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2巻
2-1
しおりを挟む第一話 波乱の予感
「きゃー! アルライン様よ!」
「ま、まさか、こんなに早く出会えるなんて……」
「噂通りかっこいいですわ」
俺――アルラインは王立魔法学園の廊下を歩きながら、思わずため息をつきそうになるのをぐっとこらえた。俺のどこがそんなにいいのだろうか。
王国中を震撼させた王都動乱から三年が経った。日本に住む普通の青年だった俺が、この世界に転生して十三年。神様にもらった強力な加護で動乱を収めた俺は、学園の四年生になって悠々自適な学園生活を……送れていなかった。あの事件によって俺の顔と名前が知れ渡り、あまつさえ爵位までもらってしまったために、多くの面倒ごとが持ち上がったからである。
一つは多くの人間がゴマをすってくるか、怖がって近づいてこなくなったこと。
もう一つは大量に向けられる好奇と尊敬の眼差しだ。
王都動乱後に俺は叙爵されて伯爵となった。十歳でだ。当たり前だがその功績は他に類を見ないもの。結果、おこぼれに預かろうという者、反対に力を恐れる者が出てきたのだ。
そうでない者たちですら好奇や尊敬の視線を向けてくる。そのせいで、元からあった隻眼の神子という呼び名とともにあることないこと噂されるようになっていた。加えて近くを通るたびに聞く少女たちの悲鳴。正直うっとうしい以外の感想を持てない。俺には可愛い婚約者がいるからな!
その婚約者を思い笑みを浮かべた時だった。
「きゃっ!」
「おっと」
考え事に没頭して不注意になっていたようだ。突き当たりを曲がろうしたところで、女の子とぶつかってしまった。体勢を崩した女の子の腰に手を回して支える。
「すみません、考え事をしていて。大丈夫ですか?」
「大丈夫で……っ⁉」
女の子が言葉の途中で目を見開いて、固まってしまった。
「どうかしましたか?」
「い、いえ、その、えっと……」
慌てふためく女の子の様子に、怪我でもさせてしまったかと青ざめた時――
「アルくん?」
馴染みのある声に呼ばれて振り返ると、少し離れたところから銀髪の少女がこちらを見ていた。リルベルト王国の王女で俺の婚約者のシルティスクだ。彼女はこの三年で背が伸びて体がほっそりし、顔つきにはまだ十三歳の少女らしいあどけなさが残っているものの、大人っぽい雰囲気を纏うようになっていた。
そんな愛らしい婚約者の姿にテンションが上がりかけるが、すぐに何かがおかしいと気が付いた。普段目が合うと微笑んでくれる彼女が、今は顔を青ざめさせ口を押さえていた。その手は微かに震えている。
「シル? どうかした……?」
俺は不安に思って呼びかけるが、返事はない。そして……
「シルっ⁉」
彼女はくるりとこちらに背を向けると、走り去ってしまった。
「ちょっ……⁉」
思いもよらぬ行動に呆然とする。だが、未だに女の子を支えているために追いかけられない。もどかしく思いながらも丁寧に女の子から手を離す。
「あっ……」
女の子が小さく声を漏らしたのが聞こえたが、それを気にする余裕は今の俺にはなかった。
「怪我はないですか?」
「大丈夫ですわ。支えてくださってありがとうございます。それで、あの……」
「すみません、婚約者を追いかけたいので僕はこれで」
「あ、はい……」
女の子の言葉を強引に遮って背を向けた。
女の子と別れると、俺は人気のない場所に素早く移動した。シルがいる場所は大体予想がついている。
「こっちのほうが早いだろう。〈転移〉」
一度行った場所に瞬時に移動できる〈転移〉を発動する。
今は一刻も早くシルに会いたかった。
転移した場所は生徒会室だった。今年の生徒会長はシル。副会長は俺だ。
この学園では最上級生である五年生が卒業試験のために行事に関わらなくなるため、代わりに四年生が生徒会を運営していく。
