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本編
12 グレン視点
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「殿下、こちら今日のスケジュールです」
俺はビッシリ分刻みで書き込まれたスケジュール表をうんざりしながら眺める。休日といえど丸々休めたためしなどない。
「おいカル」
「何でしょう?」
「お前アンジェリカをどう思う?」
「どう、とは?」
「記憶喪失になってから別人すぎだろ?」
「そう、ですね」
カルは困ったように眉尻を下げた。まあ仮にも主君の婚約者だ、忠誠心の塊生真面目人間なカルに軽口が叩けるはずもない。
「いい意味で力が抜けておられるように見えます」
へえ、と俺はカルを見直す。中々本質を突いてるじゃないか。
以前のアンジェリカはギリギリまで引き絞られた弓弦のように、常に張り詰めた空気を纏わせていた。正直側にいるだけで息が詰まる。結婚相手が選べないことなど分かってはいるが、安らぎ皆無、常時戦場気分にさせられる女と結婚などと……俺は面には決して出さないながら心底絶望していた。
アンジェリカは元々兄である王太子の婚約者候補だった。それがアンジェリカたっての強い希望で俺に決まった、と聞く。特に好かれるようなことをした記憶はないが、アンジェリカは俺を好きだと言った。
だが俺は陰気で気性の激しいアンジェリカが嫌いだった。わざとプライドを傷つけるよう雑に扱っても、アンジェリカは俺を好きだと言う。いっそ嫌われて俺への執着から解放してやりたい──そう思っての行動は尽く失敗に終わった。
俺は王子という立場上、女の誘いや誘惑が多い。学園に入学してからアンジェリカはその全てに目を光らせ、俺に色目を使う令嬢達を、立場や権力を利用して痛めつけているようだった。
俺はアンジェリカと極力関わりたくなくて、その件に関しては何も言わず、触れようともしなかった。
それが悪かったのか、アンジェリカは徐々におかしくなっていった。自らに言い聞かせるよう、虚な目で会う度に俺を好きだと繰り返す。呪詛のように俺に近付く令嬢達を口汚く罵り泣き喚く。もはや淑女の鏡と言われた彼女の姿などどこにもなかった。
それが──記憶をなくしたと告白されたあの日。いつものように鞄を投げ渡し、持ってこいと使用人のように扱う俺に、アンジェリカは鞄を投げ返してきた。信じられなかった。あのアンジェリカが?しかもこの俺に対して口汚い罵声を浴びせながらだと?驚きのあまり不覚にも鞄は俺の顔面に直撃した。
「待てアンジェリカ!」
痛む鼻を抑えながら俺が呼び止めるのも聞かず、アンジェリカは校舎に向かって全力で駆けて行った。
何が起こっているのだ?俺はすぐに確かめずにはいられなかった。教室でアンジェリカを捕まえると、王族に与えられた私室に連行した。
そこでのやり取りは──ただただ驚きでしかなかった。いつも俺を見詰める病的なまでにねっとりとした熱い眼差しは、路傍の石でも見るような無関心なものに変わっている。あんなにうざい位好きだ好きだと言っていたというのに。
「前の私はそうだったかもしれないけど、今の私は全然殿下のこと好きじゃないから」
これは誰だ?アンジェリカの姿をした別の何かにしか見えなかった。媚もせず臆しもせず、対等に俺と口をきく知らない女。あんなに望んでいた婚約破棄という言葉をこの女から聞けたというのに、理不尽にも腹が立った。
気付けば俺はアンジェリカの下唇に噛み付いていた。
「痛っ!」
その無関心な目が許せない。痛みでも怒りでも何でもいい、俺を認識しろ。
顔を顰めて俺を睨みつけるアンジェリカを宥めるように噛んだ唇を舐めると、拒絶の言葉を口にする生意気な唇を塞いでやった。するとパズルのピースがカチリと噛み合う様な心地良さを感じた。何だ、これは?
