Ωの国

うめ紫しらす

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外伝:アレクシス

あいしてるの罪 ep4

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 手巾の検査を、アレクシスは魔法で誤魔化した。
 受胎がわかれば、相手のαと番にならなければいけない。
 アレクシスは、あんな男と番になるつもりは微塵も無かった。
 ひとりで産み落として。
 それで、終わりにしようと思った。


「翡翠様、お加減はいかがですか」
 ハクロの声に「眠い」と一言答える。
 嘘ではなく、本当のことだった。受胎してから、やたらと眠くて。食欲もなかった。
 いつバレるだろうかと危惧しながら、いつバレても構わないとも思っていた。
 男性のΩの妊娠は、魔法による介入がなければ正しく胎児は発達せず、妊夫の身体も健康を損なう。知識で知っている限りのことを、魔力の許す限り実践した。
 Ωの身体のことなら、すでに知り尽くしていた。
 成長を阻害する呪いをかけ、胎児がゆっくりと時間をかけて発達するように制御して。
 五ヶ月が過ぎた。
 次の発情期が始まる振りをして、表殿に部屋を取る。
 その夜、現れたのは、同じ禰宜だった。
「……またお前か」
 強がって言って。アレクシスは内心震えていた。大婆様に、いやだと伝えたはずだった。神託は他の者にと。
「お前は願い下げだと言ったはずなんだがな」  
「神託を出すのは神官の役目。此度は神官長より直々に神託を頂きました」
 つまりは不正を働いた、ということだろう。
「貴様……王族か」
 神官長に直々に神託を出させる事ができる人物。その範囲はごく上流のαに限られる。
「ご名答。私の名はアンドレア・ディノ・グラ―ティオ。第四王子、と言ったほうがわかるかな。どうだい、私の番になるかい? ランバートの出なら正式な妻として迎えられる。悪くはないだろう?」
 ぐ、と唇を噛んで。
「お前の番になどならない」
 とアレクシスは答えた。
「帰れ。ご覧の通り、発情ならしていない」
「構わないさ。君を抱けるなら。でも、発情していない、だって? ならなぜ……そうか。受胎したんだろう?」
「何を……」
 アレクシスが狼狽えると、男はニヤリと笑った。
「発情もしていないのに、君は表殿にきた。発情した振りをして、神託出させた。それはなぜか? 君は、発情がこないことを、隠したかった。そうだな? それはなぜか――受胎したから。そうか。……それほど私の番になるのが嫌だ、と」
 順を追って謎解きを解説するように言うと、男は笑った。
「では、取引をしよう。受胎のことを見逃してやる代わりに、抱かせろ」
 男は柔らかに微笑んで言った。けれどその瞳は昏く、断れば受胎を理由に番にされるに違いなかった。
「君を、今宵一夜で諦めてあげると言うんだ。優しいだろう?」
 しぶしぶと、アレクシスは身体を明け渡した。発情していない身体には酷なほど激しく抱かれて。夜が明ければ身体のあちこちにあざが浮かび上がった。
 徹底的な苛虐趣味サディズム。その餌食になって――もうあとは贄として食らいつくされるだけだった。

 **

「いやだ、やだ、……やめっ」
 分厚い扉に閉ざされた翡翠の間にアレクシスの懇願の声が響く。潤んだ瞳を覆い隠すように目隠しをされて犯された。男の手は気まぐれで。見えないと何をされるかも分からない。
「……くっ」