シルが生徒会長になるのは極めて自然なことだった。王女という立場もあるし、魔法の実力だって俺に次ぐレベルで優秀だから。そして、入試をトップで通過した特別待遇生であり、シルの婚約者でもある俺が副会長にならないというのもありえなかった。
生徒会室はよく二人で過ごす場所で、かつ生徒会メンバー以外の立ち入りが禁止されている。いるならここだろうと思って来たが果たして……
「シル……?」
いた。しかも泣いていた。恐る恐る呼びかけると、目をこすって俺を見る。シルは俺が急に現れても驚かない。転移に慣れてしまうくらい、俺たちが一緒に過ごしてきた時間は長い。
俺を見つめるその目に浮かんでいるのは、怒りとほんのちょっとの寂しさだった。
「アルくん……」
シルがポツリと呟いた。その声は少し枯れている。
「どうしたの? 僕が何かしちゃったかな?」
「……」
俺の言葉にシルは俯いた。そばに行き抱き寄せようとすると、体をちょっとこわばらせる。拒絶に近いその仕草に頭を殴られたような衝撃を受けた。
それでも平静を装う。格好悪い姿を見せるわけにはいかない。
「シル、僕に何か問題があったなら教えてほしい。僕たちは婚約しているのだから、言いたいことは言い合える関係になりたいな」
すると、少しだけシルの顔が上がる。シルは逡巡すると、思い切ったように口を開いた。
「……アルくんにとって私って、ただの婚約者なの?」
思わぬ問いに瞠目する。なぜそんな質問をされたのかわからない。だが、不安そうなシルを見ると、考えるより先に言葉を発していた。
「シルは僕にとって大事な、大好きな婚約者だよ。決して『ただの』婚約者なんかじゃない」
「じゃあ!」
珍しく声を荒らげるシルに驚かずにはいられない。しかし、続く彼女の言葉は弱々しかった。
「さっきのは……何?」
「さっきのって?」
「女の子の腰を抱いていたじゃない」
シルの言葉に思わず口をポカンと開けた。そこでやっと、俺は彼女が勘違いしていることに気が付く。
「シル、さっきのは僕の不注意でぶつかって、あの子が危うく転んでしまうところだったから支えただけだよ。そもそも初対面だし、決して彼女に好意を持っているわけじゃない」
「……ほんと?」
探るように俺を見上げるシルの瞳を覗き込み、力強く頷く。
「本当だよ。僕が好きなのはシルだけだ」
俺たちは少しの間見つめ合う。ラベンダー色の瞳が俺の心を見透かそうとじっと注がれる。その間、俺は一瞬たりとも目を離さなかった。
いつまでそうしていただろうか。ようやく、シルが笑みを浮かべた。
「じゃあ、許してあげるわ」
「ありがとう」
俺はそっとシルを抱き寄せる。今度は身を預けてくれてホッとした。
「不安にさせちゃってごめんね」
「ううん。私も勘違いしちゃってごめんなさい」
そうして二人で顔を見合わせて笑い合った。
「そういえば、お父様がアルくんに会いたいとおっしゃっていたわ」
「国王陛下が?」
しばらくしていつも通りの雰囲気に戻ったところで、シルが思い出したように告げた。滅多にない陛下からの呼び出しに俺は目を丸くする。
「えぇ、なんでも頼みたいことがあるとか」
嫌な予感がする。陛下は基本的に俺の力を使いたがらない。名前が広まった今でも俺の能力についてはまだそこまで知られていないが、もし強大な俺の力を迂闊に利用しその存在が他国に露呈すれば、俺を奪い合う戦いに発展しかねないからだ。それなのに頼んでくるということは絶対面倒ごとに決まっている。
しかし、そんなことを陛下の娘であるシルに言うわけにはいかない。俺は無理に笑みを浮かべた。
「わかった。いつ行けばいいかな?」
「今日来てほしいって」
「今日⁉」
申し訳なさそうに頷くシル。本当にどうしたのだろうか? あまりに急すぎて一層不安が募るが、断れるわけもない。
「わかった。じゃあそろそろ行かないとだね」
「ええ。私の馬車に乗ってちょうだい」
「ありがとう」
ついさっきまで晴れていた空は、俺の不安を映し出すかのようにどんよりと曇っていた。
