上級者相手に練習をさせられているようなものだった。やがて彼らの全身から汗が噴き出し滴らせていた。
「まだ、やります」
 玲香の言葉に三人は顔を見合わせた。もう余計なことを言う気力もない。
 三人は無言で駐車場から出て行った。
 だんだん小さくなっていく三人の背を見ていた真治は声をあげた。
「すごいね。訓練は成果をあげていたんだ」
 真治の誉め言葉に玲香は顔を赤らめた。
「私の能力では、ありませんわ。人体強化訓練所の訓練のおかげです」
「この動きとスピードがあれば、格闘技の部に入って活躍できるよ」
 すると、玲香は悲しそうに首をふった。
「誰もがそう思うでしょう。ですから、人体強化訓練所では、運動クラブに参加したり、スポーツ大会に出ることを禁止しているのです。もちろん、マスコミの前で披露することもできません。あそこでの訓練は、国のためになる場合に使うことになっているそうです」
 そう言って玲香があげた手の甲の上に小さな蛾がおりてきて止まった。その蛾は、それまで駐車場に立てられた外灯の廻りを飛んでいた蛾だった。羽に色がなく明かりを受けて銀色に光っている。しばらくすると、その蛾は玲香の手の甲に沈み出したのだ。やがて。蛾は玲香の手の中に消えていた。
「これは大丈夫なのかい?」と、真治はうろたえた。だが、玲香は笑っていた。
「これはね。薬のせいだと思うの」
「薬?」
「注射されている薬よ。この蛾は私のDNAと波長があうのね。波長が合えば、こんなことがあるかもしれないと言われていたの」
 玲香は再び笑い出した。玲香がどこか、遠い所に行ってしまったように思え、真治は玲香に何も言えなくなっていた。
 
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