少しからかう位の軽い気持ちだったのに、俺はアンジェリカを中々離せなかった。記憶を失ったお前は一体誰なんだ?不思議だ。あんなに疎んじていたアンジェリカを手放したくないと、俺はこの時初めて思ったのだ。
それからは気がつけばアンジェリカのことばかり考えていた。
記憶を失ったアンジェリカは露骨に俺を嫌って逃げようとする。逃げられれば追いたくなる狩猟本能だろうか?俺は時間が空けばアンジェリカの顔を見に行った。
およそ令嬢とは思えない粗野な言葉遣いも、感情豊かな表情も何もかもが楽しくて仕方ない。今のアンジェリカは何て生き生きとしているのだろう。このまま記憶が戻らず今のままのアンジェリカだったなら──
「殿下そろそろ出立の時間です」
「……分かった」
俺はカルから剣を受け取り帯剣すると執務室を後にした。学園がない日はつまらない。明日はどんなアンジェリカが見られるだろう?俺の唇には自然と笑みが浮かんでいた。
俺はビッシリ分刻みで書き込まれたスケジュール表をうんざりしながら眺める。休日といえど丸々休めたためしなどない。
「おいカル」
「何でしょう?」
「お前アンジェリカをどう思う?」
「どう、とは?」
「記憶喪失になってから別人すぎだろ?」
「そう、ですね」
カルは困ったように眉尻を下げた。まあ仮にも主君の婚約者だ、忠誠心の塊生真面目人間なカルに軽口が叩けるはずもない。
「いい意味で力が抜けておられるように見えます」
へえ、と俺はカルを見直す。中々本質を突いてるじゃないか。
以前のアンジェリカはギリギリまで引き絞られた弓弦のように、常に張り詰めた空気を纏わせていた。正直側にいるだけで息が詰まる。結婚相手が選べないことなど分かってはいるが、安らぎ皆無、常時戦場気分にさせられる女と結婚などと……俺は面には決して出さないながら心底絶望していた。
アンジェリカは元々兄である王太子の婚約者候補だった。それがアンジェリカたっての強い希望で俺に決まった、と聞く。特に好かれるようなことをした記憶はないが、アンジェリカは俺を好きだと言った。
だが俺は陰気で気性の激しいアンジェリカが嫌いだった。わざとプライドを傷つけるよう雑に扱っても、アンジェリカは俺を好きだと言う。いっそ嫌われて俺への執着から解放してやりたい──そう思っての行動は尽く失敗に終わった。
俺は王子という立場上、女の誘いや誘惑が多い。学園に入学してからアンジェリカはその全てに目を光らせ、俺に色目を使う令嬢達を、立場や権力を利用して痛めつけているようだった。
俺はアンジェリカと極力関わりたくなくて、その件に関しては何も言わず、触れようともしなかった。
それが悪かったのか、アンジェリカは徐々におかしくなっていった。自らに言い聞かせるよう、虚な目で会う度に俺を好きだと繰り返す。呪詛のように俺に近付く令嬢達を口汚く罵り泣き喚く。もはや淑女の鏡と言われた彼女の姿などどこにもなかった。
それが──記憶をなくしたと告白されたあの日。いつものように鞄を投げ渡し、持ってこいと使用人のように扱う俺に、アンジェリカは鞄を投げ返してきた。信じられなかった。あのアンジェリカが?しかもこの俺に対して口汚い罵声を浴びせながらだと?驚きのあまり不覚にも鞄は俺の顔面に直撃した。
「待てアンジェリカ!」
痛む鼻を抑えながら俺が呼び止めるのも聞かず、アンジェリカは校舎に向かって全力で駆けて行った。
何が起こっているのだ?俺はすぐに確かめずにはいられなかった。教室でアンジェリカを捕まえると、王族に与えられた私室に連行した。
そこでのやり取りは──ただただ驚きでしかなかった。いつも俺を見詰める病的なまでにねっとりとした熱い眼差しは、路傍の石でも見るような無関心なものに変わっている。あんなにうざい位好きだ好きだと言っていたというのに。
「前の私はそうだったかもしれないけど、今の私は全然殿下のこと好きじゃないから」
これは誰だ?アンジェリカの姿をした別の何かにしか見えなかった。媚もせず臆しもせず、対等に俺と口をきく知らない女。あんなに望んでいた婚約破棄という言葉をこの女から聞けたというのに、理不尽にも腹が立った。
気付けば俺はアンジェリカの下唇に噛み付いていた。
「痛っ!」
その無関心な目が許せない。痛みでも怒りでも何でもいい、俺を認識しろ。
顔を顰めて俺を睨みつけるアンジェリカを宥めるように噛んだ唇を舐めると、拒絶の言葉を口にする生意気な唇を塞いでやった。するとパズルのピースがカチリと噛み合う様な心地良さを感じた。何だ、これは?
少しからかう位の軽い気持ちだったのに、俺はアンジェリカを中々離せなかった。記憶を失ったお前は一体誰なんだ?不思議だ。あんなに疎んじていたアンジェリカを手放したくないと、俺はこの時初めて思ったのだ。
それからは気がつけばアンジェリカのことばかり考えていた。
記憶を失ったアンジェリカは露骨に俺を嫌って逃げようとする。逃げられれば追いたくなる狩猟本能だろうか?俺は時間が空けばアンジェリカの顔を見に行った。
およそ令嬢とは思えない粗野な言葉遣いも、感情豊かな表情も何もかもが楽しくて仕方ない。今のアンジェリカは何て生き生きとしているのだろう。このまま記憶が戻らず今のままのアンジェリカだったなら──
「殿下そろそろ出立の時間です」
「……分かった」
俺はカルから剣を受け取り帯剣すると執務室を後にした。学園がない日はつまらない。明日はどんなアンジェリカが見られるだろう?俺の唇には自然と笑みが浮かんでいた。
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