「アルライン・フィル・マーク、お呼びと伺い参上しました」
「うむ。急に呼び出してすまぬな」
「いえ、お呼びとあらばいつでも」
王城に着くと、陛下の応接室に通された。紅茶やお菓子が準備されているところを見ると長話になりそうだ。
……余計に不安なんだが。そんな内心を隠して笑みを浮かべると、陛下は感心したような声を漏らす。
「ほぉ、お主も貴族らしくなったの」
「そ、そうですかね、ははは……」
隠した内心も賢王と呼ばれる陛下にはお見通しだったらしい。隣にいる宰相閣下まで頷いている。全くもって嬉しくない感心のされ方に思わず顔を引きつらせる。常に腹の探り合いをしている貴族らしくなどなりたくはない。
そんな俺の様子に陛下が苦笑する。
「まぁ、お主のような自由な人間にはこの貴族社会は堅苦しいものであろうな」
どう返せばいいんだよぉぉぉぉお! 内心叫びながらも黙って頭を下げた。こういう時は下手に何かを言うと墓穴を掘りかねない。
「お父様、アルライン様がお困りですよ」
「おお、すまぬな。前よりもずっと成長していることに感心してしまったわ」
俺の隣に座っていたシルが助け舟を出してくれた。ありがとうの意味を込めて視線を送ると、軽く頬を染めて頷いてくれる。うん、可愛すぎるだろ。
いけないいけない、なんのために来たのか忘れるところだった。ズレにズレまくった思考を頭を振って戻す。
「それで、本日私が呼ばれた理由は……?」
「うむ、お主にちょっと頼みごとをしたくてな」
そこで陛下は一呼吸おく。あ、やっぱり嫌な予感がする。
しかし、俺が言葉を発する前に陛下が口を開いた。
「お主、スフェルダム帝国に留学に行ってくれぬか?」
「っ⁉」
言葉を失った。予想できるわけもない頼みごとだった。
スフェルダム帝国とはリルベルト王国のすぐ隣に位置する国だ。過去多くの国を併合し、膨大な国土を有している。そして何より……
「敵国ではありませんか! なぜそのような国に留学なんて……!」
シルが驚きの声を上げた。
そう、彼女が言ったようにスフェルダム帝国はリルベルト王国の敵国だ。今でこそ貿易をしてお互いの国に入ることができるが、どちらかが火種を作ればすぐに戦争になりかねないほど、二国の間には常に緊張感があった。スフェルダム帝国が王国を併合しようと目論んでいるからだ。
あまりに意味不明な頼みごとに思わず強い口調で尋ねる。
「陛下、どういうことかご説明いただけますよね?」
「わかっておる。説明するから殺気を出すでない。シルティスクが怖がっておる」
陛下の言葉にハッとしてシルを見ると、彼女は手をぎゅっと握りしめて微かに震えていた。俺は思わず出てしまった殺気をすぐさま引っ込めて彼女の手に触れる。
「怖がらせちゃってごめん」
「大丈夫ですわ。アルくんが私を傷つけることはないって信じてるもの」
無条件の信頼が嬉しい。抱きしめたくなるが、さすがに陛下の前でするわけにはいかないだろう。代わりに手を握って目を合わせた。シルが少しホッとしたように肩の力を抜いて手を握り返してくる。
「ふふっ、温かいわ」
「よかった」
「お主ら、仲いいのは良いことだが、私の目の前でイチャイチャするとはいい度胸よの」
そう言ってジト目を向けてくる陛下。こっちは今すぐ抱き寄せたいのを我慢してるんだ、これくらい大目に見てほしい。若干の抗議の意味を込めて陛下を見ると、圧の込もった視線を返される。
「いいではありませんか。お二人はまだまだお若いのですから。いい歳して嫉妬することではありませんよ」
宰相閣下ナイス! しかし、笑って言った宰相に陛下は尋ねる。
「宰相、そなたにも確か娘がいたはずだが」
「おりますね」
「想像してみろ。娘が男と婚約して目の前でイチャイチャしている様子を……」
「……撤回いたしましょう。確かにその男を絞め殺したくなりますね」
待て待て待て⁉ なんでそうなる⁉ そもそも婚約を命じたのはあんたらでしょーが!
