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1赤い靴

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 おかあさんは夕食をマイやおばあちゃんに食べさせると、いつものように仕事に出かけていきました。二人でテレビを見ていたのですが、お笑いの番組も終わると、マイがあくびをしだしたのです。壁にかけられた時計を見ると針は八時をさしていました。
「あれ、お休みの時間がきたようだね」
 そう言ったおばあちゃんはマイの肩に手を置きました。
「まだ、寝たくないな」
「さっき、あくびをしていたじゃないの。お布団に入れば、すぐに眠れますよ」
 マイはおばあちゃんに手をひかれ、寝室に行ってマイは布団の中に入りました。
「おばあちゃん、お話をして」
「目がさめてしまったのかい。それじゃ何がいいかね」
「今日、レイナちゃんは赤い靴をはいてきていたの。だから、赤い靴の話がいいわ」
「そうかい。赤い靴の話だね。若い頃は私も赤い靴にあこがれを持っていたものさ」
 少しの間、おばあちゃんは首を傾げていました。
「大きな都市まちにある病院の院長さんの家に住み込んでお手伝いさんをしていてね。そこでは、静枝さんと呼ばれていたんだよ。じゃ、その頃のお話をしてあげるよ」と言って、おばあちゃんは話を始めました。
                  ◆
 静枝さんは、院長さんの好意で夜学の高校に通わせてもらっていたのです。だから、毎月もらうお手当は、本当に数万円しかもらっていなかったのでした。
 その日は日曜日。
 奥さんに言われて買い物をした帰り道。静江さんが公園の道を歩いていると人だかりができていました。のぞいてみると、白髪の老人がいくつもの靴を並べて売っていたのです。
「本当ならば、ちゃんとした店におろすところなんだが、靴を作っている会社がつぶれてしまってね。そこに勤めていた私は、退職金がわりに靴を渡されてしまった。これを売らないと暮らしていけないんだよ」
 置かれている靴の中に赤い靴がありました。赤いと言っても真っ赤ではなく、しぶめの落ち着いたレンガ色。どこにでも、はいていけそうな靴でした。
「いくらなのですか?」と、思わず 静枝さんは聞いていました。白髪の老人が言った値段は普通の靴の三分の一の値段だったのです。思わず買いたくなってしまいました。
「どうだね、はいてみたら」
「はいてみてもいいんですか?」
「見ていただけでは、わからないだろう」と言って、白髪の老人は長い柄のついた靴ベラを渡してよこしたのです。そこで、静枝さんは靴に足を入れてみました。足は靴にすっと入っていきました。残った方の足も入れてみました。その足も靴の中にすっと入れることができたのです。
「お似合いだね」
 そう言われた静枝さんは、すっかり赤い靴が欲しくなってしまいました。
「これ、もらってもいいかしら?」
「ほう、お嬢ちゃん、買ってくれるのかい?」
「ええ」と言って、静枝さんは靴を脱いで、白髪の老人に返しました。老人は靴を新聞紙につつみ、「千円で交換だね」と言いながら、それを白い袋に入れて静枝さんに手渡してくれたのです。静江さんはあわてて財布の中から千円札をだして白髪の老人に渡しました。千円札を出すと、静枝さんの財布の中には硬貨しか残っていませんでした。
 それでも静枝さんは幸せな気持ちで院長さんの家に帰ることができました。笑ってばかりいましたので、「静枝さん、どうかしたの?」と奥さんに聞かれてしまいました。
 次の日、静枝さんは高校に行く時に赤い靴をはきました。学校に行くときはよかったのですが、帰りには靴の底がはがれてしまったのです。しかたなく、靴を手に持って、裸足で院長さんの家に帰ったのでした。
 次の日。靴を買った場所に行ってみたのですが、白髪の老人の姿をみつけることはできませんでした。院長さんの家に戻った静枝さんは、玄関でかがんで赤い靴を見ていると、思わず涙が出てきてしまいました。
「何をやっているんだい?」
 声がした方に顔をむけると、院長の息子、俊之さんが立っていました。
 俊之さんは、大学受験に失敗をして予備校に通っていましたので、予備校に通う以外は自分の部屋に閉じこもっている人でした。静枝さんが見ていた靴を手にとり、靴底がはがれかかっているのをしばらく見つめていました。
「ふだんはいていく靴はあるんだろう?」
 静枝さんは大きくうなずきました。
「これは、ぼくが預かっておくよ」と言って、俊之さんは笑い、両手に靴をさげて自分の部屋に戻っていきました。
 半月後、俊之さんは、静枝さんの部屋に白い箱を手に入ってきたのです。
「はい、これ」と言って、俊之さんは静枝さんに箱を渡しました。
「なんですか?」
「開けてみたら」
 そう言われたので、箱を開けると、中に赤い靴が入っていたのです。それも靴の裏がとれかかっていたあの靴です。
「はいてごらん」と言われたので、畳の上にその靴を置きはいてみました。足にぴったりあって、靴の底も丈夫な物になっていました。
「ありがとうございます」
 何度も静枝さんは俊之さんに頭をさげていました。
 俊之さんは優しい人でしたが、強い人ではありませんでした。父親である院長さんに一流の医科大学に入って病院を継ぐように、いつも言われていたのです。その叱責をうけると、俊之さんはいつも頭をさげているだけでした。その後、自室に戻った俊之さんは、ひと晩じゅう咳をし続けていました。
 俊之さんの机の引き出しには、咳止めの薬エフェドリンの錠剤がたくさん入っていたのです。そんな秘密を静枝さんが知っていたのは、俊之さんが予備校に出かけた後、俊之さんの部屋に入っていつも掃除をしていたからでした。
                  ◆
「春がくる前に院長さんの家を出てしまったので、俊之さんが大学に入ったかどうか、私にはわからなかった。でも、だいぶ前になるけれど、新聞記事を読んで知ることができたのよ。その新聞には、名医紹介という記事で、お医者さんになった俊之さんの写真と紹介文がのっていたからね」と言ったおばあちゃんは嬉しそうに笑っていました。
「どんな女の子でも赤い靴の思い出を一つや二つ持っているものなんだよ」と言って、おばあちゃんがマイを見た時には、マイはもう目をつぶり眠っていたのでした。



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