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3章・動乱の大英帝国

エンゲルス、労働者にスポーツをさせる

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 野球のルールにのっとりつつも、バットで小さなボールを打つのではなく、転がってきた大きなボールを蹴っ飛ばすスポーツ……キックボール。
 日本では主にキックベースという名前で知られている。小学校レベルなどで遊んだこともあるという人もいるかもしれない。
 世界各地でも主に児童、あるいは女性向けの競技として確立されている。
 野球の難点の一つに、ボールが小さいうえに硬いので危険性が高いというものがある。サッカーと同じサイズの大きめのボールであれば、危険性は小さくなる。だから、子供でも安心してできるというわけだ。
 このキックボール、20世紀初頭に子供に野球のルールを教えるための一環として、アメリカで始められるようになった。その後、世界に広まり、アメリカ大陸や韓国などでプレーされている。
 つまり、1856年時点では本来存在しないスポーツである。
 それを思いつくというのはエンゲルス、中々やる。
 エンゲルスはマルクスよりも戦争の分析に詳しかったと言われている。マルクスのように理論を構築することは苦手でも、ちょっとした創意を凝らすことは得意だったのかもしれないな。
「キックボールならボールもすぐ揃えられるし、ベースはいくらでも代用品がある。最初はこっちから始めるのがいいんじゃないか?」
「ふむう……」
「そもそも、運動が苦手な人にとっては、ボールをバットで打つのも結構難しいし」
 何せ、野球では三割打てば一流打者と言われているのだからな。
 難しいという言葉に、マルクスも心動いたようで、仕方ないと頷いた。
「分かった。そうしよう」

 ということで、エンゲルスは工場の労働者にレクリエーションとしてキックボールをやらせることになった。
「結果が上々なら連絡するよ」
 そう言い残して、彼はマンチェスターへと向かっていった。
 俺達はまたホテルに戻り、マルクスも途中まで一緒についてくる。
「……あんたはマンチェスターに行かないのか?」
 せっかくエンゲルスに勧めたのである。自分の目で確認してみた方がいいのではないだろうか。そう思って聞いてみたが、マルクスは「無理だ」と首を横に振る。
「吾輩はフリードリヒに革命運動を勧めたとして、エンゲルス家から出入り禁止処分を受けている。吾輩がついていけば、フリードリヒの立場も悪くなるだろう」
「……そういう理不尽とは、戦わんの?」
 よくよく考えてみれば、エンゲルスはトップクラスとは言えないにしても資本家であって、マルクスにとって倒すべき相手になるんじゃないだろうか……?
「何を馬鹿なことを言うのだ。フリードリヒがいなければ、吾輩は餓死してしまうではないか」
「ま、まあ、そうなんだろうけれど」
 うーん、この開き直りっぷりときたら。
 このあたりの不徹底さが、マルクスが怪しいんじゃないかというところになるんじゃないかなあ。

 ともあれ、俺達は二週間ほどをロンドンで過ごした。
 その間、総司はボクシングがあると聞いたら、馬車で出向いて観戦に行っている。
 俺はフランス行きのタイミングを見計らって、出航予定の船などを調べる。
 ちなみにバーティーに関する消息については全く聞こえてこない。恐らく、王室で秘密裏に海外送りにしたんだろうな。
 とはいえ、あいつはあいつで海外の方が水に合っていそうな様子もある。最後、別れた時に俺に後の皇后エリーザベトのことも話していたし、な。エリーザベトもハプスブルク家という欧州最大の名門の水に合わず、隙を見てはウィーンの外を旅行していた存在だ。要は国にとってはとんでもない問題児皇妃ということになる。
 問題児王子と、問題児皇妃、馬が合うのかもしれない。国民にとっては溜まったものではないのかもしれないが。
「ミスター・リンスケ、手紙が来ています」
 そんなことを考えながらホテルに戻ったら、ボーイが手紙を持ってきた。
 手に取ってみるとエンゲルスからのものだ。

『こんにちは、ミスター・リンスケ。
 この前、君とカールに勧められたキックボールを労働者にやらせてみたら、ほとんどの者が楽しんでいたよ。隣の工場でも結構人気でね。休み時間に対抗戦をやるなんて話にもなっている。
 カールとも今後連絡を取り合うつもりだが、キックボールの催しをすれば、これまで以上に多くの労働者を団結させることができそうだ。
 君の知恵には非常に感謝している。今度マンチェスターに来てくれたら、美味しいステーキをご馳走したい。ひとまずお礼まで。
 フリードリヒ・エンゲルス』

 どうやら、うまくいったらしい。
 労働者が団結、という言葉には不穏なものを感じるのだが、本来の形でマルクスとエンゲルスが革命路線を歩み続けるよりは、世界にとっていい結果になるんじゃないかな。
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