俺は理不尽な恨みの視線を二つも向けられて、盛大に顔を引きつらせる。だめだ、このままだといつまでたっても話が終わらない。なんとか話を戻さなければ。
「へ、陛下、そろそろ本題に」
「おーそうだったな。忘れるところだった」
忘れないでくれ。結構不穏な話だったと思うんだ……
もうすでに疲れ果てているけど、本題に入りそうな気配に俺はなんとか背筋を伸ばす。
「さて、お主を留学させたい理由だが、帝国に潜ませている間者から連絡があったからだ」
「連絡?」
「今、帝国は相当荒れているらしくてな。皇帝デイズ・ウォー・スフェルダムは堕落し、民は税金に苦しみ、路頭に迷う者が続出しているらしい」
「そんなっ……⁉」
あまりに悲惨な状況を知り、俺は思わず声を上げた。シルも口を押さえて目を見開いている。
「で、だ。そんな帝国で今、レジスタンスが現皇帝の排除を目的に動き出しているという情報を掴んだ。詳しいことはわかっていないが、皇族の誰かが中心となって反乱を企てているという」
「その皇族は信頼できるのですか? 計画そのものが皇帝の差し金である可能性は?」
俺は今、考えうる限りの可能性を思い浮かべていた。やはり最悪なのは、その中心人物が皇帝の差し金であった場合だろう。反乱は一度失敗すればもう一度起こすことはかなり難しい。お金もかかるし、何より反乱を起こした時点で多くの者が処刑され、反乱を起こそうという気力を民から奪うからだ。
レジスタンスが皇帝を倒すか、皇帝がレジスタンスを排除するか。反乱とはたいていの場合一度きりの勝負。
しかし、陛下は首を横に振った。
「その可能性は極めて低いと思っておる。デイズ皇帝は皇帝の座につくために多くの皇族を葬ってきた。皇帝になってからも少しでも自分に反発した者は即処刑するような、そんな人物だ。皇族ほど皇帝を恨んでいると考えて間違いないだろう」
思った以上のクズさに、俺は無意識に拳を握りしめる。殺すことしかできない人間が皇帝の座についているなんて、帝国民にとっては最悪だろう。
だが、俺は話が読めなかった。今の話のどこに俺が留学に行く理由があるのか。俺の疑問を読み取ったのか、陛下が言いづらそうに告げる。
「そこで、お主には帝国に留学に行って影からレジスタンスの手助けをしてほしいのだ」
「はい?」
俺は唖然とした。他国の政治に絡むのが対外的によろしくないことなど、陛下がわかっていないはずがない。反乱が終わってから俺が関わっていたことが露呈すれば、結果がどうであれ、他国から非難される可能性は極めて高い。
疑問が膨れ上がる。しかし次の言葉で納得せざるをえなかった。
「帝国の国庫がそろそろ底をつきそうなのだ。そして、あの無能な皇帝は金がなくなれば他国に攻め込めばいいと思っているのだよ」
「まさか⁉」
「ああ、このまま放置すれば我が国と戦争になるかもしれない」
俺は驚愕した。堕落した皇帝が金欲しさに戦争を起こす。前世で日本人だった俺はラノベでそういう展開の作品をいくつも読んだが、現実で起これば笑い事ではない。
「負けるとは思わんが、勝っても民に被害が及ぶことを考えれば戦争なぞするわけにはいかない。だからお主に頼みたいのだ」
――あの愚皇を引き摺り下ろしてきてほしい。
頭を殴られたような強い衝撃が襲う。この『頼みごと』にどのようなリスクがあるかなんて、陛下が考えていないわけがない。何せ賢王と呼ばれる方だ。俺以上にあらゆるリスクを想定しているはずだ。
だが、民を思う気持ちが人一倍強い陛下はそのリスクすら受け入れる覚悟を持っている。
そして、俺を信じてくれているのだろう。
俺は胸に手を当てて深々と頭を下げた。
「かしこまりました。私の全力をかけてこの使命、全うしてきます」
「ああ、頼んだぞ」
民を思い、強くあろうとする陛下を俺は尊敬する。
俺も強くあらねば。
そう心の底から思った。するとその時、応接室に凜とした声が響く。
「それでは私も一緒に行きます」
「「「なっ⁉」」」
俺、陛下、宰相閣下が揃って口をポカンと開けた。言った張本人――シルティスクは断固とした表情で陛下を見つめている。真っ先に我に返ったのは俺だった。
「い、いや、ちょっと待とう? シルはさすがに……」
「いいえ、アルくんが行くなら私も行くわ。そもそもお父様もアルくん一人だけを帝国に向かわせようとは思っていないでしょうし」
「そうなのですか?」
シルの言葉を聞き、思わず陛下に尋ねる。ようやく我に返った陛下は頷いた。
「ああ、お主ら学園の生徒会に行ってもらおうと思っていた」
「正気ですか?」
今回の件は明らかに学生の手に負えるようなものじゃない。友人たちの命を危険にさらそうというのなら、どんな手を使ってでも止めなければ。
俺の言葉に宰相閣下が顔をしかめる。
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