靴職人と王女と野良ウサギ ~ご主人様が絶望しているからボクは最高に幸せだよ~

マルシラガ

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starlight river(銀河) 1

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 ラヴィが目を覚ましたときには、だいぶ日が傾いていた。

 窓から入ってくる西日に照らされてテーブルの影が長く伸びている。

 すっかり体に馴染んだ木箱のベッドから「んしょ」と縁を跨いで出ると、家の中にラチアの姿がない。

『どこ行ったのかな、ラチア』

 耳を立てると、外からカンッカンッと金属を打つ音が聞こえた。作業小屋のほうからだ。

 作業小屋に行き、窓に手をかけて背伸びをしながら中を覗くと、ラチアは小さな釘をU字型に曲げて、靴用の釘に作り替える作業をしていた。

『ラチアって本当に働き者だなぁ……』

 ラヴィがここで怪我の治療をして貰っていたときもラチアは靴を作っているか、食事をしているか、寝ているかのどれかで、普段のラヴィのようにお昼寝する事もなければ、落ち葉の中で意味なくゴロゴロしてることもない。
 ずっとずっと一生懸命靴を作っている。

 作業が一段落ついたのかラチアは自分の肩を揉みながら顔を上げた。
 そのときラヴィが窓に手をかけて顔を覗かせているのに気付いて、疲れた顔でふっと溜息を吐いた。

「起きたのか」

「うん……入っていい?」

 ラチアはU字型にした釘を同じものがいっぱいある小箱に放り込んで「ああ、いいぞ」と背中の筋を伸ばしながら応えた。

 ラチアに入室の許可をされてラヴィは少し怯えた様子で作業小屋の中に入って来た。
 もちろんラチアが怖いわけではない。
 ラヴィの体内を流れる血の半分は捕食される側のウサギなので、誰かのテリトリーに入るのはどうしても本能的に緊張してしまう。

「どうだ、胸の痛みはまだあるのか?」

 ラチアは前掛けを取りながら訊いた。

「え? あ、平気みたい」

「そうか……本当に効果があるんだな。あんな治療でも」

 ラチアは手慣れた様子で道具の片付けを終えて、明かり取りの窓を閉めた。

 斜めに差し込んでいた夕日も途絶え、小屋の中が真っ黒な闇に沈む。

「さ、閉めるぞ。出ろ」

 前掛けを金打ち台に引っかけてラヴィの背中を押した。

『あ、やっぱり山に帰らせられるんだ……今日はずっとラチアとお喋りしたかったんだけどな』

 ラヴィは心の内でそうなればいいと望んでいたけれど、その一方でそう思い通りにはならないだろうなって諦めもあった。
 でも、実際にこうして追い出されると……やっぱり悲しい。

 小屋を出て、耳を垂らしながら山に向かってとぼとぼと歩き始めたら「おい、どこにいく?」と背後からラチアに声をかけられた。

「どこって……」

「今から山に帰るのか? 夜行性の動物は凶暴なのが多い。今日はここに泊まっていけ」

「え……でも、いいの? さっき『出ろ』って言ったのに」

「作業小屋をしめるから出ろと言ったんだ。山に帰れという意味じゃない。それにオマエを夜の山に放り出して野犬に喰われでもしたら、せっかくオマエを治療して助けた意味がなくなる。だから今日はここに泊まれ。メシぐらいは食わせてやる」

「ラチア……」

 基本は無愛想でぶっきらぼうだけれど、たまにこうして優しさをみせてくるラチアがラヴィは大好きだった。

「無理に泊まれとは言わないけどな。だた、もうオマエの分の食事の下ごしらえもしてある、それが無駄になるのは勿体ないだろ?」

 ラヴィは胸が苦しくなってきた。
 でも、この苦しさは心地良い。
 今までの空胸感くうむねかんとは逆で、胸がいっぱいの満胸感まんむねかんで苦しいんだ。

「やっぱりラチアは優しいっ!」

 最高の笑顔で駆け寄ってくるラヴィに、ラチアは珍しく笑顔を返して両腕を開きながらラヴィを迎える姿勢をとった。

「ちなみに、今夜のメニューは『イノシシ肉のポトフ』ぐほい!?」

 ラヴィは駆け寄る勢いのままジャンプして、ラチアの無防備な胸を思いっきりキックした。

「やっぱりラチアはイジワルだよっ!」



「来たよー。入っていい?」

 ラチアが作業小屋で靴作りをしていると、すっかり聞き慣れた声が外からした。

「……」

 ラチアはその気の抜けた声を聞いて、今日もまた無言の呻き声をあげた。
 ラヴィはラチアの返事を待たずに満面の笑顔で扉を開けて入ってくる。
 最初の頃の怯えがまるで無い。

