Ωの国

うめ紫しらす

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第三部

希望の果実

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「柘榴様、はい、手紙。ずいぶん来てるけど……どうしたの?」
「さあな。最近、どんどん増えてるんだ」
 練習、と思ってできるだけαの手紙に返事を返すようにして、はや三か月が過ぎようとしていた。手紙だけでやり取りを続ける相手や、どこからかうわさを聞きつけて手紙をくれる者がいるせいで、増えることはあっても減ることはない状況で。返事を書くのも、管理作業も、段々と負担は増えている。
 けれど、辛くはなかった。最初は義務感でやっていたことだが、手紙を通して様々な立場のαと知り合うことは、それぞれの世界を垣間見るようで、楽しくもあった。恋文に似た手紙の行間には、立場ごとの政治的な思惑や、思想、価値観が滲んで見える。そうした行間の言葉をくみ取りながら意見を交わすのは、端的に言って刺激的だった。

 受け取った手紙を文箱にいれ、端から手にとって、差出人と肩書、申し込みの内容と自分の対応を帳面に書き写していく。

「……新聞記者。祈祷、ね」
 手紙を右側に振り分けて、返事を書くと記録する。
 明示的には知らされていないが、神事には対価となる喜捨の過多がある。祈祷は最も必要な喜捨が少ない。そのため人目のある場所でのテーブル越しの面会と、巫覡による祝詞の詠唱、印の受け渡しと、決まった流れに沿った内容となる。
 人目もあり、性的なサービスは伴わないが、印の返礼として物品の授受を行うことは咎められない。そのため手紙や贈り物を介して、互いを知り合っていくには充分な神事だった。

「次、鉄鋼会社社長……舞、パス。次、……」
 舞の奉納は、祈祷よりは喜捨が多く必要とされる。二人きりで舞を見せ、巫覡からの性的な接触が供される。接触の程度は巫覡の判断に任されているが、キスやペッティングが選ばれることが多いようだ。
 祈祷を飛ばして舞を申し込むαにはだいたい二つのパターンがある。一つは、純粋に舞を通して願いたい物事があるもの。もう一つは、対話よりも見目の好みを優先して縁を結ぶ巫覡を選びたい、というもの。前者は問題ないが、後者の場合は面倒な輩の場合があって注意が必要だった。

「外交官……? 舞。微妙だな……」
 文面からは、差し迫った願いがあるようには読み取れない。一方で俺のことを褒めそやすような美辞麗句が並ぶ。少し厄介な相手に読み取れて。けど、外交官という立場のαと縁を結ぶのは悪くない。こういう時は、舞にそれほど自信がないので、祈祷ではどうかと持ち掛けて、相手の反応を見る。舞に固執するようなら、相手にする必要はない。

「様子見、と。次、ウァース領ジジュダ郡長……どこだ、」
 地図を取ってきて、場所を調べる。地方都市だが、交易の要所になりそうな場所だ。話くらいは聞いてみるか。

 どんなαと縁を結び――禰宜とするか。
 ただ手紙で申し込まれる神事をやみくもに引き受けるだけでは意味がない。ちゃんと、相手が自分の『目的』に利用できるか見極めなくては。
 縁を持つにしても、決して自分を安売りするようなことはせず、相手が自分を求めるように仕向けていく。そうでなければ、目的に協力を依頼できるような関係は築けない。
 簡単なことではないが、すこしずつやり方が解ってきていた。

 すべての手紙を仕分け終わり、リストと手紙に揃いの連番を振れば、管理作業は完了だった。
 あとは、夜になってからそれぞれの返事を書き進めよう。

「カロル~。終わったよ」
「はい。柘榴様」
 階下の居間に降りていき、カロルを呼ぶと、待っていたようにカロルが木剣を持ってやってくる。一緒に稽古をするのが日課になっていた。
「あの、あのね、……柘榴様」
 ひとつ歳を重ねて背が伸びたカロルは、ずいぶんしっかりしてきた。なのに、恥ずかしそうに言葉を探している。

