上 下
14 / 77
本編

12 グレン視点

しおりを挟む
「殿下、こちら今日のスケジュールです」

俺はビッシリ分刻みで書き込まれたスケジュール表をうんざりしながら眺める。休日といえど丸々休めたためしなどない。

「おいカル」

「何でしょう?」

「お前アンジェリカをどう思う?」

「どう、とは?」

「記憶喪失になってから別人すぎだろ?」

「そう、ですね」

カルは困ったように眉尻を下げた。まあ仮にも主君の婚約者だ、忠誠心の塊生真面目人間なカルに軽口が叩けるはずもない。

「いい意味で力が抜けておられるように見えます」

へえ、と俺はカルを見直す。中々本質を突いてるじゃないか。

以前のアンジェリカはギリギリまで引き絞られた弓弦のように、常に張り詰めた空気を纏わせていた。正直側にいるだけで息が詰まる。結婚相手が選べないことなど分かってはいるが、安らぎ皆無、常時戦場気分にさせられる女と結婚などと……俺は面には決して出さないながら心底絶望していた。

アンジェリカは元々兄である王太子の婚約者候補だった。それがアンジェリカたっての強い希望で俺に決まった、と聞く。特に好かれるようなことをした記憶はないが、アンジェリカは俺を好きだと言った。

だが俺は陰気で気性の激しいアンジェリカが嫌いだった。わざとプライドを傷つけるよう雑に扱っても、アンジェリカは俺を好きだと言う。いっそ嫌われて俺への執着から解放してやりたい──そう思っての行動は尽く失敗に終わった。

俺は王子という立場上、女の誘いや誘惑が多い。学園に入学してからアンジェリカはその全てに目を光らせ、俺に色目を使う令嬢達を、立場や権力を利用して痛めつけているようだった。
俺はアンジェリカと極力関わりたくなくて、その件に関しては何も言わず、触れようともしなかった。

それが悪かったのか、アンジェリカは徐々におかしくなっていった。自らに言い聞かせるよう、虚な目で会う度に俺を好きだと繰り返す。呪詛のように俺に近付く令嬢達を口汚く罵り泣き喚く。もはや淑女の鏡と言われた彼女の姿などどこにもなかった。

それが──記憶をなくしたと告白されたあの日。いつものように鞄を投げ渡し、持ってこいと使用人のように扱う俺に、アンジェリカは鞄を投げ返してきた。信じられなかった。あのアンジェリカが?しかもこの俺に対して口汚い罵声を浴びせながらだと?驚きのあまり不覚にも鞄は俺の顔面に直撃した。

「待てアンジェリカ!」

痛む鼻を抑えながら俺が呼び止めるのも聞かず、アンジェリカは校舎に向かって全力で駆けて行った。
何が起こっているのだ?俺はすぐに確かめずにはいられなかった。教室でアンジェリカを捕まえると、王族に与えられた私室に連行した。

そこでのやり取りは──ただただ驚きでしかなかった。いつも俺を見詰める病的なまでにねっとりとした熱い眼差しは、路傍の石でも見るような無関心なものに変わっている。あんなにうざい位好きだ好きだと言っていたというのに。

「前の私はそうだったかもしれないけど、今の私は全然殿下のこと好きじゃないから」

これは誰だ?アンジェリカの姿をした別の何かにしか見えなかった。媚もせず臆しもせず、対等に俺と口をきく知らない女。あんなに望んでいた婚約破棄という言葉をこの女から聞けたというのに、理不尽にも腹が立った。
気付けば俺はアンジェリカの下唇に噛み付いていた。

「痛っ!」

その無関心な目が許せない。痛みでも怒りでも何でもいい、俺を認識しろ。
顔を顰めて俺を睨みつけるアンジェリカを宥めるように噛んだ唇を舐めると、拒絶の言葉を口にする生意気な唇を塞いでやった。するとパズルのピースがカチリと噛み合う様な心地良さを感じた。何だ、これは?

少しからかう位の軽い気持ちだったのに、俺はアンジェリカを中々離せなかった。記憶を失ったお前は一体誰なんだ?不思議だ。あんなに疎んじていたアンジェリカを手放したくないと、俺はこの時初めて思ったのだ。

それからは気がつけばアンジェリカのことばかり考えていた。
記憶を失ったアンジェリカは露骨に俺を嫌って逃げようとする。逃げられれば追いたくなる狩猟本能だろうか?俺は時間が空けばアンジェリカの顔を見に行った。
およそ令嬢とは思えない粗野な言葉遣いも、感情豊かな表情も何もかもが楽しくて仕方ない。今のアンジェリカは何て生き生きとしているのだろう。このまま記憶が戻らず今のままのアンジェリカだったなら──

「殿下そろそろ出立の時間です」

「……分かった」

俺はカルから剣を受け取り帯剣すると執務室を後にした。学園がない日はつまらない。明日はどんなアンジェリカが見られるだろう?俺の唇には自然と笑みが浮かんでいた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

こんにちは、女嫌いの旦那様!……あれ?