「ラチア。昨日なでなでしてくれたお礼持ってきたよ」

 なでなで治療を施したあの日から約一ヶ月。

 ラヴィはまるで隣の友人宅に遊びに行くような感覚で頻繁にラチアの家を訪れるようになった。

「ラヴィ……。もう山から下りてくるなって言っただろ? いつも言ってるよな? 何度も言っているよな? 昨日も言ったよな!?」

「うん、でも、ほら、お礼しないと」

「それも、もう充分だって言ったよな?」

「うん、でもさ、やっぱり巣に戻ると胸がきゅんきゅん痛くなるんだ。だから今日もなでなでしてもらいたくて……」

「またか……」

 ラチアはガックリと項垂れて嘆息した。

 ラヴィにはもう何度も「ここには来るな」と言っている。

 もちろんラヴィが嫌いで来るなと言っているのではなく、ラヴィの身を案じてのことだ。

 金物屋のアルバスが来たときには運良くラヴィが不在で難を逃れることができたけれど、こうも度々山を下りてきたのではいずれ里の者に見つかってしまうのは確実。

 ラチアはそうなることを危惧してラヴィを追い返そうとしているのだけれど……全く効果がない。

 ぐわっと怖い顔をして睨んでみても、ラヴィはふにゃっと微笑みを返してくるのだ。

『くそっ! こんなに拒絶してるのに、なんで逆に懐いてくるんだコイツは!?』

 ラチアは自分の気持ちがラヴィに届かないことにイライラしていたが、ラチアの気持ちはちゃんとラヴィに届いていた。ただし、効果は完全に逆になってだが……。

 ラチアが「来るな」と言う度に、ラヴィは『ボクのことを本当に心配してくれているんだね』って嬉しくなる。
 だからますますラチアに会いたくなる。

 ラチアが怖い顔をして「帰れ」と言っても「胸が痛い」って言えば、ラチアは怖い顔の演技をすぐにやめて、心配そうな顔でなでなでしてくれる。
 だからもっと側にいたくなる。

 ラチアが拒絶すればするほどラヴィの小さな胸はラチアへの好意でいっぱいになる。
 だから今日もラヴィはラチアの家にやって来ていた。

『いったい、どうしたらいいんだ……』

 項垂れていたラチアが何気なく横目でラヴィを覗き見ると、ラヴィは扉近くにあるバスケットの中へ持ってきたお礼の食料を入れていた。

『……ん? アイツいつの間に母屋からバスケットを持ち出したんだ?』

 よく見るとバスケットだけじゃなかった。
 靴作りに必要な道具以外は一切なかったこの小屋に花瓶が持ち込まれていて、ラチアには名の分からない黄色い花のついた小枝が挿されている。

『お、俺の作業小屋が、ラヴィの好みに染められつつある!?』

 ラチアはようやく環境の変化に気付いて愕然とした。

 実はラヴィはここを訪れる度にこの場所が自分にとって、もっと居心地が良い場所になるよう、少しずつ少しずつ自分が持ち込んだ物を配備してはテリトリーを広げていた。

『まずい……早くなんとかしなければ!』

 このままだと遠からずラヴィがこの家に居ついてしまうことになるだろう。

 ラチアは真剣になんとかしようと思ったが、これまでもずっとラヴィがここに来たくなくなるようにいろいろと試していたし、嫌われるように演技もしてきた。でも、それらは今のところ全く効果がない。

 何よりも一番問題なのはラヴィがここに来る口実にしている《胸の痛み》だ。

 痛みを取り除く方法なら分かっている。

 《頭なでなで》

 どうしてこれが胸の痛みに効くのかラチアには理解できないが、効果はばつぐんだ。
 ラチアが頭をなでなですると、ラヴィは気持ちよさそうに目を細めてふにゃりととろけた表情になる。

 確かに《頭なでなで》は効果がある。
 しかしこれはあくまでも《対処方法》で《治療方法》ではない。

 何度《頭なでなで》を施術しても、しばらくするとまた胸が痛みだすらしい。

 ラヴィから訊いた話では最近は痛くなるまでの期間が段々と短くなっていて、施術を終えて巣に帰ったばかりでも、ラチアの顔を思い浮かべただけでどうしようもないくらいに胸がきゅんきゅんするそうだ。

『施術者の顔を思い出すだけで痛みだすとは……病状が悪化しているのか?』

 ラヴィが頻繁に山を下りてくるのも危険だが、原因不明の胸の痛みを放置したまま山へ追い返すのも危険。
 それら二つの危険を取り去るには、ラヴィの胸を蝕んでいる病の原因がなんなのかを解明して、正しい治療を施し、健康を取り戻させるしかない。
 そうすればラヴィが山を下りてくる口実がなくなるのだから。

『少々遠回りになるが、ただ「ここに来るな」と言うよりも、それが最良の方法か……』

 ラチアはそう結論づけた。

 チラリともう一度顔を横に向けると、食料をバスケットに入れたラヴィはラチアの仕事の邪魔にならないように部屋の隅にある樽の上で大人しく座っていた。
 そういった気遣いができる子なので「邪魔だ。目障りだ」と言って追い出すことができないのがまた辛い。

「なぁラヴィ」

「なぁに?」

 ラヴィは呼ばれてすぐにラチアの側へやってきた。
 よほど懐いた飼い犬でもこれほどの従順さはなかなか見せない。

「ずっと考えていたんだけどな――」

 キュウゥ……。

 不意にどこからか可愛らしい音がして、ラヴィは恥ずかしそうにお腹を押さえた。

「また何も食べずに来たのか? ……しょうがない、話は後だ。何か作ってやるから先に母屋に行ってろ」

「うん!」

 元気よく返事したラヴィが小屋の扉に手を掛け、今思い出したようなていで振り向いた。 

「ね、ラチア。ボク今日もここに泊まっていっていい?」

「あ?」

「だってほら、もう夕方だし」

 ラヴィが扉を開けると、太陽が山の向こうへ隠れようとしている景色が見えた。

 もういくらも経たないうちに夜はやってくる。

「……もしかして、わざとこの時間に来るようにしてないか?」

 ラチアがジトッとした疑いの目でラヴィを睨むとラヴィは目を泳がせて、てちてちちと耳の毛繕いをしながら言った。

「ソンナコトナイヨ?」
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