「なんだ?」
 しゃがみ込んで目線を合わせると、意を決するように続きを口にした。
「翡翠宮の友達も、一緒にやりたいって。……いい?」
「ああ、いいぞ」
 言えば、やった!、と小さく言って、満足気にこっちを見る。
手習所てならいじょの友達か?」と聞けば「うん!」と元気よく答えが返った。
「ライアっていうの。呼んでくる」
 そうか、と微笑んで、居間の中へ戻っていくカロルを視線で追いかける。

 手習所は、一か月ほど前に始められた、巫覡たちの学校だった。年齢層ごとに順番に授業時間を設けて、読み書きその他、基礎的な勉強をする。講師は外から呼んできた専任で、神官たちと違って、神殿の教義に縛られることはない。
 一日に一時間程度の限られた時間だったが、学習機会が無いよりはずっといい。
 最初は数人程度の集まりだったが、参加希望者は増え続けていて、活動としては軌道に乗ってきたところだ。
 目論見としては、これから徐々に規模を拡大して――巫覡が『外』に出ても困らないような知識を身に着ける場になればいいと思う。

「ライア! 一緒にやって良いって!」
 カロルは待っていた友達の元へ駆けていく。
 宮を越えて、同世代の他のΩとの交流機会を生み出すことも、手習所を始めた意図の一つだ。
 特に禁じられてる訳では無いが、宮の雑事にかまけて暮らしていると、他の宮の巫覡と知り合う機会はなかなかない。出入りしてみて解ったが、舞や祈祷の学びの場は、神官たちに厳しく管理され、顔見知りにはなれても学友を増やすような交流の余地はなかった。

 交流がなければ連帯も生まれない。神殿の目の届かない場所で、少しでも出会う機会を増やして、気心の知れた仲間を増やすことが必要だった。
 当然、神殿はいい顔をしなかった。巫覡たちが連帯すれば、効率的な管理に支障がでる可能性がある。
 けれど、交渉事にはフェルが矢面に立ってくれたおかげで、神殿は強くは否定しなかった。

 ――神の名において、民人の良き生を実現するのが、王家の誉れ

 フェルの、高潔で強い意志は、為すべきことを実現させる原動力になる。
 俺は、彼にΩの窮状を嘆き、慈悲を乞うただけ――彼とのねやの中で。
 自分が外の学校で学んだように、巫覡にも少しでも学ぶ場があれば、とこぼしただけだ。

「では大神殿の中に学校を作ってしまえばいい。そうだな、私の知り合いに掛け合ってみよう」
 目指す先を示してしまえば、あとは行動力の塊のようなフェルに任せて置けば良かった。
 実現するまでには思いもよらぬ苦労もあった。けれど柘榴の間で逢引きを重ねながら、解決策を探して話し合うのは、まるで士官学校での演習課題を解いているようで楽しかった。

「では、こうしてはいかがでしょうか。巫覡たちの教養を高めることは、神に対する理解を深める、と」
「……いいだろう。その案で私から手紙を出す」
 そうして、ようやく手習所の開校を成しえた時には、喜びを分かち合って。
 俺は素直に、フェルの功績を讃えた。

「ありがとう」
 フェルはとても嬉しそうに笑った。
「このようなことを成しえたのは、サリューの慈悲の心があればこそ、だ。……そなたの望みが実現できてよかった」
 フェルがあまりに無邪気に喜ぶので――少しだけ良心が痛んだ。

 共に何かを成し遂げる相手として、俺は彼に対して確かな敬意と親愛を抱いていて。でもそれはやっぱり、恋慕の情とは少し違う場所にある。
 けれどきっと、フェルが自分に感じているのは――恋愛のそれに違いない。
 だから騙しているようで。でもフェルと縁を結び、禰宜をお願いするのは俺にとって必要なことで。

 ――表面上は何も問題はなくて。
 ただ俺の胸の内で、罪悪感だけがいつまでも消えなかった。


「柘榴様~! はやく!」
 俺はカロルたちの待つ裏庭へと先を急いだ。
 何もかも、順調に進んでいた。

 これ以上、ないくらいに。

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