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3章・動乱の大英帝国
燐介、ラグビー発祥の謎に迫る②
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ラグビーもバスケットボールと共に起源についてはっきりしている競技である。
すなわち、『1823年、有力私立高校であったラグビー・スクールでフットボールの試合をしていたところ、唐突にウィリアム・ウェッブ・エリスという名前の少年がボールを手に持って走り出した』ことから始まったと言うのである。
日本でラグビーといえばスポーツのラグビー以外ありえない認識だが、実際にはイギリスにはラグビーという地名がある。その地にあったラグビー・スクールから生まれたから、ラグビー式フットボールという形で広がった。
それが1871年に協会式フットボールつまりサッカーから分岐《ぶんき》して今に至る。
そういうわけで、ウェッブ・エリスがラグビーの創始者のように扱われており、ラグビー・ワールドカップの優勝チームに与えられるカップの名前もウェブ・エリス・カップである。
一方で異論もある。というのも、これを裏付ける資料というのがマシュー・ブロクサムという男が書いた文献のみであり、しかも、本人が直接見たものではなく伝聞という形式で書かれているのだ。
19世紀末に「本当にエリスが最初に始めたのか」ということを調べ始めたが、結局はっきりとしたことは分からなかったという。
そのウェッブ・エリスが俺達の眼前にいる。
ということは、ラグビー発祥の真相を聞くチャンスがあるのではないか。
「どうかしましたか?」
俺がしげしげと眺めているのを奇異に感じたのだろう、エリスがけげんな顔をしている。
「ああ、すみません」
俺は失礼を詫びながらも、どうやって聞き出したものか思案する。
「エリス牧師はオックスフォード大学を出ていたのですか」
「そうですよ。ラグビー・スクールからオックスフォードへと進みました」
「ラグビー・スクールと言いますと、ラグビー式フットボールというものもありますよね」
「よくご存じだ」
エリスは心底驚いたのだろう、びっくりした顔を俺に向ける。
「お恥ずかしいことではありますが、あれは私達が始めたんですよ」
「本当ですか!?」
俺が思わず立ち上がったのを、山口が「落ち着かんか」と肩を押さえる。
エリスも面食らったような顔をしている。本人にとっては些事《さじ》なのだろう。ただ、本人にとっては些事でも21世紀から来たスポーツ好きには一大事なのだ。
「えぇ……。私はラグビー・スクールでもクリケットの名手として知られていましてね。自慢ではないですが、私達のクリケット・チームは付近では敵無しでした。女生徒からの人気も凄かったものですよ」
ふうむ、出て来る話はクリケットのことばかりだな。
実際にクリケットの試合を見に来ているのだし、余程好きなんだろうということがうかがえる。
「だから、フットボールが好きな面々からは妬まれていましたね。彼らから一度フットボールをしようと誘われたんですよ。クリケットのうまい我々をフットボールでコテンパンに負かして、恥をかかせようとしたのでしょう。彼らは観衆も大勢呼んできました」
「なるほど……」
スポーツ部同士の争い、今でもちょくちょく聞く話だ。
「苦手な競技で恥をかかせようというのはさすがにいただけません。だから、他のメンバーと話をして、フットボールの面々が知らないルールを作って、それで対抗しようとしたのです。具体的にはボールを手で持っても構わないルールに、更に走っても構わないルールをつけてみようじゃないかと」
ボールを手で持って構わないルール形式があったというのは意外だが、それはあくまで20世紀後半以降の協会式しか知らない人間だから言えることである。
昔は両チームが合意すればルールを変えることもできた。
「そのルールでどう戦うかを徹底的に考えたのです。試合当日、私達は『苦手なフットボールをするのだからハンデが欲しい』とルール変更を申し出て、相手も認めました。試合が始まると向こうはボールを持って突進する私達を止められなくて、結局8-3で楽勝したという訳ですよ。それが広まって、ラグビー式フットボールが生まれたようですね」
エリスの話ぶりを見ていると、誇らしいことをしたというよりは、大人げないことをしてしまったというような様子が見える。
喚声が上がった。
「やれやれ、全く終わる気配がありませんね」
ケンブリッジ大学OBチームがどんどん点差を広げている。
点が入るのが普通の競技だから、理論上はどんな点数でも逆転しうるのではあるがそれでも限度はあるようだ。エリスの目にはオックスフォード側は敗色濃厚と見えたのだろう。
「全く、ケンブリッジなんかに負けて情けない」
「まあ、でも、ケンブリッジ大学も優秀じゃない?」
さすがに19世紀の今はそうした評価がないだろうが、2022年時点ではオックスフォードもケンブリッジも世界トップ5の大学として認識されている。あとはハーバード、スタンフォード、マサチューセッツ工科大学だがこれらは全部アメリカの大学だ。だから現時点では英国の二つが世界のトップと言っても過言ではない。
「冗談ではありません。そもそもケンブリッジごときとは歴史が違います。それに聞いた話によりますと、女王陛下はプリンス・オブ・ウェールズ(英国王子)を我がオックスフォードに入学させる方針なのだとか」
「へぇ……」
やばいな。愛校心を刺激してしまったらしい。
その後しばらく、俺達はエリスのオックスフォード談義を聞かされる羽目になってしまった。
結局のところ、ウェッブ・エリスがラグビー創設に関わったことは間違いがないようだ。ただ、彼が一人で考案したのではなく、他の数名と共同で考案したということなのだろう。
その事実が分かっただけでも、非常に有意義だったが、その満足感ゆえに、尾行してくる何者かがいるかもしれないということはすっかり頭から抜け落ちていた。
