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 第二章
 二週間後、勤務先の高校からギヨーム・アドランが帰途につくと、そこではロリーヴ氏が待っていました。歴史教師をしているアドランは、いつも服装に気を使っている背の高いお洒落な自分が、この背が低く見た目も良くないロリーヴ氏といるところを教え子に見られたくないのです。けれど「極秘の情報がある」と言われて仕方なく一緒に歩き始めました。
 その秘密とは、ジェラール・ボワルデューはカーン市で最も豪奢な屋敷に母と住んでいながら、食料品店の二階にアパルトマンを借りているらしいというものです。それはつまり、ユゲット以外にも隠れた恋人がいるのではないかという可能性が……。しかもロリーブ氏は木曜日に三女ロランドが、土曜日に長女ロベルトがその部屋を訪ねて行ったのを目撃したのでした。
 「うちを見張っているのか!」と怒るギヨーム・アドラン。「私は貸した金を返してもらえなかったら家を売る権利を持っている。だから家族を見張る必要がある」と相手に開き直られてしまいます。
 さて果たして悪徳商人(?)ロリーヴに、この家を売る権利はあるのでしょうか。
 結論から言うとあります。けれどロリーヴが手にできるのは、貸した金額の六万フランと利息分だけです。欧米では普通は家の価値が年月の経過とともに上がるので売価から六万を差し引いた残りの金額はアドランのものになります。けれどそれだけでこの家を買い戻すのにはお金が足りないので、一家には引っ越しが必然となってくるわけですね。
 ギヨーム・アドランが帰宅すると、ロランドの部屋のカーテンでコレットが庭にテントを作ろうとしている件で言い争いの真っ最中。
 その一方で買い物好きのアドラン夫人は、いつも贅沢なものを買ってきてはロベルトが店に返品に行ってなんとか光熱費が払えるように家計のやりくりをしているという、頭の痛いことが次々に起きる一家でした。
 長女ロベルトが先週ジェラールのアパルトマンを訪ねたのは、電気代を払うお金がなくて彼に借りに行ったためです。
 一方三女ロランドは父の部屋で問われるままに、ジェラールのアパルトマンに行ったのを認めました。父親には嘘をついたことがないというロランド。彼女はユゲットが、22歳にしては世間知らずなのを心配して、妹との結婚に真剣なのかどうかを確かめに行ったのだと説明しますが……。娘が何か別のことを隠しているようなので、本当のところはどんな話をしたのか探ろうとするアドランに、「内容はパパには絶対言えない」と頑なに心を閉ざすのでした。そしてこれから水曜日の映画には、自分も妹たちに同行すると宣言します。
 フランスは水曜日の午後学校が休みなので、高校生のココとミミを姉が映画に連れて行くのはよく見られる光景です。でも、ロランドも薬局から早めに帰宅するつもりなのでしょうか。というよりユゲットの電信電話会社のほうが早退するのは難しそうな気もします。けれど無料で映画を見られるらしいので、公社に努める特典で無料鑑賞券をもらえたのかもしれませんね。
 ここまでの一章と二章で、少女の可愛らしさを描いた小説ではなく、この先一家はどうなるのだろうという展開が楽しみな作品なのだとわかってきます。「若草物語」に似ている設定ですが、姉妹の誰が隣家の青年を射止めるか、みたいな乙女心を描いたものとは異なる世界です。

 第三章は急展開を見せます。
 例のごとくやってきたロリーヴ氏に、その日の午後ロランドとジェラールが一緒に車に乗っていたのを見たと告げられ、ギヨーム・アドランは怒りで震え上がるのでした。しばらく口論が続き、今まで聞いたこともない父の怒声に驚いている階下の娘たち。いきなり激しい音を立てて彼の部屋のドアが開きました。アドランは「出て行け!」と言い放ちます。
「そんな……、そんなこと……。いい加減にしろ! 借金の取り立て人を呼ぶがいい。私はいっそ、夜空の下で家族と眠るほうを選ぶ!」
 と怒鳴りつけ、ロリーヴ氏を追い出します。売り言葉に買い言葉で「もう支払い期限を待たない」と言い渡されたので、一家はどうやら引っ越す羽目になってしまったようなのです!
 夕方になってもロランドが帰宅しません。心配して薬局まで迎えに行ったギヨーム・アドランですが、まだ定時の七時になっていないし、彼女がジェラールと一緒だったという情報もさっき聞いたばかりなため、薬局の中に入る勇気がなく外で待っていると、とうとう娘は出て来ず薬局はシャッターを下ろしてしまいました。
 一旦帰宅してロランドを待つアドランは、後刻いたたまれなくなってジェラールが借りているアパルトマンを訪ねて行きます。けれど期待とはうらはらに、そこには誰もいませんでした。