 二度目の神事を終えれば解放すると約束したはずなのに、男はアレクシスを何度も茶会に呼び出した。
 受胎がバレれば、男の番にされる。それだけはどうしても嫌だった。そうして、しぶしぶと従い、抵抗することを諦めてしまうと、どれだけ理不尽であっても、男の要求を断ることはできなくなっていた。
「……っあ、ぁ、……!」
 男はどこまでならアレクシスが耐えられるのか、良く分かっていた。官能を感じられるギリギリを責め立て、限界をほんの少しだけ超える。その一瞬を積み重ねて、少しずつアレクシスが耐えられる限界を引き上げていく。男が望むままに、アレクシスの身体はすこしずつ作り変えられていった。
「……ぁ」
 目隠しが外された。目の前に男の指先が差し出される。
「これ、可愛いだろ? ここにぶら下げたら似合うと思うな」
 眩しさを感じながら、指先がつまみ上げた細い銀細工を見る。銀のチェーンはアレクシスの瞳と同じ、赤い石がぶら下がっている。
 男はアレクシスの胸元に赤い石を揺らして見せた。と、ぱちん、と小さな音を立てて、銀細工が胸の尖りを銜えた。耳飾りの様に、留め金で皮膚を挟み込む仕掛けだった。
「……っ!」
 ツキンと走り抜けた痛みに身体が跳ねる。予想もしていなかった痛みに頭の中が真っ白になる。
「痛いかな? じきに悦くなるよ」
 つい、と指先が乳首に齧りついた銀細工をゆるくなぞる。その仕草がまた痛みを生み出して、アレクシスは唇を噛んだ。
 男はただ愉しそうに微笑んだままだ。
「もう、やめろ」
 ふぅふぅと荒く息をついて、アレクシスははっきりと拒絶した。
「嫌か」
 男は笑った。アレクシスが意思をもって拒絶したことを愉しんでいるようだった。
「そう。……分かったよ。じゃあ止めよう」
 以外なほどあっさりと男は手を離した。そのままアレクシスの横たわるカウチを離れ、一人掛けのソファに深く腰掛ける。裸身のまま脚を組むと、男は口角を引き上げて笑った。
「それで? 私が君をあきらめて、君は一人で子供を産む。隠れてこっそりと生むつもりなんだろう? 男のΩの出産がどれくらい危険なのか、君は知っているのかな。一人で孤独に出産に挑んで、君か、あるいは子供か、両方か、無事で済むとは思えない。その危険な賭けに君は出ようとしている。……私には、それを止める道義的な義務がある。そうだろう?」
 ふふふ、と男は笑う。
「ここを出た足で神官に言うよ。君が懐妊している、とね。相手が誰だ、なんてことは言わないであげよう。ただ、いずれ解ることだろうね。君のもとに通っているαは私だけだ。それで……君が望むなら、私は認知を拒否しようか。そうしたら、その子は私の子供ではなくなる。君も私の番にならなくてもいい。ただ、君の子供が王家の一員ではないかという疑いは残る。その疑いは災いを招くだろうね」
 男は滔々とうとうと言葉をつなぐと、愉しそうに微笑んでアレクシスを見た。
 アレクシスには、まだ話の先が見えなかった。ただ薄暗い不安だけが、心の内を満たしていく。
 挑発は男の手管だった。話をまともに聞いても、なんの益にもならないと、もう知っていた。
「何が言いたい」
「たとえここで君を諦めても、私は君を必ず手に入れる、ということさ。子供が生まれたら、私の子だと触れ回ってやろう。第四王子など大した地位はないが、腐っても王族だ。誘拐を企てるような輩が出てくるかもしれないね。そうなったら、誰が子供を守るのかな? ランバートのものかな。君は神殿にいるから安全だろうけどね」
「俺は神殿に……」
「そうだよ。番を得られなければ、ここから外に出ることはできないだろう? 私の番にならないなら、君はここに残る。君の子供は、君の実家に預けられる。普通はね。そうして……君は番を持たないまま、ここで生涯を過ごす」
「生、涯……?」
「そうさ。私が、許すわけないだろう。君がほかのαを得ることを。……君は、ここでずっと、私を待つんだ。発情するたびにね」
 男は楽しそうに言う。それがどれだけ現実味のある未来なのか、アレクシスにはわからなかった。ただ彼が、アレクシスを追い詰めようと、アレクシスの未来を暗く塗りつぶそうと言葉を紡いでいることだけは確かだった。
 ふつふつと湧き上がる感情は熱く、けれど不思議なほど頭は冴えていた。
 アレクシスは、彼はただ、死にたがっているのだ、と悟った。
 自分を逆上させて、殺させようとしている。
 男がいれば、必ず地獄を見ると脅して――自分を排除させようとしている。
 そう気が付くと、可笑しかった。
「そんなに、死にたいのか」
 アレクシスは昏く囁いた。
 それはアレクシス自身の願望とピタリと重なった。自分のことが大嫌いで。早くこの世から消えてしまいたくて。けれど自刃するような強さも無くて。緩慢に死が与えられるのを持っている。
 だだ、誰かに――裁かれたかった。
 アレクシスの問いに、男は答えなかった。ただ泰然と、暗い瞳を向けるアレクシスを見据えている。
「……なら、死なせてやる」
 アレクシスは笑った。
 最初からそうすればよかった。
 人ならもう殺している。もう一人増えたところで――何も変わらない。
 カウチを降り、低く古語を奉る。言葉たちを繋ぎ合わせて、幾重にも練り、呪いを紡ぐ。
「いいね。……とびきりのを頼む」
 男はうっとりと目を細めてアレクシスを見た。美しい黒髪に、ましろな肌と、昏く輝く紅い瞳。それから真っ赤に熟れた小さな唇。なんて綺麗なんだろう。最初に見たときから、ずっと、自分のものにしたくてたまらなかった。
「君がくれるものなら、なんでも嬉しいよ」
 最初に禰宜として述べた口上に、嘘偽りはなかった。あの場で死を与えられても、男は本望だった。ただ少し、――夢を見た。アレクシスがあまりに美しいので。
 手に入れようと夢中になれば、すこしはこの世の憂さが晴れるかと。
 恋焦がれた愛情いきがいが手に入るかと、期待した。
 ただ一時、垣間見た夢が終わるだけだ、と男は諦観ていかんしていた。
 何も――望んでなどいなかった。
 もとよりこの世に未練などはなく、誰かが死を授けてくれるなら、それこそ本望だった。
 アレクシスが男の目の前に立ち、低く古語を紡いだ。魔力を練るたびに魔封じの腕輪がキリキリと痛む。きつく食い込む腕輪がやがて肌を裂き、肉を割り、骨をきしませる。けれどもうアレクシスは躊躇ためらわなかった。
 膨大な魔力を引き出すと、きぃん、と甲高い音をたてて両腕の腕輪が弾け飛ぶ。
 人を呪えば、相応の報いを受ける。
 それでも構わなかった。
 何もかも終わりにして。
 全てを炎に焚べて。
 灰に還す。
「お前も、この子も、みんなに消えろ」
 禍々しい呪文の束を重ねて、渦となす。
 あたり一面を巻き込み、取り込み。
 アレクシスの手の中に全てが集約されていく。
「愛しているよ、アレクシス」
 男の声。
 それで、――おしまいだった。

 ぱちん、とアレクシスの手の中で呪いが爆ぜる。どっと溢れ出した魔力が二人を包んだ。

 そして、ただ静寂だけが残された。

 時間を過ぎて神官が部屋を改めると。翡翠の間にはアレクシスだけが倒れていた。
 その両腕には、真っ黒な呪いの印が、びっしりと張り付いていた。
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