作者注:エリスの話については、あくまで作者の想像であり、何らかの資料などを基にしたわけではありません。
すなわち、『1823年、有力私立高校であったラグビー・スクールでフットボールの試合をしていたところ、唐突にウィリアム・ウェッブ・エリスという名前の少年がボールを手に持って走り出した』ことから始まったと言うのである。
日本でラグビーといえばスポーツのラグビー以外ありえない認識だが、実際にはイギリスにはラグビーという地名がある。その地にあったラグビー・スクールから生まれたから、ラグビー式フットボールという形で広がった。
それが1871年に協会式フットボールつまりサッカーから分岐《ぶんき》して今に至る。
そういうわけで、ウェッブ・エリスがラグビーの創始者のように扱われており、ラグビー・ワールドカップの優勝チームに与えられるカップの名前もウェブ・エリス・カップである。
一方で異論もある。というのも、これを裏付ける資料というのがマシュー・ブロクサムという男が書いた文献のみであり、しかも、本人が直接見たものではなく伝聞という形式で書かれているのだ。
19世紀末に「本当にエリスが最初に始めたのか」ということを調べ始めたが、結局はっきりとしたことは分からなかったという。
そのウェッブ・エリスが俺達の眼前にいる。
ということは、ラグビー発祥の真相を聞くチャンスがあるのではないか。
「どうかしましたか?」
俺がしげしげと眺めているのを奇異に感じたのだろう、エリスがけげんな顔をしている。
「ああ、すみません」
俺は失礼を詫びながらも、どうやって聞き出したものか思案する。
「エリス牧師はオックスフォード大学を出ていたのですか」
「そうですよ。ラグビー・スクールからオックスフォードへと進みました」
「ラグビー・スクールと言いますと、ラグビー式フットボールというものもありますよね」
「よくご存じだ」
エリスは心底驚いたのだろう、びっくりした顔を俺に向ける。
「お恥ずかしいことではありますが、あれは私達が始めたんですよ」
「本当ですか!?」
俺が思わず立ち上がったのを、山口が「落ち着かんか」と肩を押さえる。
エリスも面食らったような顔をしている。本人にとっては些事《さじ》なのだろう。ただ、本人にとっては些事でも21世紀から来たスポーツ好きには一大事なのだ。
「えぇ……。私はラグビー・スクールでもクリケットの名手として知られていましてね。自慢ではないですが、私達のクリケット・チームは付近では敵無しでした。女生徒からの人気も凄かったものですよ」
ふうむ、出て来る話はクリケットのことばかりだな。
実際にクリケットの試合を見に来ているのだし、余程好きなんだろうということがうかがえる。
「だから、フットボールが好きな面々からは妬まれていましたね。彼らから一度フットボールをしようと誘われたんですよ。クリケットのうまい我々をフットボールでコテンパンに負かして、恥をかかせようとしたのでしょう。彼らは観衆も大勢呼んできました」
「なるほど……」
スポーツ部同士の争い、今でもちょくちょく聞く話だ。
「苦手な競技で恥をかかせようというのはさすがにいただけません。だから、他のメンバーと話をして、フットボールの面々が知らないルールを作って、それで対抗しようとしたのです。具体的にはボールを手で持っても構わないルールに、更に走っても構わないルールをつけてみようじゃないかと」
ボールを手で持って構わないルール形式があったというのは意外だが、それはあくまで20世紀後半以降の協会式しか知らない人間だから言えることである。
昔は両チームが合意すればルールを変えることもできた。
「そのルールでどう戦うかを徹底的に考えたのです。試合当日、私達は『苦手なフットボールをするのだからハンデが欲しい』とルール変更を申し出て、相手も認めました。試合が始まると向こうはボールを持って突進する私達を止められなくて、結局8-3で楽勝したという訳ですよ。それが広まって、ラグビー式フットボールが生まれたようですね」
エリスの話ぶりを見ていると、誇らしいことをしたというよりは、大人げないことをしてしまったというような様子が見える。
喚声が上がった。
「やれやれ、全く終わる気配がありませんね」
ケンブリッジ大学OBチームがどんどん点差を広げている。
点が入るのが普通の競技だから、理論上はどんな点数でも逆転しうるのではあるがそれでも限度はあるようだ。エリスの目にはオックスフォード側は敗色濃厚と見えたのだろう。
「全く、ケンブリッジなんかに負けて情けない」
「まあ、でも、ケンブリッジ大学も優秀じゃない?」
さすがに19世紀の今はそうした評価がないだろうが、2022年時点ではオックスフォードもケンブリッジも世界トップ5の大学として認識されている。あとはハーバード、スタンフォード、マサチューセッツ工科大学だがこれらは全部アメリカの大学だ。だから現時点では英国の二つが世界のトップと言っても過言ではない。
「冗談ではありません。そもそもケンブリッジごときとは歴史が違います。それに聞いた話によりますと、女王陛下はプリンス・オブ・ウェールズ(英国王子)を我がオックスフォードに入学させる方針なのだとか」
「へぇ……」
やばいな。愛校心を刺激してしまったらしい。
その後しばらく、俺達はエリスのオックスフォード談義を聞かされる羽目になってしまった。
結局のところ、ウェッブ・エリスがラグビー創設に関わったことは間違いがないようだ。ただ、彼が一人で考案したのではなく、他の数名と共同で考案したということなのだろう。
その事実が分かっただけでも、非常に有意義だったが、その満足感ゆえに、尾行してくる何者かがいるかもしれないということはすっかり頭から抜け落ちていた。
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