夕立悠理
恋愛
リミカ・ブラウンは前世の記憶があること以外は、いたって普通の伯爵令嬢だ。そんな彼女はある日、超がつくほど女嫌いで有名なチェスター・ロペス公爵と結婚することになる。  しかし、女嫌いのはずのチェスターはリミカのことを溺愛し──!? ※小説家になろう様にも掲載しています ※主人公が肉食系かも?

迷子の会社員、異世界で契約取ったら騎士さまに溺愛されました!?

ふゆ
恋愛
気づいたら見知らぬ土地にいた。 衣食住を得るため偽の婚約者として契約獲得! だけど……? ※過去作の改稿・完全版です。 内容が一部大幅に変更されたため、新規投稿しています。保管用。

転生したら乙ゲーのモブでした

おかる
恋愛
主人公の転生先は何の因果か前世で妹が嵌っていた乙女ゲームの世界のモブ。 登場人物たちと距離をとりつつ学園生活を送っていたけど気づけばヒロインの残念な場面を見てしまったりとなんだかんだと物語に巻き込まれてしまう。 主人公が普通の生活を取り戻すために奮闘する物語です 本作はなろう様でも公開しています

転生した世界のイケメンが怖い

祐月
恋愛
わたしの通う学院では、近頃毎日のように喜劇が繰り広げられている。 第二皇子殿下を含む学院で人気の美形子息達がこぞって一人の子爵令嬢に愛を囁き、殿下の婚約者の公爵令嬢が諌めては返り討ちにあうという、わたしにはどこかで見覚えのある光景だ。 わたし以外の皆が口を揃えて言う。彼らはものすごい美形だと。 でもわたしは彼らが怖い。 わたしの目には彼らは同じ人間には見えない。 彼らはどこからどう見ても、女児向けアニメキャラクターショーの着ぐるみだった。 2024/10/06 IF追加 小説を読もう!にも掲載しています。

異世界転生したら幼女でした!?

@ナタデココ
恋愛
これは異世界に転生した幼女の話・・・

乙女ゲームの世界に転生した!攻略対象興味ないので自分のレベル上げしていたら何故か隠しキャラクターに溺愛されていた

ノアにゃん
恋愛
私、アリスティーネ・スティアート、 侯爵家であるスティアート家の第5子であり第2女です そして転生者、笹壁 愛里寿(ささかべ ありす)です、 はっきり言ってこの乙女ゲーム楽しかった! 乙女ゲームの名は【熱愛!育ててプリンセス!】 約して【熱プリ】 この乙女ゲームは好感度を上げるだけではなく、 最初に自分好みに設定したり、特化魔法を選べたり、 RPGみたいにヒロインのレベルを上げたりできる、 個人的に最高の乙女ゲームだった! ちなみにセーブしても一度死んだらやり直しという悲しい設定も有った、 私は熱プリ世界のモブに転生したのでレベルを上げを堪能しますか! ステータスオープン! あれ?  アイテムボックスオープン! あれれ? メイクボックスオープン! あれれれれ? 私、前世の熱プリのやり込んだステータスや容姿、アイテム、ある‼ テイム以外すべて引き継いでる、 それにレベルMAX超えてもモンスター狩ってた分のステータス上乗せ、 何故か神々に寵愛されし子、王に寵愛されし子、 あ、この世界MAX99じゃないんだ、、、 あ、チートですわ、、、 ※2019/ 7/23 21:00 小説投稿ランキングHOT 8位ありがとうございます‼ ※2019/ 7/24 6:00 小説投稿ランキングHOT 4位ありがとうございます‼ ※2019/ 7/24 12:00 小説投稿ランキングHOT 3位ありがとうございます‼ ※2019/ 7/24 21:00 小説投稿ランキングHOT 2位ありがとうございます‼ お気に入り登録1,000突破ありがとうございます‼ 初めてHOT 10位以内入れた!嬉しい‼

推しに婚約破棄されたとしても可愛いので許す

まと
恋愛
転生したのは悪役令嬢。いやなんで??愛する皆に嫌がらせなんて出来る訳がない。 もう愛でるしかないやん。それしかないやんな悪役令嬢が、皆の幸せの為に奮闘するお話。

ヤンデレお兄様に殺されたくないので、ブラコンやめます!(長編版)

夕立悠理
恋愛
──だって、好きでいてもしかたないもの。 ヴァイオレットは、思い出した。ここは、ロマンス小説の世界で、ヴァイオレットは義兄の恋人をいじめたあげくにヤンデレな義兄に殺される悪役令嬢だと。  って、むりむりむり。死ぬとかむりですから!  せっかく転生したんだし、魔法とか気ままに楽しみたいよね。ということで、ずっと好きだった恋心は封印し、ブラコンをやめることに。  新たな恋のお相手は、公爵令嬢なんだし、王子様とかどうかなー!?なんてうきうきわくわくしていると。  なんだかお兄様の様子がおかしい……? ※小説になろうさまでも掲載しています ※以前連載していたやつの長編版です

処理中です...