 翌日コレットは、以前ロランドが一家の友人のアラフォー図書館員にプロポーズされたとき、自分が35歳になってもまだ独身だったら結婚してもいいと返事していたのを思い出します。
 そしてユゲットは、前回映画を見に行った時のことを考えていました。ジェラールはユゲットとロランドの間に座っていたのですが、彼が自分よりロランドのほうに上体を傾けていたように思えてならないのです。
 作家ジョルジュ・シムノンは、家族みんながロランドを心配している場面に数行だけミステリアスなシーンを挿入してきます。
『ロランドは物置で古いトランクに座って、屋敷中の音に耳をすませていた。小さな天窓があるだけの部屋……、その時ジェラールがドアを開けた……』
 一体彼女に何が起こったんだろうと読者は興味をそそられますよね。もしかしたら誘拐? さすがは著名なミステリー作家です。ちなみに「物置」というと埃っぽいイメージですが、先を読んでいくにつれてゲスト用の寝具もしまってあるので、ウォーキング・クロゼットのかなり大きなものに近い印象を受けます。
 その間アドラン家のみんなはというと、ロランドはいつも自分が一番でいたい人だから、ユゲットから婚約者を奪ったのではないかと考え始めていました。確かにジェラールが訪ねてきた日、サイエンス専攻の彼は薬剤師ロランドと楽しそうに科学の話をしていました。
 実はロランドの行方不明の経緯はこうでした。
 薬局を早退しジェラールの車で運転を教わっているうちに、いつのまにか二人の乗った車は渓谷にたたずむ城の前まできていました。
「ボワルデューのマナー・ハウスだ」
 ぽつりと言うジェラール。いずれは彼女も招待するつもりだった彼は、ロランドを伴って中に入っていきます。二人で話をしていると、ふいに車が到着。普段はカーン市の邸宅にいるジェラールの母が急にやってきたのです。年に数回しかマナー・ハウスに来ないはずなのに、なんという運の悪さでしょう。ロランドをこっそり帰らせる道はありません。ジェラールは彼女を物置に閉じ込め、母の相手をしながら時々目を盗んでロランドに食料を届けるのが精一杯でした。
 母親に紹介するには、前もって知らせておかなければならない家柄なんでしょうか。100年近く前の物語なので、これがユーモアというか……、でもジェラールの頼りなさがダダ漏れです。繰り返しになりますが、女性の胸をときめかせる小説ではないので、その辺は期待しないほうがいいみたいです。

 第四章、その夜ギヨーム・アドランは家族に用事があるとだけ告げて出かけます。まもなく近づいてきた足音――それはコレットのものでした。家で待っていなさいと諭す父でしたが「パパがどこに行くのか知ってるわ」と彼を見上げるココ。コレットは家族の中で誰よりも父のことを気にかけているのです。霧の濃い寒い夜……、遠くから聞こえてくるのは路面電車の音だけ……。
 やがて二人の目前に現れたのは、広大な庭に馬車が止まっている大邸宅でした。門の両脇にパビリヨン(小さな家)があり、庭の奥の夜霧に浮かぶボワルデュー邸はとても重々しい印象です。ココは「パパがちゃんと落ち着いて対応できたら一人で行かせてあげる」などと、門の近くのガス灯の下で父を待っていることを自ら提案します。こんな時間に十代の娘をつれて訪ねるのは非常識だと思われるので、父の面目まで考えているのだとしたら恐れ多い16歳です。
「ジェラール・ボワルデュー氏と話をしたい」
 アドランが執事に告げると、彼は昨日からマダムと共にマナー・ハウスに滞在しているという答えが返ってきました。
 待っていたココは、ジェラールが母親と一緒ならロランドは別の相手のところだと推理します。娘がそんなに大人の事情に詳しいなんて、お堅いギヨーム・アドランは好ましく思っていません。けれど結局それ以外の可能性も見出せないため「これ以上首を突っ込むのは、やめなさい」とたしなめるしかできないのでした。
 ボワルデューの邸宅に向かう途中ココが父に追いついてくる描写はとてもサスペンスっぽいし、霧の中を親子が歩いている背景に路面電車が走っていて、まるで映像が浮かんでくるようです。
 このあたりのシーンはシムノンが、わざと読者を混乱させるために場面展開をしているように思えます。ジェラールの住んでいるところは三箇所あるので、注意深く読んでいないと、アドランとコレットがロランドの居場所を突きとめたのかとこちらの緊張を誘っておいて、執事の返事で「いない? おかしいな」と一瞬まどわされて、すぐに「別の家だった」と読者は思い出すわけですが、もしこれが文章でなく映像で表現されていたら、もっと混乱させられるかもしれません。叙述トリックにも少し似ていますよね。
(つづく)
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